【5−11】ミエナイヨルノツキノカワリニヒッパッテキタヒスイノキミ
あの後、姉とは一度も会話を交わしていない。
今朝もルミネはおはようと言ったが、アトレは返事をしなかった。
それからしてルミネは大学に行き、アトレは<影月の魔導師>のもとで修行をしていた。
「えい!」
剣を振るい、それを<影月の魔導師>と孫のアレットが見守る。
いつも通りの日課で剣を振る。
そう、いつも通り。
「ストップ」
アレットは考えながらアトレを止めた。
「アトレさん、昨日と剣の振り方がどこか違います。おじいさま、どこかわかります?」
「ぼやけて見えんな。なんか、重い物を背負っているみたいじゃ」
「……アトレさん、昨日何かありました?」
とても気まずそうな顔をしている彼女を見て、アトレは自分のことが他のことにまで影響していることを痛感した。
迷惑をかけてしまっている申し訳なさがアトレを襲った。
「実は、姉と喧嘩してしまったんです」
「お姉さんって、ルミネさんのことですよね」
「ルミネ? 誰だったけな」
「ほら、三年前に宮廷魔法使いになった人ですよ! おじいさまが推薦したじゃない」
「そうだったかな」
さらっと聞き流していたが、<金星の魔女>は<影月の魔導士>に推薦されて宮廷魔法使いになったらしい。
これも、アトレの初耳情報だ。
そしてマクロンは髭をいじりながらアトレを見て、口を開いた。
「喧嘩はいかんな。邪念は剣を弱らせる。アレットや、何か言ってやんなさい」
「私から言えること? ん〜、私は兄弟いないしな〜」
アレットは頭を抱えて、唸り始めた。
そして何か思いついたのか、あっと言って話し始めた。
「これは私のいとこの話なんだけど、双子の兄妹がいてね。その二人は昔からずっと仲がよくなかったんです。でも最近、妹が誕生日に贈り物をしたらしくて、いつの間にか仲直りをしたらしいんですよ。二人とも成人してるのに復縁できるのって、何だか兄妹の心の深いところで繋がってる気がしません?」
「それってつまり?」
「つまり……ん〜。結局は謝る勇気が必要なんじゃないでしょうか」
(謝る勇気……)
「私、頑張ってみます!」
アレットとマクロンはアトレを応援するように、にっこり笑った。
* * *
結局、アトレはルミネに謝ることができなかった。
帰ってから何度かルミネと鉢合わせたけど、なかなか勇気が出ず顔を合わせぬまますれ違った。
自分から姉を拒絶したのに今は擦り寄りたいと思っているなんて、あまりにも自分勝手だ。そう思うようになってきた。
でも、本当はまた仲良くしたい。大好きって言いたい。
早く謝った方が気持ちが落ち着くのは分かってる。
だけど、最初の一歩が踏み出せなかった。
そして今は、自分の気持ちを慰めるよう、姉のベッドに突っ伏していた。
ルミネの匂いがするベッドは、寂しい気持ちにさせて涙が出てくる。
ふと横を見ると、そこには翠緑のスカーフを首に巻いたヨレヨレのウサギのぬいぐるみがあった。
だがアトレはそれを知っている。
「ここにいたんだね。アトレ……」
* * *
言葉がまた拙かったアトレは、ある日、母のカルミアからウサギの人形をもらった。
それは、大好きな姉と同じ物だった。
ふわふわで真っ白なウサギは、まだ名前がない。
彼女の認識では、「アトのウサギさん」と「お姉ちゃんのウサギさん」でしかない状態だった。
だけどアトレには、「アトのウサギさん」を自慢したい人がいた。
「お姉ちゃん! アトも、ウサギさん、もらったよ!」
拙い彼女は、お姉ちゃんと同じものをもらったことを自慢した。
なによりも、一緒のものが何よりも嬉しかったのだ。
「お姉ちゃんと一緒だね! でも、これじゃどっちのウサギさんか、混ざったらわからなくなっちゃうね」
「まざったら?」
ルミネは必死に考えて、あることを思いついた。
そしてそのまま、アトレを置いてカルミアの元へ向かった。
しばらくしてルミネがニコニコしながら戻ってくると、彼女の手には翠緑のスカーフとこがねのスカーフが握られていた。
翠緑のスカーフをキョトンとしているアトレに渡すとこう言った。
「これからは、その子もアトレだよ」
その子、つまりアトレが手にしているウサギのぬいぐるみである。
ルミネは自分のウサギに、こがね色のスカーフを首に巻かせるとアトレに見せた。
アトレも同じように、小さな手を一生懸命動かして首に巻かせた。
「できた! お姉ちゃんといっしょ!」
自分もできたと言わんばかりに、ウサギを差し出してルミネに見せた。
「アト、もし良かったらお姉ちゃんと交換しない?」
突拍子のない発言に、アトレは固まった。
「お姉ちゃんが持ってるウサギさんは、『ルミネ』。アトの持ってるウサギさんは『アトレ』。交換したら、お姉ちゃんはずっとアトと居れるし、アトもお姉ちゃんとずっと居れる。どうかな?」
歳の割に頭が冴えていたアトレはすぐに理解できた。
だから満面の笑みで、「アトレ」と「ルミネ」を交換した。
「お姉ちゃんと、ずっっといっしょ!」
まだ幼い小さな体で、こがね色のスカーフを巻いた「ルミネ」をぎゅうっと抱きしめた。
それから約十年後、ルミネが家を旅立つ時が来た。
ベルソンの大学に進学することになったルミネに、アトレは別れを惜しまずにいられなかった。
だからアトレは、彼女を見ることができなかった。
涙ぐんでいる自分に、お姉ちゃんを心配させたくないから。
そんなアトレに気づいたルミネは、何かを持って馬車から降り、アトレに近づいた。
目を背け、俯くアトレの目の前に翠緑のスカーフを巻いたウサギを差し出した。
「お姉ちゃんには『アトレ』がいるから心配しないで。だから今は、笑顔で送ってくれると嬉しいわ」
それはつまり、アトレにも「ルミネ」がいるから心配しなくていいのよ、と言っているのと変わりはなかった。
それでも、アトレの顔色は暗いままだった。
そして何を思ったのか、ルミネは小芝居じみた声で喋り始めた。
「『アトレちゃん、ルミネは私に任せて。私がついてるから』」
こんな時でもふざけるルミネがおかしくなって、アトレは笑った。
「……なにそれっ」
アトレは袖で涙を拭うと、言われた通り笑顔で送った。
「……いってらっしゃい、お姉ちゃん」
「いってきます」
翠緑のスカーフを巻いたウサギは、アトレの目の前で小さく手を振ると、ルミネと一緒に馬車に乗って家を離れた。
そして今、アトレは「アトレ」と再会した。
ヨレヨレのウサギは、あの頃の純白はなくところどころ汚れている。
きっと、家にいる頃から現在まで、ルミネは離すことなく抱きしめて毎晩共にしているのだろう。
だけど自分のウサギは、家に置いてきてしまっている。
申し訳なさで胸がいっぱいになった。
アトレはウサギを手にすると、顔をよく見た。
「ごめんなさい、アトレ」
話しかけられた「アトレ」は沈黙を貫く。
「……私、どうすればいいかわからないの」
「…………」
「お姉ちゃんと仲直りしたい」
「…………」
「……でも、なんて言えばいいか、わからない」
「…………」
「あなたならわかるでしょ。だって……だって、あなたはずっと、お姉ちゃんといたじゃない……」
「…………」
「なにかっ、しゃべってよぉ……」
「…………」
大粒の涙が、ウサギに染み込む。
アトレは、「アトレ」をルミネだと思い込んで謝り、抱きしめた。
その時、幼いアトレの声が、アトレの頭の中で響いた。
——アトレは、ルミネのこと好きじゃないの?
「……大好きよ」
——なら、素直に言ってごらん。あなたは私なんだから。
「怖いの……もしっ、嫌われちゃったら、どうしよって……」
——ルミネはそんなこと思わないよ。私はずっといっしょだったから。
優しく語りかける声にハッとしたアトレは涙を拭い、「アトレ」を綺麗にして整えてから立ち上がった。
そして大きく深呼吸をすると、ルミネの部屋の扉を開けた。
「お姉ちゃん!」
「師匠ならさっき外に出たぞ」
椅子に座って珍しく新聞を読んでいるラスカが、玄関を指差した。
その瞬間、アトレは駆け出して外に飛び出した。
日が沈み、微かに黄昏時の痕跡が残る空の下で、ある場所に向かってアトレは走った。
それは、アトレとルミネだけの「秘密の場所」。




