【5−10】宮廷魔法使い<金星の魔女>
宮廷魔法使い<金星の魔女>は、男を見下ろしながらゆっくり降下した。
ふわっとした着地の後、彼女はいつものように穏やかな口調で口を開いた。
「あら、わたしの正体を知っているなんてすごいじゃない。どこで知ったのかしら〜」
「ふん、そんなことどうでもいいさ。お館様の命でお前の殺害を命じられているんだ」
男は、ツルを地面から生成すると、ルミネの身体にキツく巻きつけた。
一方、締め上げられているルミネはなんでもないような表情で男を見つめている。
そして、意味深な笑みを浮かべた。
「慢心」
「何が面白い!」
「油断と慢心。それを捨てなければ宮廷魔法使いには勝てないわ」
ルミネに巻き付いたツルが、ほろほろと砕け落ちる。
男は苦虫を噛み潰したかのような顔を浮かべ、杖を構えた。
その次の瞬間、彼は同じように拘束しようとしたが、なぜか自分に絡みついた。
解こうとするほど強く締まり、逆に強く締めようとするとそのまま強く締まるツルに、男はもがいた。
それを、ルミネはただ哀れみの目を向けていた。
「僕に何をした!」
掠れる声で叫ぶ男とは対照にルミネは微笑んで見ていた。
だけど、その穏やかな瞳は笑っていなかった。
「わたし、今とっても怒っているの。あなた達のせいで、妹とのデートの時間がなくなったじゃない」
ルミネは裏港の方をそっと見た。
「消す前に一つ、質問をするわ」
「ほう、言ってみろ……!」
ルミネが鋭い目つきで男を凝視すると、男はギョッとして目を見開きながら怯む。
その首元には、音もなく氷の刃が浮いていた。
「目的と、お館様は誰か言ってみなさい」
(質問二つじゃねえか)
男は目の前に迫る氷の刃を凝視しながら首を退け、口を閉ざした。
そんな男にルミネは呆れ、ツルをキツく締める。
力強い目つきで、ルミネは魔法を詠唱する。
「ルミナス」
一瞬の閃光と共に、ルミネの杖から男に向かって白い光が出た。
「『公爵様』の研究のため! 僕は消える!」
ルミナスを目の前にして、男は赤黒い影となり消えた。
「『公爵様』の研究?」
首を傾げて考える。
ルミナスが霧散すると、ルミネの背後から少女の声が聞こえてきた。
それは馴染みのある最愛の妹、アトレの声だった。
だけど、アトレの声はどこか怖がっているような、失望しているような声を発していた。
「……お姉ちゃん、宮廷魔法使いってどういうこと?」
* * *
子供達を救出したアトレは、急いでルミネのいる西の港に向かっていた。
さほど遠くないこの場所は、倉庫街を抜けると着く。
アトレが到着すると、信じられない言葉が聞こえた。
「さあ、宮廷魔法使い様のお出ましだ! <金星の魔女>ルミネ・エマニュエリよ!」
アトレの身体が固まった。
心臓の鼓動が速くなる。
(お姉ちゃんが宮廷魔法使い? ……そんなこと、じいやからも聞いたことがないわ)
物陰に身を隠し、ルミネと男の会話を盗み見た。
強力な魔法を使う男に対し、ルミネはただ作業のように受け流し、圧倒していた。
その異常さは、<影月の魔導師>と同じレベルか、もしくはそれ以上であった。
圧倒的力量、圧倒的余裕。それはまるで、一般人同士の魔法戦とは思えなかった。
倉庫街を包む眩しい光の後、勝手にアトレの足が動いた。
そして、どこかに怯えながらも、姉の背中に向かって声を出した。
「……お姉ちゃん、宮廷魔法使いってどういうこと?」
ルミネの肩が一瞬震える。
ゆっくりと、アトレの方を振り向いた。
「……ごめんなさい」
目を閉じ、俯きながら謝る姉の姿は見たくなかった。
だけど、その言葉はアトレの欲しい言葉ではない。黙っていた理由が聞きたいのだ。
「ねえ! なんで私にも言ってくれなかったの!」
「それは、アトレのためを思って……」
「私のためって何よ!」
アトレの目から自然と涙が溢れた。
アトレは本当のことが知りたい。
なのに言葉を濁したり、オドオドしているルミネに怒りが沸々と湧いてきた。
ルミネが優しいのはわかっている。
だからこそ、その優しさがアトレを傷つけていた。
「もしわたしが宮廷魔法使いになったのをアトが知ったら、自分の体質が災いして、プレッシャーになっちゃうでしょ。だからわたしは黙っておくことに——」
「だからって何よ! 私は……私はただ、教えてくれたらっ、一緒にお祝いできたのにっ……」
もうアトレには滲んだルミネしか見えていなかった。
目を閉じてもはっきりと見えない前。
スカートを握り、大粒の涙をこぼした。
「なら、今からでも……」
ルミネはアトレに手を伸ばして歩み寄った。
だけどアトレは、ルミネを強く突き飛ばして背中を向けた。
「……もう遅いわ」
「アトレ……」
近づく戸惑いの足音に気付き、アトレは声を張り上げる。
「こないで! お姉ちゃんなんか……お姉ちゃんなんか、もう知らない!!」
アトレは後ろを見ずに、走ってその場を去った。
溢れる涙が、横にこぼれ、袖で拭きながら走った。
ルミネの顔が、姿が、見えなくなるまで。
「アトレ…………」
ルミネは持っていた宮廷魔法使いの立派な杖を落とし、去り行くアトレを見つめていた。
それから、雨が降り始め、頬に水が流れた。
* * *
(気まず……)
ラスカでもわかるくらい、今晩の夕食は気まずかった。
なんせ会話が何一つない。
その原因がアトレだった。家に帰ってからも終始険しい顔でいるし、いつもニコニコで食べている食事も、ずっと怒った顔をしている。
それに、師匠はずぶ濡れで帰って来てからも、しょんぼりした顔で過ごしていた。
「ごちそうさま。私、もう寝るから」
氷のような彼女は、食器をきれいに置いてから、ルミネの部屋に戻った。
一方、バツが悪そうなルミネは、ちまちまと俯きながら料理を食べていた。
換気をしても変わらなそうな最悪の空気で、ラスカは仲良し貴族姉妹に何があったのか、不思議でならなかった。
「あの師匠、アイツと何かあったんですか?」
ルミネは一瞬ラスカを見た後、フォークを置いて俯きながら口を開いた。
「実は、アトと喧嘩をしたの……」
「喧嘩ですか……。わたくしに手伝えることはありますでしょうか」
「ううん。……元はといえば、わたしが悪いのよ」
もしかしてと思ったバルは、少し躊躇った後、ルミネに訊く。
「ルミネお嬢様、アトレお嬢様にあのことを言われたのですか」
ルミネは一瞬、自室を見た後、すぐに俯いて話す。
「……ええ。実際は、バレてしまったのよ」
「バレたって何が?」
ルミネは大きく息を吸うと、ラスカの目を見た。
「わたしが、宮廷魔法使いの<金星の魔女>であることを」
ラスカは予想外すぎる返答に、なぜか驚くことができなかった。
まず、宮廷魔法使いについてアトレと出会った時くらいに、初めて存在を知ったからだ。
それも、<翠煌の魔女>時代、つまり旧ヴァリエ王国のものしか知らなかった。
だから<翠煌の魔女>の実力を聞き、師匠のルミネと照らし合わせると、なんとなく似たような実力と強さで納得することができた。
「それで、師匠はいつから隠してたんです?」
問うラスカに、ルミネは眉を下げて心底苦しそうな、後悔しているような顔をした。
「三年前。わたしが、宮廷魔法使いになってからずっとよ」
「その頃、わたくしとセレオ様、カルミア様には伝えておりましたよね。今は隠したいと」
「そうね。アトちゃんは魔法が使えない。だからプレッシャーにならないように隠してたの」
ラスカの頭に、一生懸命魔法を練習しているアトレの姿が浮かぶ。優秀な姉に、いつまで経っても子供のままの彼女。
いつしか心を病んでしまっても仕方がない環境なのだろう。
でもラスカは知っている。
アトレが、自分以上にルミネを尊敬していて、慕って、そして何よりも、姉が大好きであると。
たとえ彼女が真実を知ったとしても、憎んだり、妬んだりはしないし、誇りに思うはず。
「師匠の気持ちもわかります。でもアイツは、そんなことで折れないはずです」
ルミネの顔がパアッと明るくなり、目が潤んだ。
そして、アトレみたいな可愛らしい微笑みを見せた。
「……ありがとう」
ルミネはまた部屋を見ると、すぐに目線を戻し、ラスカとバルを見てモジモジし出した。
「……でも、どうやって仲直りをすればいいかわからないの。きょうだい喧嘩は初めてだから……。今すぐ謝ったほうがいいのかしら」
「あっ、それはやめた方がいいと思います」
即答するラスカに、ルミネは目をキョトンとさせた。
「俺もよく兄弟喧嘩してて、大体、すぐに謝ろうとしたところで許してくれないんですよ」
「じゃあ、一緒の部屋で寝るのは?」
「問答無用でアトレに殺されます。絶っっ対やめた方がいいです」
地獄のような顔で話すラスカは、いつの間にか食事中であったことを忘れていた。
現在の宮廷魔法使いは、初代皇帝(翠煌の魔女ファン)の趣味で設立されました。
このことを知っているのは一部の宮廷職の人か、ほんの一握りの上級魔法使いだけです。




