【5−8】金星
最近、アトレはとあることに気付いた。
それはルミネの料理のレパートリーが少なすぎることだ。
最初こそ良かったものの、二日目、三日目くらいになると同じものが出てくるようになった。残念なことに、味もさほど美味しくない。
昔から不器用だったルミネが、一人暮らしを始めて少しはマシになったと思ったら、それは見当違いであった。
というわけで、ここずっとはバルが料理を作っている。それに、ルミネが料理している姿は見ていて危なっかしいのだ。
そして今日も、修行を終えたアトレは先にお風呂に入って、夕食を過ごしていた。
バルの料理を食べると、どうしてルミネが生活できていたかが不思議になるくらい美味しい。少なくとも、真っ黒なハンバーグとか、紫色のシチューより全然、というよりずっとこれでいたい。
美味しい食事を食べて、アトレはリビングでスライムと遊んでいた。
この時間はルミネが勉強をしている。一応、彼女も大学生なので課題とかが忙しいのだろう。
しばらくして、ラスカとバルが就寝した。
アトレは今も、スライムと遊んだり、本を読んだりして暇を潰していた。珍しく、ルミネが戻ってくるのが遅い。
アトレが呼びに行こうとした矢先、ルミネの部屋の扉が開いた。
「お待たせ〜。今からお出かけしない?」
「今から?」
「そう、今から。アトを連れて行きたい場所があるの」
そう言うルミネはすでに上着を羽織っていて、暖かそうな手袋まではめている。
どうやらアトレに拒否権はないらしい。
アトレはシルクのパジャマを着たまま、上着を羽織ってルミネの後を静かに追った。
ルミネは空き巣のように静かに家のドアを閉め、鍵をかけて歩き出す。
冬の夜は寒すぎる。
なんてたって、アトレのコートの下は普通のパジャマだ。上は暖かいが、下は風が吹くととんでもなく寒い。
ブルブル寒さに堪えながら数分、石の階段を登り、たどり着いたのは街の高台にある広場だった。
ほんのりと灯る街灯が、辺りを穏やかに照らす。
ルミネは広場の塀を跨って足を垂らしながら街を見下ろす。
「ほら、となり」
「う、うん」
アトレも促されて、ルミネにピッタリくっつきながら同じように座った。
見下ろすベルソンの夜は、光が小さく揺れ、呼応するように街灯の灯りが震える。
真っ白な息を出し、アトレは空を見上げた。
蒼い夜の中、星々がチラチラと輝く。
満天の星空に浮かぶ小さな月。
無数の星の海に、アトレの口角が自然と上がった。
静かなルミネをそっと見ると、彼女の目は金星のようにキラキラと輝いていて、なんだか楽しそうに微笑んでいた。
まるで無邪気な子供のように。
白い息を吐き、水色のウェーブがかった髪が時折たなびく様を、いつの間にかアトレはじっと見つめていた。
「どう? すごいでしょ」
「うん。……まるで、女神様がミルクをこぼしたみたい」
「誰を思い浮かべたの?」
「私は……ケレースかな。なんかドジっぽいし」
それを聞いたルミネは「ふふっ」と、笑った。
「なんか、アトが元気になって良かったわ……」
「どういうこと?」
ルミネは再び、夜空を眺める。
「わたしが家を出た時、アトは何だか思い悩んでいるような気がしたの。でも、あえて相談には乗らなかった。きっと、わたしの妹なら乗り越えられるって気がしたから。だけど今は、こうして元気になってここまで来てるでしょ? だから、良かったなぁ、ってだけ」
白い息をぽおっと吐く。
ルミネの目は、どこか嬉しそうだった。
「この場所はね、わたしが何か辛い時があったり、想いに耽りたい時にくるの」
「……でもどうして今日は、私を連れてきたの?」
「う〜ん……ただ、アトレにこの場所を共有したかった、自慢したかっただけよ」
誰かに秘密を共有されるのは嬉しい。だからアトレは、笑顔でこう言った。
「お姉ちゃんはすごいね」
そしてルミネは、あの言葉を得意げに言う。
「お姉ちゃんはすごいのよ!」
アトレとルミネは笑い合った。
まるで、子供の頃に戻ったかのように。
しばらくして、ルミネは月を指差した。
「今日連れてきたのには、もう一つ理由があるの」
「理由?」
「明日から二日間、月が金星を隠す時期に入るの。次にそれが見れるのは二年後。その頃にはわたしはもう、この街にはいないから。だから、アトと一緒に見たくて連れてきたのよ。それに、アトもそろそろこの街を離れるでしょ?」
アトレがこの街に来た理由はルミネに会うこと、<影月の魔導師>の修行を受けることだった。
その修行もいよいよ大詰め。来てからの日数よりも、出ていくまでの日数の方が多くなってしまった。
幸い、明日は修行の予定が無い。この休みも残りわずかだ。
アトレは意を決して、ルミネに訊いた。
「あの、お姉ちゃん。明日、お姉ちゃんと買い物に行きたい」
これからの人生、姉と遊びに行く機会なんてそうそう多くは無いだろう。それにはルミネも十分承知だった。
だから、可愛い妹の誘いを断る理由なんてどこにもない。
「ええ。行きましょう! お買い物!」
満面の笑みでそう答えた。
* * *
翌日。早朝から、二人は出かけた。
最近のアトレの流行りはオシャレだ。変わった店員がいたあの衣服店に行って以来、自分の服に興味を持つようになった。
あのお姉ちゃんのことだ。きっと、私みたいに服に無頓着だろう。初めはそう思っていた。だから、服選びは店員さんにてつだってもらうつもりだったのだが。
ルミネの着こなしはプロ並みであった。
オシャレ上級者の茶髪ガールと、化粧のプロの黒髪メイドが頭にちらつく。だが、その二人を差し置いて、桁違いにセンスがある。
元々モデルのような体型のルミネだが、淡いピンクのリップに幅広のパンツ、そして大きな胸をあえて強調しないニットの組み合わせ。
そこに組み合わさる整った顔立ちと穏やかな瞳は、直視できないほど美しい。
アトレも負けてはいなかったが、華奢な体型ではルミネに見劣りしてしまう。
その上、この間買った服装はルミネと比べるとまだイマイチなのが恥ずかしく、コートで隠してしまっている。
これに関しては、相手が強すぎたのだ。
だから、速攻で服屋に行き、ルミネに選んでもらうとすぐに着替えた。
そして迷うことなくすぐに購入した。
(これで何とか、恥ずかしくはないわね)
店を出て早速小腹が空いたアトレは、ルミネ行きつけのカフェに行ってもらうことにした。
「おはよ〜マスター。やってる〜?」
裏路地に面した小さな扉を開け、ルミネは元気よく挨拶した。
「おはようルミネちゃん。おや、そちらの方は?」
「わたしの妹。アトレっていうのよ〜」
「こんにちは。いつも姉が迷惑を……」
「そんな、迷惑だなんてとんでもないですよ。ささ、そこの席でも座ってください」
若い男性のマスターは、カップを磨きながらこちらを向いて、笑顔で言った。店の中はコーヒーの香ばしい香りが漂っている。
こんなにもオシャレなカフェに通っているルミネが何だか羨ましい。
(アルノールに戻ったら探してみようかしら)
小さなテーブルの上にあったメニューを眺める。
紅茶はなく、コーヒーやパフェ、ラトゥールでは珍しいパスタが置いてあるようだ。
「決まった?」
ルミネが机に頬杖してにっこり尋ねた。
「私はこのパフェにするわ。お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃんはいつもこのプリンを食べてるの。今日も同じっ」
そう言って、ルミネは後ろを向いて声を張り上げた。
「マスター、ストロングベリーパフェとミルティーユプリンが一つ、あとコーヒーを二つよろしくね〜」
「はいよー。先コーヒー持っていくから、ちょっと待っててな」
ガリガリとコーヒー豆を砕く音がして、フィルターに移されると、コーヒーの香ばしい匂いが漂う。
カップに注がれる音と、深みと酸味が混ざった香りに鼻をひくつかせて、アトレはコーヒーを待った。
「お待たせしました。こちら、ブレンドコーヒーになります」
真っ黒の液体から白い湯気が湧き上がる。
アトレが不思議そうに眺めてからカップを手に取り、一口飲んだ。
「……ん」
口に広がるのは匂い通りの深みと酸味のある味、そして、強烈な苦味!
旧貴族のアトレちゃんは礼儀作法がしっかりしている。だから吐き出さなかったけど、あとでひどくむせた。
「苦いわ! ゴホッ、よくお姉ちゃんは飲めるね」
「ん〜? お姉ちゃんは大人だから飲めるのよ〜。アトちゃん、カップを出して」
ルミネに言われるまま、アトレはカップを差し出す。
すると、何も言わずに白い粉と白い液体をコーヒーに入れて、混ぜ出した。
だんだんと色が淡くなるコーヒーは、まるで錬金術のようだった。
「ほら、これで飲んでみて」
躊躇いながらも、一口飲んだ。
すると、先ほどの苦味がすっかり消えて、ミルクの甘い味に変化した。
「さっきのはミルクと、砂糖かしら。すごく美味しいわ」
アトレが頬を赤らめて美味しいと微笑んでいると、今度は大きなイチゴのパフェと、ベリーのソースがクリームにかかった小さなプリンが来た。
正直、それからのことはあまり覚えていない。小腹が空いたとはいえ、この大きさのパフェはアトレでも苦労し、無理やり詰め込んで必死で食べきった。
満腹で満面の笑顔のアトレは、ルミネが行きたい魔法店について行くことにした。
「誰か! うちの子を助けて!」
突然、ベルソンの街に女性の声が響いた。
ルミネさん、昔から星が大好きでよく夜中に家を抜け出したり、自分の魔女名に星の名前を入れてしまうほど妹と同じくらい好きなのです。




