【3−7】伯爵
リリアン・シャリエールが十一歳の時、彼女の人生に於ける最大の転換点が起きた。
子供ながらに爵位の継承という、普通の大人——ましてや貴族でもあり得ないことを彼女は成し遂げた。だがしかし、この爵位の継承は事前に予定されていたものではなく、急遽執り行われたものであった。
リリアンが爵位を継承する少し前、ラトゥール共和国では皇帝が代替わりが起きていた。
この国の皇帝は絶対王政の様な主権は持他ない。共和制議会の上に立つ存在ではなく、主権を持たない象徴的、外交手段としての皇帝が置かれている。
旧ヴァリエ王国の革命の主導者であったベルナールが革命で王朝を討伐すると、自らを皇帝に置いて共和制への転換を指示した。
その革命後の混乱を導いた皇帝ベルナールが逝去すると、新しい皇帝フレデリックが君臨した。
そして、新しい皇帝の戴冠式にリリアンの父、前シャリエール伯爵が招待された。もちろん、偉大なる先代の皇帝の後継の戴冠式のため、一家総出で出席することになった。
しかし戴冠式の前日、リリアンは風邪を引いてしまい、家で留守番することになった。
リリアンは鼻を垂らしながらナディアの手を握り、両親と弟のイザークを乗せた馬車を見送った。
馬車は順調に、都モンカルムに向かった……はずだった。
戴冠式当日。家で寝込んでいたリリアンの元に一通の手紙がモンカルムに向かったはずの従者一人と一緒に来た。
「大変だ! お館様が事故に遭われた!」
従者の男は必死で戻ってきたのか血だらけだった。
男は屋敷に残っている従者やナディアに手紙を渡し、震える口で状況を伝えようとした。だが、その途中に意識を失い、そのまま生き絶えた。
死因は衰弱した身体に魔力の大量消費という負荷の高いことしたことによるショック死だった。
その知らせは、寝込んでいたリリアンの耳にも届いた。
(お父さん、お母さん、イザーク。無事でいてっ……!)
リリアンは祈り続けた。手に力が入らなくなるまで祈り続けた。力の入れすぎで彼女自身が倒れても祈り続けた。
だが、不幸にもリリアンの祈りは神には届かなかった。
* * *
何も食べさせてもらえなかったアトレは、ぼうっと窓の外を眺めていた。
空腹を少しでも誤魔化すため、水を死ぬほど飲んだせいで、逆にお腹が痛い。
ふと気がつくと、誰かがトントンと軽くアトレの肩を叩いていた。
「あのーアトレさん? 体調の方はいかがですか?」
腰を低くして、ラスカが顔を覗き込んでいた。
「別に? これといって痛い場所とか変な感覚とかは無いわよ」
「ならよかった。実はお前はフグ毒に侵されたんだ。おそらく何者か……」
ラスカはううんと首を振って話し続けた。でもそれは、アトレにとって意外なものではなかった。
「俺の予想だとあの伯爵がお前のビンに盛ったんだと思う」
眉間に皺を寄せるラスカに対し、アトレは意外にも落ち着いていた。
「バレてたんだ……まあそうだよね。それならそう言うと思ったわ。でもあの子は違う。むしろ被害者よ」
アトレの突拍子もない一言に、ラスカは疑問の表情を浮かべる。なぜ伯爵を擁護するのか、と。
「私ね、倒れた瞬間に見たのよ。ほんの一瞬だけ、あの子の顔を。とても引き攣った表情で怯えているように見えたの」
ラスカやバルを刺激しないように、優しく丁寧に話した。
「でもお前とアイツの関係だろ。あの伯爵の性格からして一番やりそうなことじゃないか」
「だからこそよ。あの子には、こんなことをできる度胸なんて持ってない……」
アトレはまた窓の外を見た。リリアンとの話をあまりしてほしくないのか、聞く耳を持ちたくないと言っている様だった。
「つまり、お嬢様がおっしゃりたいのは真犯人が他にいると言うことでしょうか」
「……そゆこと」
なんとも言えない気まずい雰囲気が、この部屋に立ち込める。
この空気を作っているのは、そっぽを向いているアトレということには間違いがなかった。
静かすぎて、互いの呼吸音すら聞こえてくるほどだった。
そして数分の沈黙を破ったのは、バルだった。
「ラスカ様、わたくしが昨日の夜、こちらに『小さなお客様』がいらしたと言いましたよね」
「ああ、そんなことも言ってたよな。結局、それって誰なんだ?」
バルは少し言うのを躊躇って無言になったが、打ち明けることを決意して話す。彼女の名誉を守るために。
「リリアン様でございます」
(あの子が……どうしてここに?)
バルの一言に、ラスカは豆鉄砲を食らった鳩のように、アトレは夜の暗い森の中で物音に気付く梟のように驚いた。
「実は、お嬢様の体調が良くなられたのも、彼女の治療魔法によるものなのです。ほんの数分で戻られてしまいましたが、とても心配しておられました」
この証言で、ラスカの疑念は完全に晴れた。
容疑者が被害者を延命する意味がなさすぎるし、苦しませるのが目的とするなら、なおさらだ。
つまりこの事件には、リリアン以外の第三者の存在がある。
* * *
ラスカが部屋を出た後、割とすぐに誰かがドアをノックした。
バルは刺客の可能性を考慮し、慎重に声の主を確認する。
「どちら様でしょうか」
「……ンだ。その……アトレの……見舞いに……た。何も変なこ……しない。ただ、彼……を治療してあげた…………」
扉の奥から、ボソボソとか細い声が聞こえてきた。
その声の主がシャリエール伯爵であると察したバルは、彼女自身に敵意が無いと判断し、扉を開けた。
フード付きのローブを深く被り、身長に合わない長く立派な杖を携えた小柄な彼女は、いち早くアトレの元に駆け寄った。
シャリエール伯爵——リリアンは、そのままアトレの胸にそっと手をかざし、静かに魔法を詠唱する。
水魔法由来の回復魔法は、アトレの周囲を淡い水泡が包み込み、ぷつぷつと弾けて消える。
その度にアトレの呼吸が安定していった。
「…………多分、フグだ」
リリアンは悲しい顔をしながらボソッと呟いた。
「ううーん……お腹……空いた…………」
身体が楽になったアトレが呑気に寝言を呟いた。
「……ボクは、これで失礼するよ。あの少年には内密にしておくれ。多分、ボクは嫌われているから……」
そう言ってリリアンは早足に部屋を後にした。
(この期に及んで寝言とか、呑気なもんだね。でも、あの人と同じ結末にならなくてよかった……)
リリアンはフードを深く被り俯きながら、音を立てぬよう廊下を進む。
だが次の曲がり角を曲がったとき、一番最悪なことが起きた。
あろうことか誰かと正面から衝突したのだ。
小柄な彼女は、ぶつかった時に大きく飛ばされて床に転ぶ。
「ふぎゅっ! いてて……あっ! ご、ごめんなさい……」
腰をさすりながら急いで謝った。フードのせいで彼の顔が見えない。
「大丈夫か? 俺こそすまなかったな。不注意で前を見ていなかった」
差し出された手に、リリアンは顔を上げ、息を呑んだ。
フードの隙間から見えた彼は、アトレと一緒にいた少年だった。
この場所にいたら何か文句をふっかけられるはずだ。
そう思ったリリアンは、手に触れる寸前で身を翻し、自力で立ち上がった。
顔を見せないようフードを押さえ、深く被りながら自分の部屋へと逃げ帰った。
* * *
「そんな事があったのね……。今回は私の負けね」
アトレはベッドの縁に座って呟いた。
考えてもいなかったが、たった数分、数十分で意識を飛ばした毒に侵されながらも、ほぼ一日で自然回復してしまうのはおかしい話だ。回復魔法が使える誰かが介入して解毒しなければ説明がつかない。
そうなると、リリアンが治療してくれたことに間違いはないだろう。
そして何を思ったのか、アトレはどこからか口髭が付いた伊達メガネのおもちゃを取り出して、それを顔に掛けた。
「なら、犯人探しの開始ねっ。ふふん」
「おいおい、急にガサガサし出したかと思ったら探偵ごっこか?」
「『ごっこ』じゃない。探偵だよ」
「???」
ラスカは、遂にアトレの頭が狂ったのかと考えていたが、妙にアトレなら解決できそうとも思った。
「あと、このドレスじゃ目立ちすぎるし疲れるから着替えたいわ。ねえじいや、着替えるの手伝ってくれる?」
アトレは今着ている煌びやかな青のドレスの袖を軽く引っ張りながら言った。
「承知しました」
「俺も手伝うか?」
「あんたは出てって! 本当にもう、女の子の気持ちってものがわからないの? それと……部屋の外にいるナディアさんを呼んできてくれないかしら」
「全く、人使いの荒いお嬢様なことだ」
ぷんすか怒るアトレを横目に、ラスカは渋々部屋を出て行った。
「ナディアさ〜ん、ちょっと来てくれ」
ラスカは廊下で待機しているはずのメイドに、声をかける。だが、そこに居たのはメイドらしからぬ姿のメイドであった。
ナディアは壁に寄りかかり、タバコを吸いながら静かに本を読んでいた。メイド服姿で。
彼女はラスカに気づくと、すぐさまタバコを消し、パタンと本を閉じて顔色ひとつ変えず「なんでしょう」と言った。
「あのー、アトレが着替えたいって言ってて、手伝ってもらえませんかね? それと……俺の服も、そろそろ返して欲しいんだけど……」
「なんと。失礼しました、すぐに服をお持ちいたしますので」
ナディアはいそいそとどこかに歩いて行った。しばらくすると、カゴに畳まれた服を入れて持ってきてそれをラスカの前に置くと、部屋の中に入った。
カゴに入った服を取り出し、ラスカは廊下で素早く着替えた。
ガチガチの礼服から普段着に着替えると、驚くほど楽だった。
礼服を軽く畳んでカゴに入れると、部屋からナディアが出てきて服の入ったカゴにアトレのドレスを入れてまたどこかに持って行った。
その間にラスカは部屋に戻った。
「終わったかー? あれ、寝巻きなの?」
「まぁね。だって、まだ私ここで療養しないといけないし」
アトレはシルクでできた真っ白な寝巻きを着て、またベッドの縁に座っていた。
「それじゃ、本題に入りましょう」
パン、と小気味良く手を打ち鳴らす。
ナディアはフランクール法学校出身なので、結界の判別程度なら容易いらしいです。
アトレの伊達メガネはラビナから貰いました。




