【3−4】かすれた息
まだ身体に馴染んでいない作法をアトレから教わったラスカは、皿に口を付けて温かいスープを飲んでいた。薄っい皿に入ったコーンスープの量は心許ない。
でも、かなり美味しかった。
それでも、禁じられた目の前の海鮮料理が気になってしょうがない。
早く食べたい気持ちを抑えるために、ワイングラスに手をつけた。
ブドウジュースはスッキリとした味わいで、何度でも飲みたくなりそうな味だ。
周りより早く一杯目のブドウジュースを飲み干した直後、大きな破裂音を聞いた。
同時に、机がドンと大きく揺れた。
ラスカは動くより先に、声が出た。
「アトレ!!」
「お嬢様!!」
バルも同じ感覚だったかもしれない。
慌てて席を立ってアトレの背中をさすり、何度も呼びかけた。
だが、何も返事がない。それどころか、彼女の息がどんどん浅くなっているではないか。
(クソ! さっきからどうなってるんだ……)
「アトレ! 返事しろ!」
アトレの背中を叩いて呼吸を楽にさせようとするが、荒い息は収まらない。
「う゛っ……コホッ……」
アトレは意識がないまま、寒そうに身体を小刻みに震えさせている。その口元から白い泡を出した。
いよいよ本格的にアトレの容態が不安になってきた。
「お嬢様! ミルクをお飲みください!」
アトレの看護に夢中になっている間に、バルはどこからかコップ一杯のミルクを持ってきていた。
すぐに、バルはアトレにミルクを飲ませようとしたが、ラスカはそれを止めた。
「バルさん、待ってくれ。もし何か変なものを飲み込んだなら、吐かせるのを優先させたほうがいいんじゃないか?」
その言葉に、バルはミルクの入ったコップを近くの机に置き、手袋を外した。
「シャリエール伯爵様、失礼します。ゴミ箱を少々お借りさせていただきます」
リリアンはフォーク片手に無言でバルに返事をすると、近くのゴミ箱を指差した。
バルが吐かせる準備をしていたので、ラスカが走ってごみ箱を取りに行く。
小さな屑入れサイズだが、今はそれで十分だ。
「お嬢様、失礼します」
ラスカがアトレの頭を上げて、バルはシワシワの指をアトレの口腔の奥に突っ込んだ。
アトレは意識がないまま、苦しそうに全て吐いた。
(もしこれが毒なら……)
ラスカには心当たりがあった。
アトレは隠せているつもりなのだろうが、ラスカは薄々それに気付いていた。
目が合うたびに、アトレとバチバチやり合っている相手。
——リリアン・シャリエール。
彼女の傲慢な性格ならやりかねない。
そして、アトレの重たい頭を支えながら彼女を睨んだ。
「お前、アトレに一服盛ったな?」
声を低くし、威圧する。
しかし、彼女には効いていないようだった。しかも、扇子を口元に広げて笑っている。
「さ、さぁ? ボクは知らないなぁ〜」
リリアンは自分は何も知らない、やっていないと言わんばかりにしらばっくれた。
完全に自分達を挑発しているかのような態度に、ラスカは思わず舌打ちをした。
こんな態度の奴に構っていられない、と思いアトレに目をやった。
机の上のミルクは空になっていた。きっとバルがアトレに飲ませてあげたのだろう。
だが、このまま座らせておくわけにはいかない。横にして安静にしてあげるのが最善だ。
ラスカは近くのメイドを呼びつけて部屋を借りれないか尋ねた。
メイドは快く快諾してくれて、近くの一室を貸してくれた。
ラスカは、アトレを前抱きにして部屋を後にした。
最後に、リリアンを睨みつけながら。
そのリリアンは、何か言いたげで、どこか悲しそうな顔をしていた。
* * *
貸してくれた部屋はあまり豪華とは言えなかった。
日当たりのいい場所に質素なベッドが一つあるだけ。
普段から客人に貸している部屋には思えないが、中はとても綺麗に清掃されていて埃一つもなかった。
軽いアトレを抱き上げて走っていたものの、部屋は幸にも近かった。疲れを感じる間も無くたどり着けたことだけが救いだ。
そうして、苦しんで呼吸が浅いアトレをベッドに寝かせるとラスカは立ちすくんだ。
(なんでコイツばっかこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ)
静かな部屋にアトレの荒い呼吸だけが響く。
このまま何も至れないままじゃ気分が悪い。せめて毒の判別さえ出来れば。そう考えたラスカは早速行動に移す。
「……バルさん。俺、ちょっと厨房に行ってきます。コイツのために何かしてあげたいんです」
拳を強く握りしめ、俯いたまま言った。
「……わかりました。ではお気をつけて。わたくしはお嬢様のそばに居ます。」
ラスカは「あぁ、助かるぜ」と答えて静かに部屋から出ていった。
——アトレを起こさない為に。
残ったバルは、アトレの寝るベッドの隣にある椅子に座り、唇を噛んで忸怩たる思いをしていた。
「…………お嬢様、申し訳ございません」
声にならないほどの小さな呟き。
「嗚呼、セレオ様になんとお伝えすればいいのでしょうか……」
自分でも気付かぬうちに零れた言葉だった。
やがて、バルは無意識のまま、アトレの柔らかい手をそっと握っていた。
すると、誰かが小さく、本当に小さくドアをノックする音が聞こえた。
「どちら様でしょうか」
「————だ。そ、その……アトレの、見舞いに、来……」
小さくて心細そうな少女の声。扉越しでははっきりとは聞こえない。
しかし、その声が誰のものかわかったバルは、部屋に入れることにした。
彼女に敵意は無い。
少なくとも、今は。
そう判断したバルは、静かに扉へと向かった。




