【2−9】小さな神様の可愛い家族
(この女の子が、豊穣神ケレース……?)
アトレの記憶では確か、ケレースの像は大人の女性の姿だった。でも、今目の前にいるのは十代前半くらいの少女だ。
俄かに信じがたい。
それに、<風の執政>という二つ名も初めて知った。
「あなたは……本当にケレースなの?」
「まだ疑うの? しょうがない……きみたちが知っている姿になるよ」
ケレースと名乗る少女は、すごく残念そうに言うと風が吹いた。
目を開くと、街にある像と同じ姿の、美しい女性になっていた。さっきの少女をそのまま成長させたような姿だ。
「これでいい? こっちの姿はあまり好きじゃないんだ」
少し低くなった声でそう言うと、また風が吹き元の少女の姿になっていた。
「きみにはお礼を言わないといけないね。ぼくの家族を助けてくれてありがとう」
ケレースは何もない空間を何かがいるように撫でた。
「家族って、私は誰も助けた覚えはないよ」
戸惑っていると風が吹いた。
そして、ケレースが撫でていた空間に小竜が現れた。大型犬くらいの大きさだ。
しかもさっき倒したはずの竜を、そのまま小さくして幼くしたみたいな姿ではないか。
それにケレースは竜絶滅の張本人。
にもかかわらず、本人曰く、この小竜が家族ときた。あまりの情報過多でアトレの脳がパンクしそうになる。
「竜が家族って、どういうこと? あなたは竜を絶滅させたんじゃないの?」
「そうだね。確かに、ぼくは竜を殲滅した。でも、この子との関係は深いわけがあるの。そこに座って」
とても穏やかな口調で話しながら指を振ると、アトレを風で作った椅子に座らせた。
なんと心地のいい椅子だろう。風の椅子はアトレを優しく包み込んで、天に召されてしまいそうな感触だ。
「ぼくが悪竜と戦ったお話は知ってる? 実はあの時、ぼくは天から竜の殲滅を任されて俗世に来たんだ。その時、最初に地に足を着けたのが、今で言うロコモアっていう街だったの。初めて降りた時の姿が今の姿。結構気に入ってるんだよね」
なんだか楽しそうに話している姿はまるで、子供が親に自慢話をしているようだった。
「でも、ずっと子供の姿だと怪しまれちゃうでしょ? だから人間の成長ペースに合わせて大人の姿になったんだ」
つまるところ、ケレースは俗世に十年近く滞在していたことになる。
これだけ長い期間いたら、記録も多く残っているはずだ。
アトレの疑問に一つ、合点がいった。
「あっ、ちょっと話がずれちゃったね。ごめんごめん。話を戻すと、ぼくは降りた時この子に出会ったの。そうだよね、ユーちゃん」
ユーちゃんと呼ばれた小竜は、キューと可愛く鳴いた。とてもじゃないが、この小竜が先ほどの獰猛な竜になるとは思えない。
「育児放棄されてたこの子と、ひとりぼっちだったぼくは、なんだか生き別れの家族みたいな感じがして一緒に暮らしちゃったんだ。でも、ぼくは神でこの子は竜。いつか別れの時が来る。だからぼくは、この子を殺すことができずに封印をしたの」
ケレースはふうっと息を吐くと小竜と戯れ出した。まるで猫と遊んでいるみたいだ。
「でも、封印が解けて竜が暴れ出した。これはあなたがやったの?」
「いいや。何者かがやったみたい。幸い、ぼくがすぐに気付いたから、ユーちゃんの近くで魔法を操り、楽に天界に来れるようにした。あまり抵抗しなかったでしょ」
ふんわりとした笑顔でそう言うと、ケレースはちょこちょこ歩いてアトレに近づいた。
そして、頑張って背伸びをして、立っているアトレの頭を優しく撫でた。
「だから君には感謝してる。ぼくと、大切な家族をまた会わせてくれたからね」
ケレースは背を向けてアトレから遠ざかった。
風が吹く。今までで一番強い風だ。
でもまだ思い残したものがあるアトレは、風に負けないように大声で叫んだ。
「待って! まだあなたに聞きたいことがあるの!」
アトレは急いでケレースを引き止める。
「どうしたの? みんなが待っているから早めにね。ぼくも上に怒られちゃう」
ケレースは振り返って答えた。
意を決してアトレは訊く。
「どうして私は魔法が使えないの?」
ケレースから返ってきた答えは、あまりにもそっけなかった。
「ぼくにもわからない」
えへへと笑いながら言う。
「だけど君のことは知っているよ、アトレ。ぼくは<風の執政>だけど、この理由だけはわからないんだ。でも、きみの旅はいいものになる。風がそう言っているんだ」
ケレースは手を後ろに組み、背中を向けて再び歩き出した。
「…………ありがとう。ケレース」
アトレが笑顔で言い終わると、強い風が吹いた。
——きみのこと、ぼくはずっと見守っているよ。
* * *
目を覚ますと、アトレは竜に手をつき、正面から寄りかかっていた。
「おーい! 大丈夫か!」
聞き覚えのある声。ラスカが走って駆けつけてくる。
「お嬢様! お怪我はございませんか!」
ラスカに続いてバルとアーク、グザヴィエが遠くから走って来た。
聞き馴染んだ声に、アトレの中に溜まっていた感情が一気に溢れ出す。
そして、バルに抱きつくと、声を上げながら咽び泣いた。
「じいや……こ、怖かったよう…………ひぐっ。で、でもっ、私やったよ。みんなのために勝ったよ。お父様も、褒めてくれるかな……」
「ええ。きっとセレオ様も褒めてくれるでしょう。でもその前に治療をしましょう。アーク様、お願いします」
竜との戦闘で服の一部が破れて、露出した腕は傷だらけだった。ところどころ出血している。
アークはしゃがみ、治療を始めた。
「やっと僕の出番ですねぇ〜。シェイクシーラ」
アークは嬉しそうに言いながら、アトレの傷口に満遍なく触れていく。
「ちょ、ちょっと! 触るなら先に言ってよね!」
「ご、ごめんなさい! 舞い上がってぇつい」
身振り手振りで必死に弁明するアークに、悪意がないことは誰の目にも明らかだった。
おかげで、アトレの胸の中に残っていた重たい気持ちは、少しだけ軽くなった気がした。
「それじゃあ街に帰ろうぜ! 俺、もうお腹すいたぞ!」
「そうですね。お嬢様、街に戻りましょう」
アークと情報屋を含めた五人は、街の方角へと歩いて行く。
時刻はもう昼過ぎ。
アトレはあまり気づいていなかったが、お腹が大きな穴のようになんでも入りそうなくらい空腹だった。
だがアトレは、すぐには彼らを追いかけず、その場に残った。
静かに横たわる竜に額を寄せ、小さく語りかける。
「ごめんさい、ユーちゃん。そして、ありがとう……」
動かない竜は、何も答えなかった。
アトレの瞳には、さっきの涙がうっすら戻ってきていた。
そしてアトレは走って彼らを追いかける。
「待ってぇ! 置いてかないでぇ!」
焼け焦げた戦場には、冷たくて爽やかな風が吹いていた。




