番外編 リリアン・シャリエール
アトレにはライバル(自称)がいた。
ライバルの名はリリアン・シャリエール。フランクール法学校があるアルノールに一番近い街、ロコモアに住む新貴族の少女だ。
銀髪蒼眼、長いウルフカットを後ろで束ねた小柄な少女である。
彼女はシャリエール家の長女で、六歳下の弟が一人いる。
彼女の家は平民に近い生活を行なっていたが、家内の教育は厳しかった。
幼い頃から家庭教師をつけられ、日々晩学に励んだ。小学校へは通わず、家の中で個別指導を受ける毎日。
もともと狭かった交友関係は、さらに限られたものになっていった。
唯一と言っていいのが従兄弟や親戚くらいだったが、彼らは貴族ではない普通の平民だった。
だから貴族のリリアンに対して、気兼ねなくタメ口で話せる人なんていなかった。
九歳の頃、リリアンは他の子供たちより早く魔法を使えるようになった。だが当時の彼女は、自分が特別早いとは思っていなかった。なんせ、同年代の基準を知らなかったからだ。
しかし、他の親族たちが十歳頃で魔法が使えるようになったと知った時、彼女は初めて優越感を覚えた。
——私は、他人より才能がある。私が一番上にいるんだ。
勉強漬けの毎日と、人より早い魔法習得。自分より優れた存在など、見たこともなかった。
——学校に入るまでは。
* * *
リリアンが十二歳の頃、彼女はフランクール法学校の中等部に入学した。
国内最高峰とも言えるこの学校のトップに立てば、誰もが振り向く存在になるだろう。そのために首席合格は必須であった。
そして、絶え間ない努力の末、見事合格を果たした。
普通なら合格したことを喜ぶべきだろう。でも、彼女は喜べなかった。
なぜなら、リリアンの上にたった一人だけ「他人」がいたからだ。
その名は、アトレ・エマニュエリ。
何度も何度も順位を見返した。だが一番上に自分の名前は無い。他人の名前が書いてある。
悔しさに涙が溢れた。
それと同時に、自分の上にいる人は誰なのだろうとも思っていた。そして、自分に追いつく人が現れた事に、少しだけ心が躍った。
だから、涙を拭いてクラス表を見た。そしたらなんと、アトレの名前が書いてあるではないか。
偶然とは思えないような偶然に驚きながら、急いで教室に向かった。
教室の扉を開けると、まず目に入ったのは大量の机と椅子だった。
中に入ると、生徒の姿はまだまばらだ。
ある席には、二人の少女が向かい合って談笑し、別の席には余裕そうに本を読んでいる生徒もいる。
——これが学校!
感動を噛み締めながら自分の席に腰を下ろした。
当然だが、友達がいない。一人ポツンと座る。
教室には楽しそうに話している少女の声と、紙が擦れて捲れる音だけ。
指を弄りながら、ただ彼女が来るのを待っていた。
——アトレはいつ来るんだ?
その時、彼女の耳に思いもしない言葉が入った。
「うちのパパが入学祝いにって、今度美味しいものを食べさせてくれるんだ〜。アトレちゃんも連れてきていいって言ってたから、トスカも連れて三人で行こうよ!」
「……ふふっ、いいね。私も一緒に行っていいかしら」
「アトレ」という単語が耳に入った瞬間、リリアンは机を思いっきり叩いて立ち上がると、全速力で二人の元へ駆け寄った。
「ねえ、君がアトレなのかい!」
目を輝かせ茶髪の少女を指差す。
「いやいや、わたしじゃなくてこっち」
「……そうだけど、あなた誰」
無愛想な彼女はいかにも面倒臭そうな感じでリリアンを見た。でも、リリアンはそれに気付かず自分のペースで話し続ける。
「コホン。ボクはシャリエール伯爵のリリアン・シャリエールだ。君がアトレかい? 得意魔法は?」
「あの、えっと……」
アトレはすごく困惑した顔で目を逸らした。リリアン・シャリエールという名前に、いまいちピンとこないようだ。
そこをすかさずフォローしたのが、茶髪の少女だった。
彼女はアトレの耳元で「ほら、次席だった子。アトレちゃんの下にいたの見なかったの?」と囁いた。
それを聞いてようやく合点がいったのか、手をポンと叩き、軽く「よろしく」と言った。
茶髪の子も自己紹介をしてくれた。ラビナ・フォールと言うらしい。
そうこうしているうちに教室は生徒で埋まり、先生が入ってくる。周りが各々自分の席に戻っていたので、リリアンもそれに倣った。
後から聞いた話では、このクラスは入試の上位者のみが集められた優等生クラスだったという。
* * *
入学からしばらく経ち、学校生活にも慣れてきた頃、リリアンにも初めての友人ができた。
同じ部屋のアデリーナ・ラフィットとフランソワーズ・プルタレス。赤毛巻髪と金髪カールの少女だ。
どちらも良いとこのお嬢様らしく、フランソワーズに至っては旧貴族だそうだ。さらに運のいいことに、フランソワーズとは同じクラスでもあった。
ある日、一人で学校の庭園で散歩していると、どこからか魔法を詠唱をしている声が聞こえた。
草むらに身を隠して覗いてみると、綺麗な水色の髪の少女が、一生懸命詠唱している。周りには茶髪の少女と紺色髪の少年が、古びた白い噴水に腰掛けて、彼女のことを見ている。
だが、この状況はあまりにも奇妙であった。
覗き見しているリリアンのことでもなく、水色髪の少女が。
詠唱をしているはずなのに、何も起きないのだ。
しかも唱えているのは超初級の水魔法。ある程度魔法を扱える者なら、無詠唱でも使えるくらいの魔法だ。
そして水色髪の少女には見覚えがあった。
——首席で入学したアトレ・エマニュエリ。
完璧無欠だと思っていた彼女は、魔法が使えないという重大な短所があることに、リリアンは気付いてしまった。
その瞬間、胸の奥に渦巻いたのは失望と、そして憎悪だった。
ボクはなんで、魔法なんかが使えない奴に負けたんだ! しかもボクのことなんて眼中に無いみたいじゃないか! ……彼女は完璧である必要がある。ボクの上に立つ他人はみんな、…………完璧である必要があるんだ。
翌日、リリアンは真っ先にアトレの元へ向かった。
「……君、魔法が使えないってどういうことなんだ」
怒りと失望に塗れた声を、リリアンは初めて発した。
その言葉が最初に出るとは思ってもいなかったアトレは、思わず目を見開いたとした。
「……なんで知ってるの?」
「昨日、庭園で君を見たんだ。魔法を詠唱しているとこをね」
リリアンは言葉を続ける。
「ボクは君に期待してたんだ。最初は嫉妬していた。でも……それでも、君を認めてもいた。きっと、ボクよりも魔法を上手に扱える。それなのに、ボクは君に裏切られた」
話しているうちに怒りが沸々と湧いてくる。それには自分への怒りも混ざっていた。
「だからこそ! 君にはボクよりも完璧であって欲しかった!」
涙を堪えて言葉を吐き出した。
でも、アトレの目は冷ややかなものだった。
「……あなたねぇ、人に勝手に期待しといて勝手に裏切られたとか、何様のつもりなの!」
アトレが言う事は至極真っ当だ。赤の他人であるリリアンに言われる筋合いは無い。
「わ、私だって…………私だって! 好き好んで使えない訳じゃないの!」
そんな事はリリアンも分かっていた。
高等科になれば魔法学を履修し始める。中等部から在籍している生徒の多くは、すでにそれなりに魔法を使える。
でもそれが許せなかった。
魔法が使えない「他人」が、自分より上にいる事、そしてこの学校に在籍している事。
それはまるで、リリアン自身の努力と価値を否定しているように感じられた。
本来なら押し殺すべき感情だった。
だけど、リリアンにはそれが出来なかった。
「魔法が使えない奴が首席だなんて、君の一族も、この学校も、堕ちたものだな!」
決して放ってはいけない言葉を、リリアンは言ってしまった。
次の瞬間、アトレは顔を歪めて泣いた。そして、席を立って教室を飛び出していった。
リリアンの前に残されたのは、さっきまでアトレが座っていた机だけ。
何も無い机に向かって、深く後悔しながら立ち尽くした。
(ボクは何も悪くない……悪くないはず、なんだ…………)
その日、アトレが帰ってくることはなかった。
* * *
学校が終わると、リリアンは真っ先に自室へ戻った。
自分を正当化するには、アトレに勉強で勝つしかない。そのためには、卑怯だとわかっていても、点差の近かいアトレを妨害することが近道だと考えてしまった。
その方法を、たまたま部屋にいたアデリーナに、内容をぼかして相談した。
「そうね、相手を崩すなら内側からが一番ですわ。なんせ、内部からの攻撃には気付きにくいものですの」
アデリーナの親は銀行家だ。だから彼女はてっきり経済や交渉の話をしているのだと思った。だが、実際は違った。
アデリーナの話を基に、リリアンは考えた。
——アトレを虐めて、やる気を失わせればいい。
考えうる限り最悪の選択を、リリアンは選択してしまった。
次の日、たまたま数学の時間に小テストが返却された。
結果はアトレが一番、リリアンは二番だった。
今しかないと思い、アトレに向かって嫌味を言った。
内気で無口なアトレは何も返してこない。その事が何よりも心地よかった。
毎日、いびっては快楽を得る日々を送った。流石にアトレの友人であるラビナが文句を言ってくるが、全部無視した。
ある日、いつものようにいびるとアトレが反抗してきた。ボソッと文句を返してくる程度だったが、それが気に食わなかった。
やがて口論に発展し、最後はリリアンが匙を投げた事で引き分けとなった。
二人の口喧嘩は、最初こそリリアンが優勢だった。だが、徐々に引き分けに持ち込まれ、いつの日か、口喧嘩ですら勝てなくなっていった。
遂には、かつて勝っていたはずの分野でも負け始め、唯一勝てるのは魔法だけになった。
しかし、その土俵に「彼女」はいなかった。
二人の喧嘩がエスカレートすると、勉学にも影響するようになった。
アトレが弱ると思っていた。だが、現実は違った。
むしろどんどん差が広がっていくのではないか。
完全な敗北にしたくなかったリリアンは、アトレに負けじと勉強した。
二年に進級した後のテストで、順位が発表された。
一位はアトレ、その次にリリアン。その差は、たった一点。
二人のエスカレートした勉強の競り合いは、三位の生徒と百点差をつけるという異常な結果を生んでいた。
この頃になると、口喧嘩ではアトレが勝つことの方が、大半を占めていた。
内気で無口だった彼女はもういない。
リリアンとの喧嘩でアトレのメンタルは強靭なものになり、性格も強気なものへと大きく変わった。
リリアンの一方的な攻撃は、やがて互いに譲らぬ犬猿の仲へと変わった。
そして高等科に進むと、二人は中等部一年以来のクラスメイトになった。
二人の仲の悪さは中等部の教師陣にも広がっていたのに、高等科の教師に伝わっていないとは、なんて杜撰な内部構造なんだ。
そんな中、アトレの退学を耳にしたリリアンは愉悦に浸った。
晴れて学校のトップになったのだ。




