Ⅷ. <悲劇の魔女>
おぼつかない足取りで兵士に連れられて宮廷内にある教会にリトナードは来たのだが、真っ先に目に入ったのは奥にある一際目立っていた棺だった。
その大きさから養父のものと一目で分かった。
「あちらがお父様のものでございます」
奥の棺に手を向けて一人の兵士が優しく言う。
その頃にはすでにリトナードの足はのらりくらりと動いていた。
そしてリトナードは棺の前で崩れるように倒れた。
「お義父、さん……?」
声をかけても彼は寝ているだけ。
返事は返ってこない。
「隊長は立派なお方でした。誰よりも先に立って道を開いてくれる我々には心強い存在でした。しかし先の戦いは壊滅的でして——」
「……もうやめてもらえます? お義父さんは、語り切れないほど立派だって分かってるから……」
震える声でリトナードの後ろに立っている兵士の説明を止めた。
それからリトナードは棺の中の養父の顔を覗いた。
回復魔法が使われたのか外傷は一切なく、穏やかな顔で目を瞑っていた。
そして、リトナードの目から大粒の涙が溢れた。
「ねえ、お義父さん……絶対帰ってくるって言ったよね。でもさ、なんで家に帰って来なかったの……?」
返事は返ってこない。
リトナードの脳裏には養父との思い出と、実の母の最期が浮かび上がった。
もう顔は覚えていないけどはっきりと覚えている。母は最後までリトナードを守って笑っていたことを。
ミシェルも同じような穏やかな顔をしている。
それがなんとなしに胸が痛んで辛い。
そしてリトナードは語りかけるように呟いた。
「お義父さん、ワタシまた一人だよ? 先生も帰っちゃったし、お姉さんも最近来ていないんだよ? ねえ、また助けてよ……ワタシをまた、一人にしないでよっ……」
下唇を噛んで泣くのを堪えた。
今まで助けてくれた養父を安心させるため、そして昔のことから逃れるためリトナードはどんなに辛くても誰の前でも泣いたことはなかった。
だけど、今は喪失感が強すぎて涙が止まらない。
悔しくて堪らなかった。
「ねえ! 息をしてよ! せめて……返事くらい返してよ!」
リトナードは声をあげ、子供のようにしゃくりあげながら泣き叫んだ。
二人の兵士が背中をさすってくれたが、それで収まるようなものではない。
リトナードは親を三人も失っているのだ。
それに元はと言えば今の体制に不満を持った平民が悪い。
彼らがいなければ、養父は死ななかったのだ。
次第に悲しみは怒りに変わった。
それから日は経ち、リトナードは土葬される父の棺に、エミールも写っている写真も一緒に葬った。
そして土葬が終わるとリトナードは杖を持ってフラフラとどこかに向かった。
* * *
ニネットが目を覚ますと星は消えて、代わりに眩しい太陽が昇っていた。
墜落してからは地面ギリギリで飛行魔法を展開できたものの、そのまま魔力が切れて地面に横になった瞬間に気を失ってしまったらしい。
それから数日間は星と月を使ってリトナードの運命を占ったのだが、見るたびに結果が悪くなっていた。
占星術の道具を変えれば良くなるかもと考え、ニネットは一旦家に帰ることにした。
帰りにリトナードの様子が心配だから見にいくと、生憎の留守のようだ。
一応、手紙だけ置いてニネットが立ち去ろうとすると、リトナード行きつけの八百屋のおばさんに声をかけられた。
よくリトナードの買い出しに付き合っていたので、彼女とは多少なりとも面識がある。しかしリトナードの家の前で会うのは初めてだ。
「あんた、リトナードお嬢ちゃんの友達かい?」
「えっ? まぁ、友達、なのかな?」
「なら知ってるかい? あの子の父親が亡くなったらしいんだってよ」
ニネットの手からハラリと手紙が落ちた。
(優秀な指揮官で有名なあの人が? どうして……)
その事実はニネットでも信じられなかった。
宮廷魔法使い時代にもあったことがあり、彼の光明はよく聞いていた。
死者を一人も出さずに敵を壊滅させた話は有名だ。
だから死ぬはずがない。リトナードもそう思っていたはずだ。
だけどそれが現実になった今、彼女の精神はどうなのだろうか。
幼い頃に実の両親と故郷をなくし、そのうえ育ての親も失った。
彼女は今頃……
(嫌な予感がするわ)
「ねえ、リトナードがどこに行ったか知らない?!」
「知るか。もう数日も店に来てないんだ。家にはいないのかい」
「ええ。窓越しだけど人のいる気配がなかったわ」
「なら教会にいるんじゃない?」
国王軍の戦死者が最初に運ばれてくるのが宮廷内の教会だ。
パッとそのことを思い出し、八百屋のおばさんに挨拶だけしていくとニネットはすぐさま飛行魔法で向かった。
一般人の侵入を拒む衛兵を元宮廷魔法使いという肩書きで無理やり通し、教会に行ったのだがそこには棺はなく、切れ切れの息のニネットを冷やかな目で見る司教しかいなかった。
次に埋葬される集団墓地に向かったがそこにもリトナードはいなかった。
(ほんとにどこ行ったのよ! 自殺しにどこかの山へ? いや、予言はまだ続くからそれはない。なら、敵討ち?)
今は昼だ。星も、月もどこにもない。
占星術が使えないなら、自身の勘を頼る他ない。
ニネットは国王軍の詰所に侵入し、また元宮廷魔法使いの肩書を使って衛兵を脅して第四騎士団が向かっていたとこを聞いた。
(エーベル公国北東部、ルーメア平原……やっぱり反乱軍の異端と戦ったのね)
ルーメア平原はベルン公国との境にある広大な平原だ。
もし相手に魔法使いがいたら遮蔽物がないこの場所では騎士団は不利になってしまうだろう。
それこそ、宮廷魔法使いが派遣されるべきなのだがそこの優先度は高くなかったらしい。
もしその予想が正しいのなら、リトナードは養父に同行しなかった自分を恨んで共倒れを狙った敵討ちに行っている可能性が高い。
ニネットは今持てる全ての魔力を飛行魔法に使ってルーメア平原に向かった。
しかし、ニネットがつく頃にはもう遅かった。
辺り一面はすでに焦土と化しており、小高い丘の上には一人の少女——リトナードが杖を持って魔法を使っていた。
上空から見ても一人の魔法使いがやったとは思えないくらいの有様だ。
そしてリトナードは逃げ惑う人も必要以上に追撃をしていて、その姿はまるで決められたことしかできない殺戮兵器のような姿だった。
彼女はもう、完全に壊れてしまっている。
ニネットはリトナードの後ろに降りて必死に呼びかけた。
「リトナード、やめなさい! あんたがやってることは復讐とは程遠いわ!」
「…………」
「リトナード!!」
「…………」
リトナードは聞こえていないかのように沈黙を貫いた。
その目線の先には支援に駆けつけた反乱軍の姿がある。
そして彼女の背中が震えて息が上がっているのがわかった。
「<翠煌の魔女>リトナードの名に従え」
(まずい! リトナードがそれを使うと何をしでかすかわからない! 力ずくでも止めないと)
幸い、ニネットには微かだが魔力がいくらか残っている。
今はわからないが、選考会で彼女と戦った時に物量で押し切るニネットの攻撃が障害となっていたことを知っている。
少しでもこっちに気が付けばリトナードの暴走を止められるかもしれない。
杖を彼女に向けて構えた。
「ネビュルーズ!(無数の岩を操る魔法)」
詠唱と共にニネットの周りに星のように輝く大量の岩が浮かび上がる。
それはリトナードの方に凄まじい勢いで発射された。
(気付いて!)
「風の執政よ、吹き飛——」
リトナードが詠唱を終わりかけた瞬間、魔法で操られた大量の岩が彼女が無意識で張った結界に衝突し、割ることに成功した。
そしてリトナードが虚な目で振り返りニネットを睨んだその隙を狙って、彼女の背後から岩を飛ばした。
それはリトナードの背中に直撃したのだが、少しよろめいただけでまた正面を向いてしまった。
彼女は今、理性を捨て怒りに身を任せて動いている。
これでも止められないと思い、ニネットは杖を捨てて急いでリトナードを力一杯羽交締めにした。
「リトナード! やめなさい!」
「やめて! あいつらが……あいつらがワタシの、たった一人の家族を奪ったんだ!」
涙声で叫ぶリトナードに、ニネットは胸が締め付けられそうになる。
心を預けられる肉親と家族を全て、しかも二回も失った彼女の気持ちは同情しても絶対に同じ気持ちにはなれないだろう。
辛くて苦しくて、消えたくなってしまいそうなくらい重たい気持ちを。
だけど今リトナードがしていることは敵討ちを超えている。
「落ち着きなさい! あんたのしてることはもう憂さ晴らしよ! こんなの、あんたのお義父さんが望んでることじゃないわ!」
「でも、こうでもしないとお義父さんの無念が晴らせない! もう離して! このまま消えさせて!」
ニネットの中で何かがプツリと切れる音がした。
いくらなんでも自分の命を大切にしない奴は大嫌いだ。
それが味方であれ敵であれ。
ニネットは羽交締めにしたリトナードを離し、激昂した彼女がこちらを向いた瞬間、頬を強く叩いた。
「なんで……?」
涙目のリトナードは片手で頬を抑える。
「あたし、自分を大切にしない奴が一番嫌い! あんたがどれだけ辛いか、苦しいかはあたしがあんたの次にわかってるつもりでいるわ。だから、まずはあたしに話して楽になりなさいよ! そして泣いてここであった事を謝りなさい」
今のリトナードには嫌いとか、友達じゃないとかの孤独にさせるような言葉は深く刺さる。
本当はやりたくないけど、今はこれをやるしかなかった。
そしてニネットの思惑通り、理性を取り戻したリトナードは泣き崩れてニネットに寄りかかった。
「お姉さぁん! うわぁん!」
「あたし、今もう一つ嫌いなことが増えたわ」
「なにっ……?」
「いつも笑顔なあんたが泣いてる顔よ。嫌いな奴は顔すら見たくないから——」
ニネットは自身の胸にリトナードの顔を押し付ける。
そして地面に彼女と共に座り込んだ。
「ここで、たくさん泣きなさい。終わったらゆっくり話を聞いてあげるから」
優しく慰めるような声で語りかけ、丸くなって震えるリトナードの背中をさする。
彼女を自身の胸に埋めたのはどれだけ声を出して泣いても恥ずかしくならないように、そして自分がこの光景をトラウマにならないように。
リトナードが胸の中でいろんなことを呟いて、ニネットの服を強く握っている間、ニネットはなにも言わずにずっと背中を摩り続けた。
リトナードが落ち着いたのはそれから五時間後だった。
ようやく顔を上げて、真っ赤になった目元でリトナードはニネットを見上げる。
泣きじゃくって涙と鼻水が混ざったニネットの胸元は、洗いたてのセーターくらい濡れていた。そのくらい彼女はずっと泣いていたのだ。
ニネットはそんな彼女の涙が滲む目元を指で拭き取ると、柔らかな声で尋ねた。
「言ってみなさい。話したいこと、全部聞くわ」
「ありがとう、ニネットお姉さん」
リトナードは深く息を吸って、悲しげな顔になりながら話してくれた。
「実は、ワタシのお義父さんが戦いで死んじゃって……。ワタシにとっての恩人であり、最後の親を失ってしまったことがとても辛くて、悔しくて、苦しかった……」
リトナードの震える声は怒りと喪失感が混ざったような苦し紛れで発した声だった。
今にも泣き出しそうで理性が外れそうなのに、ニネットを心配させたくないのか限界まで耐えているみたいだ。
「ワタシが家族を失うのはこれで二回目。もう、何もかもワタシから離れてしまったわ。だったら……いっそのこと、誰かを道連れにして消えてしまいたかった。だから、お義父さんが殺されたここに来て、滅茶苦茶にしてから消えたいって思ったのよ……」
「リトナード、その話し方……」
ニネットは気付いていた。
明らかにリトナードの話し方が前とは違って大人っぽくなったというか、まるで別人の真似をしているような気がしたのだ。
「話し方? ……ワタシはもう、壊れちゃったみたい。こうしていないと冷静になれないのよ」
そして彼女はぎこちなくにかっと笑って、ニネットに見せた。
「だから、強くて安心できるニネットお姉さんの真似をすることにしたの」
「…………」
(喜んではダメだ! こんな性格のあたしを真似してしまうくらい、リトナードは……壊れてしまってるんだわ。だからと言ってやめさせることはできない……この子にとって、あたしが最後の逃げ道なんだから)
リトナードの精神は治すことができないくらい壊れてしまっていた。
もう彼女は昔みたいに自然と笑えるとこができないかもしれない。
ニネットはそれが悔しくて、演じる対象が自分になってしまっていることがとても辛かった。
だけど先輩として、この子が素の自分でまたいられるようにするにはどうすればいいのか考えた。
それは頼ってもらえる人であり続ければいいのかもしれない。
「リトナード」
「うん?」
自然だけどニネットにとっては不自然な笑顔が気持ち悪い。
だけど今はそれを我慢して口を開いた。
「あたしを演じるのはいいけど、いつまでも現実逃避してもなにもあんた自身は何も変わらないわ。あたしがいる時でいいから、閉じ込めた自分を出してあげなさいよ。あたしはあんたより先には死なないから、ずっと先輩だから、いつでも話し相手になってあげるわ」
それだけ言うとリトナードはニネットに抱きついてまた声を出して泣き始めた。
「ごめんなさい」とは言わなかった。「ありがとう」「ありがとうございます」と泣き叫びながらニネットの胸に顔を埋めていた。
リトナードはきっと、ニネットに心のありかを見つけてくれたみたい。
ニネットはリトナードの背中をさすりながら言葉を続けた。
「これからあんたはずっと一人で暮らしていくことになるわ。でもこれだけは約束して。勝手に自分で消えたりしない、自分を大切にしてあげる。もし気分が晴れないならあたしのとこに来るか温泉旅行にでも行きなさい」
「うん……」
リトナードはか細く、儚い子供のような小さな声で呟きながら、ニネットの胸元で頷いた。
そしてニネットは軽くリトナードの頭を撫でて立ち上がった。
「わかったなら家に帰りなさい」
「一人で……?」
「当然でしょ。あたしはまだ、この革命軍を真似た蛮族を始末しないといけないの」
「やだ。ニネットお姉さんと帰りたい」
大人っぽくなったと思ったら急にリトナードは子供のようになってしまった。
やはり精神は不安定なままなようだ。だけどそれはいつかは安定して治るだろう。
リトナードは落ちている自分の杖を拾って、焼け野原の奥にいる軍隊に向けた。
「死なない程度に痛ぶってやれば許してくれる?」
「帰りの邪魔になるなら好きにしなさい」
そうしてリトナードが風魔法を詠唱すると、遠くの兵士がドミノ倒しになって倒れたのが確認できた。
全く、あれだけ暴れておいて魔力切れがしないなんてやはりリトナードは天才だ。
どうして神はこの子をここまで不幸にするのだろう。
もし会えるなら一発殴ってやりたいところだ。
そんな事を考えていると、リトナードがニネットの手を握った。
そしてニネットを見る翡翠のような瞳の自信のある眼差しは、紛れもない本物のリトナードだった。
「ありがとう、ニネットお姉さん。……ワタシ、これからなんとかやっていけそうかも」
「そう。あたしは善意で言ったわけじゃないからね。先輩としてするべきことをしただけ」
「ホントはワタシが消えたら困るんでしょ〜」
「うっさいわね! やっぱり言わなければよかったわ」
ニネットはツンケンしているがこれはただの照れ隠しであることと、リトナードが少しの間だけでも元の自分に戻ったことが泣きそうなほど嬉しかったとは言えないのだ。
だけどリトナードにとっての最大の山場が過ぎてほっとしているのは確かだ。
予言で映らなかった未来が、これよりも酷いものにならないで欲しい。




