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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第五章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY2-編

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209/216

EP214. 誰も帰れない物語

 DAY2の朝、僕たちは過去の扉をいったん閉じた。


 ヒカルの家へ続く道。黒い本。昭和のアスミ。アキラ少年。


 どれも十五時の裏側に繋がっているかもしれない。だから本当なら、そのまま掘り進めるべきだった。


 けれど、御影シオンは待ってくれなかった。


 十五時枠の“微修正”。


 その言葉は、あまりにも軽かった。


 軽い言葉で包まれたものほど、中身は重い。


 僕たちはそれを、もう知っている。


 だから生徒会室へ向かった。


 過去の罠を解くためではない。


 現在の罠を、発動前に止めるために。


 生徒会室へ向かう廊下は、もう祭りの朝の顔をしていた。


 ノード・ゼロを出た直後の地下通路には、まだ冷たいサーバーの匂いが残っていた。金属、埃、ケーブルの熱、徹夜明けの身体にまとわりつく微かな湿気。そこを抜けて地上階へ上がると、空気は一変する。


 甘い匂いがした。


 COEの仕込みだろう。焼き菓子か、紅茶か、あるいはチイロが「可愛いは秩序を殺す」とか言いながら混ぜた何かの香りかもしれない。


 遠くではマイクチェックの声が聞こえる。


『あー、あー、マイクテスト、マイクテスト、双灯祭DAY2、開幕セレモニーまで――』


 誰かが笑う。


 台車が床を転がる。


 ステージ設営の金属音。


 ポスターを貼る紙の音。


 それら全部が、普通の学園祭の朝だった。


 だからこそ、僕たちだけが場違いだった。


 アスミは毛布を畳んで腕に抱えていた。歩幅は普段より少しだけ速い。急いでいるというより、立ち止まるとヒカル宅の記憶へ戻ってしまうのを避けているようだった。


 チイロは端末でシオンの変更案を読みながら歩いている。さっきまでのミーム混じりの顔ではない。眉間に浅い皺が寄っている。彼女が本当に嫌な仕様を読んでいる時の顔だった。


 ミナトは無言だった。


 無言でも分かる。


 彼は変更案の構造を、すでに頭の中で分解している。


 ミサキはアスミの少し後ろを歩き、時々、彼女の横顔と手元を確認していた。レイカは少し離れて、廊下を行き交う生徒たちの空気を見ている。トウタは端末を持っているのに、珍しく何も打っていなかった。


 生徒会室の前まで来ると、扉の向こうからサツキの声が聞こえた。


「ですから!! 藤堂コウくんはいったいどちらにいらっしゃいますの!? この期に及んで姿も見せず、御影さんからの変更案だけが飛んでくるなんて、副会長としてどうなんですの!? どうなんですの、ハザマ!!」


「会長、私に藤堂副会長の行動原理を問われましても、現在のところ回答不能です」


「回答不能で済ませないでくださいませ!! 天城の副会長ですのよ!? わたくしの副会長ですのよ!? 十五時枠をいじるなら、まずここに来て説明するのが筋でしょう!? なのに本人不在、資料だけ到着、御影さんは涼しい顔!! この流れ、どう考えてもおかしいですわ!!」


「ええ、おかしいです。ですので、こうしてNOXの皆さんを呼んでいます」


「そうですわ!! おかしいから呼んでいるんですの!!」


 僕はドアノブに手をかける前から、だいたいの状況を理解した。


 サツキは難しい技術仕様に怒っているわけではない。


 彼女は、手順を飛ばされたことに怒っている。


 そして何より、天城の副会長である藤堂コウが、この局面で姿を見せないことに本気でブチギレていた。


「入るぞ」


 扉を開ける。


 天城総合学園生徒会室。


 昨日までは、騒がしくてもどこか華やかな部屋だった。紅茶の湯気、クッキーの皿、勝利角、ホログラムのタイムテーブル。あの時はまだ、ここは祭りを設計する部屋だった。


 けれど今は違う。


 長机の上には、紅茶ではなく資料が積まれている。


 中央スクリーンには、御影シオン名義の変更申請が表示されていた。


《Dual Lumen Sync Session / EXIT:CODE Core Phase》

《DAY2 15:00枠 運用最適化提案》

《提出:御影シオン》

《技術確認:藤堂コウ》

《区分:安全性向上を目的とした微修正》


 最後の一行を見た瞬間、チイロが低く笑った。


「出た。“安全性向上を目的とした微修正”。最悪のやつ」


 サツキが両手を机に置いた。


 王冠が、微妙に斜めを向いている。


 紅茶はまだ無事だった。


 奇跡だ。


「皆さん、よく来てくださいましたわ!! わたくし、これを読んでも正直、細かいことは分かりません!! 分かりませんけれど、嫌なことだけは分かりますの!! 文章が丁寧すぎる時は、だいたい中身が危ないんですのよ!!」


「真理ですね」


 ハザマが冷静に同意した。


「それで、藤堂コウは?」


 アスミが低く聞いた。


 その声には、ヒカル宅の記憶再構成を止められた苛立ちが、まだ残っていた。


 サツキは両手を広げる。


「いませんわ!!」


「いない?」


「いませんの!! 連絡はつきます! 資料も送ってきます! 技術確認済みとも書いてあります! なのに本人がこの部屋にいませんの!! どういうことですの!? 副会長とは、重要な時に紙だけ送ってくる職務でしたの!? でしたらわたくし、今すぐ生徒会規約を改定しますわ!!」


 トウタが小声で呟く。


「【悲報】副会長、紙になる」


「立てないでくださいませ!!」


 サツキが即座に叫ぶ。


 ハザマは資料を手元で整理しながら言った。


「藤堂副会長は現在、Chrono-Lab側でパッチ適用の待機中とのことです。本人曰く、“現場の手順確定後に技術反映する方が合理的”だそうです」


「合理的!? この状況で!? 合理的ならここへ来て説明してくださいませ!! わたくしは合理性を持った人間の形を見たいんですの!! 文字列ではなく!!」


 チイロがぼそっと言った。


「会長、怒りの解像度が高い」


「高くもなりますわ!!」


 僕はスクリーンを見た。


 シオンの名前。


 藤堂コウの名前。


 十五時枠。


 微修正。


 その並びだけで、嫌な予感がした。


 アスミの顔はすでに険しい。


 御影シオン。


 アスミは彼女と何度も会っている。


 しかも、ただ会っただけではない。アスミは双灯祭への仕様について、御影シオンと何度も議論を重ねてきた。


 しかし、その結果、DAY1でシオンに仮装死を体験させられた。


 死の形を演出として渡された。


 その相手が、今度は十五時枠を“安全性向上の微修正”という言葉でいじろうとしている。


 アスミがブチギレない理由がない。


 チイロも同じだった。


 DAY1のスロット・オブ・ソウルで、彼女はシオンの設計思想を看破している。運に見せかけた序列化。観客AI。群れの快楽曲線。倫理の転倒。チイロはそれをミームと定義で壊した。


 だからこの部屋で、シオンという名前に対して本当の意味で直接の温度を持っているのは、アスミとチイロだけだった。


 僕たち他のNOXは、まだ彼女を資料とログ越しに見ている。


 だが、その資料だけで十分に危険だった。


 ハザマが端末を操作する。


「まず変更点を共有します。会長は感情的に怒っていますが、内容を見る限り、怒る理由は十分にあります」


「感情的と言わないでくださいませ!! これは生徒会長としての正常な怒りですわ!!」


「はい。正常な怒りです」


「ならよろしいですわ!!」


 ハザマは、サツキの怒りを受け流しながらスクリーンを切り替えた。


《変更点一覧》

《1:同期開始閾値の引き下げ》

《2:退出合言葉“ログアウト”の適用遅延》

《3:観客AIフィードバックの強化》

《4:選択肢反応ログの高解像度化》

《5:非常停止時のログ凍結猶予》

《6:Core Phase内に“不可逆選択演出”を追加》

《7:観測者代表として一名を最終選択者に固定》


 誰もすぐには喋らなかった。


 最初に動いたのは、チイロだった。


 彼女はスクリーンを見たまま、笑わなかった。


「これ、先に言っておくと微修正じゃない」


 声が低い。


「構造変更だよ。しかも、全部同じ方向を向いてる」


 ミナトが頷く。


「退出を遅らせる。恐怖反応を早く拾う。観客AIを強める。未選択を選択として処理する。最終的に代表者へ責任を集約する。確かに同じ方向だ」


 サツキが身を乗り出す。


「同じ方向とは何ですの!? どちらですの!? 東ですの!? 西ですの!?」


「逃げにくくする方向」


 アスミが答えた。


 サツキの顔色が変わる。


 アスミはスクリーンを睨んでいた。


「参加者が怖がる。迷う。逃げようとする。止まる。その全部を、システム側が“選択”として回収しやすくする方向」


「つまり……」


 サツキの声が小さくなる。


「怖くなった人を、帰しにくくするということですの?」


「平たく言えばそう」


 チイロが言った。


「しかも、“それってあなたが選んだんですよね?”って形に整える」


 サツキは一瞬だけ黙った。


 それから、机を叩いた。


「駄目ですわ!!」


 紅茶が揺れた。


 ハザマが反射的にカップを押さえる。


「会長、紅茶」


「紅茶など後ですわ!!」


「昨日も同じことをおっしゃっていました」


「昨日とは危険度が違いますの!!」


 ハザマは諦めてカップを遠ざけた。


 ミサキが二番を拡大する。


《2:退出合言葉“ログアウト”の適用遅延》

《参加者の没入感維持のため、合言葉発話直後に即時退避させず、三秒間の確認演出を挿入》

《確認演出中、参加者は“本当に退出しますか?”の選択UIを通過》

《目的:誤退出防止/体験連続性の維持》


「これは医療班として却下」


 ミサキの声は即断だった。


「三秒の遅延は長い。パニック状態の三秒は、通常時の三秒じゃない。しかも“本当に退出しますか?”という問いは確認じゃなく圧迫。怖くて逃げたい子に、逃げることへの罪悪感を持たせる」


 サツキが叫ぶ。


「そうですわ!! 退出したいからログアウトと言っているんですの!! なぜ聞き返しますの!? お客様が“帰ります”と言っているのに、“本当に帰りますか?”なんて玄関で引き止める店がありますか!? ありませんわ!!」


 トウタが小さく言う。


「あるとしたら最悪の店だなwww」


「最悪の店ですわ!!」


 チイロは画面を見たまま続ける。


「これ、誤退出防止って書いてあるけど、実際は離脱率低下のための摩擦追加。UI用語で言うならダークパターン。ゲーム風に言うなら、ログアウトボタンに呪いをかけるやつ」


「呪い?」


 サツキが聞き返す。


「押す前に罪悪感が出るようにする。押しても一拍遅れるようにする。押した人が“自分だけ逃げた”と思うようにする。ね、呪いでしょ?」


「呪いですわ!! そんなもの、お祭りの企画書に書かないでくださいませ!!」


 次にハザマが一番を拡大する。


《1:同期開始閾値の引き下げ》

《DAY1 Safe Phaseの生体ログにおいて重大な離脱反応が確認されなかったため、DAY2では情動同期の開始閾値を15%低減》

《目的:軽微な視線反応・手指動作・呼吸変化もSync演出へ反映し、参加者の選択体験を高める》


 ミナトが低く言う。


「危険だ。自覚前の反応を拾うことになる」


「どういうことですの?」


 サツキが聞く。


 ミナトは少しだけ考えてから、言葉を選んだ。


「参加者が“怖い”と自覚する前に、身体は反応する。呼吸、視線、指先、歩行、心拍。閾値を下げると、その微細な反応をシステムが先に拾う。拾った反応を演出へ返す。結果として、本人の恐怖が本人に戻ってくる」


 サツキは顔をしかめた。


「つまり、自分の怖がりが、自分を追いかけてくるんですの?」


「だいたいそうだ」


「だいたいでも怖すぎますわ!!」


 チイロが頷いた。


「DAY1のスロット・オブ・ソウルでも、これに近い構造があった。運に任せたと思わせて、実際は自己境界を賭け金にする。自分の反応が、筐体の演出として返ってくる。人はそこで、“これは自分の意思なのか、装置の誘導なのか”が分からなくなる」


 チイロの声は、そこでわずかに冷えた。


「私は昨日、それを見た」


 御影シオンを直接見た数少ない人間の声だった。


 ふざけたミームも、茶化しもない。


 雲越チイロが、監査官としてスロット・オブ・ソウルの設計思想を見抜いた時の声だった。


 ハザマが三番を開く。


《3:観客AIフィードバックの強化》

《観客AIの反応生成に、参加者の選択迷い・視線滞留・心拍変化をリアルタイム反映》

《肯定/否定/沈黙の三種反応を追加》

《目的:Core Phaseにおける“見られている感覚”の強化》


 レイカが腕を組む。


「見られている感覚を強化、ね。舞台なら観客の圧は力になる。でも、脱出イベントでそれをやると、逃げ道が客席に塞がれる」


 ミサキが続ける。


「見られている人間は、弱音を吐きにくくなる。退出もしにくくなる。とくに沈黙反応は危ない。何も言われていないのに、責められていると感じる人が出る」


 チイロが言った。


「観客AIが本当に観客になるんじゃない。参加者の内側の観客になる。自分の中に、自分を見ている目ができる。それはかなり嫌な負荷」


 サツキは、もう怒っているというより青ざめていた。


「御影さんは、どうしてこんなことを“安全性向上”と呼べますの……」


「それは、彼女の言葉の向きが根本的に違うから」


 アスミが言った。


「参加者にとっての安全じゃない。演出にとっての安全。物語が止まらない。ログが取れる。観測が途切れない。そっちの安全」


 その声には、はっきりと怒りがあった。


 仮装死。


 シオンがアスミに体験させた死の演出。


 あれもたぶん、シオンにとっては観測だった。


 でも、アスミにとっては違う。


 死を模したものを渡されるということは、身体の奥に、死ぬ手順だけを先に植えられるようなものだ。


 その相手が、また“安全”という言葉を使っている。


 アスミが怒らないはずがなかった。


 ハザマが六番を拡大する。


《6:Core Phase内に“不可逆選択演出”を追加》

《一定時間内に参加者が選択を行わなかった場合、システム側が最も近い選択肢へ自動収束》

《自動収束後、演出上は“参加者が選択した”ものとして処理》

《目的:進行停滞防止/物語連続性の確保》


 アスミが机を叩いた。


 乾いた音が、生徒会室に響く。


「最悪」


 声は震えていなかった。


 怒りで固まっていた。


「これ、選んでない選択を選んだことにするって意味でしょ?」


 ミナトが頷く。


「そう読める」


「……W1と同じ」


 その一言で、部屋の空気が消えた。


 サツキはW1のことを、キーワードさえ知らない。


 それでも、アスミの声の温度で分かったのだろう。


 彼女は何も言わなかった。


 アスミは続ける。


「沈黙したら、システムが勝手に選ぶ。迷ったら、迷いを選択として処理する。怖くて動けなかった人間に、“あなたが選びました”って押し付ける。これは選択じゃない。責任の捏造」


 チイロが、ゆっくり息を吐く。


「倫理逆転の入口。行動しなかったことを罪にする。選べなかった人間に、選んだ責任を負わせる。最低のクソゲーの正門」


 トウタが呟いた。


「スレなら炎上どころじゃない。祭り会場が燃えるぞ」


 ハザマの声も硬くなる。


「そして七番です」


 スクリーンが切り替わる。


《7:観測者代表として一名を最終選択者に固定》

《Core Phase終盤、参加者群の選択が分散した場合、事前に定めた観測者代表の判断を“群全体の最終選択”として採用》

《候補:矢那瀬アスミ》

《目的:選択分散による演出不成立の防止/観測者責任の明確化》


 世界が、一瞬止まった。


 僕は、文字を読み間違えたのだと思った。


 候補。


 矢那瀬アスミ。


 観測者代表。


 群全体の最終選択。


 責任の明確化。


 その言葉が、ゆっくりと僕の中へ入ってくる。


 入ってきて、血の温度を下げる。


 アスミは動かなかった。


 彼女はスクリーンを見たまま、瞬きすらしない。


 サツキが数秒遅れて叫んだ。


「なんですの、これは……」


 返事はなかった。


「なんですの、これは……!!??」


 今度は怒鳴った。


「アスミさん一人に、全員分の選択を背負わせるということですの!? そんなもの、誰が許可しましたの!? わたくしは許可しておりませんわ!! 天城生徒会は許可しておりません!! それに藤堂コウ!! あなた、これを技術確認済みにしておいて、なぜここにいませんの!? 説明しなさいませ、今すぐ!!」


 ハザマが画面を確認する。


「備考欄があります」


 表示される。


《備考》

《矢那瀬アスミ氏は脱出系統イベントにおける知見を有し、DAY1においても安全監査を担当》

《観測者としての判断精度が最も高い》

《よって、選択分散時の最終決定点として設定することが合理的》


 アスミが、小さく笑った。


 笑いではなかった。


 息が壊れた音だった。


「合理的、ね」


 僕は反射的に彼女の方へ一歩踏み出した。


「アスミ」


「来ないで」


 その声に、僕は止まった。


 彼女はまだスクリーンを見ている。


「私が元凶じゃないって、さっきまで言ってたのに」


 小さな声だった。


 でも、部屋中に聞こえた。


「今度は、全員の選択を私に背負わせるって?」


 ミサキが立ち上がる。


「却下。医療的にも倫理的にも論外。アスミの精神負荷が高すぎる」


 チイロも言う。


「監査官を最終選択者にするな。安全側の人間を賭場に放り込むな。これはDAY1で私が一番嫌った構造と同じ。安全ラベルを貼った人間を、胴元の一部にするやつ」


 ミナトは、いつもより低い声で言った。


「システム上も不要だ。選択分散時は中止すればいい。演出不成立を理由に、個人へ責任を集約する必要はない」


 レイカが、ゆっくりと口を開く。


「物語を成立させるために、一人の少女を裁判長にする。舞台なら美しい悲劇に見えるかもしれない。でも現実では、ただの暴力よ」


 サツキが机を叩いた。


 今度こそ紅茶がこぼれた。


 ハザマが即座に資料を持ち上げる。


「会長、紅茶が」


「紅茶など知りませんわ!!」


 サツキは叫んだ。


「これは駄目です!! 絶対に駄目ですの!! 難しいことは分かりません!! でも、アスミさん一人に全員の責任を押し付けるのが駄目なことくらい、わたくしにも分かりますわ!!」


 彼女の王冠が、照明を受けて光る。


 昨日までは、その王冠は少し滑稽で、少し眩しくて、祭りの象徴みたいだった。


 今は違う。


 それは、止めるための印に見えた。


 ハザマが新しいタブを開いた。


「御影会長への通話準備をします。なお、藤堂副会長にも同時接続を試みます」


「絶対に繋いでくださいませ!!」


 サツキは怒鳴った。


「この期に及んで副会長が沈黙など許しませんわ!! 御影さんにも言います! コウくんにも言います! “天城はこれを通しません”と、わたくしが直接言います!!」


 ハザマは冷静に頷く。


「承知しました。会長は感情的に拒否してください。技術的拒否は立花さん、雲越さん、矢那瀬さん。医療的拒否は霧島さん。運営手続き上の拒否は私が補足します」


「感情的に拒否って何ですの!?」


「会長の最も強い武器です」


「褒めていますの!?」


「はい」


「ならよろしいですわ!!」


 トウタが小さく言った。


「この生徒会、強いな」


 僕もそう思った。


 サツキだけでは、シオンの理屈を解体できない。


 ハザマだけでは、シオンの圧を押し返せない。


 でも二人が並ぶと違う。


 勢いで止める会長。


 手順で固める補佐。


 その二人の間に、NOXの解析が入る。


 やっと戦える形になった。



 ハザマが通話を開始する。


 表示名は、御影シオン。


 その横に、藤堂コウ。


 呼び出し音が鳴る。


 一回。


 二回。


 三回。


 先に繋がったのは、シオンだった。


『はい。御影です』


 静かな声だった。


 こちら側の空気がどれだけ荒れていようと、スピーカーの向こうの御影シオンは、まるで水面に落ちた一枚の葉を観察しているような声で応答した。


 サツキはすぐに噛みついた。


「御影さん!! おはようございますですわ!! そして、いきなり本題ですわ!!」


『おはようございます、二階堂会長。声がよく通っていますね』


「誤魔化さないでくださいませ!!」


『誤魔化していません。音圧の観測です』


「音圧を観測しない!!」


 チイロが小声で呟く。


「初手から相性最悪で草」


「草じゃない」


 アスミが低く言う。


 サツキはスマホを握りしめたまま、スクリーンを指差した。


「この変更案は何ですの!? 昨日の会議で決めた内容と違いますわ!! わたくし、天城総合学園の生徒会長ですわよ!? 天城側の十五時枠を、当日の朝に、こんな恐ろしい形へ変えようとするなんて聞いてませんわ!! しかも藤堂コウ副会長は姿を見せませんの!! 御影さん、あなた方は天城生徒会を何だと思っていますの!?」


『恐ろしい、という評価は感情的ですね。こちらの分類では安全性向上のための微修正です』


「微修正という言葉を盾にしないでくださいませ!! 退出に三秒も待たせる時点で微修正ではありませんわ!!」


『誤退出を防ぐためです。DAY1では一部参加者が、軽度の驚愕反応でログアウトを選択しそうになりました。Core Phaseでは、体験の連続性を保つために、確認UIを挟むのが妥当だと判断しました』


 ミサキが前へ出た。


「妥当じゃない。医療班として却下。パニック状態の三秒は長すぎる。しかも“本当に退出しますか?”という確認は、退出希望者に罪悪感を与える」


『……霧島先輩の意見として記録します』


 シオンは、ミサキをそう呼んだ。


 霧島先輩。


 直接面識があるわけではない。


 資料とログで知っているだけの相手にも、彼女は丁寧に“先輩”を付ける。


 その丁寧さが、逆に気持ち悪かった。


「意見じゃなくて医療判断」


 ミサキは言った。


『はい。霧島先輩の医療判断として記録します』


 従う声ではなかった。


 記録する声だった。


 ミナトが端末を操作する。


「技術面からも却下する。同期開始閾値の引き下げは、A層とB層の分離を弱める」


『立花先輩。技術上は藤堂副会長と確認済みです』


「可能と安全は違う」


『もちろんです。ですから、段階的に引き上げます』


「段階的なら安全という意味ではない。段階的なら観測できる、というだけだ」


『その通りです。観測できます』


「観測するために危険側へ寄せるな」


 ミナトの声には、怒りがあまり混ざらない。


 その代わり、刃物みたいに冷たかった。


 シオンは、少しも慌てない。


『岡崎先輩、火宮先輩、亞村先輩も同席されていますか?』


 僕は一瞬、返事が遅れた。


 直接会ったことがない相手から“岡崎先輩”と呼ばれる感覚は妙だった。


 距離があるのに、距離を詰められている。


 レイカが僕より先に答える。


「いるわよ。先輩としては、舞台演出の名を借りた逃げ道の圧迫には反対よ!」


『火宮先輩の舞台的観点として記録します』


「観点じゃなくて拒否よ!」


 トウタも低く言う。


「亞村先輩としては、ネットに出たら炎上する仕様だと思うぞ?」


『炎上は観測拡散の一種です。違いますか?』


「そういうところだぞ」


 トウタの声は珍しく笑っていなかった。


 チイロが前へ出る。


「はい、シオンちゃん」


 シオンの声がわずかに変わる。


『雲越先輩。DAY1ではお世話になりました』


「お世話したつもりはないよ。看破しただけ」


『スロット・オブ・ソウルの監査ログは見事でした。雲越先輩は、観客AIの設計意図にかなり早い段階で到達していました』


「褒めなくていい。私は今、あれと同じ匂いがするって言ってる」


『同じではありません。DAY2はCore Phaseです』


「だから悪いんだよ」


 チイロは言った。


「Safe Phaseでやった嫌な構造を、Core Phaseで強めるな。参加者の迷いを拾って、観客AIへ返す。沈黙を選択扱いにする。最終的にアスミへ収束する。これ、ぜんぶ“群れが個人を裁く”方向。私はDAY1でその快楽曲線を見てる。だから言うけど、これは危険」


『雲越先輩なら、群れの快楽曲線を制御できるのでは?』


「できるかできないかじゃない」


 チイロの声が冷える。


「やるなって言ってる」


 そして、アスミが口を開いた。


「御影シオン」


 その呼び方には、先輩も敬称もなかった。


 空気が、明らかに変わった。


『アスミ先輩』


 シオンは静かに返す。


 アスミの指が、毛布の端を握る。


「その呼び方、今はやめて」


『なぜですか?』


「あなたに先輩って呼ばれると、仮装死の時の音が戻るから」


 生徒会室が静かになる。


 サツキは仮装死の詳細を知らない。


 それでも、アスミの声だけで何かを察した。


 シオンは、わずかに黙った。


『記録として有効な体験だったと思います』


「最低」


『以前もそう言われました』


「何度でも言う。最低」


 アスミは一歩前へ出る。


「あなたは、死なせるつもりはないって言う。でも、死の形を演出として使う。逃げ道を演出に混ぜる。選べなかった人間に選んだ責任を負わせる。今回は、私に全員の最終選択を背負わせようとしてる」


『アスミ先輩が最も適切だと判断しました』


「判断しないで」


『判断精度が高いからです』


「それは褒め言葉じゃない。拘束具よ」


 アスミの声が震えた。


 怒りだけではなかった。


 仮装死の残響。


 ヒカルの家。


 黒い本。


 元凶ではないと何度も言われながら、それでも自分へ責任が集まってくる恐怖。


 それらが、全部同じ場所で鳴っていた。


「私は監査をする。止める判断もする。でも、参加者全員の選択を私に収束させるのは違う。私を最終選択者にするな」


『では、選択が分散した場合は?』


「中止」


『それでは、演出が成立しません』


「成立しなくていい」


『参加者は不満を持つでしょう』


「不満で済むなら成功」


 アスミは言った。


「誰かが死ぬより、誰かが不満を持つ方がずっといい」


 サツキが力強く頷く。


「その通りですわ!! 不満はアンケートで受けます!! 怪我と死亡はアンケートでは受けられません!!」


 ハザマが小声で言う。


「会長、その言い方は少し極端ですが、趣旨は正確です」


「正確ならよろしいですわ!!」


 シオンは、そこで初めて少しだけ声の温度を変えた。


『二階堂会長。あなたは、本当にそれでいいのですか?』


「何がですの!?」


『Core Phaseが途中中止になれば、影村側の印象は大きく損なわれます。天城側にも、“失敗した共同企画”という記録が残る。藤堂副会長の技術評価にも影響するでしょう』


「コウくんの評価は、本人がここに来てから心配しますわ!!」


 サツキは即答した。


「それに、失敗した企画という記録なら、わたくしが背負います!! ですが、誰かを傷つけて成功した企画という記録は要りませんの!!」


 その言葉に、誰も茶化さなかった。


 勝利角だの、紅茶だの、王冠だの。


 サツキにはいくらでも笑える要素がある。


 でも、こういう時だけは笑えない。


 彼女は本当に、生徒会長だった。


 ハザマが淡々と確認する。


「御影会長。天城側の条件を提示します」


 スクリーンに、ハザマがまとめた修正項目が並ぶ。


《天城側再固定条件》

《1:ログアウトは即時退避。確認演出なし》

《2:同期開始閾値はDAY1基準より安全側へ補正》

《3:観客AIフィードバックは背景演出レベルへ制限》

《4:未選択は未選択として記録。自動収束なし》

《5:選択分散時は即時中止。演出不成立を許容》

《6:観測者代表案は削除》

《7:矢那瀬アスミは最終選択者ではなく安全監査官》

《8:藤堂コウ副会長はパッチ適用前に天城側へ説明義務あり》


 サツキが八番を指差す。


「ここ!! ここ重要ですわ!!」


 ハザマは頷く。


「重要です」


『藤堂副会長は現在、技術対応中です』


 シオンが言った。


 サツキが怒鳴る。


「だからですわ!! 技術対応しているなら説明してくださいませ!! 姿を見せずに十五時をいじる副会長など、わたくしの胃に悪すぎますの!!」


 トウタが小声で言う。


「会長の胃、今日も過酷」


「過酷ですわ!!」


 シオンはしばらく黙った。


 窓の外では、開幕セレモニーのリハーサル音が聞こえていた。


『本日は、双灯祭DAY2へお越しいただき――』


 明るい声。


 拍手の練習。


 旗が風に鳴る音。


 その全部が、こちらの沈黙とあまりにも違っていた。


 やがて、シオンが言った。


『分かりました。主要変更は撤回します』


 サツキがぱっと顔を上げる。


「本当ですの!?」


『ただし、完全撤回ではありません。観客AIフィードバックは背景演出レベルに抑制。選択肢反応ログは匿名化を強めた上で実施。同期開始閾値はDAY1基準へ戻す。ログアウトは即時退避。不可逆選択演出は削除。観測者代表案も削除。選択分散時は中止』


 ミナトが端末に打ち込む。


「口頭合意を確認。文書で返せ」


『藤堂副会長へ修正パッチを依頼します』


 サツキが即座に叫ぶ。


「本人からも説明させてくださいませ!!」


『伝えます』


「伝えるだけではなく、来させてくださいませ!!」


『努力します』


「努力ではなく実行ですわ!!」


 ハザマが淡々と補足する。


「御影会長。藤堂副会長が不在のままパッチ適用される場合、天城側承認は保留します。これは会長感情ではなく運営手続きです」


『野々村さんの手続き判断として記録します』


「ありがとうございます」


 ハザマは一礼した。


 その冷静さに、サツキが少しだけ感動した顔をする。


「ハザマ……あなた、本当に頼りになりますわ……」


「会長が紅茶をこぼす前提で動いていますので」


「そこは忘れてくださいませ!!」


 けれど、シオンはそこで終わらなかった。


『ただし、アスミ先輩』


 アスミの肩がわずかに動く。


『アスミ先輩が最終選択者に向いているという評価は、私の中で何一つ変わりません』


 空気がまた冷える。


『今回は削除します。でも、あなたは選ぶことになると思いますけど』


「勝手に予言しないで」


『予言ではありません。観測です』


「観測なら外れることもある」


『もちろん』


 シオンの声は静かだった。


『それなら、外してみてください』


 通話が切れた。


 生徒会室に、しばらく誰の声もなかった。


 サツキがスマホを見つめたまま、ゆっくり椅子に座る。


「ふぅ……あの方、本当に怖いですわね」


 誰も否定しなかった。


 アスミはスクリーンを見ていた。


 赤線で消された項目。


《観測者代表として一名を最終選択者に固定》

《候補:矢那瀬アスミ》


 削除されたはずの文字が、まだそこにあるように見えた。


 僕は言った。


「消えた」


 アスミは答えない。


「少なくとも今日の仕様からは消えた」


「うん」


「でも、残ったね」


 アスミは小さく言った。


「私の中に」


 僕は何も言えなかった。


 その通りだった。


 シオンは、仕様を撤回した。


 だが、問いを置いていった。


 あなたは選ぶことになる。


 外してみてください。


 あれは捨て台詞ではない。


 種だ。


 アスミの中へ、責任という名前の種を埋めるための言葉だった。


 チイロが、静かにホワイトボードへ書いた。


《御影変更案:主要項目撤回》

《ただし心理的フック残存》

《アスミ最終選択者フレーム:要警戒》

《藤堂コウ不在:運営上の重大リスク》

《ハザマ:手続き監査継続》


 トウタがその文字を見て、低く言った。


「フレームって嫌だな。枠に入れられる感じがする」


「その通り」


 チイロは答えた。


「シオンちゃんは、仕様を引っ込めてもフレームは残した。アスミは“選ぶ人間”だって枠。これを放置すると、十五時に何かあった時、本人も周囲もそこへ戻される」


 ミサキがアスミを見る。


「だから、今ここで上書きする」


「上書き?」


 アスミが聞く。


 ミサキは頷いた。


「アスミは最終選択者じゃない。安全監査官。危険なら止める人。選ぶ人じゃなくて、選ばせない状況を作る人」


 ミナトが続ける。


「役割定義を変更する。システム上も、ログ上も、呼称上も」


 レイカが言う。


「舞台の外側に立つ人ね。幕を下ろす権利はある。でも、登場人物に代わって結末を選ばない」


 サツキが勢いよく立ち上がる。


「では決定ですわ!! アスミさんは“最終選択者”ではなく、“非常停止の守護者”ですわ!!」


「それはそれで重い!」


 アスミが叫ぶ。


 チイロが吹き出した。


「非常停止の守護者、二つ名として強すぎるのだが」


 トウタが端末を持ち上げる。


「スレタイは【朗報】量子ネコ、非常停止の守護者へ――」


「立てるな!」


 アスミの声が久しぶりに鋭く響いた。


 その鋭さに、少しだけ安心した。


 怒れるなら、まだ大丈夫だ。


 傷ついていても、自分を全部シオンの言葉に渡してはいない。


 サツキは大きく息を吐き、今度こそ紅茶を飲もうとして、カップの中身が半分こぼれていることに気づいた。


「不吉ですわ……紅茶が、敗北しておりますわ」


 ハザマが無言で新しいカップを差し出す。


「ですが、予備があります」


「さすがハザマですわ……」


 トウタが小声で言う。


「生徒会室、紅茶のリスポーン地点あるだろ」


「ええ、あります」


 ハザマが普通に答えた。


「あるんだ……」


 チイロが笑った。


 笑いは小さかった。


 でも、必要だった。


 サツキは新しいカップを受け取り、背筋を伸ばす。


「では、改めてDAY2ブリーフィングですわ」


 スクリーンが切り替わる。


《DAY2 15:00 再固定版》

《ログアウト:即時退避》

《同期閾値:DAY1基準》

《観客AI:背景演出レベル》

《未選択:未選択として記録》

《選択分散:即時中止》

《アスミ:安全監査/非常停止判断》

《サツキ:天城側停止権限》

《シオン:影村側運営責任》

《藤堂コウ:技術責任/説明義務あり》

《ハザマ:天城側手続き監査》

《NOX:外部観測》


 僕はその画面を見た。


 さっきまでの理不尽な項目が、ひとまず消えている。


 だが、危険が消えたわけではない。


 御影シオンは、撤回しながらも、こちらに傷を残していった。


 藤堂コウは、いまだ姿を見せない。


 それでも、今は進むしかない。


 十五時は来る。


 双灯祭DAY2はもう始まっている。


 ヒカルの家も、黒い本も、昭和アスミも、アキラも、まだ待っている。


 けれど今、僕たちの前にあるのは、十五時を誰も死なせず越えるためのブリーフィングだった。


 サツキが、今度は少しだけ落ち着いた声で言う。


「皆さん」


 王冠が、朝の光を反射する。


「わたくし、難しいことは最後まで分かりませんでしたわ」


「最後まで?」


 トウタが呟く。


「最後までですわ!!」


 サツキは胸を張る。


「ですが、分かったことが一つあります。今日の十五時、少しでも危ないと思ったら止めます。御影さんが美しい言葉を使っても、コウくんが可能だと言っても、観客が盛り上がっていても、止めます。これはお祭りです。誰も帰れない物語ではありません」


 その言葉で、生徒会室の空気が変わった。


 DAY2ブリーフィングは、ようやく本当の意味で始まった。


 物語より退出。


 演出より呼吸。


 観測より生存。


 正しさは、生存手順。


 僕は、その言葉を心の中で繰り返した。


 そして、アスミの横顔を見る。


 彼女はまだ、赤線で消された自分の名前を見ていた。


 でも、その手はもう震えていない。


 少なくとも今は。


 僕たちは、十五時を止める準備を始めた。


 この朝、僕たちは御影シオンの変更案を止めた。


 少なくとも、仕様の上では。


 ログアウトは即時退避に戻り、未選択は未選択のまま記録され、選択分散時は中止になった。アスミが最終選択者にされる案も削除された。


 けれど、シオンは何も残さなかったわけではない。


 あなたは選ぶことになる。


 外してみてください。


 その言葉は、アスミの中に残った。


 仕様は消せる。


 でも、投げ込まれた問いは消えにくい。


 それでも僕たちは、もう一度役割を定義し直した。


 アスミは最終選択者ではない。


 安全監査官だ。


 選ぶ人ではなく、選ばせない状況を作る人だ。


 藤堂コウは、まだ姿を見せない。


 御影シオンは、まだ遠くからこちらを観測している。


 ヒカルの家も、黒い本も、昭和のアスミも、アキラも、まだ待っている。


 けれど今は、十五時を越える。


 物語より退出。


 演出より呼吸。


 観測より生存。


 正しさは、生存手順。


 双灯祭DAY2は、もう始まっている。


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