表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第五章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY2-編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
205/216

EP210. 同じ盤面に立つための裁判台

 嘘を終わらせれば、信頼が戻ると思っていた。


 そんな都合のいい考えを、僕はどこかでまだ捨てきれていなかったのかもしれない。


 アスミは怒った。


 当然だった。


 彼女は昭和五十六年の一週間を、まだ崩れきっていない記憶のまま僕たちに差し出した。リツコの星空も、シズクのプリンも、キョウジの七不思議も、ケイ先輩の沈黙も、ヒカルの家も、エクスエルも、黒川総理も、南浜沖地震も。


 全部、話した。


 なのに僕たちは、彼女に話していなかった。


 W1への宣戦布告を凍結したこと。


 彼女の独白を解析していたこと。


 W1の彼女の記憶に触れていたこと。


 Pixel Jumpのこと。


 時葬のこと。


 守るためだった。


 でも、守るという言葉は、時々いちばん卑怯な鍵になる。


 相手を外に閉め出して、内側から鍵をかける。


 僕はそれを、優しさだと思っていた。


 午前五時三十七分。


 十五時まで、九時間二十三分。


 嘘を終わらせたあとに残ったのは、和解ではなかった。


 ただ、壊れた信頼の上に、もう一度作戦を置く時間だった。


 沈黙は、いつまでも続くように思えた。


 実際には、数秒だったのかもしれない。


 ノード・ゼロの時計は進んでいた。中央モニター右上の時刻表示は、淡々と数字を刻み続けている。午前五時三十七分。三十八分。秒針に相当する小さなドットが、一秒ごとに点滅する。


 時間は止まっていない。


 止まっていたのは、僕たちの方だった。


 アスミは僕から一歩離れた場所に立っている。


 毛布は肩から半分落ちかけていた。ミサキが何度も手を伸ばしかけて、そのたびに止める。触れていいのか、触れた瞬間に何かが壊れるのか、判断できない顔だった。


 チイロは、椅子に座ったまま額に手を当てている。


 いつもの彼女なら、ここで何か言う。


 「はい、修羅場ログ保存禁止」とか。


 「情緒サーバー落ちました」とか。


 「現在、NOX全体が地獄の同時接続数を記録しています」とか。


 そういうくだらない言葉で、空気に穴を開ける。


 でも、何も言わなかった。


 チイロの軽さは、場を救うための技術だった。


 けれど今は、その技術が使えない。


 アスミの怒りが、全部を封じていた。


 僕も、何も言えなかった。


 謝罪なら、もう意味がない。


 説明なら、すべて言い訳になる。


 正しさなら、さっき全部、彼女に折られた。


 僕たちは彼女を守ると言いながら、彼女から知る権利を奪っていた。


 彼女の独白を読んだ。


 彼女の覚悟を解析した。


 彼女の知らない記憶に触れた。


 チイロのPixel Jumpを共有し、僕は時葬という、自分の死を前提にした技まで考えた。


 そして、それをアスミだけに隠した。


 最低。


 アスミの一言は、まだ胸の奥に刺さっていた。


 その沈黙を破ったのは、ミナトだった。


「状況整理をする」


 いつもの平坦な声だった。


 冷たいのではない。


 熱を入れないようにしている声だった。


 今この場で誰かが感情を乗せたら、たぶん全部が燃える。


 ミナトはそれを分かっていた。


「今、感情的な問題を解決するのは不可能だ。だが、十五時は待たない。だから一度、作戦情報へ戻す」


 アスミがミナトを見る。


 その目はまだ赤い。


 泣いていない。


 泣いていないから、余計に痛かった。


 涙より先に、怒りが立っている。


 怒りより奥に、傷がある。


 でも、その奥に、まだ聞く意思が残っていた。


「今度はミナトまで……逃げるの?」


 アスミの声は低かった。


 ミナトは即答した。


「逃げではない」


「じゃあ、何?」


「感情の決着を先送りする。理由は、優先順位の問題だ。放置ではない」


「便利ね。優先順位って言葉」


「便利だから使う。便利な言葉を使う時ほど、責任の所在は明示する」


 ミナトは視線を逸らさなかった。


「今から話す整理は、俺の責任で提示する。ユウマとチイロの弁明ではない」


 アスミの目がわずかに動いた。


 僕は、その一文に救われそうになって、すぐに自分を殴りたくなった。


 違う。


 救われる場面じゃない。


 ミナトが僕の責任を軽くしたわけではない。


 ただ、今は作戦に戻すため、炎の位置を一時的に切り分けただけだ。


 アスミは何も言わなかった。


 許可ではない。


 でも、拒絶でもなかった。


 ミナトは端末を中央モニターへ接続した。


 画面が暗転し、次に照合結果が表示される。


《W2公開情報照合》

《対象:エクスエル/黒川総一郎/国政連盟/南浜沖地震/アコルデ戦役》

《結果:該当なし》


 その文字列が出た瞬間、ノード・ゼロの空気が別の冷え方をした。


 さっきまでの冷えは、人間関係の冷えだった。


 今の冷えは、世界そのものの冷えだった。


 アスミの表情が、わずかに動いた。


「……ないの?」


「ない」


 ミナトは言った。


「少なくとも、二〇二五年現在国内外に関しては、W2公開データ、学校アーカイブ、国会記録、新聞データベース、災害年表、主要国際関係資料には、エクスエルという国家の痕跡はない。黒川総一郎という総理大臣も存在しない。国政連盟も、南浜沖地震も、アコルデ戦役も確認できない」


「完全に?」


「完全に近い。ただし、“完全にない”とは言わない。ないことの証明はできない。言えるのは、通常の検索経路、公開記録、制度的記憶、教育資料の範囲では確認できないということだ」


 チイロがようやく顔を上げる。


「つまり、昭和五十六年側でアスミが見た“公共現実”は、W2の履歴とは一致しない」


「そうだ」


 ミナトは頷く。


「だが、単純に“別世界だった”で片付けるには不自然な点がある」


「不自然?」


 アスミの声が硬い。


「情報密度だ」


 ミナトは画面を切り替えた。


 折れ線グラフが表示される。


 横軸は年。


 縦軸は、各種固有名詞の共起密度、空白検出係数、アーカイブ連続性、地域伝承との相関係数。


 トウタが顔をしかめる。


「うわ、朝五時半に見るグラフじゃないやつ」


「黙って見ろ」


 ミナトは淡々と言った。


「二〇一九年付近から、複数の領域で情報密度の変化がある。政治史、災害史、国際紛争史、学校怪談関連スレッド、地域アーカイブ、古い図書館目録、映像資料のメタデータ。表面上は正常だが、欠落の仕方が均一すぎる」


 アスミが画面を見つめる。


 その目に、さっきまでの怒りとは違う種類の緊張が入る。


「均一すぎるって、どういうこと……?」


「通常の記録欠落なら、穴は不均一になる。保存媒体、地域、管理者、時代、媒体劣化、デジタル化の有無によって欠落の形がばらける。だが今回の空白は、異なる媒体で同じ輪郭をしている」


 チイロが低く呟く。


「まとめて削除した後に、上から薄く整地したみたいな?」


「近い」


 ミナトは答えた。


「たとえば、エクスエルに該当する国家名はない。だが、国家比較論の一部に、妙な空白がある。該当国が存在すれば説明が容易になる文脈だけが、別の一般論で埋められている。黒川総一郎も同じだ。該当する総理大臣は存在しない。だが、一九八〇年代初頭の災害復興政策に関する一部論文では、主語が異様に抽象化されている」


「主語が消えてる?」


 僕が言うと、ミナトは頷いた。


「政策はある。議論もある。だが、誰が推進したかの粒度が不自然に粗い。政治家個人へ収束しない。政党名も同様だ。国政連盟は存在しないが、国政連盟があれば説明しやすい政治的空白がある」


 トウタがスマホを握ったまま、顔をしかめる。


「名前だけ消して、イベントは薄く残した感じか」


「あるいは逆だ」


 ミナトは言った。


「イベントごと削除した後、周辺因果だけが残った」


 レイカが腕を組んだ。


「舞台で言えば、セットの一部が燃えたんじゃない。誰かが幕ごと切り取って、その上から同じ色の布を貼った。でも、床に残った釘穴までは隠せていない」


「そういうことだ」


 ミナトは頷く。


「エクスエルはW2に存在しない。黒川総一郎も、南浜沖地震も存在しない。だが、それらが“最初から存在しなかった”というより、“存在していた可能性がある領域ごと削除された”ように見える」


 アスミの肩がわずかに震えた。


「二〇一九年……」


 彼女が呟いた。


 ミナトが続ける。


「ただし、現時点で因果関係は断定できない。重要なのは、二〇一九年頃を境に、W2の情報地層に何らかの圧縮または削除が発生している可能性があることだ」


 情報地層。


 その言葉が出ると、チイロの肩が微かに揺れた。


 Pixel Jump。


 過去の地層。


 W0。


 りう。


 さっきアスミが怒ったばかりの傷口に、同じ語彙が触れる。


 チイロは、額に手を当てたまま苦く笑った。


「また情報地層か。もう地質学会に謝ろう。ごめんなさい、でも世界が勝手に地層になるんです」


 アスミはチイロを見た。


 その視線は、まだ冷たい。


 チイロは口を閉じた。


「ごめん。今のは逃げだった」


「分かってるならやめて」


「うん」


 短い会話だった。


 でも、その短さが、今の距離だった。


 ミナトが続ける。


「ここで問題になるのが、キョウジとケイの立ち位置だ」


 僕の胸が重くなる。


 キョウジ。


 その名前が出るたびに、僕は子供の頃の顔と、アスミが語った昭和の彼を重ねようとして失敗する。


 僕の知っているキョウジは、逃げる時ほどふざける男だった。


 ふざけることで本音の位置をずらす。


 深刻なことほど軽く言い、軽いことほど妙に真面目な顔で言う。


 その癖を、僕は幼なじみとして知っている。


 でも、アスミが昭和で会ったキョウジは、それだけではない。


 七不思議を語り、アスミの過負荷を読み、聞かせる順番を調整し、怪談を“容器”として扱った男。


 その二人が、同じ人物なのか。


 あるいは、同じ名前を持つ別の地層なのか。


 僕にはまだ分からない。


「二人は、アスミの昭和体験において七不思議を提示した。七不思議の出所が彼らである以上、彼らは少なくともアスミの空想設定、あるいはそれに接続した昭和層の構造を部分的に保有している可能性が高い」


「保有?」


 アスミが聞き返す。


「記憶として持っているのか、役割として持たされているのか、媒体として機能しているのかは不明だ。ただ、キョウジは単なる案内人ではない」


 アスミの表情が少し変わる。


「……それは私も思った」


 彼女は低く言った。


「キョウジは、七不思議を知っていただけじゃない。語り方がおかしかった。普通に話してるんじゃなくて、何かを降ろしてるみたいだった」


「降ろす?」


 ミサキが聞く。


「うん。怪談を読んでるんじゃない。怪談が怪談になる前の形を、容器ごと開けようとしてた。第一から第六まで、ただの怖い話じゃなかった。団地、川、窓、階段、祝卓、結納樋。ぜんぶ、土地と共同体の失敗が噂に圧縮される過程だった」


 チイロが小さく頷く。


「怪談を内容じゃなく生成過程で語る。完全にメタ構造だね」


 アスミはチイロを見ないまま続ける。


「キョウジは私の処理負荷を見ていた。七不思議そのものを投げたら、私の中で“怪談”“過去”“残滓”“識別”“校舎内同期”が一気に重なる。それを避けるために、容器から話した」


 ミナトが端末に文字を打つ。


《キョウジ:怪談内容ではなく生成過程を提示》

《目的:アスミの過負荷回避/七不思議容器の開示》

《立場:経験者/媒体/制御者候補》


「ケイ先輩も、それを止めなかった」


 アスミは言った。


「むしろ、分かってた顔をしてた。キョウジの位相が上がってるのを理解していた。部長として場を開いて、でも踏み込みすぎない。あの距離感は、何も知らない人の距離じゃない」


「つまり、二人は現象に巻き込まれただけではなく、現象を運ぶ側に立っていた可能性がある」


 ミナトが言う。


「ただし、それが本人の意思かどうかは別問題だ」


 アスミは即座に言った。


「きっと、キョウジは完全に分かってたわけじゃない」


 全員が彼女を見る。


「タイムリープには兆候があった。キョウジたちは、それをある程度把握していた。でも、現象そのものを支配している感じじゃなかった。次に飛ぶかもしれない、離れるかもしれない、その程度の予測はしていた。でも完全制御ではない」


「根拠は?」


 ミナトが聞く。


 アスミは迷わず答えた。


「別れる前に、待ち合わせ場所の打ち合わせに応じたから」


 僕は目を細めた。


「打ち合わせ?」


「もしまた飛ばされたら、どこで合流するか。どういう符号で確認するか。そういう話をした。キョウジもケイ先輩も、それに応じた。もし彼らが現象の正体に完全に近づいていたなら、そんな曖昧な約束はしないと思う」


「……確かに」


 ミナトは言った。


「完全制御者なら、再合流を約束しない。合流座標を指定するか、そもそも別離を回避する」


「そう」


 アスミは頷く。


「キョウジは知ってた。でも、全部じゃない。ケイ先輩もたぶん同じ。二人とも、私より先に何度も飛んでいる。でも、現象の主ではない」


 チイロが、慎重に言った。


「制御者じゃなくて、経験者。攻略者でもなく、ループ慣れした遭難者」


 アスミの視線が少しだけチイロへ向く。


 まだ冷たい。


 でも、今度は言葉を否定しなかった。


「そう見えた」


 トウタがスマホを指で回した。


「つまり、ベテラン迷子ってことか?」


「トウタ、言い方」


 ミサキが睨む。


「いや、でも近いだろ? 現在地が分からないまま、駅構内だけ異様に詳しいタイプ」


 アスミは一瞬だけトウタを見た。


「……腹立つけど、近い」


「採用された。やったぜwww」


「喜ばないで」


 ほんのわずかだけ、空気が動いた。


 だが、僕とチイロとアスミの間にある亀裂は、そのままだった。


 笑いが生まれたのではない。


 呼吸する隙間が一瞬だけできただけだ。


 ミナトはさらに画面を切り替える。


《照会候補:玖条リツコ》

《関連候補:玖条リリ》


「リツコについては、玖条リリに聞くのが最短だ」


 アスミの目が鋭くなる。


「リリに?」


「玖条姓、影村周辺の関係性、御影シオンとの距離、校内情報網。リツコの生存確認、あるいは家系情報に最も近い可能性がある」


 アスミは黙った。


 リツコ。


 その名前が出ると、彼女の目の奥に別の夜が浮かぶ。


 昭和五十六年。


 三日目の夜。


 星空。


 肩に掛けられたカーディガン。


 「私がいるから」という言葉。


 僕はその場にいなかった。


 けれど、さっき彼女が話しただけで、その夜の重さは分かった。


 帰還座標を削る刃であり、同時に彼女を生かす酸素でもあった言葉。


 リツコの優しさは、アスミにとって救いであると同時に、定着の危険だった。


「……リリが知ってると思う?」


 アスミが聞く。


「可能性はある」


 ミナトは答えた。


「ただし、リリが直接リツコを知っているとは限らない。家系、親族、旧家の記録、影村側の古い写真、同窓会資料。どこかに接続できる可能性がある、という意味だ」


 ミサキが少し眉を寄せた。


「でも、今日リリに聞くのは危険じゃない?」


「危険だ」


 ミナトは即答する。


「リリは今日、御影シオンの監視に神経を使うはずだ。本人も負傷している。DAY2を乗り越えるまでは、負荷を増やすべきではない」


 レイカが頷いた。


「傷のある役者に、別の芝居を背負わせるべきじゃないわ」


「同意する」


 ミナトは言った。


「よって、リツコについては今日の十五時以降。生存確認の準備だけ進める。直接照会は保留」


 アスミは唇を噛んだ。


 反論したい顔だった。


 今すぐ知りたいのだろう。


 リツコが生きているのか。


 シズクが生きているのか。


 もし一九八一年で十六歳だった二人が、二〇二五年まで生きていたら。


 今の彼女たちは、アスミを覚えているのか。


 覚えていないのか。


 忘れているのか。


 世界に消されたのか。


 その答えは、アスミの一週間が本当に誰かと共有された時間だったのか、それとも彼女だけが持ち帰った孤独な証言なのかを決めてしまう。


 だから、軽く扱えるはずがなかった。


 ミサキが静かに言う。


「アスミ。リリには今日の夜以降。DAY2が終わって、本人の状態を見てから」


「……分かってる」


 アスミは言った。


 分かっている。


 でも納得はしていない。


 その声だった。


 トウタがスマホを掲げた。


「じゃあキョウジとケイは? 仮に複数回タイムリープしてるのが真実なら、ヒント持ってる可能性は高いんだろ? でも今どこにいるか分からない。昭和か、二〇二五か、別の十一月二日か、そもそも世界線ごと違うか」


「そこが問題だ」


 ミナトは答えた。


「アスミが一・三七秒だけロストした事実を踏まえると、時間移動の外部経過時間は固定ではない。アスミは結果的にキョウジとケイへ接触できていた。しかし、それは任意接触ではなく、特定法則に沿って接触座標が合致しただけの可能性が高い」


「つまりさ」


 トウタが言う。


「会いたいから会えるわけじゃない。ガチャのピックアップに入ったから引けただけってことだろ?」


「最悪の比喩だが近い」


 ミナトが言った。


 アスミが少しだけ眉を寄せる。


「嫌な納得感あるわね」


「しかも天井なしの闇鍋ガチャな」


「やめて。余計むかつく」


 ミサキが手を上げた。


「影村側に探してもらうのは? 綾白ひよりとか、夕咲メイたちに。直接大きく動かすんじゃなくて、そもそもキョウジとケイが影村に在籍しているかだけ聞く」


 僕はその名前に反応した。


 ひより。


 メイ。


 影村側の連絡線。


「在籍確認か」


 僕が言うと、ミサキは頷いた。


「うん。タイムリープで記憶が消えているなら、知らないって返ってくる。もしこの世界線、この時間軸に戻っていて、しかも周囲が認識しているなら、知っているって返ってくる」


 トウタが指を鳴らす。


「それだ! 知らないなら二択。そもそもいないか、記憶から消えてる。知ってるなら三択。この世界線にいる、戻ってる、あるいは在籍情報だけ残ってるやつ」


「それ以上の接触はしない」


 ミナトが釘を刺す。


「名前を出すだけでも観測トリガーになる可能性がある。質問は最小限にするべきだ」


 僕は頷いた。


「ひよりたちとは、どのみち十五時前後に連絡を取り合う予定だ。その時に、キョウジとケイが影村に在籍しているかだけ聞く」


「文面は俺が組む」


 ミナトが言った。


「余計な意味を含ませない」


 トウタがぼそっと言う。


「ミナト文面、冷たすぎて逆に怪しまれそうだけどな」


「なら、お前が温度を足せ」


「任せろ。怪しまれない程度の人間味を実装してやる」


「実装という言葉の時点で人間味がないのだが?」


 チイロが小さく笑いかけた。


 でも、アスミの視線に気づいて、笑いを消した。


 アスミは僕とチイロを交互に見た。


「言っておくけど」


 声が、また硬くなった。


「私、二人を許したわけじゃないから」


 チイロは視線を落とした。


「うん」


 僕も頷く。


「分かってる」


「分かってない」


 アスミは即座に言った。


「分かった顔をしないで。今は十五時があるから、ここに座ってるだけ。DAY2がなかったら、たぶん私はこの部屋を出てる」


 胸の奥が重くなる。


 それでも、彼女がここに残っている。


 その事実が、痛いほどありがたかった。


 ありがたいと思うことさえ、僕の都合なのかもしれない。


 アスミは、中央モニターに並ぶ作戦項目を見た。


 それから、僕を見る。


「それと」


 声が、少し低くなった。


「W1への宣戦布告を再開して」


 ノード・ゼロの空気が、再び止まった。


 チイロが顔を上げる。


「ちょっと、アスミ」


「先輩は黙って」


 アスミの声は鋭かった。


 チイロの口が閉じる。


「ユウマ。再開して」


「それは――」


「再開して」


 僕は言葉を選ぼうとした。


 だが、アスミの目がそれを許さなかった。


 彼女はもう、僕の“選別”を見逃さない。


「話した通りだ」


 僕は言った。


「君の独白ログを使った再演シミュレーションは、真実のW1に届く可能性が低い。見かけ上の成功率は五十九・一三でも、本来の成功率はほぼゼロだ」


「そういう問題じゃない」


 アスミの声が低くなる。


「成功率の問題じゃない」


「成功率の問題だ」


「違う!」


 アスミの声が跳ねる。


 ノード・ゼロの白い壁に、その声が反射した。


「私の覚悟を私抜きで凍結したことが問題なの! 失敗するかもしれない、危険かもしれない、それを聞いた上で私がどうするかを決めるべきだった! あなたが勝手に終わらせていい話じゃない!」


 チイロが苦しそうに目を閉じた。


「Pixel Jumpと時葬は凍結して」


 アスミは続けた。


「そっちは絶対に凍結。今すぐ。私の目の前で」


「それは約束する」


 僕は即答した。


「Pixel Jumpの継続検証は停止する。時葬も凍結する」


 チイロも頷く。


「Pixel Jumpは止める。少なくとも、本人同意なしの検証は二度としない」


「本人同意があっても今はやらないで」


「……分かった」


「理論メモも封印して」


 チイロは息を呑んだ。


「アスミ、それは」


「封印して」


「……分かった。ノード・ゼロ秘匿領域に隔離する。ミナト監査付き。私一人では開けない」


 ミナトが即座に言う。


「監査を引き受ける。解除条件は全員一致。最低でもアスミ、ユウマ、チイロ、俺の四者承認」


「私も入れて」


 ミサキが言った。


 声は静かだったが、強かった。


「身体と神経に関わる話なら、私も承認に入る」


「妥当だ」


 ミナトが頷く。


 アスミは短く息を吐いた。


「時葬は?」


 僕は答える。


「凍結する。使用しない。理論式も運用系から切り離す」


「“最終手段”って名前で裏に残さないで」


 胸を刺されたようだった。


「残さない」


「あなた、そう言って残すタイプだから」


「……残さない」


 アスミは僕をしばらく見た。


 信じた顔ではなかった。


 でも、聞き届けた顔ではあった。


「じゃあ、W1は?」


 僕は言葉に詰まった。


「アスミ。W1は違う。あれは――」


「違わない」


「違う。W1への再干渉は、君を壊す」


「壊れるかどうかを決めるのは私」


「違う!」


 今度は、僕の声が跳ねた。


 アスミの目が揺れる。


 僕はすぐに後悔した。


 でも、止まれなかった。


「君はもう壊れかけてる! 昭和五十六年を一週間生きて、戻って一時間も経っていない! 神経も記憶もまだ安定してない! 全部まだ生のままアスミの中に残っている! その状態でW1に触るなんて――」


「じゃあDAY2はどうするの?」


 アスミが遮った。


「今日十五時のデスゲームは止めるんでしょ? 私の証言を使うんでしょ? 昭和の一週間は使う。でもW1は駄目。私の記憶は使う。でも私の意志は止める。何が違うの?」


 僕は答えられなかった。


 その問いに即答できない時点で、僕はまた同じことをしている。


 アスミの情報は使う。


 アスミの判断は止める。


 そう見えても仕方がない。


 レイカが壁際から一歩出た。


「アスミ」


 その声は、舞台袖から主役を呼び戻すように柔らかかった。


「今のあなたは、まだ幕から戻ったばかりよ。照明が変わった直後の役者は、自分の立ち位置を見誤る。次の台詞を急ぐほど、足元が暗い」


「レイカ」


 アスミは彼女を見る。


「説得しないで」


「するわ」


 レイカは引かなかった。


「あなたが怒っているのは正しい。でも、怒りが正しいからといって、そのまま次の舞台へ走っていいわけじゃない」


「私は走る」


「走れば客席が喜ぶ」


 レイカの声が低くなる。


「あなたが壊れながら前へ出る姿は、あちら側にとって最高の演目になる」


 アスミの目が揺れた。


 それでも、引かなかった。


「それでも、私は死ななかった」


 その一言で、空気が変わった。


 トウタが顔を上げる。


「いや、それは違うだろ」


 珍しく、彼の声に軽さがなかった。


「アスミ。文字通りデスゲームの餌食になるだけだぞ。W1のゲームは、正面から殴り込みに行く場所じゃない。あれは運営が勝つように作った最低のクソゲーだ。ログインした時点で規約違反じゃなくて、存在が違反みたいなやつ」


「でも、私は死ななかった」


 アスミは繰り返した。


 僕の胸が、嫌な音を立てた。


 それは、言ってはいけない場所だった。


 でも、言わなければいけない場所でもあった。


「そっ……それは――」


 僕は口を開いた。


 アスミが僕を見る。


 チイロが息を呑む。


 ミナトの目が、わずかに細くなる。


 ミサキが小さく「ユウマ」と言った。


 僕は言葉を止めた。


 言えなかった。


 アスミが生き残った理由。


 それは、彼女が強かったからだけじゃない。


 あの記憶の解釈、つまり解析結果によると、ゲーム側が、彼女を生存しやすいように設定していた可能性がある。だからW1の俺はアスミに共闘を持ちかけた。これが全てだった。


 彼女を壊すために。


 彼女を観測するために。


 彼女に“最後まで見せる”ために。


 共感性の高い者を罰し、善意を費用化し、注目を奪い合う構造の中で、それでも彼女だけが最後まで記録を残すように。


 彼女の生存そのものが、運営の設計に含まれていた可能性。


 それを、今言えばどうなる?


 彼女は自分の生存まで奪われる。


 自分が生き延びたことすら、運営の設計だったと知る。


 僕は、また選ぼうとしていた。


 言うか。


 黙るか。


 アスミの目が細くなる。


「今、また隠した?」


 僕は動けなかった。


「ユウマ……」


 彼女が一歩近づく。


「どうするの?」


 声は静かだった。


「W1への宣戦布告を再開するの? それとも、また私抜きで凍結するの?」


 チイロが額に手を当てた。


「……これは、まずい……」


 ほとんど聞こえない声だった。


 僕はアスミを見る。


 目は赤い。


 怒っている。


 傷ついている。


 それでも、逃げていない。


 彼女は自分の地獄を取り戻そうとしている。


 たとえその地獄が、彼女を飲み込むとしても。


 僕は、長い沈黙の後で言った。


「分かった」


 チイロが天を仰いだ。


「うわ……言った……」


 僕は続ける。


「W1への宣戦布告凍結を解除する。ただし、即時実行はしない。DAY2を終わらせる。十五時を潰す。そのあと、全員で再検証する。君の前で。君の同意を取って。君にも反論権を持たせる」


 アスミは僕を見ていた。


「まだ逃げ道を作ってる?」


「作ってる」


 僕は認めた。


「君を死なせないための逃げ道だ。でも今度は、君に隠さない」


「この期に及んで、まだ私を守るって言うの?」


「言う」


 僕は答えた。


「でも今度は、守るために外さない。守るために見せる。守るために、君が怒る権利も、反対する権利も、止める権利も、全部盤面に入れる」


 アスミの表情は変わらない。


 けれど、ほんの少しだけ呼吸が整った。


「DAY2を無事に終わらせる」


 彼女は言った。


「その次はW1を叩く」


「ああ」


「Pixel Jumpと時葬は凍結」


「ああ」


「私に関するログは、全部私の前で開く」


「ああ」


「私の生存理由について、今言いかけて止めたことも」


 心臓が止まりそうになった。


 アスミは、やっぱり見逃していなかった。


「DAY2後に話して」


 彼女は言った。


「今はいい。今聞いたら、たぶん私は動けなくなる。でも、なかったことにはしないで」


 僕は喉の奥を押さえつけるようにして答えた。


「分かった」


「また隠したら」


 アスミの声が低くなる。


「今度こそ、私はあなたの味方をやめるから」


 その言葉は、刃だった。


 でも、正当な刃だった。


「分かった」


 僕は言った。


 チイロが、額を押さえたまま天井を見上げる。


「地獄のロードマップ更新。DAY2潰して、次W1。しかも全員参加型。Pixel Jump封印、時葬封印、隠しログ全開示。草も生えない。いや、ほんとに生えない。ノード・ゼロの床、除草剤でも撒かれた?」


「チイロ先輩」


 アスミが低く言う。


「はい、黙ります」


 ミサキが静かに息を吐いた。


「まずは、今日を生きて終わらせよう」


 その言葉は、単純だった。


 でも、今のノード・ゼロには必要だった。


 生きて終わらせる。


 十五時を越える。


 それができなければ、W1も、リツコも、キョウジも、ケイも、全部次の話にならない。


 レイカが頷く。


「幕はまだ落ちていない。なら、次の場面を選べる」


 ミナトが端末を開く。


「作戦項目を更新する」


 中央モニターに、新しい行が追加された。


《A:十五時Core Phase阻止》

《B:キョウジ/ケイ所在確認》

《C:リツコ/シズク照会準備》

《D:W2公共記憶空白の解析》

《E:Pixel Jump/時葬 凍結》

《F:W1宣戦布告 凍結解除・DAY2後再検証》

《G:アスミ関連秘匿ログ 全開示予約》

《H:W1アスミ生存条件 仮説開示保留/DAY2後説明》


 アスミはそれを見た。


 特に、GとHを長く見ていた。


 自分に関する秘匿ログ。


 自分の生存条件。


 それは、彼女にとって新しい傷になるかもしれない。


 でも、もう隠すことはできない。


 隠すことを、彼女は許さない。


 そして僕も、もう許されたいと思ってはいけない。


 アスミは、ゆっくりと僕を見た。


「これで、ようやく同じ盤面ね」


 僕は頷いた。


「そうだな」


「勘違いしないで」


「ああ」


「信じたわけじゃない」


「分かってる」


「分かった顔しないで」


「……分かった」


 アスミは小さく息を吐いた。


 ほんの少しだけ、肩から落ちかけていた毛布を自分で戻す。


 ミサキが、それを見て目を伏せた。


 手を出さなかった。


 今のアスミには、自分で毛布を戻すことが必要だった。


 僕はそう思った。


 信頼は戻っていない。


 怒りも消えていない。


 許されたわけでもない。


 ただ、盤面だけが共有された。


 午前五時四十二分。


 十五時まで、九時間十八分。


 嘘を終わらせた後に残ったものは、信頼ではなかった。


 作戦だった。


 それでも、今の僕たちには。


 たぶん、それが最初の一歩だった。


 アスミは、僕を許さなかった。


 それでよかったのだと思う。


 いや、よかったなんて言い方も、たぶん僕の都合だ。


 ただ少なくとも、あそこで簡単に許されていたら、僕はまた同じことを繰り返していた。


 危険だから見せない。


 壊れるから知らせない。


 守るために外す。


 そういう言葉で、自分の判断を正当化していた。


 でも、アスミはそれを許さなかった。


 Pixel Jumpと時葬は凍結された。


 W1への宣戦布告は、凍結解除された。


 ただし、DAY2のあとに再検証する。


 全員の前で。


 アスミの前で。


 彼女の同意と反論権を含めて。


 それは、信頼の回復ではない。


 もっと低い場所にあるものだ。


 同じ情報を見ること。


 同じ盤面に立つこと。


 誰かを守るために、誰かを外さないこと。


 午前五時四十二分。


 十五時まで、九時間十八分。


 僕たちは、まだ仲間に戻れていない。


 でも、同じ盤面には戻った。


 今は、それだけで十分だと思うしかなかった。


 たとえそれさえ、僕の都合だったとしても。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ