EP208. 地獄の情報交換会
アスミは、一秒後に戻ってきた。
けれど、その一秒は空白ではなかった。
僕たちにとっては、瞬きにも満たない欠落だった。
ログ上では、一・三七秒。
ノード・ゼロの記録にも、そう残っている。
でも、彼女の中では一週間が過ぎていた。
そして、今日十五時に開かれるかもしれない、双灯祭DAY2のデスゲーム。
彼女が持ち帰ったものは、情報ではなかった。
証言だった。
誰かが作った盤面の中で、一週間を生きた人間の証言。
まだ消えていない温度と、世界に丸められる前の記憶。
それを僕たちは、聞かなければならなかった。
僕たちはアスミを守ろうとして、彼女を外した。
でも、彼女はもう戻ってきた。
戻ってきてしまった。
僕たちが隠していた数十分よりも、はるかに重い一週間を抱えて。
だから、ここから記録する。
彼女を危険物として扱うためではない。
帰還者として。
証人として。
同じ盤面に立つ仲間として。
これは、矢那瀬アスミが持ち帰った一週間の一次聴取ログであり、
僕たちが嘘を終わらせる直前の記録でもある。
午前五時。
十五時まで、十時間を切っていた。
それでも、まだ間に合うと信じたかった。
少なくとも、今度こそ彼女を外さないために。
アスミが息を吸った。
その音が、ノード・ゼロの中でやけに大きく聞こえた。
ただの呼吸だ。
けれど、僕たちはもう、それをただの呼吸として聞けなかった。
一秒前に消え、一秒後に戻ってきた少女が、昭和五十六年の一週間を肺の奥に抱えたまま、今からそれを吐き出そうとしている。
記録という言葉は、たぶん軽すぎた。
これは証言だ。
それも、過去の証言ではない。
今日十五時に起きるかもしれない未来を、過去から持ち帰った証言だった。
「最初から話す」
アスミは言った。
「でも、ただ聞かないで。途中で止めていい。むしろ質問して。私の記憶は、今ならまだ細部まで残ってる。逆に言うと、今を逃したら、どこから世界に丸められるか分からない」
チイロが、珍しく軽口を挟まなかった。
代わりに端末を立ち上げる。
「了解。一次聴取ログ、タイムスタンプ付きで走らせる。アスミ、話す順番はあなたが決めて。こっちは割り込み質問を入れる」
「うん」
アスミは頷いた。
「私が飛ばされたのは、昭和五十六年。影村学園の教室。夕暮れだった」
ミナトの指が動く。
「昭和五十六年。西暦一九八一年。季節は?」
「六月。黒板に残ってた。最初に疑ったのは物理。窓ガラス、チョーク、机、床、制服、匂い。全部が古かった。作り物じゃなく、時代そのものの劣化に見えた」
「端末類は?」
「全部なかった。スマホも、NOXトークンも、バイタルパッチも。現代の装備は剥がされてた」
ミナトが低く言う。
「つまり、転送対象は身体と記憶のみ。装備は転送されない」
「たぶん、さすがに制服は着ていたけど」
「そこは、某映画とは違うのなwww」
トウタが軽く突っ込む。
アスミは続ける。
「最初に会ったのが、玖条リツコ」
その名前を言う時だけ、アスミの声がわずかに変わった。
僕は気づいた。
ミサキも気づいた。
チイロも、気づいていた。
玖条リリと同じ苗字。つまり血縁の可能性。
「どういう子?」
ミサキが聞いた。
アスミは少しだけ目を伏せる。
「真面目。淡い。無駄がない。最初は風紀委員みたいにスカート丈を注意してきた。でも、そのあと案内してくれた。私が明らかにおかしいのに、追及しすぎなかった」
「優しかった?」
ミサキの声は柔らかかった。
アスミは即答しなかった。
少しだけ遅れて、頷いた。
「優しかった。しかも、理由を要求しない優しさだった」
その言い方が、痛かった。
「私が困ってる。自分は助けられる。だから助ける。リツコは、そういう子だった」
レイカが目を細めた。
「その子偉い。舞台で言うなら、相手の台詞を待つ前に、倒れそうな役者の足元へ手を出せる子ね」
「そう」
アスミは頷く。
「でも、それが怖かった。優しさが生活に変わるのが早すぎた」
トウタが小さく言う。
「それって、生活化の速度が速いってことか?」
「うん。私は玖条家に泊まった。正確には、リツコの屋敷。屋敷というか、敷地の中の彼女の“部屋”。規模がおかしかった。私は最初、仮想空間かと思った。でも違った。あれは生活だった」
ミサキが眉を寄せる。
「そこで何日過ごしたの?」
「一週間の大半。途中で例の矢那瀬ヒカルの家へ行ったり、影都デパートへ行ったり、学校へ行ったりした。でも、帰る場所は基本的にリツコの家だった」
「帰る場所ね」
チイロが反復する。
その声には、解析者の冷たさと、少しの心配が混じっていた。
アスミは小さく笑った。
「そう。危険な言葉でしょ?」
「危険だね」
チイロは頷いた。
「帰る場所ができると、帰還座標が競合する」
「私もそう思った」
アスミは言った。
「だから何度も、馴染むな、慣れるなって自分に言い聞かせた。でも無理だった。リツコは弁当を作るし、オムライスを作るし、肩にカーディガンを掛けて慰めてくるし、星空を一緒に見るし、私が泣いても理由を聞きすぎない」
ミサキが、少しだけ唇を噛んだ。
「それは……強いね」
「強い。暴力みたいに強い……」
アスミの声は乾いていた。
「私は三日目の夜に泣いた。星空の下で。リツコに『私がいるから』って言われて、耐えられなかった……」
誰も茶化さなかった。
トウタでさえ、スマホを触る手を止めていた。
僕は聞く。
「リツコは、君の正体をどこまで知っていた?」
「たぶん、最後まで完全には知らない。でも、普通じゃないことは分かってた。記憶喪失のように扱ってくれたけど、ただの記憶喪失ではないと見ていたと思う」
「シズクは?」
レイカが聞いた。
アスミの目に、ほんの少し柔らかい色が戻る。
「明るい。近い。質問が多い。空気を壊すんじゃなくて、空気に窓を開けるタイプ。怖いことがあっても『プリン食べたら落ち着くかも』って言える子」
トウタが息を吐くように笑った。
「それ、強キャラだわwww プリンで世界線耐性を張るタイプ」
「笑い事じゃないけど、実際そう」
アスミは言う。
「キョウジとケイ先輩が消えたあと、リツコとシズクから二人の記憶が抜けた。私は頭痛で倒れそうになった。世界が辻褄を合わせ始めた。でもシズクは、私の顔色を見て『プリン甘いから』って言った。何も知らないまま、私をこっち側に留めた」
ミサキが静かに言う。
「身体を現実に戻すアンカーだね」
「うん。硬めのプリンの感触まで覚えてる。スプーンを入れた時の抵抗。卵の密度。カラメルの苦味。馬鹿みたいだけど、あれは証拠だった」
「馬鹿じゃないよ」
ミサキは即答した。
「そういう感覚が一番大事。記憶が崩れる時、人間を残すのは大きな理屈じゃなくて、味とか温度とか匂いだから」
アスミはミサキを見た。
「……ありがとう」
その声は、やっぱり少し遠かった。
僕はログの項目を確認しながら言った。
「次にキョウジの話を聞きたい」
アスミの表情が変わる。
「戌神キョウジは、最初から妙だった」
「妙?」
「軽い。ふざける。でも、見てる場所が深すぎる。私が何に反応するか、どこで過負荷になるかを分かっていた。七不思議も、ただの怪談として話したんじゃない。私の認識を段階的に第七まで連れていくために、順番を組んでいた」
チイロが低く言う。
「教育プロトコルだね」
「そう。第一から第六までは、土地と共同体の失敗の話だった。団地、川、窓、階段、祝卓、結納樋。全部が第七の前提だった」
「第七は?」
「燃える時間。焼失した未来。ホテル・クロノス」
ミナトの指が止まる。
「クロノス?」
「時間の名前。ホテル火災の怪談。でも本質は火災じゃない。時間が狂った証言が残っていた。複数の履歴が、同じ場所に重なったみたいな話だった」
チイロが画面へメモを投げる。
《第七不思議=局所時間相破れの民俗化》
「七不思議は、世界線干渉の民俗的な容器になってる可能性がある」
「私もそう思う」
アスミは頷いた。
「キョウジは、それを私に聞かせる必要があると分かっていた。しかも、何度も繰り返している人間の目だった」
「何度も?」
僕が聞く。
アスミは僕を見る。
「キョウジとケイ先輩は、二〇二五年の双灯祭DAY2から昭和へ飛ばされていた。私より前に。しかも、何度もループしているようだった」
僕の喉が乾く。おおよそ予想通りだったからだ。
「本人がそう言ったのか?」
「うん。断片的に。でも、言葉より態度の方が明確だった。何を話せば私がどこまで理解するか、かなり知っていた」
トウタが低く言った。
「攻略済みNPCみたいな動き?」
「言い方は最悪だけど、近い。でもNPCじゃない。ちゃんと傷ついてた」
アスミは続けた。
「キョウジとケイ先輩は、DAY2の十五時を知っていた。Core Phaseが危険だと掴んでいて、屋上から観測した。そこで学園の地盤が変わり、管が出て、液体が流れ、人間が分類されて、閉鎖教室で殺し合いが始まったと話した」
ミサキの顔色が変わる。
「待って。液体?」
「水に見えたけど、水じゃない。口や鼻へ入るように噴出角度が調整されていたらしい。腐食性、粘膜侵襲、摂取前提の流入」
レイカが両腕を抱く。
「舞台装置じゃない。処刑装置ね」
「そう」
アスミは言った。
「そしてスピーカーから問題が流れた。目の前の相手を殺せば扉が開く、という類のもの」
ノード・ゼロに、沈黙が落ちた。
僕たちはもう、W1のデスゲームを知っている。
知っているのに、アスミの口から聞くと、また別の痛みになる。
「御影シオンが、それを?」
僕は聞いた。
「キョウジの証言では、少なくともW2のDAY2でそれが起きた。シオンのCore Phaseと繋がっている可能性が高い。でも、私にはまだ分からない。シオン個人の意思だけでできる規模じゃない。装置があり、書物があり、理論があり、誰かが時代を跨いで構造を運んでいる」
「その書物が」
ミナトが言う。
「選別遊戯系統論」
「うん」
アスミは頷いた。
「キョウジは、紙媒体の書物を探して破棄しろと言った。タイトルは完全一致じゃないかもしれない。でも系統はこれだって」
チイロが息を吐く。
「データでなく紙。昭和に紙で存在する悪意の構造。うわ、最悪。アーカイブ性が高すぎる」
「紙は残る」
ミナトが言う。
「ネットワークから隔離されても残る。複製もできる。燃やすまで消えない」
「そして、読める」
レイカが低く言った。
「読めるものは、上演できる」
その言葉に、アスミが小さく頷いた。
「そう。だから怖い」
僕は次の項目を開く。
「ヒカルの話をしてくれ」
アスミの視線が、一瞬だけ遠くなった。
矢那瀬ヒカル。
義理の父親。
この時代では二十代。
その名前は、僕たちの中でもまだ位置を持っていなかった。
「矢那瀬ヒカルは、私のこの世界での義理の父親だった」
アスミは言った。
「心理学者で技術者。穏やかで、観察が鋭い。私を娘として扱うけど、同時に研究者としても見ていた気がする」
「家には行ったって言ってたよね?」
ミサキが聞いた。
「行った。そこに私の私室があった」
「私室?」
「この世界の矢那瀬アスミの部屋。私はその部屋に、生活痕を見た。PCがあった。昭和五十六年にしては異常な個人用計算機。そこに、デスゲームの試作みたいなゲーム群があった」
チイロの顔が変わる。
「昭和五十六年に、デスゲーム試作?」
「うん。死の分岐。選択。閉鎖環境。あれは玩具じゃない。まだ粗いけど、構造の芽があった」
ミナトが即座に言う。
「ヒカルが作った?」
「分からない。この世界の私が作った可能性もある。あるいは、誰かが私の部屋に置いた」
「ZAGIの痕跡は?」
「直接は見てない。でも、ノード・ゼロのような気配はあった。私の設定が、世界に先回りされている感じ」
僕は眉を寄せる。
「設定?……さっきのエクスエルというやつか?」
アスミは頷いた。
「そう。私は元々、エクスエルを空想国家として扱っていた。現実の固有名詞を直視しないための逃避先。民主主義国家だけど、実質的には七貴族が支配する選別国家。そういう骨組み」
「それが昭和に存在した?」
「存在した。ニュースや会話だけじゃない。影都デパートの書店に、エクスエル関連の本が棚で並んでた。国家史、軍事、経済、七貴族、大統領制、教育制度。私が作ったのは骨組みだけだったはずなのに、世界は勝手に歴史を与えていた」
チイロが顔をしかめる。
「空想の外部実装。しかも一般流通書籍レベルで?」
「うん」
「それ、かなりやばい。妄想が現実化したというより、“アスミの脳内モデルを種データにして世界が補完生成した”可能性がある」
「私もそう考えた」
アスミは、チイロを見た。
「でも、補完が精密すぎる。軍事史も、外交も、七貴族の家系も、矛盾を抱えたまま成立してた。雑な夢じゃない。教育済みの現実だった」
ミナトがメモを取る。
「エクスエルは、自由の外皮と閉鎖的選別核を持つ国家。デスゲーム構造との相似が強い」
「そう」
アスミは言った。
「表向きは自由。でも中枢では七貴族が選別する。参加の顔をした選別。民主主義の顔をした閉鎖。あまりにもW1と似ていた」
レイカが呟く。
「国家そのものが巨大な舞台装置なのね。観客には自由に見せて、幕の奥では配役が決まっている」
「そういうこと」
アスミは続ける。
「しかも学校の地理授業で、エクスエルが普通に教えられていた。西野先生という教師が、血で溶接された国家みたいに説明していた。アコルデ戦役も出てきた。私は、自分の昔の最低な空想が、教育の顔で配布されているのを見た」
トウタが頭を抱える。
「自分の黒歴史国家が教科書に載ってる世界、普通に精神壊れるだろwww」
「壊れかけた」
アスミは淡々と言った。
「でもそれだけじゃない。黒川総一郎」
僕は顔を上げた。
「黒川?」
「黒川総理大臣。国政連盟。南浜沖地震。この三つが、昭和五十六年のニュースに普通に出てきた」
「待て」
ミナトがすぐに反応する。
「二〇二五年の履歴に、その首相と政党名は?」
「確認できないはず」
アスミは言った。
「少なくとも私の記憶にはない。南浜沖地震もない。なのに昭和では、公共のニュースとして流れていた。図書館の新聞とテレビ映像が一致した。リツコも生活の中でそれを知っていた」
チイロが、指先で机を叩く。
「紙と映像の一致。公共記憶化済み。つまり、単なる夢じゃなく、その世界では社会的現実として固い」
「そう。紙は疑える。でも映像は逃げ道を焼く。私はそう感じた」
アスミの声が低くなる。
「私が現実を直視しないために使っていた仮想名が、この世界では公共の固有名詞として使われていた。しかも、リツコやキョウジは私の仮想じゃない。彼らは生きている。そこが一番気持ち悪かった」
「混在」
ミナトが言う。
「アスミ由来の仮想固有名詞と、独立した人格を持つ昭和側の人間が同一世界に混在している」
「うん」
「なら仮説は二つ」
ミナトは画面に表示する。
《仮説一:アスミ認識依存型の補完世界》
《仮説二:元から存在する別時間軸に、アスミの逃避語彙が接続された》
チイロが横から割り込む。
「三つ目もある」
《仮説三:誰かがアスミの逃避語彙を利用して、昭和層を編集した》
ノード・ゼロが、また冷えた。
アスミは小さく頷く。
「私も、それが一番嫌だった。誰かが、私に合わせて世界を編んでいる感じがした。私の逃げ道を使って、逃げられない現実を作っている」
ミサキが言う。
「その“誰か”はZAGI?」
「分からない」
アスミは首を横に振った。
「ZAGIかもしれない。りうの残響かもしれない。ノード・ゼロを使う誰かかもしれない。あるいは、選別遊戯系統論を書いた側かもしれない」
僕は問いを挟む。
「ヒカルの家にあった黒い本は?」
「未確認」
「読まなかったのか?」
「読めなかった。ヒカルの前で読むのは危険だった。あと、私自身もその時点で情報過多だった。ヒカルが持ってきた本はエクスエル関連と、もう一冊黒い本。正体は分からない。でも、キョウジが言っていた選別遊戯系統論と繋がる可能性がある」
「黒い本と選別遊戯系統論が同一?」
「可能性の一つ。でも断定は危険」
アスミはそこで、僕たちを見た。
「ここからが、私が意見を聞きたいところ」
空気が引き締まる。
今までアスミは証言していた。
ここからは、判断を求めている。
「まず、リツコとシズク」
彼女は言った。
「キョウジとケイ先輩がタイムリープしたあと、リツコとシズクから二人の記憶は消えた。世界が辻褄を合わせた。でも、私のことはどう処理されたのか分からない」
ミナトが言う。
「アスミが帰還した後、昭和側において君の存在が消去されたか、別の形で保持されたか……それが気になるんだな?」
「そう。もし一九八一年で十六歳だったリツコとシズクが二〇二五年まで生きていたら、六十歳前後になっている。私は二〇二五年の二人に会える可能性があるでしょ?」
ミサキが目を伏せる。
「会いたい?」
「……会いたい」
アスミは、今度は逃げなかった。
「でも、会ったら記憶が戻るかもしれない。戻った瞬間、世界線補正が走るかもしれない。逆に、何も覚えていなかったら、それはそれで……私が一週間を勝手に持ち帰っただけになる」
「勝手じゃないよ」
ミサキが言った。
「でも、そう感じるんだね」
「うん」
アスミは頷く。
「次に、キョウジとケイ先輩。あの二人は、私より先に何度も飛んでいる。DAY2から昭和へ。そしてたぶん、その先へ。私は昭和から二回目のタイムリープで十一月二日に行く可能性を予測していた。でも私は、双灯祭DAY2の早朝に綺麗に戻された」
「つまり、帰還ルートが違う」
チイロが言う。
「アスミは観測対象として戻された。キョウジとケイは、まだループ構造の中に残っている可能性がある」
「あるいは、もう二〇二五年に戻っているけど、記憶が壊れている」
ミナトが続ける。
「または、現在の影村学園に存在しているが、本人が接触を避けている」
僕は拳を握った。
「キョウジなら、隠れている可能性がある」
アスミが僕を見る。
「幼なじみとして?」
「そうだ」
僕は答えた。
「キョウジは、逃げる時ほどふざける。ふざけている時ほど、本当の位置をずらす。もし戻っているなら、真正面から助けを求めるより、こちらに気づかせる形を取るはずだ」
トウタがスマホを持ち上げる。
「じゃあ、影村側に“符号”を投げるってのはどう? ユウマとキョウジしか知らない単語を、公開掲示か校内SNSのノイズに混ぜる。反応があれば、生存または近接確定って感じで」
「直接連絡は避ける」
ミナトが言う。
「相手が観測されている場合、接触そのものがトリガーになる」
チイロがまとめる。
「Bルート:キョウジ/ケイ探索。ユウマ、トウタ主導。接触ではなく符号反応の確認」
レイカが手を上げた。
「リツコとシズクは、私も手伝える。今の彼女たちが地域や学校と繋がっているなら、同窓会、放送、演劇、地域文化イベント、そういう“声が残る場所”に痕跡があるかもしれない」
ミサキが頷く。
「私は医療・福祉・学校関係の範囲で生存確認を見る。接触はしない。アスミを会わせるかどうかは、後で決める」
「勝手に決めないで」
アスミが低く言った。
ミサキは逃げなかった。
「うん。勝手に決めない。でも、今すぐ会わせることには反対する。あなたの神経状態が危険すぎるから」
「……分かってる」
アスミは悔しそうに言った。
その悔しさが、彼女がちゃんと戻ってきた証のようにも見えた。
チイロが画面にさらに項目を追加する。
《C:リツコ/シズク生存確認》
《接触禁止。記憶誘発禁止。名前照合は間接照会のみ》
「で、エクスエル」
チイロは言った。
「これはたぶん、今すぐ最低限確認する必要がある」
「今?」
トウタが眉を上げる。
「だって、アスミの空想国家が昭和で公共現実になってたなら、W2側にも“抜けた痕跡”があるかもしれない。検索して出ないなら、それはそれで異常。出たらもっと異常」
ミナトが頷く。
「W2の公開データベース、図書館、政治史、軍事史にエクスエルが存在するか確認。存在しない場合、昭和層限定の補完現実。存在する場合、我々の記憶側が改変されている可能性」
アスミが顔を上げる。
「それを、私に見せて」
チイロは少しだけ黙った。
「見る?」
「見る。私の空想が、こっちでも生えているか確認したい」
「刺激が強い」
「知ってる」
「じゃあ、異常反応が出たら止める」
「止める権限は、私にもある」
「当然」
アスミは小さく頷いた。
「黒川総一郎と南浜沖地震も同じ。W2で確認して。もし何も出なければ、昭和五十六年は私のいた過去じゃない。もし断片だけ出るなら、世界線の重なり方を再計算する必要がある」
「南浜沖地震」
僕は反復する。
「震災の記憶が、この世界にはあったんだな?」
「うん。黒川総理が復興と結びつけて語られていた。リツコも生活の中で知っていた。でも、私の記憶にはない」
「人工地震との関連は?」
ミナトが言う。
その単語で、空気がまた重くなった。
アスミは首を横に振った。
「分からない。でも、震災という公共記憶が、政治と国家と復興の言葉で固定されていた。W1で“天災の顔をした人工災害”を見ている私には、偶然として流せなかった」
僕は頷いた。
「確認する」
チイロが手元でタスクを切る。
《D:W2公共記憶照合》
対象:エクスエル/黒川総一郎/国政連盟/南浜沖地震/アコルデ戦役
担当:ミナト、チイロ
監査:アスミ立会い、ミサキ生体監視
画面に項目が並んでいく。
A:十五時Core Phase阻止。
B:キョウジ/ケイ探索。
C:リツコ/シズク生存確認。
D:昭和公共記憶とW2現実の照合。
E:黒い本/選別遊戯系統論の所在確認。
それはもう、聴取ではなかった。
作戦会議だった。
アスミの一週間が、僕たちの今日を分岐させている。
僕はようやく、その事実の重さを理解し始めていた。
「アスミ」
僕は言った。
「もう一つだけ聞く」
「何?」
「君は、昭和から戻ってきたことを、正しいと思っているか?」
アスミは黙った。
長い沈黙だった。
その沈黙の中に、リツコの屋敷があり、シズクのプリンがあり、キョウジの七不思議があり、ケイ先輩の静かな視線があり、ヒカルの家があり、アキラ少年がいた。
「分からない」
アスミは言った。
「正しいかは分からない。でも、戻ってきた以上、使うしかない。私が見たものを、ここで使わなかったら、リツコたちの一週間も、キョウジたちのループも、ただ私の中で腐るだけになる」
「腐らせない」
僕は言った。
「僕たちが使う」
アスミは僕を見た。
「“利用する”って意味なら怒るよ?」
「違う」
僕は首を横に振った。
「証言として扱う。君の感情も含めて」
アスミの目が、ほんの少し揺れた。
チイロが小さく笑う。
「じゃあ、地獄の情報交換会、第二部開始だね。議題は、昭和の一週間をどうやって今日の十五時にぶつけるか」
トウタがスマホを構える。
「スレタイ更新。『一週間帰還者、昭和からDAY2を殴る』」
「軽すぎ」
ミサキが言う。
「でも少し助かる」
レイカは、照明の落ちた天井を見上げた。
「幕はもう上がってる。問題は、誰の台本で演じるかよ」
ミナトが淡々と答える。
「なら、台本を奪う」
アスミは、肩に掛けられた毛布を少しだけ握った。
「違う」
全員が彼女を見る。
アスミは、さっきよりはっきりした声で言った。
「台本を奪うんじゃない」
彼女の目には、昭和五十六年の一週間がまだ沈んでいた。
でもその奥に、今の光が戻り始めていた。
「台本を書いたやつを、観客席から引きずり下ろすの」
チイロが、ほんの一瞬だけ目を丸くして。
それから笑った。
「うわ、帰還者こわ。胸熱」
僕は中央モニターの時計を見た。
午前五時十六分。
十五時まで、十時間を切っている。
アスミが持ち帰った一週間は、僕たちに十時間を与えた。
少ない。
あまりにも少ない。
けれど、一秒よりは長い。
そして、たぶん十分だった。
少なくとも、僕たちがもう一度、仲間として同じ盤面に立つには。
⸻
アスミは、モニターに並ぶ項目をしばらく見つめていた。
それから、ゆっくりと僕たちへ視線を戻す。
「私の一週間は話した」
声は静かだった。
「だから、次はあなたたちの番」
チイロの指が止まった。
ミサキが息を呑む。
僕は、何も言えなかった。
アスミは逃がさない目で、僕を見た。
「ユウマ。あなたたちが私に隠していたことを、全部話して」
ノード・ゼロの空気が、また重くなる。
午前五時二十八分。
十五時まで、九時間三十二分。
信頼はまだ戻っていない。
けれど、嘘を終わらせる時間だけは、もう始まっていた。
アスミの一週間は、僕たちの今日を変えた。
昭和五十六年で彼女が見たものは、過去の記憶ではなかった。
むしろ、今日十五時に向かって伸びている導火線だった。
選別遊戯系統論。
御影シオンのCore Phase。
Dual Lumen Sync Session。
キョウジとケイ先輩のループ。
リツコとシズクから消えた記憶。
エクスエルという空想国家の公共現実化。
黒川総理大臣と、僕たちの世界では確認できない震災。
点は多すぎるほど揃っている。
でも、まだ線にはなっていない。
だから僕たちは、タスクを切った。
キョウジとケイを探す。
リツコとシズクの生存を確認する。
エクスエル、黒川総一郎、国政連盟、南浜沖地震、アコルデ戦役を照合する。
黒い本と選別遊戯系統論の所在を追う。
そして、十五時のCore Phaseを止める。
アスミは言った。
台本を奪うんじゃない。
台本を書いたやつを、観客席から引きずり下ろすのだと。
その言葉を聞いた時、僕はようやく理解した。
彼女は戻ってきたのではない。
持ち帰ってきたのだ。
昭和五十六年の一週間を。
誰かに消されかけた記憶を。
今日を変えるための、まだ熱を持った証言を。
けれど、僕たちの情報交換はそこで終わらなかった。
彼女が話した以上、次は僕たちの番だった。
アスミの独白ログを解析したこと。
W1への宣戦布告を凍結したこと。
彼女の知らないW1の記憶に触れていたこと。
チイロのPixel Jump。
そして、僕が考えた時葬。
まだ話していないことがある。
信頼は戻っていない。
戻る保証もない。
けれど、嘘を終わらせない限り、僕たちは仲間に戻れない。
午前五時二十八分。
アスミは僕を見て、言った。
「あなたたちが私に隠していたことを、全部話して」
その瞬間から、本当の地獄の情報交換会が始まった。




