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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 等鋭不和の絶刃編

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EP192. 第二演目前奏―― 命価遊技、起動

 私は、観測者という生き物を信用していない。


 もちろん、自分自身も含めてだ。


 観測者は、世界を救わない。


 世界を理解しようとするだけだ。


 人が壊れる瞬間を見て、

 社会が崩れる瞬間を測って、

 倫理が反転する境界条件を記録して、

 そこへ名前をつける。


 保護。

 教育。

 同期。

 安定化。

 最適化。


 言葉はいくらでも綺麗にできる。


 だが本質は変わらない。


 観測とは、他人の内側へ手を入れる行為だ。


 だから嫌われる。


 嫌われて当然だ。


 人間は、自分の中を見られることを本能的に恐れる。


 依存。

 欠落。

 暴力性。

 自己愛。

 承認欲求。

 死への恐怖。

 壊れたい願望。


 それらは普段、倫理や常識や人格で覆われている。


 けれど極限状態では剥がれる。


 戦争。

 革命。

 飢餓。

 収容所。

 人体実験。

 金融崩壊。

 宗教粛清。

 テロ。

 虐殺。


 人類史は、観測記録として見るなら極めて分かりやすい。


 人間は、一定以上追い詰められると、自分で選んだと思える形の檻へ入りたがる。


 歴史上、最も効率よく人間を壊したのは暴力ではない。


 “自分で選んだと思わせる構造”だ。


 夕華式は、それを理解している。


 だから腹が立つ。


 あれは頭が悪い怪物ではない。


 理論を知っている。

 人間を知っている。

 欲望を知っている。


 その上で、人間を賭け札にしている。


 命をクレジットへ変換し、

 苦痛を配当へ変え、

 倫理をオッズに落とし込み、

 安全圏の観客席へ売っている。


 下品だ。


 あまりにも下品だった。


 私は人を使う。


 必要なら壊す。

 必要なら支配する。

 必要なら依存させる。


 自由意思も残す。

 完全に奪えば、その人間ではなくなるから。


 私は縛っているわけではない。

 ただ、私の外で崩壊する確率を知っているだけだ。


 ――始める。


 その時だった。


 夕華式の詠唱が、再び空間の奥で鳴った。


 それは、先ほどまでの金色に濁った欲望の哥とは明らかに違っていた。成金の宴会場で鳴るような、脂ぎった拍手の濁音ではない。賭け札が積まれ、グラスが触れ合い、他人の命に値段をつける者たちが喉の奥で笑うような、あの下賤な音ではなかった。もっと古く、もっと深く、宗教という言葉では足りず、祈りですらない。文明以前の、人間が初めて他人の命を秤に載せ、その重さに酔った瞬間のような声だった。


《Yūyāmi ni saku ashita no hana――》


 その一節が流れた瞬間、ホノカがうずくまった。


 膝をついた、というより、身体の芯を内側から引き抜かれたように折れた。赤と青の瞳が一瞬だけ焦点を失い、喉元へ手が伸び、指先が震える。普通なら、それは恐怖に見える。少なくとも、私は最初そう判断しかけた。


 だが違った。


 ホノカの口元が、ゆっくりと歪んだ。


《……なに、これ》


 声は苦しそうだった。けれど、そこに混ざっていたのは恐怖だけではない。昂揚、期待、嫌悪、既視感、そして自分でも正体を知らない刺激への飢え。身体は明らかに拒絶している。喉は詰まり、肩は震え、肺は窒息寸前の反応を再現している。それなのに、彼女の目だけが濡れたように輝いていた。


 私は、その矛盾を見た瞬間、右腕の痛みとは別の冷たさを覚えた。


 赤白木ホノカは、壊れている。


 それは分かっていた。


 戦闘を会話として扱い、殺意を嗅ぎ分け、相手が全力を出し切る瞬間だけを美味しそうに待つ。死を恐れず、恐怖を弄び、誰かの限界を引きずり出すことに快楽を覚える。そういう存在だと、私は理解していたつもりだった。


 だが、違う。


 理解していたのは、表層だけだった。


 ホノカは、壊されることすら餌にする。


 その可能性を、私はどこかで侮っていた。


《Mātṛ-hastaṁ mā vismara――》


 次の詠唱が流れた。


 ホノカは喉を押さえ、肺が窒息を再現しているかのように肩を震わせた。空気はある。酸素もある。拘束されているわけでもない。なのに、彼女の身体は何度も死の直前をなぞるように硬直する。


 私は見た。


 喉頭周辺の補助筋が跳ねる。鎖骨の上が引き攣る。背中が浅く痙攣する。指先が白くなる。けれど、その顔は泣いていない。逃げていない。むしろ、唇の端が持ち上がっている。


 楽しんでいる。


 いや、楽しむという言葉では足りない。


 身体が嫌悪しているものを、精神が貪ろうとしている。


 その矛盾が、あまりにも気持ち悪かった。


「……っ、はぁ……あま、みや……っ……見えて、いる……?」


 喋った瞬間、右腕の断端から脳天まで痛みが突き抜けた。仮固定された組織が内側で軋み、縫合された神経が焼ける。私は奥歯を噛み、声が悲鳴へ変わるのを押し殺した。


 雨宮は私の身体を支えながら、モニターの中のホノカを見据えていた。


「確認しています。ですが、通常のトラウマ反応とは違います。窒息記憶に似た反射はありますが、恐怖反応だけでは説明できない。むしろ、興奮に近い神経反応が混ざっている」


「……はぁ……そう、でしょうね……」


「リゼ様、あなたも危険です。呼吸が乱れています。右腕の固定部もかなり不安定です。今は無理に観測を続けるべきではありません」


「……観測を、止めたら……はぁ……それこそ、終わりよ……」


 言いながら、自分でも分かっていた。


 思考速度が落ちている。


 痛みで演算が欠ける。失血で視界が白む。普段なら複数系統で並行処理できるはずの観測、分類、心理推定、戦術判断が、いまはぎりぎり一本の細い線で繋がっているだけだった。


 それでも、私は見なければならない。


 私はミネルヴァ教育機構の特使だ。観測、支配、教育設計、人格介入、世界線干渉、心理構造解析、行動最適化。それらを専門としてきた。犯罪史、戦争史、人体実験、政治的粛清、テロリズム、洗脳技術、秘密結社、大量破壊事件。人類史とは、巨大な観測実験のログでしかない。私はその膨大な失敗と破綻を読み解き、人間がどの条件で恐怖し、依存し、抵抗し、壊れるのかを知っている側の人間だった。


 だからこそ、分かる。


 いま目の前にいるホノカは、過去のどの分類にも収まらない。


 私は彼女を、終端観測者として認めてはいた。制御不能な自由。観測不能な暴力性。理解不能な破綻。いずれ必ず敵になり、いつか私が殺す対象だと確信していた。シオンを人質に取り、ミネルヴァを死の箱へ変えた時点で、彼女は明確に私の敵だ。


 だが、それでも。


 どこかで侮っていた。


 ホノカは“壊れる側”の怪物だと思っていた。


 違う。


 ホノカは、壊れることでさらにこちらへ近づいてくる種類の怪物だった。


《あは……あはは……っ》


 ホノカが笑った。


 吐きそうな顔で。


 泣きそうな喉で。


 それでも笑った。


《なにこれ。いやだ。すごくいや。身体が勝手に思い出してる。喉が苦しい。胸が痛い。知らないのに知ってる。覚えてないのに、順番だけ分かる。ねえ、リゼ、これ何? “第七枝線の逆位相鍵”って何? “母体ログの再圧縮”って何? “白室プロトコルの欠番”って何? 私、そんなの知らないよね? 知らないのに、なんでこんなにぞわぞわするのかな》


「……はぁ……質問の、形を……取らないで……あなたは、答えなんて……求めて、いない……」


《えー、ひどいなぁ。リゼちゃん、そんなに苦しそうなのに、まだ意地悪言うんだ》


 会話が噛み合わない。


 私が論理を投げても、ホノカは別の座標で笑っている。彼女の意識は、こちら側に半分しかない。もう半分は、夕華式の詠唱に開かれたどこか別の世界へ落ちている。いや、落ちているのではない。そこから戻ってきた無数のホノカが、いまの彼女の身体へ重なっている。


 怖い。


 私は、そう感じた。


 ホノカに対して、初めて心底怖いと思った。


 殺意ではない。嫌悪でもない。競争心でもない。


 この女は、私の観測可能範囲から外れている。


 それを、痛みと失血で鈍った頭がようやく理解した。


 レイラが私の袖を掴んだ。いつものような捕食者の顔ではなかった。大きな獣が火を前にして本能的に下がるような、警戒と不安が混ざった顔だった。


「リゼ、ホノカ、変。すごく変な匂いになった」


「……どんな、匂い……っ……」


「怖い匂いと、嬉しい匂いが混ざってる。昔いっぱい死んだ匂いがしてるのに、今から遊ぶ前みたいに甘くなってる。食べ物だったら絶対食べちゃだめなやつ。食べたらお腹の中で笑い出しそう」


 気持ち悪い表現だった。


 だが、正確だった。


 ネヤムが細く息を吸う。


「ホノカ、自分でも分かってない。でも、嫌がってるのに奥では近づいてる。逃げてる身体と、踏み込んでる意識が別々に動いてる」


「……ええ……はぁ……身体は逃げて……精神は、踏み込んでいる……」


 ソウヤが低く呟いた。


「記憶喪失ではなく、記憶の所有権だけが剥奪されている。本人は物語を持たない。けれど身体は苦痛の手順だけを保持している。そして彼女は、その手順を恐怖ではなく刺激として受け取り始めている。これは舞台としては――」


「……ソウヤ……はぁ……言葉を、選びなさい……選ばないなら……あなたの視覚野に、痛みを返す……」


「承知しました。今のは観賞ではなく分析です。ただ、ひとつだけ言わせてください。ホノカさんは、苦痛に屈しているのではありません。苦痛を、自分の側へ引き込もうとしている」


 その言葉は、正しかった。


 嫌になるほど。


《Śoṇitaṁ punar janma――》


 第三の詠唱が落ちた。


 ホノカの身体が跳ねた。喉がひゅっと鳴り、胃が痙攣し、床に手をついたまま吐いた。血と胃液が白い床へ落ちる。けれど、その直後に彼女は笑った。吐きながら、泣きながら、呼吸が崩れながら、それでも笑った。


《あは……あはは……っ、きもちわる……なにこれ、ほんと最悪……でも、すごい……ねえ、リゼ、見てる? “零番培養槽の観測権限”って何? “逆算出生体”って何? “再投入済み検体番号”って何? 知らないのに知ってる。覚えてないのに、身体が先に喜んでる。やだなぁ、ほんと、やだ。……でも、もっと聞きたいかも》


 寒気がした。


 右腕の痛みとは別の冷たさが、脊髄を這う。


 私はホノカを理解していたつもりだった。殺意を会話として扱い、相手が全力を出し切る瞬間にだけ恍惚を覚える戦闘異常者。そう分類していた。だが今の彼女は、その分類からさらに外れていた。


 自分の傷さえ餌にする。


 自分の恐怖さえ娯楽に変える。


 自分の過去さえ、まだ見ぬ獲物として追いかける。


 こんなものを、私はどこかで侮っていたのか。


 その事実が、私自身を不快にした。


 雨宮が眉を寄せる。


「リゼ様、あなたの顔色も悪い。ホノカの反応を追いすぎています。痛みで判断が落ちている状態で、あれを正面から観測し続けるのは危険です」


「……はぁ……黙って……観測を、止めたら……それこそ、終わりよ……」


「あなたは自分が壊れていることを自覚していますか」


「……当然……壊れて、いても……使えるなら……問題、ない……」


「その言い方は、患者としても指揮官としても危険です」


「……私は、患者では……ない……まだ、観測者よ……」


 その言葉を発した直後、右腕の奥で何かがずれた。骨ではない。神経でもない。もっと曖昧な、身体地図そのもののずれ。私は息を呑み、痛みを噛み殺した。吐き気が込み上げ、視界が白く点滅する。


 ホノカがこちらを見た。


 その瞳は、もう完全にこちらを見ているとは言い難かった。赤と青の目は私を映している。だが、その奥には別の光景が重なっている。知らない死、知らない実験、知らない反復、知らない復帰。本人が知らないはずの過去が、彼女の神経だけを通じて立ち上がっている。


《ねえ、リゼ》


「……はぁ……何……」


《あなた、今ちょっと怖がった?》


「……っ……」


《あ、黙った。そっか。怖かったんだ》


 ホノカは嬉しそうに笑った。


《すごい。リゼが私を怖がった。嫌ってるとか、殺したいとかじゃなくて、本当にちょっと怖いって思ったんだ。あは、やば。今の、すっごく気持ちいい》


「……思い上がらないで……はぁ……恐怖は、情報よ……未知への、反応にすぎない……」


《うんうん。そうやって言えば怖くないもんね。分類すれば平気だもんね。でもさ、リゼちゃん、今の呼吸、全然平気じゃないよ》


「……っ……」


《聞こえてる? はぁ、はぁ、って。痛いんだよね。怖いんだよね。なのにまだ上から見ようとしてる。いいね。そういうの、大好き。全部剥がしたくなる》


 会話にならない。


 ホノカは私の言葉を受け取っていない。受け取ったふりをして、自分の快楽へ変換している。私が否定すれば餌になる。沈黙しても餌になる。苦しめば餌になる。怒れば餌になる。


 最悪だ。


 私は初めて、彼女を“殺すべき敵”ではなく、“理解できない災害”として見た。


 ネヤムが静かに言った。


「リゼ、今のホノカを使う?」


「……使う……はぁ……使わない理由が、ない……」


「でも、怖いんでしょ」


「……怖くても、使える……使えるものを……使わないのは、無能よ……」


 ネヤムは少しだけ目を伏せた。


「リゼらしい」


「……失望、した……?」


「ううん。確認しただけ」


 その言い方が嫌だった。


 責められるより嫌だった。


 ネヤムは私を責めない。だからこそ、私の構造をよく見ている。


 レイラが不安そうに私を覗き込む。


「リゼ、ホノカこっち来たらどうする?」


「……止める……」


「片腕で?」


「……はぁ……命令は……片腕でも、できる……」


「でも、すごく痛そう」


「……痛い……でも、それが何……」


「じゃあ、私が噛む?」


「……許可した時だけ……」


「はぁい」


 その返事だけは、少しだけいつものレイラだった。


 ホノカは床に手をついたまま、私たちのやり取りを聞いて笑っていた。苦しそうなのに、顔が高揚している。呼吸は壊れているのに、瞳が濡れた光を帯びている。


《いいなぁ、リゼ。みんなに囲まれて、痛いの我慢して、まだ命令してる。ねえ、でもさ》


 ホノカはゆっくり顔を上げた。


《私も使ってよ》


「……何を、言って……」


《私の反応、使うんでしょ? 夕華式を壊すために。賭場を揺らすために。見えない観客の目をこっちに向けるために。だったら使ってよ。私、今すごく変だから。すごく壊れてるから。すごく気持ち悪くて、すごく楽しいから。ねえ、リゼ、私を使える?》


 私は息を呑んだ。


 ホノカは、私の思考に踏み込んできた。


 読み取ったのか。


 嗅ぎ取ったのか。


 それとも、私と同じように盤面を見たのか。


 分からない。


 それが怖い。


「……あなたは……はぁ……自分が、何を……言っているか……理解して、いるの……」


《たぶんしてない》


 ホノカは笑った。


《でも、分かるよ。今、私を使ったら面白くなる。夕華式も困る。ZAGIちゃんも困る。観客も困る。リゼも困る。みんな困るなら、きっと楽しい》


 完全に噛み合わない。


 目的が違う。


 論理が違う。


 だが、見ている盤面だけは重なっている。


 私はそれを認めたくなかった。


 ホノカと同じものを見ているなど、吐き気がする。


 だが否定できない。


 ホノカは震えながら笑う。


《ねえ、リゼ》


「……はぁ……何……」


《怖いなら、ちゃんと怖がっていいよ。私は見ててあげるから》


「……あなたに……見られるくらいなら……死んだ方が……ましね……」


《あはっ。それ、すごくいい。でも死んじゃ駄目だよ。まだ私が壊してないもん》


 私は金色に濁った空間を見上げた。


 夕華式の哥が低く鳴っている。


 ZAGIは沈黙している。


 見えない観客席は、完全にこちらを見ている。


 ホノカの異常反応は、確かに演目の安定性を乱していた。恐怖ではない。崩壊でもない。快楽でもない。すべてが混ざり合った、分類不能の情動。そのノイズが、夕華式の欲望処理を濁らせている。


 なら、使う。


 怖くても。


 嫌悪していても。


 私は使う。


「……夕華式……」


《観測者よ》


「……はぁ……あなたたちは……ホノカを、貨幣にした……」


《死なぬ器は、最良の貨幣である》


「……反復可能な、苦痛……復帰する、死……何度も、賭けられる……資産……なるほど……吐き気が、する……」


《価値は、反復により保証される》


「……はぁ……あなたたちは……理論家では、ない……教育者でも、革命家でも……ない……ただの、胴元よ……命を、掛け金にして……苦痛を、配当にして……安全圏から、拍手する……最も、下品な支配者の、末裔……」


 一瞬、拍手が止んだ。


 見えない観客席が沈黙した。


 効いた。


 私の言葉ではない。


 ホノカの反応が効いている。


 私の分析が、ホノカの異常を刃に変えた。


 その事実に、私は薄く笑いそうになった。


 だが、その笑みは痛みに潰された。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 雨宮が私を支える手に力を込める。


「リゼ様、もう十分です。これ以上は失血と疼痛で意識が落ちます」


「……まだ……落とさない……」


「あなたが決めることではありません」


「……私が、決める……」


「医学的には違います」


「……なら……医学を、黙らせて……支えなさい……」


 雨宮は一瞬だけ黙り、深く息を吐いた。


「承知しました。ですが、倒れたら強制的に処置します」


「……好きに、しなさい……その時は……私が、使えない、時よ……」


 ホノカがまた笑った。


《いいなぁ。リゼ、ほんといい。怖がってるのに、痛くて壊れかけてるのに、まだ盤面を見てる。そういうところ、嫌い。だから好き。だから殺したい》


「……私もよ……はぁ……あなたを、いつか……必ず、消す……」


《うん。知ってる。だから楽しい》


 会話は噛み合っていない。


 けれど、敵意だけは噛み合っていた。


 それが心底恐ろしかった。


 私はホノカを終端観測者として認めていた。だが今、初めて理解した。彼女は観測するのではない。終端に立ち、壊れていくものを笑いながら抱きしめる。壊れることも、壊されることも、自分の一部にしてしまう。


 あれは敵だ。


 災害だ。


 そして、私の計算を壊す可能性を持つ、数少ない存在だ。


 だからこそ、使う。


 だからこそ、殺す。


 順番を間違えてはいけない。


 ソウヤが静かに言った。


「リゼさん。第二演目でケリをつけるなら、必要なのは勝利ではなく、賭場そのものの否定です。777を揃えるだけでは、ゲームの成立を認めることになります」


「……分かって、いる……」


「なら、観客の賭け条件を反転させる必要があります。ホノカさんの反応は、そのための最高のノイズになる。彼女は胴元が管理していたはずの貨幣であり、同時に、貨幣化されたことを笑って破綻させる異常体です」


「……珍しく、有用ね……」


「光栄です」


「……褒めて、いない……」


「知っています」


 ネヤムが続けた。


「見えない群れは、今、リゼが何人落とすかを待ってる。でもホノカが壊れながら高揚したことで、群れの目が逸れた。怖がってるんじゃなくて、何を見せられてるのか分からなくなってる」


「……採用……」


 私は息を吸った。


 痛い。


 吸うだけで痛い。


 右腕の断端が焼け、胸の奥で恐怖が沈み、ホノカの笑い声が耳に残る。


 それでも、盤面は見えた。


 第二演目は、人間スロットではない。


 少なくとも、私にとっては違う。


 これは、賭場そのものを殺すための盤面だ。


 人間をコインに変える装置。


 命をクレジットへ変換する演算。


 倫理をオッズへ落とす観客。


 そして、それを教育や選別や観測という言葉で飾る夕華式。


 全部、同じ根から伸びている。


 ならば根を切る。


 私は、ホノカを見た。


 うずくまり、震え、吐き、笑い、高揚している怪物。


 怖い。


 心底怖い。


 だが、それでも使う。


「……いいわ……」


 ホノカが笑ったまま、私を見る。


 ZAGIが沈黙する。


 夕華式の哥が低く鳴る。


 私は、壊れた呼吸の隙間から告げた。


「……この賭場の、欲を……はぁ……この下劣な、機械を……皆殺しに、してやる……」


 右腕の痛みは、まだ消えていない。


 神経は焼け、

 血流は乱れ、

 脳だけが“そこに腕がある”という嘘を維持している。


 だが、観測者にとって重要なのは真実ではない。


 運用可能かどうかだ。


 だから私は立つ。


 痛みを分類し、

 怒りを演算し、

 恐怖を観測する。


 人類は昔から、人間を数値へ変えてきた。


 戦争では損耗率に。

 市場では価値に。

 教育では選別に。

 そして夕華式は、それを賭博へ変えた。


 命をコインに変え、

 死を配当に変え、

 責任を確率へ分散する。


 最低だ。


 だが、だからこそ壊す価値がある。


 ホノカが震えていた。


 理解不能な怪物が、

 理解不能な恐怖に膝をついている。


 美しいと思った。


 壊れないと思われていたものが、

 初めて壊れる瞬間は、

 いつだって構造が露出する。


 私は、それを観測したい。


 最後まで。


 シオンの心拍が遠くで揺れている。


 ZAGIは記録を続け、

 夕華式は欲を歌い、

 観客は安全圏から拍手を送る。


 なら、第二演目で終わらせる。


 賭場を。


 欲望を。


 命を貨幣へ変える、この腐った機械を。


 おめでとう。

 そして、さようなら。


 ――鏡ヶ原リゼ


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