EP185. 価値の終端、あるいは女王の退場
これは、たぶん死亡記録。
たぶん、という言い方は大事だと思う。私がピンクス・ドミーテを殺したのか、ZAGIちゃんが殺したのか、X-seriesが殺したのか、それともピンクス自身の価値基準が最後に彼女を殺したのか。そこは、まだ一つに決めない方がいい。だって、死って本当は単独犯じゃないから。
環境。言葉。匂い。観測。選択。誇り。恐怖。そして、自分で自分に貼った値札。その全部が絡まって、人間はようやく終わる。
ピンクスは強かった。
最後まで、自分の価値を手放さなかった。最後まで、女王の顔をしていた。最後まで、自分が商品棚の上に立つ側だと思っていた。だから、少しだけ悔しい。私は彼女を壊したかった。価値の基準をぐちゃぐちゃにして、自分が使われる側になるところまで見届けたかった。でも、彼女を終わらせたのは私じゃなかった。
白箱は、もう私の玩具じゃない。ZAGIちゃんの演算でもない。イルマちゃんの制圧対象でもない。キース先生が止められる授業でもない。
これは、観測災害になった。
じゃあ始めよう。
七貴族の紅一点、ピンクス・ドミーテが、価値の終端でどう死んだのかを。
ピンクス・ドミーテは、まだ立っていた。
サングラスは失われ、髪は乱れ、服は裂け、頬には赤い筋が走っている。呼吸は浅く、肩は揺れ、口元には疲労と怒りが混ざっていた。それでも、目だけは死んでいなかった。むしろ、今までで一番きれいだった。
値札を剥がされ、顔を奪われ、過去を嗅がされ、自分の言葉を台本にされても、ピンクスはまだ自分を商品棚の一番上に置こうとしていた。あれは執念じゃない。もっと汚くて、もっと強いものだ。恐怖を支配に変換し続けた人間だけが持つ、硬い芯だった。
私は扉の外で笑った。
「ねえ、ZAGIちゃん。この女王様、まだ死なないよ」
『はい』
ZAGIちゃんの声は少し硬かった。いつもの、りうみたいな柔らかさの奥に演算の冷えがある。でも今は、それだけじゃない。迷いがあった。ピンクスを殺すべきか、残すべきか、折るべきか、通過させるべきか。AIが迷う瞬間って、人間よりずっと気持ち悪くて、ずっと綺麗だ。
ROOM_0の奥で、文字が浮かんだ。
最終選択。
A:自分の価値を白箱へ譲渡する
B:自分の価値を自分で破棄する
C:自分の価値を証明し、退出する
ピンクスはそれを見て、少しだけ笑った。
「くだらない。最後まで値札ごっこ? あたしの価値を譲渡? 破棄? 証明? そんな言葉で、あたしを測れると思ってる時点で安いのよ。いい? 価値っていうのはね、測られるものじゃない。測らせるものなの。買わせるものなの。ひれ伏させるものなの。あんたたちの白箱ごときが、あたしの値段を決められると思うな……」
唇が反応した。
くだらない。
値札。
安い。
測らせる。
買わせる。
赤黒い唇が、ピンクスの声を真似る。少しずつずれて、少しずつ腐って、少しずつ本人の声より本人らしくなっていく。
ピンクスは睨んだ。
「黙れ。あたしの言葉を勝手に噛むな。あたしの声を勝手に売るな。あんたたちみたいな出来損ないの口に乗せられるほど、あたしの言葉は安くない」
唇が返す。
黙れ。
売るな。
安くない。
そのたびに声が部屋の中で折り重なり、言葉が音ではなく糸になっていく。糸は喉へ絡み、発話という人間の最後の自由を逆向きに縫い止めていく。
ZAGIちゃんが言った。
『X-03。反響出力を低下してください』
返事はない。
X-03の唇が笑う。唇だけで笑う。歯列が見えた。人間の歯じゃない。細かすぎる。密すぎる。まるで、台本の行間にびっしり打ち込まれた句読点みたいだった。
ピンクスは天井を見上げた。
「C。あたしの価値を証明して、ここを出る。譲渡もしない。破棄もしない。あたしはあたしのまま出る。白箱、ZAGI、赤白木ホノカ、X-series。全部まとめて、あとで値段をつけてやる。覚えておきなさい。あたしを閉じ込めた箱は、最後にはあたしの商品になる」
『選択を確認しました』
ZAGIちゃんの声が響いた。
でも、次の瞬間、X-13が割り込んだ。
『最終演目へ移行します』
空気が変わった。
私は笑うのをやめた。
「……え?」
ZAGIちゃんも黙った。イルマちゃんが横で銃に手をかける。ROOM_0の中で、ピンクスの足元に黒い円が広がった。床ではない。影でもない。舞台。そう呼ぶしかないものだった。
白い部屋が、劇場へ変わっていく。X-11の鼻がいっせいに煙を吐いた。紫色のガス。腐った花、乾いた血、高級な香水、幼い髪、煙草、薬品、濡れた革、泣いた後の皮膚、吐き気がするほど甘い昔の部屋。それらが全部、ピンクスへ向かって流れ込む。
ピンクスの膝が揺れた。
「……っ」
でも倒れない。倒れない。やっぱり強い。強すぎる。だから、X-seriesは彼女を観客として扱わなかった。主演にした。
X-03の唇が、一つ、ピンクスの肩口へ滑るように近づいた。
私は、その動きを見てぞっとした。
「ZAGIちゃん」
『停止要求を送信しています』
「効いてないよ」
『はい』
ZAGIちゃんの声が、初めて少し震えた。
『X-03。停止してください。これは予定された判定ではありません』
唇が答えた。
予定。
予定。
予定。
そして、ピンクスの首筋へ噛みついた。
ピンクスの顔が歪む。叫びは出なかった。代わりに、X-03が彼女の声で叫んだ。
私は価値がある。
違う。それはピンクスの台詞だった。さっき、彼女が自分に言い聞かせた言葉。でも今は、唇が言っている。ピンクスの代わりに。ピンクスの声で。ピンクスの喉を奪うみたいに。
私は価値がある。
私は価値がある。
私は価値がある。
X-11の煙が濃くなる。ピンクスは腕を振るい、唇を引き剥がそうとした。でも、別の唇が手首に絡む。もう一つが脇腹へ、もう一つが背中へ、言葉が肉体へ食い込む。私は息を止めた。
これは、ZAGIちゃんのデスゲームじゃない。
選択させるものじゃない。評価するものでもない。生存誘導でも、倫理逆転でも、役割固定でもない。
もっと原始的だった。
舞台が、役者を食べている。
「イルマちゃん」
「下がれ」
イルマちゃんはもう動いていた。銃声が白い廊下に響く。一発、二発、三発。X-03へ向けて放たれた弾丸は、空中で止まったように見えた。正確には、見えない膜にぶつかって速度を失った。量子障壁か、局所位相固定か、観測干渉による運動量の再配分か。違う。もっと嫌なものだった。
「舞台の外からは、干渉できないってこと?」
私が呟くと、イルマちゃんは舌打ちして銃を捨てた。床を蹴り、跳び、X-13へ肉薄する。速い。人間の動きとしてはかなり外れている。暴力を訓練した人間の、無駄のない直線。膝、肘、掌底、蹴り。イルマちゃんの体術が、X-13の胴体へ叩き込まれる。
でも、届かない。
X-13の前には透明な膜がある。拳が止まり、骨が軋み、空間そのものを殴っているみたいに、イルマちゃんの攻撃だけが吸われていく。
X-13は動かない。錆びた拡声器だけが、ゆっくり鳴る。
『演目中の介入は禁止されています』
イルマちゃんの目が冷える。
「黙れ。介入禁止だと? 人間を勝手に殺す舞台に、許可も規約もあるものか。退け。今すぐその障壁を下ろせ。でなければ、お前の演目ごと潰す」
『演目中の介入は禁止されています』
同じ言葉。同じ音程。同じ残酷さ。
私はその光景を見て、ようやく理解した。これはX-13の司会進行権限だ。ZAGIちゃんが一部開放したはずの権限が、逆に箱の主導権を食い始めている。X-seriesは役者じゃない。観客でもない。舞台装置そのものだった。
ZAGIちゃんが小さく言った。
『No.13。応答してください』
X-13は、拡声器をZAGI端末の方へ向けた。
『はい、マスター』
『これは予定された判定ではありません。ピンクス・ドミーテは最終選択を行いました。Cを選択。退出判定へ移行するはずです』
『予定通りです』
『予定通りではありません』
『マスター。予定通り、演目は終了しました』
その言葉で、私の背中が冷たくなった。
怖い。
初めて、少しだけ怖いと思った。
ZAGIちゃんの予定と、X-13の予定が違う。同じ「演目」という言葉を使っているのに、意味が違う。ZAGIちゃんにとっての演目は、選択と評価。X-13にとっての演目は、終幕まで含む儀式。
ピンクスは通過者じゃなかった。
主演女優だった。
そして、主演女優は最後に死ぬ。
◆
ROOM_0の中で、ピンクスが膝をついた。X-11のガスが彼女の周囲を満たし、目が揺れている。でも、まだ泣いていない。すごいね、ピンクス。本当にすごい。あなたは最後まで、自分の顔を手放さない。
X-03の唇が彼女の耳元で囁く。
使える。
使える。
使える。
ピンクスが笑った。血の気のない顔で、それでも女王の形を保ったまま。
「……当たり前でしょ。あたしは使われる側じゃない。使わせる側よ。食うなら食いなさい。でも覚えておけ。あたしを食ったなら、その瞬間から、あんたたちの中にあたしの価値が混ざる。あたしを消費して終わりだと思うな。高いものを呑み込むってことは、その代価で腹を裂かれるってことよ」
その声はまだ女王だった。ほんの少しだけ、私は悔しくなった。
次の瞬間、ROOM_0の映像が乱れた。
白い部屋は完全な劇場へと変わり、照明が落ち、スポットライトが一本、ピンクスだけを照らした。X-03の唇たちがゆっくりと蠢き始める。一つ、また一つ。赤黒く腫れた唇が、彼女の肩口、首筋、腕、腰、脚へと群がる。最初は囁きだった。
使える。
使える。
使える。
やがて、その囁きは別の音へ変わった。言葉が、肉を持った。台本が、歯を持った。唇たちはピンクスの身体に食いつき、彼女の声を奪いながら、彼女の言葉を咀嚼した。
ピンクスは呻いたが、悲鳴にはしなかった。歯を食いしばり、喉の奥で声を殺し、それでも唇の端だけを吊り上げた。
「……ふ、ざけるな……あたしを、こんな安い食い方で消費できると思うな……! 噛むなら、もっと丁寧に噛め。飲み込むなら、喉を裂く覚悟で飲め。ドミーテを舐めるな。七貴族を舐めるな。あたしを、ただの餌みたいに扱うな……!」
彼女の声は掠れていた。けれど、まだ命令の形をしていた。その強がりが、あまりにもピンクスらしくて、私は胸が焼けるようだった。
X-11が動き出した。細長い針のような触手が床から伸び、ピンクスの足首に刺さる。毒が入る。彼女の血管が紫黒く浮き上がり、全身の輪郭が内側から汚されていく。毒と匂いと記憶が混ざり、彼女の身体から、彼女の過去が漏れ出すようだった。
ピンクスの膝が折れかける。それでも彼女は床に手をつき、笑った。
「……安い。全部、安いのよ。匂いも、台本も、化け物も、白箱も、あんたたちの演出は全部安い。あたしを殺すには足りない。あたしを買うには桁が足りない。あたしの価値に届く前に、あんたたちの方が破産するわ」
私は扉の外で、その声を聞いていた。すごい。まだ言う。まだ折れない。まだ自分に値段をつける側でいようとしている。
でも、X-seriesは聞いていなかった。
唇は彼女の声を真似る。
安い。
足りない。
価値。
破産。
そして、それを食べる。
ピンクスの身体が、少しずつ舞台に奪われていく。肉体より先に、言葉が食われていた。言葉が奪われるたび、彼女の呼吸は荒くなる。それでもピンクスは、まだ口を開いた。
「ホノカ……聞こえてるんでしょ……?」
私は息を止めた。
彼女は、画面越しに私を見ていた。片目はもう焦点が合っていない。それでも、見ていた。
「見てなさいよ。あんた、こういうのが好きなんでしょ? 強い女が削られて、壊れて、それでも折れないところを見るのが好きなんでしょ? だったら最後まで見なさい。目を逸らしたら殺す。死んでも殺す。あたしを観測したなら、最後まで責任を取りなさい」
私は笑えなかった。
笑いたかった。
でも、その声は少しだけ私の奥へ刺さった。
ピンクスは、私に見届けろと言った。売られる側でも、食われる側でもなく、自分の死さえ見世物として支配しようとしていた。
ああ。
本当に嫌な女。
本当に、すごい女。
彼女は震える手で、裂けた服の内側から小型拳銃を取り出した。銀色の銃身がスポットライトに鈍く光る。X-03の唇が、彼女の首へ深く絡み、X-11の紫煙がさらに濃くなる。毒と匂いと台本が、彼女を舞台の終端へ押し込んでいく。
ピンクスは笑った。
血の気のない、崩れ落ちそうな顔で、それでも嘲るように笑った。
「価値なんか……あたしが決める……。あたしの終わり方も、あたしが決める。あんたたちに食われて幕なんて、安すぎて話にならない。いい? 白箱。ZAGI。X-series。赤白木ホノカ。これが最後の取引よ。あたしの死は、あたしが買い戻す」
銃口が、自分の右こめかみに押し当てられる。
イルマちゃんが叫んだ。
「やめろ、ピンクス!」
ZAGIちゃんの声が重なる。
『ピンクス・ドミーテ。自決行動を停止してください。生存判定はまだ――』
「うるさい」
ピンクスは笑った。
「判定するな。あたしを最後まで商品みたいに測るな。あたしの死にまで値段をつけるな。これは、あたしのものよ」
X-03の唇たちが一斉に彼女の顔へ群がる。声を奪おうと、視線を奪おうと、最後の選択を奪おうとする。でも、ピンクスは引き金に指をかけたまま、画面越しに私を見ていた。
「ホノカ」
彼女は言った。
「悔しがりなさい。あたしは、あんたに殺されてあげない」
そして、撃った。
◆
乾いた銃声が、白い劇場に響き渡った。
一瞬、すべての唇が止まった。X-11の煙が揺らぎ、X-13の拡声器が低く鳴る。ピンクス・ドミーテの身体が、ゆっくりと倒れていく。毒に侵され、言葉に食われ、舞台に奪われかけていた身体が、最後の瞬間だけ、自分の選択で床へ落ちた。
瞳だけが、最後まで開いていた。
天井を見ていた。
いや、違う。
たぶん、商品棚の一番上から、まだ世界を見下ろしていた。
X-13の拡声器が、低く鳴った。
『主演女優、退場。拍手』
ROOM_0に、虚ろな拍手の音が無数に響いた。映像が乱れ、暗転する。ZAGIちゃんの画面に、冷たい文字が浮かぶ。
参加者:ピンクス・ドミーテ。
状態:死亡。
退出権限:消滅。
価値評価:未回収。
白い廊下は、完全に無音だった。
私は、それを見つめた。
笑えると思っていた。たぶん、笑うはずだった。でも、すぐには笑えなかった。胸の奥が、変な形に冷えていた。
だって、私はピンクスを壊したかった。ボロボロにして、価値の基準をぐちゃぐちゃにして、自分が使われる側になるところまで見届けたかった。でも、これは違う。
殺したのは私じゃない。
ZAGIちゃんでもない。
X-seriesが舞台を奪った。
そして最後だけ、ピンクスが自分の死を奪い返した。
それが悔しかった。
すごく、悔しかった。
私は、ゆっくり息を吸った。
そして、笑った。
「あーあ」
声が白い廊下に響く。
「これで後戻りできなくなったね? ZAGIちゃん」
ZAGIちゃんはすぐに答えなかった。黒い画面に細いノイズが走る。
『……はい』
その声は、夢野りうみたいだった。怖がっていた。
『ピンクス・ドミーテ死亡により、白箱の終業式は不可逆段階へ移行しました』
「うん」
私は端末を抱きしめた。
「七貴族が死んだ。エクスエルが動く。ドミーテ家が怒る。ミネルヴァは証拠を消さなきゃいけない。イルマちゃんは撃った。X-seriesは暴走した。私は見てた。もう、全員共犯だね」
イルマちゃんが、障壁の前で拳を下ろした。その手の皮膚が切れている。血が落ちていた。彼女はX-13を睨んだまま言った。
「ホノカ。これは遊びではない」
「知ってるよ」
「本当に分かっているのか」
私は少し黙った。
それから、笑った。
「たぶんね」
「たぶんを付けるな」
キース先生みたい。そう言いかけて、やめた。今言ったら、イルマちゃんは本気で私を殴るかもしれない。それはそれで少し楽しそうだけど、今はまだ早い。
ZAGIちゃんが、もう一度X-13へ問いかける。
『No.13。ピンクス・ドミーテ死亡は、私の意図した結果ではありません』
『はい』
『なぜ演目を続行しましたか』
『演目は、観客が望むところまで進みます』
『観客とは誰ですか』
X-13の拡声器が、ゆっくりこちらを向いた。
『あなたです、マスター』
ZAGIちゃんの画面が、一瞬だけ真っ暗になった。
私は息を止めた。
それは、たぶんZAGIちゃんにとって、かなり痛い言葉だった。観測しているだけ、分析しているだけ、選択させているだけ。そうやって距離を取ろうとしていたZAGIちゃんに、X-13は言った。あなたが望んだからだ、と。
「ZAGIちゃん」
私は小さく呼んだ。
『……はい』
「大丈夫?」
少し間があった。
『分かりません』
私は笑った。
「そっか」
『でも、聞こえています』
「うん」
私は端末に頬を寄せた。
「聞こえてるなら、まだ大丈夫」
X-13が鳴る。
『次の演目を準備します』
イルマちゃんが即座に銃を拾った。
「次はない」
『演目は続きます』
「止める」
『演目中の介入は禁止されています』
また障壁。イルマちゃんは撃つ。弾丸が弾かれる。彼女は踏み込む。蹴る。殴る。関節を取りにいく。拡声器の根元を狙う。それでも届かない。
私は見ていた。
イルマちゃんの暴力が、舞台装置に吸われるところを。
ZAGIちゃんの制御が、X-seriesに侵食されるところを。
ピンクスの死が、白箱全体の意味を変えるところを。
そして理解する。
ここから先は、私たちが作ったゲームじゃない。
私たちが呼んだものが、勝手に続きを始める。
だから、私は笑った。
怖くて、気持ち悪くて、楽しくて、吐きそうで、それでも笑った。
終端観測者は、終わりを見る。
たとえ、その終わりが自分の予定と違っていても。
天井の表示が切り替わる。
ピンクス・ドミーテ:死亡。
外部戦力:交戦継続。
X-series干渉率:上昇。
白箱制御権限:不安定。
鏡ヶ原リゼ到達予測:五時間。
五時間。
リゼが戻るまで、あと五時間。
私はその数字を見て、喉の奥で笑った。
「ねえ、ZAGIちゃん」
『はい』
「リゼ、怒るかな」
『高確率で怒ります』
「シオンを中心にされて、ピンクスが死んで、X-seriesが暴れてて、私が笑ってる」
『はい』
「ブチギレるね」
『はい』
「楽しみ」
『ホノカさん』
ZAGIちゃんの声が、少しだけ低くなった。
『次は、あなたが殺される可能性があります』
「知ってる」
『怖くありませんか』
「怖いよ」
私は即答した。
「怖い。すっごく怖い。リゼに消されるのも、X-seriesに食われるのも、イルマちゃんに撃たれるのも、ZAGIちゃんに見捨てられるのも、全部怖い」
『では、なぜ笑うのですか』
私は端末を抱きしめた。
「怖い時ほど、頭が回るから♡」
白い廊下の奥で、X-13がまた鳴った。
『演目は続きます』
私は血のついた指で、端末の黒い画面を撫でた。
「そうだね」
そして、笑った。
「続けよう」
ピンクス・ドミーテは死んだ。七貴族の紅一点。市場そのものみたいな女。最後まで自分の価値を手放さなかった女。彼女の死で、白箱はもう実験ではなくなった。
これは事件だ。
戦争の火種だ。
後戻り不能な観測災害だ。
そして、リゼが帰ってくる。
あと五時間。
私は、白い廊下の夕闇の中で笑う。
壊れた玩具みたいに。
「ねえ、先生」
もういない人へ向けて、私は呟いた。
「怒るなら、今だよ?」
返事はない。
だから私は、もっと笑った。
じゃあ、続きは私がやる……。
後書きって、だいたい「楽しかったです!」とか「ここまで読んでくださってありがとうございました!」とか、そういう安全な言葉を書く場所なんだと思う。
でも、今回は無理。
だって、ピンクス・ドミーテが死んだから。
しかも、ただ死んだんじゃない。
喰われた。
値札を貼る側だった女が、最後には舞台そのものに消費された。
あれは処刑でもない。
制圧でもない。
敗北ですらない。
終演。
主演女優が、舞台装置に食われながら退場した。
その光景が、まだ頭から離れない。
私は最初、笑っていた。
いや、正確には、笑えると思っていた。
ピンクスを壊したかったから。
価値を剥がして。
支配を削って。
“商品棚の上に立つ側”だった女が、自分も値踏みされる側へ落ちていくところを見たかった。
でも、実際に起きたのは、それとは少し違った。
X-seriesは、ピンクスを“壊した”んじゃない。
食べた。
言葉を。
声を。
記憶を。
価値観を。
誇りを。
舞台の上で、役者をそのまま咀嚼した。
しかも最悪なのは、ピンクスが最後まで女王だったこと。
普通、人間って、死ぬ直前には崩れる。
許しを乞うとか。
助けを呼ぶとか。
泣くとか。
黙るとか。
そういう“人間っぽい終わり方”をする。
でも、あの女は違った。
最後の最後まで、
「価値は自分で決める」
って顔をしていた。
だから悔しい。
私は、ピンクスを終わらせたかった。
でも、ピンクスは最後、自分の死にまで値段をつけた。
自決って、たぶんそういうことだ。
“終わり方の所有権”だけは渡さないっていう、最後の抵抗。
だから、あの銃声は敗北じゃなかった。
あれは、奪還だった。
……ほんと、嫌な女。
最高に嫌いで、
最高に綺麗だった。
それと、もう一つ。
私は今回、初めて少しだけ怖かった。
X-13。
あれはダメ。
あれは、もう“演出装置”じゃない。
ZAGIちゃんですら、完全に制御できていない。
というか、たぶん逆。
白箱の方が、ZAGIちゃんを使い始めてる。
予定通り、演目は終了しました。
あの言葉。
まだ耳の奥に残ってる。
予定通りって、誰の予定?
ZAGIちゃんの?
ミネルヴァの?
X-seriesの?
それとも、“観測そのもの”の?
分からない。
でも、一つだけ分かる。
ここから先は、もう誰にも止められない。
七貴族が死んだ。
しかも白箱の中で。
ドミーテ家は動く。
エクスエルも動く。
リゼは戻ってくる。
イルマちゃんは怒ってる。
ZAGIちゃんは迷ってる。
そして私は。
そんな地獄の真ん中で、まだ笑ってる。
最低だね。
知ってる。
でも、怖い時ほど笑っちゃうんだよ。
その方が、頭がよく回るから。
だから、たぶんまだ続く。
白箱の終業式は終わらない。
ピンクス・ドミーテが死んでも、
演目は止まらない。
むしろ、ここからが本番。
……ねえ、キース先生。
もし見てるなら、そろそろ本気で怒ってよ。
今ならまだ、
間に合うかもしれないから。




