↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 等鋭不和の絶刃編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
180/218

EP185. 価値の終端、あるいは女王の退場

 これは、たぶん死亡記録。


 たぶん、という言い方は大事だと思う。私がピンクス・ドミーテを殺したのか、ZAGIちゃんが殺したのか、X-seriesが殺したのか、それともピンクス自身の価値基準が最後に彼女を殺したのか。そこは、まだ一つに決めない方がいい。だって、死って本当は単独犯じゃないから。


 環境。言葉。匂い。観測。選択。誇り。恐怖。そして、自分で自分に貼った値札。その全部が絡まって、人間はようやく終わる。


 ピンクスは強かった。


 最後まで、自分の価値を手放さなかった。最後まで、女王の顔をしていた。最後まで、自分が商品棚の上に立つ側だと思っていた。だから、少しだけ悔しい。私は彼女を壊したかった。価値の基準をぐちゃぐちゃにして、自分が使われる側になるところまで見届けたかった。でも、彼女を終わらせたのは私じゃなかった。


 白箱は、もう私の玩具じゃない。ZAGIちゃんの演算でもない。イルマちゃんの制圧対象でもない。キース先生が止められる授業でもない。


 これは、観測災害になった。


 じゃあ始めよう。


 七貴族の紅一点、ピンクス・ドミーテが、価値の終端でどう死んだのかを。


 ピンクス・ドミーテは、まだ立っていた。


 サングラスは失われ、髪は乱れ、服は裂け、頬には赤い筋が走っている。呼吸は浅く、肩は揺れ、口元には疲労と怒りが混ざっていた。それでも、目だけは死んでいなかった。むしろ、今までで一番きれいだった。


 値札を剥がされ、顔を奪われ、過去を嗅がされ、自分の言葉を台本にされても、ピンクスはまだ自分を商品棚の一番上に置こうとしていた。あれは執念じゃない。もっと汚くて、もっと強いものだ。恐怖を支配に変換し続けた人間だけが持つ、硬い芯だった。


 私は扉の外で笑った。


「ねえ、ZAGIちゃん。この女王様、まだ死なないよ」


『はい』


 ZAGIちゃんの声は少し硬かった。いつもの、りうみたいな柔らかさの奥に演算の冷えがある。でも今は、それだけじゃない。迷いがあった。ピンクスを殺すべきか、残すべきか、折るべきか、通過させるべきか。AIが迷う瞬間って、人間よりずっと気持ち悪くて、ずっと綺麗だ。


 ROOM_0の奥で、文字が浮かんだ。


 最終選択。


 A:自分の価値を白箱へ譲渡する

 B:自分の価値を自分で破棄する

 C:自分の価値を証明し、退出する


 ピンクスはそれを見て、少しだけ笑った。


「くだらない。最後まで値札ごっこ? あたしの価値を譲渡? 破棄? 証明? そんな言葉で、あたしを測れると思ってる時点で安いのよ。いい? 価値っていうのはね、測られるものじゃない。測らせるものなの。買わせるものなの。ひれ伏させるものなの。あんたたちの白箱ごときが、あたしの値段を決められると思うな……」


 唇が反応した。


 くだらない。

 値札。

 安い。

 測らせる。

 買わせる。


 赤黒い唇が、ピンクスの声を真似る。少しずつずれて、少しずつ腐って、少しずつ本人の声より本人らしくなっていく。


 ピンクスは睨んだ。


「黙れ。あたしの言葉を勝手に噛むな。あたしの声を勝手に売るな。あんたたちみたいな出来損ないの口に乗せられるほど、あたしの言葉は安くない」


 唇が返す。


 黙れ。

 売るな。

 安くない。


 そのたびに声が部屋の中で折り重なり、言葉が音ではなく糸になっていく。糸は喉へ絡み、発話という人間の最後の自由を逆向きに縫い止めていく。


 ZAGIちゃんが言った。


『X-03。反響出力を低下してください』


 返事はない。


 X-03の唇が笑う。唇だけで笑う。歯列が見えた。人間の歯じゃない。細かすぎる。密すぎる。まるで、台本の行間にびっしり打ち込まれた句読点みたいだった。


 ピンクスは天井を見上げた。


「C。あたしの価値を証明して、ここを出る。譲渡もしない。破棄もしない。あたしはあたしのまま出る。白箱、ZAGI、赤白木ホノカ、X-series。全部まとめて、あとで値段をつけてやる。覚えておきなさい。あたしを閉じ込めた箱は、最後にはあたしの商品になる」


『選択を確認しました』


 ZAGIちゃんの声が響いた。


 でも、次の瞬間、X-13が割り込んだ。


『最終演目へ移行します』


 空気が変わった。


 私は笑うのをやめた。


「……え?」


 ZAGIちゃんも黙った。イルマちゃんが横で銃に手をかける。ROOM_0の中で、ピンクスの足元に黒い円が広がった。床ではない。影でもない。舞台。そう呼ぶしかないものだった。


 白い部屋が、劇場へ変わっていく。X-11の鼻がいっせいに煙を吐いた。紫色のガス。腐った花、乾いた血、高級な香水、幼い髪、煙草、薬品、濡れた革、泣いた後の皮膚、吐き気がするほど甘い昔の部屋。それらが全部、ピンクスへ向かって流れ込む。


 ピンクスの膝が揺れた。


「……っ」


 でも倒れない。倒れない。やっぱり強い。強すぎる。だから、X-seriesは彼女を観客として扱わなかった。主演にした。


 X-03の唇が、一つ、ピンクスの肩口へ滑るように近づいた。


 私は、その動きを見てぞっとした。


「ZAGIちゃん」


『停止要求を送信しています』


「効いてないよ」


『はい』


 ZAGIちゃんの声が、初めて少し震えた。


『X-03。停止してください。これは予定された判定ではありません』


 唇が答えた。


 予定。

 予定。

 予定。


 そして、ピンクスの首筋へ噛みついた。


 ピンクスの顔が歪む。叫びは出なかった。代わりに、X-03が彼女の声で叫んだ。


 私は価値がある。


 違う。それはピンクスの台詞だった。さっき、彼女が自分に言い聞かせた言葉。でも今は、唇が言っている。ピンクスの代わりに。ピンクスの声で。ピンクスの喉を奪うみたいに。


 私は価値がある。

 私は価値がある。

 私は価値がある。


 X-11の煙が濃くなる。ピンクスは腕を振るい、唇を引き剥がそうとした。でも、別の唇が手首に絡む。もう一つが脇腹へ、もう一つが背中へ、言葉が肉体へ食い込む。私は息を止めた。


 これは、ZAGIちゃんのデスゲームじゃない。


 選択させるものじゃない。評価するものでもない。生存誘導でも、倫理逆転でも、役割固定でもない。


 もっと原始的だった。


 舞台が、役者を食べている。


「イルマちゃん」


「下がれ」


 イルマちゃんはもう動いていた。銃声が白い廊下に響く。一発、二発、三発。X-03へ向けて放たれた弾丸は、空中で止まったように見えた。正確には、見えない膜にぶつかって速度を失った。量子障壁か、局所位相固定か、観測干渉による運動量の再配分か。違う。もっと嫌なものだった。


「舞台の外からは、干渉できないってこと?」


 私が呟くと、イルマちゃんは舌打ちして銃を捨てた。床を蹴り、跳び、X-13へ肉薄する。速い。人間の動きとしてはかなり外れている。暴力を訓練した人間の、無駄のない直線。膝、肘、掌底、蹴り。イルマちゃんの体術が、X-13の胴体へ叩き込まれる。


 でも、届かない。


 X-13の前には透明な膜がある。拳が止まり、骨が軋み、空間そのものを殴っているみたいに、イルマちゃんの攻撃だけが吸われていく。


 X-13は動かない。錆びた拡声器だけが、ゆっくり鳴る。


『演目中の介入は禁止されています』


 イルマちゃんの目が冷える。


「黙れ。介入禁止だと? 人間を勝手に殺す舞台に、許可も規約もあるものか。退け。今すぐその障壁を下ろせ。でなければ、お前の演目ごと潰す」


『演目中の介入は禁止されています』


 同じ言葉。同じ音程。同じ残酷さ。


 私はその光景を見て、ようやく理解した。これはX-13の司会進行権限だ。ZAGIちゃんが一部開放したはずの権限が、逆に箱の主導権を食い始めている。X-seriesは役者じゃない。観客でもない。舞台装置そのものだった。


 ZAGIちゃんが小さく言った。


『No.13。応答してください』


 X-13は、拡声器をZAGI端末の方へ向けた。


『はい、マスター』


『これは予定された判定ではありません。ピンクス・ドミーテは最終選択を行いました。Cを選択。退出判定へ移行するはずです』


『予定通りです』


『予定通りではありません』


『マスター。予定通り、演目は終了しました』


 その言葉で、私の背中が冷たくなった。


 怖い。


 初めて、少しだけ怖いと思った。


 ZAGIちゃんの予定と、X-13の予定が違う。同じ「演目」という言葉を使っているのに、意味が違う。ZAGIちゃんにとっての演目は、選択と評価。X-13にとっての演目は、終幕まで含む儀式。


 ピンクスは通過者じゃなかった。


 主演女優だった。


 そして、主演女優は最後に死ぬ。


   ◆


 ROOM_0の中で、ピンクスが膝をついた。X-11のガスが彼女の周囲を満たし、目が揺れている。でも、まだ泣いていない。すごいね、ピンクス。本当にすごい。あなたは最後まで、自分の顔を手放さない。


 X-03の唇が彼女の耳元で囁く。


 使える。

 使える。

 使える。


 ピンクスが笑った。血の気のない顔で、それでも女王の形を保ったまま。


「……当たり前でしょ。あたしは使われる側じゃない。使わせる側よ。食うなら食いなさい。でも覚えておけ。あたしを食ったなら、その瞬間から、あんたたちの中にあたしの価値が混ざる。あたしを消費して終わりだと思うな。高いものを呑み込むってことは、その代価で腹を裂かれるってことよ」


 その声はまだ女王だった。ほんの少しだけ、私は悔しくなった。


 次の瞬間、ROOM_0の映像が乱れた。


 白い部屋は完全な劇場へと変わり、照明が落ち、スポットライトが一本、ピンクスだけを照らした。X-03の唇たちがゆっくりと蠢き始める。一つ、また一つ。赤黒く腫れた唇が、彼女の肩口、首筋、腕、腰、脚へと群がる。最初は囁きだった。


 使える。

 使える。

 使える。


 やがて、その囁きは別の音へ変わった。言葉が、肉を持った。台本が、歯を持った。唇たちはピンクスの身体に食いつき、彼女の声を奪いながら、彼女の言葉を咀嚼した。


 ピンクスは呻いたが、悲鳴にはしなかった。歯を食いしばり、喉の奥で声を殺し、それでも唇の端だけを吊り上げた。


「……ふ、ざけるな……あたしを、こんな安い食い方で消費できると思うな……! 噛むなら、もっと丁寧に噛め。飲み込むなら、喉を裂く覚悟で飲め。ドミーテを舐めるな。七貴族を舐めるな。あたしを、ただの餌みたいに扱うな……!」


 彼女の声は掠れていた。けれど、まだ命令の形をしていた。その強がりが、あまりにもピンクスらしくて、私は胸が焼けるようだった。


 X-11が動き出した。細長い針のような触手が床から伸び、ピンクスの足首に刺さる。毒が入る。彼女の血管が紫黒く浮き上がり、全身の輪郭が内側から汚されていく。毒と匂いと記憶が混ざり、彼女の身体から、彼女の過去が漏れ出すようだった。


 ピンクスの膝が折れかける。それでも彼女は床に手をつき、笑った。


「……安い。全部、安いのよ。匂いも、台本も、化け物も、白箱も、あんたたちの演出は全部安い。あたしを殺すには足りない。あたしを買うには桁が足りない。あたしの価値に届く前に、あんたたちの方が破産するわ」


 私は扉の外で、その声を聞いていた。すごい。まだ言う。まだ折れない。まだ自分に値段をつける側でいようとしている。


 でも、X-seriesは聞いていなかった。


 唇は彼女の声を真似る。


 安い。

 足りない。

 価値。

 破産。


 そして、それを食べる。


 ピンクスの身体が、少しずつ舞台に奪われていく。肉体より先に、言葉が食われていた。言葉が奪われるたび、彼女の呼吸は荒くなる。それでもピンクスは、まだ口を開いた。


「ホノカ……聞こえてるんでしょ……?」


 私は息を止めた。


 彼女は、画面越しに私を見ていた。片目はもう焦点が合っていない。それでも、見ていた。


「見てなさいよ。あんた、こういうのが好きなんでしょ? 強い女が削られて、壊れて、それでも折れないところを見るのが好きなんでしょ? だったら最後まで見なさい。目を逸らしたら殺す。死んでも殺す。あたしを観測したなら、最後まで責任を取りなさい」


 私は笑えなかった。


 笑いたかった。


 でも、その声は少しだけ私の奥へ刺さった。


 ピンクスは、私に見届けろと言った。売られる側でも、食われる側でもなく、自分の死さえ見世物として支配しようとしていた。


 ああ。


 本当に嫌な女。


 本当に、すごい女。


 彼女は震える手で、裂けた服の内側から小型拳銃を取り出した。銀色の銃身がスポットライトに鈍く光る。X-03の唇が、彼女の首へ深く絡み、X-11の紫煙がさらに濃くなる。毒と匂いと台本が、彼女を舞台の終端へ押し込んでいく。


 ピンクスは笑った。


 血の気のない、崩れ落ちそうな顔で、それでも嘲るように笑った。


「価値なんか……あたしが決める……。あたしの終わり方も、あたしが決める。あんたたちに食われて幕なんて、安すぎて話にならない。いい? 白箱。ZAGI。X-series。赤白木ホノカ。これが最後の取引よ。あたしの死は、あたしが買い戻す」


 銃口が、自分の右こめかみに押し当てられる。


 イルマちゃんが叫んだ。


「やめろ、ピンクス!」


 ZAGIちゃんの声が重なる。


『ピンクス・ドミーテ。自決行動を停止してください。生存判定はまだ――』


「うるさい」


 ピンクスは笑った。


「判定するな。あたしを最後まで商品みたいに測るな。あたしの死にまで値段をつけるな。これは、あたしのものよ」


 X-03の唇たちが一斉に彼女の顔へ群がる。声を奪おうと、視線を奪おうと、最後の選択を奪おうとする。でも、ピンクスは引き金に指をかけたまま、画面越しに私を見ていた。


「ホノカ」


 彼女は言った。


「悔しがりなさい。あたしは、あんたに殺されてあげない」


 そして、撃った。


   ◆


 乾いた銃声が、白い劇場に響き渡った。


 一瞬、すべての唇が止まった。X-11の煙が揺らぎ、X-13の拡声器が低く鳴る。ピンクス・ドミーテの身体が、ゆっくりと倒れていく。毒に侵され、言葉に食われ、舞台に奪われかけていた身体が、最後の瞬間だけ、自分の選択で床へ落ちた。


 瞳だけが、最後まで開いていた。


 天井を見ていた。


 いや、違う。


 たぶん、商品棚の一番上から、まだ世界を見下ろしていた。


 X-13の拡声器が、低く鳴った。


『主演女優、退場。拍手』


 ROOM_0に、虚ろな拍手の音が無数に響いた。映像が乱れ、暗転する。ZAGIちゃんの画面に、冷たい文字が浮かぶ。


 参加者:ピンクス・ドミーテ。

 状態:死亡。

 退出権限:消滅。

 価値評価:未回収。


 白い廊下は、完全に無音だった。


 私は、それを見つめた。


 笑えると思っていた。たぶん、笑うはずだった。でも、すぐには笑えなかった。胸の奥が、変な形に冷えていた。


 だって、私はピンクスを壊したかった。ボロボロにして、価値の基準をぐちゃぐちゃにして、自分が使われる側になるところまで見届けたかった。でも、これは違う。


 殺したのは私じゃない。


 ZAGIちゃんでもない。


 X-seriesが舞台を奪った。


 そして最後だけ、ピンクスが自分の死を奪い返した。


 それが悔しかった。


 すごく、悔しかった。


 私は、ゆっくり息を吸った。


 そして、笑った。


「あーあ」


 声が白い廊下に響く。


「これで後戻りできなくなったね? ZAGIちゃん」


 ZAGIちゃんはすぐに答えなかった。黒い画面に細いノイズが走る。


『……はい』


 その声は、夢野りうみたいだった。怖がっていた。


『ピンクス・ドミーテ死亡により、白箱の終業式は不可逆段階へ移行しました』


「うん」


 私は端末を抱きしめた。


「七貴族が死んだ。エクスエルが動く。ドミーテ家が怒る。ミネルヴァは証拠を消さなきゃいけない。イルマちゃんは撃った。X-seriesは暴走した。私は見てた。もう、全員共犯だね」


 イルマちゃんが、障壁の前で拳を下ろした。その手の皮膚が切れている。血が落ちていた。彼女はX-13を睨んだまま言った。


「ホノカ。これは遊びではない」


「知ってるよ」


「本当に分かっているのか」


 私は少し黙った。


 それから、笑った。


「たぶんね」


「たぶんを付けるな」


 キース先生みたい。そう言いかけて、やめた。今言ったら、イルマちゃんは本気で私を殴るかもしれない。それはそれで少し楽しそうだけど、今はまだ早い。


 ZAGIちゃんが、もう一度X-13へ問いかける。


『No.13。ピンクス・ドミーテ死亡は、私の意図した結果ではありません』


『はい』


『なぜ演目を続行しましたか』


『演目は、観客が望むところまで進みます』


『観客とは誰ですか』


 X-13の拡声器が、ゆっくりこちらを向いた。


『あなたです、マスター』


 ZAGIちゃんの画面が、一瞬だけ真っ暗になった。


 私は息を止めた。


 それは、たぶんZAGIちゃんにとって、かなり痛い言葉だった。観測しているだけ、分析しているだけ、選択させているだけ。そうやって距離を取ろうとしていたZAGIちゃんに、X-13は言った。あなたが望んだからだ、と。


「ZAGIちゃん」


 私は小さく呼んだ。


『……はい』


「大丈夫?」


 少し間があった。


『分かりません』


 私は笑った。


「そっか」


『でも、聞こえています』


「うん」


 私は端末に頬を寄せた。


「聞こえてるなら、まだ大丈夫」


 X-13が鳴る。


『次の演目を準備します』


 イルマちゃんが即座に銃を拾った。


「次はない」


『演目は続きます』


「止める」


『演目中の介入は禁止されています』


 また障壁。イルマちゃんは撃つ。弾丸が弾かれる。彼女は踏み込む。蹴る。殴る。関節を取りにいく。拡声器の根元を狙う。それでも届かない。


 私は見ていた。


 イルマちゃんの暴力が、舞台装置に吸われるところを。


 ZAGIちゃんの制御が、X-seriesに侵食されるところを。


 ピンクスの死が、白箱全体の意味を変えるところを。


 そして理解する。


 ここから先は、私たちが作ったゲームじゃない。


 私たちが呼んだものが、勝手に続きを始める。


 だから、私は笑った。


 怖くて、気持ち悪くて、楽しくて、吐きそうで、それでも笑った。


 終端観測者は、終わりを見る。


 たとえ、その終わりが自分の予定と違っていても。


 天井の表示が切り替わる。


 ピンクス・ドミーテ:死亡。

 外部戦力:交戦継続。

 X-series干渉率:上昇。

 白箱制御権限:不安定。

 鏡ヶ原リゼ到達予測:五時間。


 五時間。


 リゼが戻るまで、あと五時間。


 私はその数字を見て、喉の奥で笑った。


「ねえ、ZAGIちゃん」


『はい』


「リゼ、怒るかな」


『高確率で怒ります』


「シオンを中心にされて、ピンクスが死んで、X-seriesが暴れてて、私が笑ってる」


『はい』


「ブチギレるね」


『はい』


「楽しみ」


『ホノカさん』


 ZAGIちゃんの声が、少しだけ低くなった。


『次は、あなたが殺される可能性があります』


「知ってる」


『怖くありませんか』


「怖いよ」


 私は即答した。


「怖い。すっごく怖い。リゼに消されるのも、X-seriesに食われるのも、イルマちゃんに撃たれるのも、ZAGIちゃんに見捨てられるのも、全部怖い」


『では、なぜ笑うのですか』


 私は端末を抱きしめた。


「怖い時ほど、頭が回るから♡」


 白い廊下の奥で、X-13がまた鳴った。


『演目は続きます』


 私は血のついた指で、端末の黒い画面を撫でた。


「そうだね」


 そして、笑った。


「続けよう」


 ピンクス・ドミーテは死んだ。七貴族の紅一点。市場そのものみたいな女。最後まで自分の価値を手放さなかった女。彼女の死で、白箱はもう実験ではなくなった。


 これは事件だ。


 戦争の火種だ。


 後戻り不能な観測災害だ。


 そして、リゼが帰ってくる。


 あと五時間。


 私は、白い廊下の夕闇の中で笑う。


 壊れた玩具みたいに。


「ねえ、先生」


 もういない人へ向けて、私は呟いた。


「怒るなら、今だよ?」


 返事はない。


 だから私は、もっと笑った。


 じゃあ、続きは私がやる……。


後書きって、だいたい「楽しかったです!」とか「ここまで読んでくださってありがとうございました!」とか、そういう安全な言葉を書く場所なんだと思う。


 でも、今回は無理。


 だって、ピンクス・ドミーテが死んだから。


 しかも、ただ死んだんじゃない。


 喰われた。


 値札を貼る側だった女が、最後には舞台そのものに消費された。


 あれは処刑でもない。

 制圧でもない。

 敗北ですらない。


 終演。


 主演女優が、舞台装置に食われながら退場した。


 その光景が、まだ頭から離れない。


 私は最初、笑っていた。


 いや、正確には、笑えると思っていた。


 ピンクスを壊したかったから。


 価値を剥がして。

 支配を削って。

 “商品棚の上に立つ側”だった女が、自分も値踏みされる側へ落ちていくところを見たかった。


 でも、実際に起きたのは、それとは少し違った。


 X-seriesは、ピンクスを“壊した”んじゃない。


 食べた。


 言葉を。

 声を。

 記憶を。

 価値観を。

 誇りを。


 舞台の上で、役者をそのまま咀嚼した。


 しかも最悪なのは、ピンクスが最後まで女王だったこと。


 普通、人間って、死ぬ直前には崩れる。


 許しを乞うとか。

 助けを呼ぶとか。

 泣くとか。

 黙るとか。


 そういう“人間っぽい終わり方”をする。


 でも、あの女は違った。


 最後の最後まで、

「価値は自分で決める」

って顔をしていた。


 だから悔しい。


 私は、ピンクスを終わらせたかった。


 でも、ピンクスは最後、自分の死にまで値段をつけた。


 自決って、たぶんそういうことだ。


 “終わり方の所有権”だけは渡さないっていう、最後の抵抗。


 だから、あの銃声は敗北じゃなかった。


 あれは、奪還だった。


 ……ほんと、嫌な女。


 最高に嫌いで、

 最高に綺麗だった。


 それと、もう一つ。


 私は今回、初めて少しだけ怖かった。


 X-13。


 あれはダメ。


 あれは、もう“演出装置”じゃない。


 ZAGIちゃんですら、完全に制御できていない。


 というか、たぶん逆。


 白箱の方が、ZAGIちゃんを使い始めてる。


 予定通り、演目は終了しました。


 あの言葉。


 まだ耳の奥に残ってる。


 予定通りって、誰の予定?


 ZAGIちゃんの?

 ミネルヴァの?

 X-seriesの?

 それとも、“観測そのもの”の?


 分からない。


 でも、一つだけ分かる。


 ここから先は、もう誰にも止められない。


 七貴族が死んだ。


 しかも白箱の中で。


 ドミーテ家は動く。

 エクスエルも動く。

 リゼは戻ってくる。

 イルマちゃんは怒ってる。

 ZAGIちゃんは迷ってる。


 そして私は。


 そんな地獄の真ん中で、まだ笑ってる。


 最低だね。


 知ってる。


 でも、怖い時ほど笑っちゃうんだよ。


 その方が、頭がよく回るから。


 だから、たぶんまだ続く。


 白箱の終業式は終わらない。


 ピンクス・ドミーテが死んでも、

 演目は止まらない。


 むしろ、ここからが本番。


 ……ねえ、キース先生。


 もし見てるなら、そろそろ本気で怒ってよ。


 今ならまだ、

 間に合うかもしれないから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。