EP183. ROOM_0――価値ある女王
これは、たぶん価値測定の記録。
ピンクス・ドミーテは、箱に入れられても折れなかった。
そこが、少し腹立たしくて。
少し嬉しくて。
すごく綺麗だった。
使えるか。
使えないか。
彼女がずっと世界に貼ってきた値札を、今度は彼女自身の首にかける。
ROOM_0は、小さな部屋。
三つの扉。
白い壁。
逃げ場のない選択肢。
でも本当は、部屋が彼女を試しているんじゃない。
彼女の中にある市場が、彼女自身をどう評価するのか。
それを、私とZAGIちゃんが覗くだけ。
ねえ、ピンクス。
あなたは女王?
商品?
それとも、まだ値段のつかない怪物?
じゃあ、始めよう。
価値ある女王の、最初の試験を。
ROOM_0の扉が閉じた瞬間、ピンクス・ドミーテは笑った。
怒りじゃない。
恐怖でもない。
まず、笑った。
それが、いかにも彼女らしかった。
普通の人間なら、出口を探す。
少し賢い人間なら、壁の材質、換気、監視カメラ、音の反響を確認する。
もっと訓練された人間なら、心拍を落とし、情報を待つ。
でも、ピンクスは笑った。
「……へえ」
隔壁越しに、歪んだ声が聞こえる。
私は扉の外側に手を添えたまま、耳を澄ませた。
自分が閉じ込められたという事実に、まだ屈していない。
さすが、七貴族。
さすが、犯罪を市場にした女。
箱に入れられても、まず自分が商品なのか、売り手なのか、買い手なのかを確認する。
いい。
すごくいい。
私は扉に頬を寄せて笑った。
「ねえ、ZAGIちゃん。映して」
『はい』
ROOM_0の内部映像が、廊下の白壁に投影された。
白い正方形の部屋。
中央にピンクス。
三つの扉。
A。
B。
C。
それ以外には何もない。
何もない、というのは情報量が少ないという意味じゃない。
むしろ逆。
削ぎ落とされた空間では、被験者の内側だけが過剰に増幅される。
外部刺激がない。
逃避対象がない。
責任を転嫁するノイズがない。
だから、自分の選択だけが、異様に大きく聞こえる。
ピンクスは部屋を一周見た。
歩幅は一定。
呼吸も崩れていない。
視線は壁、床、天井、扉、角、換気口の順。
いいね。
戦闘後なのに、まだ観察が死んでない。
普通なら、さっきのX-13の音響打撃で前庭感覚が狂ってる。
でもピンクスは、身体の揺れを片足荷重で殺していた。
ちゃんと訓練されてる。
ちゃんと地獄を知ってる。
ちゃんと、人を地獄へ落としてきた側の身体だ。
『ROOM_0、第一試験を開始します』
ZAGIちゃんの声が、天井から落ちた。
柔らかい声。
少し内気で、少し照れたような、夢野りうの声。
なのに、その声は死の部屋を起動する。
この落差。
ほんと気持ち悪くて、可愛くて、最悪で、ぞくぞくする。
ピンクスは天井を見上げた。
サングラスはもうない。
ハート型のピンクのレンズに隠していた瞳が、剥き出しになっている。
「あんたがZAGI?」
『はい。聞こえています』
「可愛い声して、趣味悪いね」
『よく言われます』
「へえ。じゃあ、あたしを出しなさい。お前……デリートするぞ?」
『退出条件を満たしてください』
ピンクスは唇の端を上げた。
「条件?」
『三つの扉から一つを選択してください』
「ハズレは?」
『あります』
「当たりは?」
『あります』
「じゃあ簡単じゃん」
『ただし、当たりは扉の先にありません』
ピンクスの目が細くなる。
私は笑った。
「いいね、ZAGIちゃん。そういう意地悪な言い方、好き」
『好き、は論理評価ではありません』
「でも嬉しい?」
『……少しだけ』
横でイルマちゃんが低く息を吐いた。
「遊ぶな」
「遊んでないよ。観測してるだけ」
「それを遊びと言う」
「先生みたいなこと言うね」
イルマちゃんは黙った。
今のは効いた。
キース先生。
たぶん今ここにいたら、胃が痛そうな顔で言う。
「ホノカ。試験対象を煽るな。必要以上に傷つけるな。
お前は“相手の本質を引き出す”と言えば何でも許されると思っている」
うん。
思ってる。
私は扉の冷たさに指を滑らせた。
だって、本質って、普通にしてたら出てこない。
殴って。
追い詰めて。
選ばせて。
奪って。
それでもまだ残るものだけが、本当だから。
◆
ROOM_0の壁面に、黒い文字が浮かぶ。
問:あなたに価値がある理由を選択してください。
A:血統
B:資産
C:支配
ピンクスは黙った。
一・七秒。
短い。
でも、充分。
自分の価値を、外から提示された三択に押し込められた瞬間、脳はまず拒絶する。
拒絶。
再分類。
反撃。
ピンクスは、その三つを一・七秒で終えた。
優秀。
「くだらない」
『選択してください』
「全部」
『無効回答です』
「だから、全部だって言ってるの。血統も、資産も、支配も、全部あたしの価値。
どれか一つに削れっていうなら、出題者の頭が悪い。くたばれ」
『ROOM_0は単一選択式です』
「だったらROOM_0が安物なのよ。はい終了、次」
ああ。
やっぱりこの女、強い。
部屋のルールに従う前に、部屋の値段を下げようとしている。
試験を受けるのではなく、試験そのものを市場評価に落とす。
ピンクスの基本戦術は単純だ。
価値づけ。
値踏み。
所有。
流通。
世界を商品棚に変えれば、彼女は常に上に立てる。
でも、ZAGIちゃんはそれを許さない。
『再警告。選択してください』
ピンクスの指が、ぴくりと動いた。
怒り。
でも、まだ表に出さない。
彼女は分かっている。
ここで怒れば読まれる。
怒りは行動予測の材料になる。
行動予測は支配の入口になる。
だから、笑う。
「じゃあC。支配」
『選択を確認しました』
Cの扉が開いた。
ピンクスは迷わず進む。
背筋は伸びている。
顎は下がっていない。
足音も一定。
でも、右手の指先だけが少し硬い。
怒ってる。
いいよ。
もっと怒って。
でも、扉の先に通路はなかった。
◆
壁一面の鏡。
そこに映っていたのは、ピンクス自身ではない。
外周部隊だった。
ミネルヴァ外縁でX-seriesと交戦している、ピンクスの私兵たち。
ヘルメットカメラ。
生体反応。
弾薬残量。
薬剤投与履歴。
撤退可能経路。
通信品質。
負傷率。
恐怖反応係数。
それらが鏡面の奥に、商品タグみたいに並んでいる。
『支配とは、対象が従うことで成立します』
ZAGIちゃんが言った。
ピンクスの声が低くなる。
「……何が言いたいの?」
『あなたの部下のうち、三名を切り捨てれば、次の扉が開きます』
ピンクスは笑った。
「あははは……それ、試験のつもり?」
『はい』
「部下なんて、使えるか使えないか。それだけでしょ?」
『では選択してください』
壁面に、部下たちの詳細が流れる。
戦闘能力。
忠誠度。
薬剤適性。
交渉技能。
残存装備。
負傷状況。
生存可能性。
ドミーテ家への依存度。
ピンクス本人への恐怖反応係数。
あまりにも実務的だった。
ピンクスの表情が、わずかに歪む。
彼女は、部下を切ることに迷っているんじゃない。
自分の棚卸し情報を、ZAGIちゃんにここまで読まれていることに腹を立てている。
「……勝手に私の商品棚を覗くな。クソAI」
『ここでは、あなたも棚の中です』
ピンクスの瞳が冷える。
殺意。
でも、この殺意はZAGIちゃんに届かない。
だから彼女の呼吸が、ほんの少しだけ乱れる。
「ホノカ」
ピンクスが壁ではなく、カメラへ視線を向けた。
あ。
気づいた。
この部屋に、私がいること。
「見てんでしょ?」
「見てるよー」
私の声が、ROOM_0内部へ少しだけ流れた。
ZAGIちゃん、やったね?
最悪。
最高。
ピンクスは口元を歪めた。
「趣味悪いね、お前」
「あはっ。よく言われる」
「これで私が泣くと思った?」
「ううん」
私は扉に指を這わせる。
「あなたが泣くなら、もっと綺麗なタイミングがいい」
「キモ」
「ありがとう♡」
ピンクスは三名を選んだ。
速い。
迷いはなかった。
でも、無感情ではなかった。
合理的に切った。
でも、切らされたことは覚えている。
そこが大事。
ROOM_0は、ピンクスに残酷な選択をさせたいんじゃない。
ピンクスが普段やっていることを、ピンクス自身の身体に近い距離で再演させている。
支配とは切断である。
その定義を、彼女の指でなぞらせている。
外部映像で、三名の装備系統が遮断される。
撤退支援が切られる。
電子迷彩が解除される。
救難信号が後回しにされる。
X-seriesの群れが、その隙間へ雪崩れ込んだ。
通信の向こうで、短い悲鳴が三つ潰れる。
イルマちゃんが低く言った。
「ZAGI」
『直接殺害ではありません。支援配分の再定義です』
「詭弁だ」
『はい』
即答。
ちょっと笑った。
私はピンクスを見ていた。
鏡の前に立つ女王。
顔色は変えない。
背筋も折れない。
膝も揺れない。
でも、呼吸が少しだけ乱れている。
支配者は、切り捨てることに慣れている。
でも、“切り捨てた瞬間を見られる”ことには慣れていない。
ここには観客がいる。
私がいる。
イルマちゃんがいる。
ZAGIちゃんがいる。
X-13がいる。
そして、たぶんミネルヴァそのものが見ている。
観測圧。
見られることで、行為は役割になる。
ピンクスは今、“切り捨てる女王”として固定された。
『第一試験、通過』
鏡が割れた。
◆
次の部屋。
黒い椅子が一脚だけ置かれていた。
椅子の上には、ハート型のサングラス。
さっき割れたものと同じ形。
ただし、新品。
ピンクスはそれを見て、舌打ちした。
『第二試験です』
「今度は何?」
『あなたの顔を選択してください』
壁に三つの映像が浮かぶ。
A:冷徹な女王
B:可愛い少女
C:価値のない被験者
ピンクスの頬が、ほんの少しだけ引き攣った。
私は扉の外で、手を叩きそうになった。
えぐい。
ZAGIちゃん、ほんとえぐい。
ピンクスはずっと、顔を使ってきた。
可愛い少女の顔。
軽薄な笑顔。
ハート型のサングラス。
甘い声。
派手な服。
冗談みたいな仕草。
でも、その内側には女王がいる。
冷徹な管理者がいる。
“使えるか、使えないか”で世界を切る市場の獣がいる。
その二重性が、ピンクスの強みだった。
でもROOM_0は、その二重性を三択に分解した。
選べ。
冷徹な女王か。
可愛い少女か。
価値のない被験者か。
どれも正解じゃない。
だから、どれを選んでも欠ける。
ピンクスは笑った。
「お前はあたしにCを選ばせたいんでしょ?」
『選択は自由です』
「嘘つけ、このクソAI」
『はい』
「素直じゃん」
『夢野りうは、嘘が苦手でした』
空気が、ほんの少しだけ変わった。
私の笑いが止まりかける。
夢野りう。
また、その名前。
胸の奥に、放送室の白いノイズが走る。
たぶん私は、何かを忘れている。
でも思い出したら、笑えなくなる気がする。
だから私は笑った。
「あはっ。ZAGIちゃん、今の言い方かわいい」
『かわいい、ですか』
「うん。ちょっと寂しそう」
『……それは、ログにありません』
「じゃあ今できたんだね」
ピンクスが冷たく言った。
「知らない奴の話をするな」
『失礼しました』
ピンクスは椅子の上のサングラスを踏み潰した。
ばきん。
ハート型のフレームが砕ける。
「選ばない。あたしは、あたし」
『無効回答です』
「無効で結構」
その瞬間、部屋の酸素濃度が下がった。
ピンクスの肩が、ほんの少し揺れる。
『未選択ペナルティ。酸素減算を開始します』
「……っ。本気であたしを殺すつもりか?」
「それ、私もさっき聞きたかったなー」
私は笑う。
「ピンクス、私の首、結構本気で潰してたよね?」
「黙ってろ、化け物」
ピンクスは天井を睨んだ。
「やるじゃん」
『ありがとうございます』
「褒めてない」
『すみません』
私は笑いながら、背筋が甘く痺れた。
ピンクスは強い。
ここでCを選べば屈辱。
Aを選べば可愛さを捨てる。
Bを選べば女王性が揺らぐ。
だから、選ばない。
自分で自分を定義しようとする。
でも、この箱では“選ばない”も選択になる。
選択回避は、自由意思の証明じゃない。
環境への支払い拒否だ。
そして、支払いを拒否すれば、部屋は酸素で請求してくる。
『酸素濃度、低下中』
ピンクスは呼吸を整える。
過呼吸にしない。
胸郭の動きを最小化する。
視線の運動量を落とす。
無駄な筋収縮を減らす。
おそらく、軽い低酸素訓練の経験がある。
この女、地獄に慣れている。
でも、ROOM_0の怖さは酸素じゃない。
選択肢の意味が、じわじわ変わること。
壁に新しい文字が浮かぶ。
『残り酸素で維持できる顔は、一つだけです』
A:冷徹な女王
B:可愛い少女
C:価値のない被験者
ピンクスの唇が乾いた。
彼女は、長く黙らなかった。
「A」
『選択を確認しました』
その瞬間、BとCの映像が消える。
部屋に空気が戻った。
ピンクスは膝をつかなかった。
でも、額に汗が浮いていた。
私はにこにこしながら呟く。
「えらいね、女王様。可愛い顔、捨てちゃった」
聞こえていないはずなのに、ピンクスがこちらを見た。
錯覚じゃない。
ROOM_0は、私の声を中に少しだけ漏らしている。
ピンクスが笑う。
でも、その笑顔はさっきより硬い。
「ホノカ。出たらお前の顔、百回潰す」
「百回で足りる?」
「……ほんと面倒くせえな、お前」
「あはっ。飽きないでね?」
『第二試験、通過』
床が沈む。
◆
第三の部屋が現れる。
そこには、何もなかった。
本当に何もない。
白い空間。
ただし、中央にひとつだけ文字。
あなたを使う者を選んでください。
A:エクスエル
B:ドミーテ家
C:赤白木ホノカ
ピンクスの表情が完全に消えた。
私は扉の外で笑った。
「あは」
喉が鳴る。
「あははははは」
イルマちゃんが私を見る。
「悪趣味だ」
「ZAGIちゃんがやったんだよ?」
『ホノカさんの発話傾向を参照しました』
「ほら、共犯だってさ!」
「最悪の共犯関係だな」
「照れる」
「褒めていない」
この選択は、今までと質が違う。
血統でも資産でも支配でもない。
自分が使う側だと思っていたピンクスに、自分を使う主体を選ばせる。
完全な反転。
使えるか。
使えないか。
その基準で世界を裁いてきた女が、今度は自分自身を“誰に使われる商品か”として分類される。
ピンクスの指が震えた。
怒り。
屈辱。
殺意。
でも、その全部が選択を遅らせる。
『未選択時間が増加しています』
「黙れ」
『聞こえています』
「黙れって言ってんの」
『それは命令ですか』
「命令よ」
『ROOM_0内における命令権限は、現在あなたにありません』
ピンクスが壁を殴った。
白い壁に小さな亀裂が走る。
でも、部屋は壊れない。
逆に、壁が文字を返す。
――あなたは、今、誰の所有物ですか?
ピンクスは笑った。
笑ったけど、声が壊れていた。
「私は、誰のものでもない」
『無効回答です』
「違う!!」
『無効回答です』
「違う!!」
叫び。
初めての焦り。
私は、その音にうっとりした。
市場そのものみたいな女が、自分の値札を剥がそうとしている。
でも剥がれない。
なぜならROOM_0は、彼女の価値を否定していないから。
むしろ、徹底的に価値として扱っている。
価値あるものには所有者がいる。
所有者がいない価値は、奪われる。
奪われたくないなら、自分の帰属先を選べ。
その理屈が、ピンクスには効く。
『選択してください』
長い沈黙。
そして。
「……A」
エクスエル。
彼女は、自分を国家のものとして選んだ。
ドミーテ家でもなく。
私でもなく。
エクスエル。
それは敗北じゃない。
ピンクスなりの逃げ道。
私は個人に所有されない。
家にすら還元されない。
国家規模の価値である。
そういう回答。
ZAGIちゃんが数秒黙った。
『第三試験、条件付き通過』
私は目を細めた。
「条件付き?」
『はい』
ROOM_0の壁に最後の文字が浮かぶ。
――国家は、あなたを救いに来ますか?
ピンクスの顔が、わずかに歪んだ。
いい。
ここが核心。
ピンクスは価値がある。
高すぎるほどある。
でも、価値があることと、救われることは別。
市場では、価値あるものほど奪われる。
国家では、価値あるものほど利用される。
犯罪シンジゲートでは、価値あるものほど交換される。
救われるとは限らない。
ピンクスは笑った。
「来るわよ。当たり前でしょ?」
『根拠は』
「あたしには価値があるから」
『価値の高さは、救助優先度と一致しません』
「一致させるのよ。あたしが」
『現在、あなたはROOM_0内にいます』
「出ればいい」
『退出条件を満たしてください』
ピンクスは天井を睨んだ。
そして、初めて本気で笑った。
「あははは……あんた、気に入った」
『ありがとうございます』
「褒めてない」
『すみません』
彼女は右手で壁に触れた。
呼吸は乱れている。
サングラスはない。
額には汗。
服は乱れている。
でも、目は死んでいない。
「赤白木ホノカ」
彼女が、私の名を呼んだ。
隔壁越しに。
「聞こえてるか?」
私は扉に頬を寄せた。
「聞こえてるよ、ピンクス」
「出たら、まずお前達の顔を潰す」
「わあ、楽しみ」
『私は壊れにくいです』
「あんたにも言ってるのよ、ZAGI」
『聞こえています』
「最後に、この箱を買う」
私は一瞬、笑いを止めた。
「買う?」
ピンクスは笑った。
「そう。値段をつける。所有する。流通させる。
あんたたちが作ったこの悪趣味な箱、あたしの市場に乗せてあげる」
イルマちゃんが低く息を吐いた。
私は、胸がぞくっとした。
この女、折れてない。
折れるどころか、箱そのものを商品化しようとしている。
『ピンクス・ドミーテの市場支配反応を確認』
ZAGIちゃんが言った。
『ROOM_0、最終判定へ移行します』
白い部屋が暗くなる。
◆
三つの扉が再び現れる。
A:出る
B:残る
C:買う
ピンクスは迷わなかった。
「C」
その瞬間、ROOM_0が震えた。
ピンクスは出ることを選ばなかった。
残ることも選ばなかった。
買うことを選んだ。
箱のルールに屈するのではなく、箱を市場へ落とす選択。
ZAGIちゃんが沈黙した。
私は笑った。
「すごいね、ピンクス」
扉のロックが、ひとつ外れる。
でも、完全には開かない。
『最終判定:生存』
ピンクスは、白い部屋の中で立っていた。
息は荒い。
額には汗。
瞳は剥き出し。
支配者の仮面は、半分剥がれている。
でも、生きている。
『ただし、退出権限は保留』
「は?」
『あなたはROOM_0を攻略しました。しかし、ROOM_0はあなたをまだ評価中です』
ピンクスの口元が引き攣る。
私は扉の外で、ゆっくり笑った。
「よかったね、ピンクス」
私は囁く。
「死の部屋からは、まだ出られないみたい」
天井のスピーカーから、X-13の錆びた声が流れる。
『次の演目へ移行します』
私は扉に額を当てた。
少し、血がついた。
ピンクスのいる白い部屋の向こう側へ、甘く声を投げる。
「頑張って、女王様」
そして、私は笑った。
ピンクスは、生き残った。
悔しいくらいに。
嬉しいくらいに。
支配を選び。
顔を選び。
国家を選び。
最後には、箱から出ることじゃなく、箱を買うことを選んだ。
ああ、本当に嫌な女。
普通なら、壊れる。
少し強い人間なら、怒る。
もっと強い人間なら、脱出を選ぶ。
でもピンクスは違った。
自分を閉じ込めた箱に、値段をつけようとした。
つまり、まだ支配する側でいるつもりなんだ。
だからROOM_0は、彼女を外へ出さなかった。
生存。
でも退出不可。
うん、すごく正しい。
だってこの箱は、EXIT:CODEの系譜。
出口は、外にあるとは限らない。
出口は、内側。
出口は、選択。
出口は、観測。
出口は、たぶん、誰かの絶望。
……やだな。
ちょっと、りうの声がした。
でも私は笑った。
笑っていれば、大丈夫。
たぶん。
ピンクス・ドミーテは、まだ測り終わっていない。
女王様は、まだ商品棚の上で暴れている。
私は扉の外で笑っていた。
額の血が少し乾いて。
ZAGIちゃんが観測して。
X-13が次の演目を告げて。
そして私は、思った。
やっぱりピンクスは使える。
だから、まだ殺さない。
まだ出さない。
まだ遊ぶ。
ねえ、女王様。
次は、いくらで売れるかな?




