EP182. 女王が商品棚に落ちる日
これは、たぶん開幕記録。
ピンクス・ドミーテが来た。
三分早く一人で取り巻きを外に置いて。
自分だけは、箱の外に立てると思い込んで。
かわいいよね。
支配者って、自分が支配する側だと信じている間だけ綺麗なんだよ。
でも、いったん選ばれる側に置かれると、急に人間っぽくなる。
怒る。
疑う。
値踏みする。
そして、自分が値踏みされていることに気づいて、少しだけ壊れる。
私はそれが見たかった。
キース先生なら、たぶん止めた。
イルマちゃんは、きっと止めるか迷った。
ZAGIちゃんは、観測した。
そして、X-13は、演目を始めた。
だから私は笑った。
七貴族の紅一点が、白い箱に落ちる瞬間を。
ねえ、ピンクス。
あなたは、使えるの?
それとも、使われるの?
じゃあ、始めよう。
白箱の終業式・第一幕を。
白箱の終業式・第一幕
――ピンクス・ドミーテ入室
ピンクス・ドミーテは、予定より三分早く来た。
たった三分だけど、支配者にとっては大事な数字だ。
遅れれば、待たされた側になる。
定刻なら、招かれた側になる。
早く着けば、場を奪う側になる。
だからピンクスは、三分早く来た。
七貴族の紅一点。
犯罪を産業化し、暴力を市場に変え、恐怖に値札を貼る女の子♡
取り巻きたちは、施設外周に散ったらしい。
武装車両。
通信妨害。
薬理制圧班。
回収部隊。
たぶん、シオンを運び出すための専用ケースまで用意している。
でも、本人は一人で入ってきた。
舐めている。
ううん。舐めているように見せている。
ピンクスは、そういう女だ。
「取り巻き付きで来たら警戒される。ひとりで来たら、逆に怖いでしょ?」
たぶん、そういう計算。
すっごく、かわいいよ♡
私はZAGI端末を抱えたまま、隔離棟連絡廊下の影に立っていた。
白い廊下の照明は、すでに通常モードではない。
完全な白ではなく、少しだけ夕闇に寄っている。
ZAGIちゃんが施設の照明制御に触れてから、ミネルヴァはゆっくり呼吸を変え始めていた。
空調のリズム。
非常灯の点滅間隔。
監視カメラの首振り。
扉の開閉音。
職員用端末の応答遅延。
全部が、少しずつズレている。
ミネルヴァが起きたんじゃない。
ミネルヴァが、箱になり始めた。
『外部侵入者、確認』
ZAGIちゃんの声がした。
夢野りうの声。
柔らかくて、少しだけ怖がっていて、でもその奥で計算だけが底なしに冷たい声。
『ピンクス・ドミーテ。単独入室。外部随伴戦力は施設外周に配置。施設内への直接同行なし』
「偉いねー。ちゃんと一人で来た」
『誘導成功率、八十二パーセント』
「残り十八パーセントは?」
『彼女が最初から施設を破壊対象として扱う場合です』
「それはそれで見たかったなあ」
『おすすめしません』
「ZAGIちゃん、真面目」
『少し怖いので』
私は笑った。
「かわいい」
『かわいい、は論理評価ではありません』
「でも嬉しい?」
『……今は、少しだけ』
⸻
その返答を聞いた直後。
廊下の奥で、足音が止まった。
ピンクスがいた。
ハート型のサングラス。
甘いピンクのレンズ。
金髪の毛先に、毒みたいな桃色。
黒とピンクで固めた服。
少女みたいで、女王みたいで、商品棚の一番高いところに置かれた毒入りキャンディみたいな女の子。
彼女は、廊下を見渡した。
ピンクスは私を一瞬で捉えると、舌打ちを吐いた。
「チッ……お前か。使えねえゴミはさっさと死ねよ」
その音だけで、空気が少し傷つく。
「ああ、面倒……使えるか使えないか……残ってるヤツは使えるヤツ……」
ピンクスは、廊下の白壁に映る監視カメラを一瞥した。
私はゆっくり首を傾げ、優雅に笑った。
「あらあら、挨拶から下品じゃない? どうしちゃったの〜?
ピンクス・ドミーテ。価値基準がいつも以上に下衆で可愛らしいわ♡」
ピンクスが鼻で笑う。
「……てめえ……ゴミの分際で私の名前を汚すんじゃねえよ、このクソビッチ」
「ふふっ、ありがとう。光栄だわ。でもね——」
私は一歩近づき、甘く囁いた。
「ここでは、あなたこそが商品棚に並べられる側よ? 気づいていないの?」
私は両手を後ろに回し、少し首を傾げた。
壁に黒い文字が浮かび上がる。
RULE 01 ― “使える者だけが残る。”
ピンクスの眉がピクリと動いた。
「は? 私の言葉をパクりやがって……」
「きゃはは……パクるだなんて。あなたが吐いた下品な言葉を、ただそのままルールに仕立てただけだよ?
文句があるなら、自分のその汚い口をもう少し閉じたら? ねえ、女王様?」
ピンクスが牙を剥き、凄む。
「生意気な小汚ねえ雌犬が……! 価値もねえクソが……ぶっ殺してやるよ、このアマ」
⸻
その瞬間、床が鳴った。
ごん、と。
施設のどこかで、巨大なロックが落ちる音。
続けて、廊下の非常扉が一斉に閉まった。
ガン。
ガン。
ガン。
ガン。
白い箱の骨格が組み上がる音だった。
『白箱の終業式、第一幕……準備中』
ZAGIちゃんが言った。
『参加者認証中』
廊下の壁に、黒い文字が浮かぶ。
WELCOME, PINKS DOMITE.
ピンクスのサングラスに、その文字が反射した。
彼女の表情が変わる。
ほんの少しだけ。
支配者が、自分以外の誰かに名前を呼ばれた時の不快。
私は、まるで恋人を愛撫するように愉しげに続けた。
「試しているのはあなたの方でしょう? 一人で入ってきた時点で、もう詰んでいるのよ?
取り巻きを外に撒いて威圧するなんて、浅はかで可愛い計算……♡
ねえ、ZAGIちゃん、教えてあげて?」
『外部随伴戦力との通信、完全遮断。現在、ピンクス・ドミーテは単独参加者です』
ピンクスのサングラスにヒビが走る。
「はぁぁ!? てめえ……ふざけんなよこのクソガキ! 外の連中をどうした!?」
私は彼女の耳元に唇を寄せ、甘く熱い吐息を吹きかけた。
「ほらね。『使えるか使えないか』なんて、あなたの基準で今、あなた自身が値踏みされているの。
気持ち悪いでしょう? 自分が商品になるこの感覚……じっくり味わってよ」
ピンクスが私の手首を乱暴に掴み、捻り上げながら唸る。
「この雌豚が……! 価値ゼロのゴミが、偉そうに偉そうに!
ぶっ殺して、肉片にして、薬の材料にしてやるよクソアマ!」
「んふふっ……あっははは!」
私は痛む手首を優雅に振りほどき、逆にピンクスの頰を指でなぞりながら、蕩けるような声で囁いた。
「そんな汚い言葉を並べて、必死になる姿……本当に可愛いねピンクス♡
七貴族の紅一点が、たった一人の小娘にここまで感情を乱されるなんて。
もっと下品に、もっと汚く罵りなさいよ!!」
ピンクスが私の頭を掴む。
激痛が走るが、私は唇を舐めながら、恍惚と笑った。
「あはっ……! いいわ、その目。その怒り。その屈辱……!!
もっと私を壊したくてたまらないんでしょう?」
「……お前」
次の瞬間、ピンクスは速かった。
見えたけど、避けなかった。
避ける必要がなかったから。
彼女の手が私の顔面を捉える。
細い指。
綺麗な爪。
でも力の入り方が人間を物として扱うそれだった。
頭蓋骨ごと、位置を奪われる。
視界が傾き床が近づく。
そして、叩きつけられた。
白い床に、額と頬が激しくぶつかる。
すっごく痛い。
目の奥で白い火が散る。
鼻の奥に血の匂い。
耳鳴り。
頬が熱い。
ピンクスが私の髪を掴み、顔を極限まで近づけて、毒を吐き捨てる。
「絶対に殺す。価値がゼロになるまで壊して、捨ててやるよこの淫乱ビッチ!!」
私は彼女の唇のすぐ前で、蕩けるような甘い微笑みを浮かべた。
「ふふっ、約束よ? でもその前に、あなたが『使える』ことを証明したら?
さあ、女王様。撤退する? シオンを所有する?
それとも私を今ここで処分する?……できないんでしょう?
だってあなた、今はもう『選ばれる側』だもの。
ほら、跪いて『使ってください』って、おねだりしてみて?」
ピンクスの膝が、私の背中に深く食い込み、床に押し潰す。
いい。最高にいい。
私は床に顔を押しつけられたまま、血の混じった笑みを零した。
「ピンクス……♡ もっと、強く踏みつけて?」
『観測圧、上昇』
ZAGIちゃんが囁く。
『参加者:ピンクス・ドミーテ。役割仮固定――略奪者』
廊下の照明が一斉に落ち、白が濃い夕闇に染まる。
ピンクスが私の頭をさらに強く、床にねじ伏せながら吐き捨てた。
「舐めてんのか?」
「うん、すごく舐めてる」
私は即答し、恍惚と笑う。
「あなたのその必死な顔、最高に興奮するの……」
ピンクスの指が私の頭皮に食い込み、頭蓋が軋む音がした。
痛い。嬉しい。脳が溶けそう。
「でもね、ピンクス」
私は血まみれの唇を舐めながら、甘く囁いた。
「ここはもう、あなたの商品棚じゃないのよ? ただの……玩具箱」
壁の文字が、彼女自身の言葉を映し出す。
RULE 01“使える者だけが残る。”
ピンクスの動きが一瞬、止まった。
ZAGIちゃんが静かに告げる。
『発話由来ルール、形成完了。
ピンクス・ドミーテ。あなたの価値基準を、試験系へ変換します』
「ふざけんなよこの屑AIが! 誰がてめえなんかに値踏みされるかよ!」
私は床に押さえつけられたまま、くすくすと笑った。
白い廊下の奥で複数の扉が開き、施設が巨大な盤面へと姿を変えていく。
『第一試験。価値選別』
ZAGIちゃんの声が、施設全体に優しく、しかし冷たく響いた。
『参加者は、自身が“使える”ことを証明してください』
ピンクスが顔を上げ、床の赤い三つの線を睨みつける。
「くだらねえ……! こんな子供だましで私を嵌めようってのか?」
『選択肢を提示します。撤退。所有。処分』
ピンクスのサングラスに、さらにヒビが広がる。
「撤退? 所有? 処分? ……私が選ばされる側だっていいたいのか?」
私は咳き込みながらゆっくりと体を起こし、血を滴らせた顔で微笑んだ。
「ふふっ……一人で入ってきたのが、致命的な失敗だったわね、ピンクス」
⸻
その直後。
ZAGIちゃんが告げる。
『ピンクス・ドミーテ軍に対し、外部戦力への通信妨害を試行』
外部通信が完全に落ちる音が響いた。
ピンクスの表情が、初めて露骨に歪んだ。
「てめえら……外の連中をどうしやがった、このクソビッチどもが!」
私は口元を押さえ、堪えきれない笑いを零した。
「一人ぼっちになった気分はどう?
七貴族の紅一点が、たった一人の小娘にここまで追い詰められるなんて……本当に可愛いわ」
ピンクスがサングラスを乱暴に外し、私を睨みつける。その目は冷たい炎で燃えていた。
「赤白木ホノカ……てめえ、思ってたよりタチの悪いゴミだな」
「あら、ありがとう♡」
「使い潰すまで生かしてやるよ。骨の髄まで価値を搾り取ってから、捨ててやる」
私は血を拭いながら立ち上がり、彼女に顔を近づけた。
「んふふっ……約束よ?
でもその前に、あなたが『使える』ことを証明して女王様?」
私は立ち上がり両手を広げ、夕闇の廊下で優雅に微笑んだ。
「ようこそ、白箱へ。
ピンクス・ドミーテ——ここから先は、あなたも選ばれる側の玩具よ?」
天井のスピーカーから、ZAGIちゃんの声が降り注ぐ。
『白箱の終業式、第一幕を開始します』
ピンクスの顔が変わっていた。
「……チィ」
舌打ち。
それが、最初の綻び。
ピンクスは割れたサングラス越しに、白い廊下を見た。
ZAGIの制御で落ちた照明。
非常灯の赤。
壁に走る見えない通信線。
そして、私を変な生き物を見るかのように凝視した。
「お前は……なんなんだ? なんで傷が消えている?」
背後から声をかけられたみたいに、私は首を傾げた。
私は自分の胸に指を当てる。
「さあぁ……なんでだろーね?」
その瞬間、ミネルヴァが蠢いた。
比喩じゃない。
廊下の壁が、ほんのわずかに呼吸した。
白い壁面の内側を、黒い線が走る。
非常扉のロックが、段階的に切り替わる。
空調の流量が変わる。
床下の圧力センサーが、沈黙から覚醒する。
教育機関のふりをしていた巨大な箱が、ようやく自分の名前を思い出したみたいだった。
白箱の終業式。
起動。
私の心拍が跳ねる。
扁桃体が危険を鳴らす。
前頭前野が冷たく計算する。
側坐核が報酬を予告する。
島皮質が身体の内側に、痛みと期待の地図を描く。
全部、同じ神経束の上で光る。
私は、壊れているからよく見える。
「お前……何した?」
声が低い。相当怒らせた♡
ああ、気持ちいい……♡
「ピンクス……楽しんで♡」
ピンクスの眉が動いた。
⸻
その直後、廊下の白壁に、亀裂が入った。
物理的な亀裂じゃない。
空間の方が、先に割れた。
白い壁面が、映像ノイズみたいに歪む。
監視映像のフレームが一瞬だけ遅延し、現実の方がデータに追いつけなくなる。
量子観測でいうなら、局所的な状態記述が破綻したみたいな揺らぎ。
いや、そんな難しい言い方をしなくてもいい。
デスゲームの匂いを嗅ぎつけて、墓場から司会者が戻ってきたのだ。
声? いや、声じゃない。
拡声器を通した、錆びた合唱。呪いのスクリーマーが現れた。
『――演目を開始します』
私は息を止めた。
白い廊下の奥に、それは立っていた。
セーラー服。
細い身体。
人間の少女みたいな輪郭。
でも、頭部がない。
代わりに、巨大な拡声器が首から生えている。
錆びた金属。
割れた縁。
内側にこびりついた黒い汚れ。
そこから、人間の悲鳴を楽器にしたみたいな音が滲んでいた。
初めてみた……X-13。
かつて、W1デスゲームの司会進行役。
そして、W2では、岡崎ユウマたちNOXとの交戦履歴を持つ、X-seriesの十三番。
私は思わず笑った。
「ねえ、ZAGIちゃん」
『はい。聞こえています』
「なんで、あんなのがミネルヴァに出てきたの?」
ZAGIちゃんは、少しだけ沈黙した。
その沈黙は、怖がっているというより、懐かしがっているみたいだった。
『X-seriesは、W1由来のデスゲームに引き寄せられます』
「引き寄せられる?」
『はい。そこが、産まれ落ちた故郷のようなものですから』
私は喉の奥で笑った。
「へぇ。化け物にもそんなセンチメンタルなとこあるんだ。うける」
ピンクスは笑わなかった。
彼女は一瞬でX-13を値踏みした。
使えるか。
使えないか。
奪えるか。
壊せるか。
きっと、頭の中でその四択を回していた。
でも遅い。
ここはもうピンクスの市場じゃない。
ZAGIちゃんの箱だ。
『No.13』
ZAGIちゃんの声が、施設全体に広がった。
『進行権限を一部開放します』
X-13の拡声器が、ゆっくりピンクスへ向いた。
『演目を開始します』
次の瞬間。
音が、塊になった。
空気の振動じゃない。
鼓膜を揺らすだけの音じゃない。
もっと深い。
骨伝導。
内耳。
前庭感覚。
脳幹反射。
筋緊張。
心拍同期。
人間の身体が「音」と認識する前の段階に、直接、異常信号を打ち込む。
ピンクスの身体が吹き飛んだ。
背中が壁に叩きつけられ、黒とピンクの服が白い壁に擦れる。
「ッ……!うああぁぁ……っ……!!」
ピンクスが息を詰まらせる。
支配者が、初めて「分からないもの」に殴られた顔。
私は走った。
痛む額も、割れた唇も、叩きつけられた頭の奥で揺れる白いノイズも、全部が気持ちよかった。
ピンクスが立て直す前に、私は彼女の髪を掴んだ。
綺麗な金髪と毛先のピンク、そして甘い毒みたいな色。
「ねえ、ピンクス」
私は彼女の顔を覗き込んだ。
「七貴族ってさ、箱の中でも偉いの?」
ピンクスの目が、私を殺そうとする。
でも、その前に床が開いた。
白い廊下の側面に、黒い入口が現れる。
ROOM_0。
単独または二人用の初期分岐試験。
三択扉。
酸素減算。
慰撫反応計測。
卓上モデルのはずのそれが、ミネルヴァの本物の空間へ再定義されていた。
ZAGIちゃん、ほんと最低。
最高。
私はピンクスの頭を掴んだまま、笑った。
「頑張ってここから出てみてね?」
そして、彼女の髪を掴み上げて、無造作に入口へ叩き込む。
「さっきまでの、お返し♡」
扉が閉まる。
ピンクスの怒鳴り声が、分厚い隔壁の向こうで潰れた。
『ROOM_0、起動』
ZAGIちゃんが言った。
『参加者:ピンクス・ドミーテ』
私は扉に手を添えて、うっとり笑う。
「いってらっしゃい、女王様♡」
その時、外部監視映像が壁に投影された。
ミネルヴァの外でピンクスが連れてきた部隊が、配置を崩している。
理由はすぐ分かった。
X-series。
一体じゃない。
二体でもない。
施設外周の夜の中から、異形が湧いていた。
頭部が壊れたマスコットみたいなもの。
腕が長すぎるもの。
制服だけが人間の記憶を残しているもの。
泣き声を口から吐き続けるもの。
笑い声を弾丸みたいに撒くもの。
ピンクスの部隊が応戦する。
薬剤弾。
閃光。
拘束ネット。
対異常個体用の音響兵器。
でも、X-seriesは止まらない。
まるで、ここが本当に故郷みたいに、嬉しそうに暴れている。
私は画面を見て、ぱちぱち拍手した。
「わあ。お祭りじゃんーん! キース先生にも見せたかったなー」
イルマちゃんが、私の横に立った。
表情は冷たい。
でも、目が少しだけ険しい。
「ホノカ。これは想定外だ……」
「うん。だから楽しい」
「楽しくない……!」
「ねえ、イルマちゃん」
私はROOM_0の閉じた扉を指でなぞりながら言った。
「もしも、ピンクスを殺したら、エクスエルと戦争かな?」
イルマは即答した。
「間違いない」
「あは。やっぱり?」
「七貴族の当主の一人だ。死亡、行方不明、拉致、いずれでも国際案件になる。
ドミーテ家は報復する。エクスエル政府も無関係ではいられない」
「でもさ」
私は振り返る。
「証拠を全部消せたら?」
イルマの目が、明確に変わった。
「……何を言っている」
「だって、ここはミネルヴァでしょ?
記録もログも監視映像も入退室履歴も、生体反応も、全部ある。
それに、ZAGIちゃんもいる」
『観測しています』
ZAGIちゃんが、りうの声で答える。
私は笑う。
「なら、消せるよね? あるいは、別の物語に書き換えられるよね?」
イルマが低く言う。
「ホノカ。それは戦争回避ではない。戦争原因の隠蔽だ……」
「同じじゃない?」
「違う」
「でも、結果が同じなら?」
イルマは黙った。
その沈黙が、すごく重かった。
私は嬉しくなった。
「ねえ、ZAGIちゃん」
『はい』
「ピンクスがここで死んで、証拠が全部消えて、外の部隊もX-seriesとの交戦で壊滅して、
ミネルヴァ側の記録が“外部異常災害”に整形された場合、エクスエルはどう動く?」
『推定します』
黒い画面に文字が走る。
『短期:ドミーテ家による私設報復行動』
『中期:エクスエル政府による調査要求』
『長期:ミネルヴァ関連施設への圧力、または代理戦争化』
「証拠削除で完全回避は?」
『困難です』
「どれくらい?」
『ピンクス・ドミーテの価値が高すぎます。死体がなくても、沈黙が証拠になります』
「沈黙が証拠、かあ」
私はうっとりした。
「詩みたい」
『りうなら、たぶん嫌がります』
「ZAGIちゃんは?」
『少し、分かります』
イルマちゃんが私を見た。
「ホノカ。ピンクスは殺すな」
「命令?」
「警告だ」
「イルマちゃん、優しいね」
「これは優しさではない」
「分かってる。合理性でしょ?」
「そうだ」
「でもね」
ROOM_0の中から、鈍い音がした。
ピンクスが何かを壊している。
私は扉に耳を近づけた。
中で、彼女が怒っている。
その基準で世界を切ってきた女が、今、自分自身の価値を試されている。
その音が、たまらなく綺麗だった。
「イルマちゃん」
「何だ」
「私、まだ殺すとは言ってないよ」
私は笑う。
「彼女をボロボロにして、価値の基準をぐちゃぐちゃにして、
自分が“使われる側”になるところまで見届けたいだけ」
イルマの顔が、わずかに歪んだ。
「それを、殺すより悪いと言うんだ」
「あは」
私は笑った。
天井のスピーカーから、X-13の声が響く。
『演目は、続きます』
ROOM_0の扉に、ピンク色の警告灯が灯った。
ピンクス・ドミーテの第一試験が、始まった。
私は扉に手を当てて、優しく囁いた。
「ねえ、ピンクス」
聞こえないはずなのに、聞かせるように。
「ちゃんと生き残ってね?」
そして、唇を歪める。
「まだ、あなたで遊び足りないから」
ピンクスは、思ったより壊れなかった。
そこがよかった。
すぐ泣く女王なんて、つまらない。
すぐ折れる支配者なんて、安い。
すぐ死ぬ価値なんて、値札を貼る前に腐る。
でもピンクスは違った。
X-seriesを見ても、ZAGIちゃんに値踏みされても、まだ自分を「売る側」だと思っていた。
うん、最高に嫌いで最高に好き。
これで分かった。
白箱は動く。ZAGIちゃんは観測する。
すると、X-seriesは集まる。
イルマちゃんは警戒する。
ピンクスは抗う。
そして私は、まだ笑える。
でも、これで終わりじゃない。
ROOM_0の扉は閉じた。
女王様は中に入った。
ここから先は、彼女の価値を測る時間。
使えるか。
使えないか。
ピンクスが吐いたその言葉を、今度はピンクス自身に返してあげる。
ねえ、女王様、ちゃんと生き残ってね?
まだ、あなたで遊び足りないから。




