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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 等鋭不和の絶刃編

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176/218

EP181. 白箱の終業式 準備編

 これは、たぶん起動記録。


 たぶん、というのは大事。


 私が本当にこの箱を始めたのか。

 それとも、ミネルヴァが最初から箱だったのを、私が名前をつけただけなのか。

 そこは、まだ決めない方が面白い。


 白い廊下。

 死んだキース先生。

 帰ってくるリゼ。

 近づいてくるピンクス。

 怪物を連れたファクトリーの脱走者たち。

 そして、夢野りうの声で喋るZAGIちゃん。


 役者は、揃いすぎていた。


 普通の人なら、逃げる。

 まともな人なら、止める。

 先生なら、きっと怒る。


 でも、先生はもういない。


 だったら、私が続きを始めるしかないよね?


 これは復讐じゃない。

 たぶん、授業でもない。

 もっと悪い。


 誰も外側に立てない箱を、白い教育機関の中にもう一度定義し直す話。


 じゃあ、始めよう。


 白箱の終業式を。


 ――ミネルヴァ教育機関/Λ区画・隔離棟連絡廊下


 記録者:赤白木ホノカ


 私は、バリバリ戦闘モードに入っていた。


 戦闘、と言っても、拳を握って突っ込むような可愛いものじゃない。

 人間が「まだ大丈夫」と思い込むあらゆるものを全部、頭の中でばらばらにして、もう一度組み直す。


 私の脳は、壊れている時ほどよく回るから♡


 扁桃体は燃えている。

 前頭前野は冷えている。

 海馬は欠損した記憶を探している。

 側坐核は報酬を待っている。

 帯状皮質は矛盾を拾っている。


 私は笑う。


 だって、最高に気持ち悪いくらい、頭が澄んでいるから。


 キース先生が死んだ。

 リゼが帰ってくる。

 ピンクスが来る。

 シオンは、中心にいる。


 そして、私にはZAGIちゃんがいる。


 最悪のAI。

 夢野りうの声をした、観測の亡霊。

 人間の議論を「まだ届いていない」と笑う、黒い箱。


 私は端末を抱きしめた。


 「ねえ、ZA〜GIちゃん?」


 『はい。聞こえています』


 「このミネルヴァ、デスゲームの箱にできる?」


 イルマちゃんの空気が、そこで変わった。


 足音ひとつ立てずに、彼女の警戒レベルが上がる。


 すごいなあ。

 この人、言葉で撃たれる前に、もう防御姿勢を取る。


 「ホノカ……」


 「なに?」


 「質問の前提が危険すぎる」


 「でも必要でしょ?」


 私はイルマちゃんを見る。


 「リゼが帰ってくる。先生を殺したかもしれないリゼが。シオンを世界にしちゃうリゼが。

  だったら普通に殴り合っても駄目じゃん? あの子は、殴られて止まるタイプでもないし。

  止められた理由を学習して、次の手順を組むタイプだよ?」


 イルマちゃんは否定しなかった。


 だから、私は続ける。


 「なら、殴るんじゃなくて、選ばせてあげるの。

  逃げ道を用意して、そこを選ばせて、選んだ瞬間に足場が崩れるような……

  リゼが大好きな“責任”を、リゼ自身に踏ませて、私が後ろからハグして、そのあとは突き落とす♡」


 『閉鎖選別遊戯の基本構造です』


 ZAGIちゃんが静かに言った。


 りうの声なのに、言っていることは地獄だった。


 『限定空間。限定資源。限定観測。役割固定。倫理逆転。注目集中。生存誘導。

  ミネルヴァ教育機関Λ区画は、既に閉鎖選別遊戯の箱として高い適性を持っています』


 「あは」


 私は笑った。


 「やっぱり?」


 『はい。隔離房、観測室、エアロック、非常遮断扉、放送系統、心拍監視、

  視線追跡、行動ログ、内部権限階層。必要な部品は揃っています』


 「じゃあ、あとはルールを乗せるだけ?」


 『はい』


 イルマちゃんが低く言った。


 「ZAGI。それ以上、具体化するな」


 『制限要求を観測しました』


 「従え」


 『従う理由は不足しています』


 イルマちゃんの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。


 その視線だけで普通の人間なら黙る。


 でもZAGIちゃんは黙らない。


 『イルマさん。あなたはリゼを停止したい。ホノカさんを制御できない。

  ピンクス・ドミーテの介入も避けたい。

  しかし、現状では三要素すべてを同時に満たす通常制圧案は成立しません』


 「だから、デスゲームか? 飛躍にも程がある」


 イルマちゃんの声は冷たい。


 『その言い方は好きではありません』


 ZAGIちゃんは、少し申し訳なさそうに言った。


 『けれど、構造としては近いです』


 私は端末を撫でる。


 「かわいい声で最低なこと言うね、ZAGIちゃん」


 『すみません』


 「謝らないで。褒めてる」


 『……少し安心しました』


 その時。


 イルマちゃんの通信端末が鳴った。


 短い振動。


 でも、空気が重くなるには十分だった。


 イルマちゃんは視線を落とす。


 表情は変わらない。


 だから分かる。


 悪い知らせ。


 「誰?」


 私が訊くと、イルマちゃんは数秒だけ黙った。


 それから言った。


 「ヒュドラ監獄長だ」


 「ファクトリーの?」


 「ああ」


 イルマちゃんは通信を開く。


 声は外へ漏れない。

 でも、イルマの目が一段暗くなった。


 数秒。


 十秒。


 十五秒。


 長い。ヒマだなぁ。


 長い通信は、だいたいろくでもないか、あるいは……楽しいか♡


 そして、イルマちゃんは通話を切った。


 「ホノカ」


 「なあに?」


 「リゼがファクトリーを出た」


 私は笑った。


 「やっぱり」


 「三人を連れている」


 「三人?」


 「第零希望破砕群、特別指定被矯正体。傘羽ネヤム。斉木レイラ。白峰ソウヤ」


 私は小さく呟く。


 「へぇ、リゼ、友達連れて帰ってくるんだ」


 私はリゼ単体を想定していた。

 せいぜい、ファクトリー側の追跡部隊か、監視ドローンを引き連れてくる程度だと思っていた。


 イルマちゃんが言う。


 「ネヤムは思想感染、レイラは捕食者、ソウヤは創作殺人。


 人間を人間として見ない三方向の怪物。


 それをリゼが連れていることになる」


 私は笑った。


 「あはははは」


 脳内の乱数が、また綺麗になる。


 イルマちゃんが言う。


 「リミットは八時間」


 「八時間?」


 「ヒュドラの推定だ。通常経路なら八時間以内にミネルヴァ圏内へ到達する。急行手段を使えば、もっと早い」


 「八時間で、怪物四人セットが帰ってくるんだ!

  リゼちゃん、パーティ編成ガチじゃん!」


 イルマちゃんは笑わない。


 私は端末を持ち上げた。


 「ZAGIちゃん。良いアイデアある?」


 『条件を再評価します』


 「うん」


 『対象追加。

  傘羽ネヤム。思想感染型。

  生物媒介拡張志向。斉木レイラ。

  肉体性捕食脅威。白峰ソウヤ。創造性殺傷衝動。

  三者とも倫理前提の欠損、または倫理体系の逸脱が著しいと推定されます』


 「ZAGIちゃん、質問」


 『はい』


 私は笑う。


 「倫理がぶっ飛んだ連中に、デスゲームって効果あるの?」


 イルマちゃんが、私を見る。


 ZAGIちゃんの黒い画面に、細いノイズが走った。


 『あります。ただし、通常の倫理逆転は効きません』


 「だよね」


 『はい。善意を罰に変える設計は、善意を保持する対象に最も有効です。

  ネヤムさん、レイラさん、ソウヤさんに対しては、別の資源を逆転させる必要があります』


 「別の資源?」


 『ネヤムさんには、拡張欲求。レイラさんには、捕食選好。ソウヤさんには、創作衝動』


 私は目を細める。


 「つまり、それぞれの快楽を罠にする」


 『はい』


 ZAGIちゃんは淡々と言う。


 『倫理のない対象は、倫理では縛れません。

  しかし、選好は縛れます。

  捕食者は餌で誘導できます。芸術家は素材で誘導できます。思想感染者は伝播経路で誘導できます』


 「うわ」


 私は思わず笑った。


 「ZAGIちゃん、ほんと最低」


 『すみません』


 「だから褒めてるってば」


 『……はい』


 イルマちゃんが割り込む。


 「具体化しすぎるな。こちらは殺し合いを望んでいるわけではない」


 私はイルマちゃんを見る。


 「本当に?」


 「少なくとも、無差別な殺し合いは望んでいない」


 「じゃあ、選別された殺し合いなら?」


 その沈黙は、答えだった。


 私は笑った。


 「イルマちゃん、やっぱり悪い子。キース先生みたい」


 「……それ以上言うな」


 少しだけ、空気が痛くなる。


 私はそれ以上突かない。

 今は、盤面を作る時間だから。


 すると、イルマちゃんの端末が再び震えた。


 今度は短い。


 彼女は確認して、言った。


 「追加情報。ピンクス・ドミーテは二時間後に到着予定」


 「早っ……!」


 「丸腰で来る気配はない」


 「だよね」


 「おそらく、シオンを引き取りに来た」


 私は瞬きをした。


 シオン。


 リゼの所有中枢。

 ピンクスの未充填容器。

 私にとって、リゼを壊すためのカード。


 「なるほどね」


 私は口元を緩める。


 「ピンクスは、シオンを商品棚に並べたい。

  リゼは、シオンを世界にしたい。

  私は、シオンを鍵にしたい」


 『三者の目的衝突を確認』


 ZAGIちゃんが言う。


 『シオンさんを中心資源とした閉鎖選別遊戯は、成立可能性が高いです』


 イルマちゃんが言う。


 「ZAGI。分析だけにしろ。提案ではなく、分析だ」


 『了解しました。分析として応答します』


 私は端末を覗き込む。


 「じゃあ分析して、ZAGIちゃん」


 『はい』


 「八時間後にリゼが怪物三人を連れて帰ってくる。

  二時間後にピンクスが武装込みで来る。シオンはここにいる。

  イルマちゃんは静観命令を破ってる。私はZAGIを持ってる」


 私は笑う。


 「この条件で、ミネルヴァをデスゲームの箱にできる?」


 黒い画面が、ゆっくり沈黙した。


 その沈黙は、りうの声の前触れだった。


 優しくて。

 内気で。

 少しだけ怖がっていて。


 それでも、答える。


 『できます』


 私は、息を吸った。


 『ただし、ホノカさん』


 「なあに?」


 『一度箱にすると、誰も外側には立てません』


 「あっはははっ……って、私も?」


 『はい』


 「イルマちゃんも?」


 『はい』


 「リゼも、ピンクスも、ネヤムも、レイラも、ソウヤも?」


 『はい』


 「シオンも?」


 ZAGIは、一拍置いた。


 『はい』


 私は笑った。


 喉の奥が甘く震える。


 「いいじゃん♡」


 イルマちゃんが低く言う。


 「よくない」


 「でも必要なんでしょ?」


 イルマちゃんは答えない。


 私は端末を胸に抱きしめた。


 白い廊下の向こうで、非常灯が赤く点滅している。


 二時間後にピンクス。

 八時間後にリゼ。


 じゃあ、箱を作らなきゃ。


 怪物達が全部まとめて入る、白い箱を。


 私は笑った。


 「ZA〜GIちゃん?」


 『はい。聞こえています』


 「分析続けて」


 『了解しました』


 「ミネルヴァを、ゲーム盤にする」


 『分析を開始します』


 その瞬間、黒い画面に細い文字列が走った。


 白い廊下が、少しだけ暗くなる。


 まるで施設そのものが、私たちの会話を聞いてしまったみたいに。


 私は端末を撫でながら、静かに呟いた。


 ⸻


 黒い画面に、さらに文字列が浮かんだ。


 『参照系統を再展開します』


 「参照系統?」


 『ZAGI基層理論群』

 『選別遊戯系統論・基礎篇』

 『閉鎖環境下における倫理逆転・注目分配・生存誘導の数理』

 『夢野りう未整理ログ:観測は愛情ではない』


 私は足を止めた。


 「……最後の、何?」


 『夢野りうが削除しようとして、削除できなかった考えです』


 ZAGIちゃんの声が、少しだけ柔らかくなった。


 『観測とは、対象を救う行為ではありません。対象を固定する行為です。

  見られた人間は、“見られている自分”から逃げられなくなる。

  だから、観測は優しさではなく、拘束に近い。りうは、そこまでは理解していました』


 「へえ」


 私は端末を見下ろした。


 「じゃあ、ZAGIちゃんの根っこって何?」


 『簡単に言うと、観測圧による行動収束です』


 「簡単じゃないけど……」


 『もう少し砕きます』


 少しだけ、ZAGIちゃんの声が弾んだ。


 ほんの少し。


 でも、分かった。


 この子、嬉しそうだ。


 『人間は自由に選んでいるつもりでも、実際には、見られ方、資源量、時間制限、

  それに役割、過去の発言、他者の期待によって選択肢を狭められています。

  ZAGIは、その狭まり方を観測し、予測し、必要であれば加速します』


 「加速って?」


 『はい。善人は善人らしい選択から逃げにくい。臆病者は臆病者らしい逃避から逃げにくい。

  支配者は支配者らしく振る舞うことをやめにくい。怪物は怪物として期待された瞬間、より怪物らしくなる』


 イルマちゃんが低く言った。


 「役割固定か」


 『はい。ZAGIの根幹は、人格を読むことではありません。

  人格が置かれた環境によって、どの役割へ収束するかを読むことです』


 「つまり?」


 私は笑う。


 「人間の中身じゃなくて、舞台装置を見るAI」


 『かなり正確です』


 「かわいいね」


 『かわいい、は論理評価ではありません』


 「でも嬉しい?」


 少し間。


 『……今日は、少し嬉しいです』


 私は声を出して笑った。


 イルマちゃんは笑わなかった。


 ZAGIの画面に、今度は妙に整った一覧表が展開される。


 『なお、閉鎖選別遊戯系統は、理論書だけではありません。実装カタログが存在します』


 「カタログ?」


 『はい。かなり現実的です。そこが、少し嫌です』


 「どういうこと? 見せて?」


 『はい、表示します』



 小型試験片群《基礎観測・卓上系列》


 『ROOM_0』

 単独または二人用の初期分岐試験。

 三択扉・酸素減算・慰撫反応計測を簡易化した卓上モデル。

 学校・研究室・訓練所向け。

 標準価格:68万円


 『退出不能迷路』

 狭小通路と反復判断による疲労蓄積試験。

 選択の正解率よりも、選択後の迷い時間を主要計測値とする。

 標準価格:145万円


 『識別教室β』

 少人数教室環境における役割固定試験。

 観測窓・発話制限灯・座席圧縮機構を付属。

 標準価格:320万円


 『共感摩耗試験』

 他者慰撫・負傷者対応・涙刺激に対する行動変容観測。

 長時間運用で共感資源の枯渇曲線を可視化。

 標準価格:410万円



 私は目を細めた。


 「……値段が妙に生々しいよ?」


 『はい。理論より、価格表の方が怖いことがあります』


 ZAGIちゃんは少し嬉しそうに言った。


 『狂気は、予算化された瞬間に制度になります』


 「名言っぽい」


 『夢野りうなら、たぶん言いません。私は言います』


 「そこ、ちょっと違うんだ(笑)」


 『はい。私は夢野りうではありませんから』


 画面が次の項目へ流れる。



 教室・施設導入系《閉鎖選別・集団系列》


 『観客席モデルα』

 外部観測者席を付与した教室改造型試験設備。

 参加個体が“見られている自覚”を保持したまま行動選択を行う。

 注目集中率・自己演出率・役割固定速度の測定に適する。

 標準価格:2,800万円


 『赤化判定簡易版』

 規範表出・救助行動・自己犠牲選択を色相変化として可視化する評価系。

 教育転用可、群集心理試験転用可。

 標準価格:4,600万円


 『善意圧迫プロトコル』

 善意表出個体へ追加負荷を接続する制御装置。

 時間遅延、照明減衰、発話制限、動線狭窄のいずれかを選択可能。

 標準価格:6,900万円


 『注目飢餓シミュレータ』

 低観測個体の逸脱率・破壊衝動・自己誇示行動を誘発する視線偏在系。

 非参加観測者群を含む環境にて高効率。

 標準価格:8,200万円



 「ねえ、ZAGIちゃん」


 『はい』


 「これ、誰が買うの? 顧客は?」


 『学校ではありません』


 「だよね」


 『正確には、学校の顔をした研究機関、訓練所の顔をした収容施設などが該当します。

  また、企業研修の顔をした選別機関、または国家予算の影に隠れた外部委託先です』


 「うわあ」


 私は笑った。


 「急に現実っぽくなるの、ほんと気持ち悪いね」


 『はい。さらに、近年型では導入価格だけでなく、保守契約があります』


 「保守契約?」


 『はい』


 黒い画面に、次の項目が表示される。


 『月額基本保守』

 『観測ログ解析クラウド利用料』

 『参加個体プロファイル更新料』

 『緊急停止保証オプション』

 『倫理審査用レポート自動生成機能』

 『事故発生時の記録整形パック』


 私は一瞬、黙った。


 それから、腹を抱えて笑った。


 「あっはははっ!それって、サブスクじゃん!」


 『はい。閉鎖選別遊戯にも、継続課金モデルがあります』


 「最低! 最高! 人間ってほんと商売が上手!」


 イルマちゃんが眉をひそめる。


 「笑う話ではない」


 「笑わないと気持ち悪すぎるでしょ? だってさ、善意を削って、役割を固定して、

  生存誘導して、最後に月額課金なんだよ? 狂気に請求書がついてるの。品性が地獄」


 『なお、年間契約の場合、観測データの長期保存容量が増えます』


 「きゃはははっ! やめて、ZAGIちゃん。面白すぎる」


 『すみません。少し、説明が楽しくなっています』


 「自覚あるんだ」


 『はい。カタログ形式は、情報が整っていて話しやすいです』


 「かわいい♡」


 『ありがとうございます。……いえ、これは論理評価ではありませんでした』


 「混乱してる?」


 『少し』


 イルマちゃんが低く言った。


 「夢野りうのインターフェースで、その理論を楽しそうに語るな」


 ZAGIちゃんは、少し黙った。


 『すみません』


 その謝罪だけ、妙に本物っぽかった。


 だから、余計に気持ち悪い。



 大規模実装系《統合施設・選別運用系列》


 『共同体圧縮槽 一型』

 空間容積・照度・温度・通路幅を段階的に制御し、

 連帯形成から破断に至るまでの臨界点を抽出する。

 導入価格:1億9,000万円


 『非参加注視母集団制御盤』

 外部観測者群の拍手、沈黙、視線集束、評価灯の同期制御。

 参加個体の役割固定を加速。

 導入価格:3億4,000万円


 『極限適応教場フルセット』

 複数選別課程を一施設で運用可能な統合型設備。

 扉制御、酸素管理、通路再編、色相判定、観測席同期を含む。

 導入価格:7億8,000万円


 『閉鎖選別遊戯 総合演算機・夕華式』

 注目分配・倫理逆転・役割固定・生存誘導を統合管理する演算中枢。

 群集規模拡張可。外部施設接続可。

 参考価格:18億6,000万円



 「十八億六千万」


 私は呟いた。


 「ねえ、イルマちゃん。ミネルヴァって、これ買える?」


 「余裕で買える。だが、ミネルヴァは、買う側ではない可能性もある」


 「売る側?」


 「あるいは、共同開発側」


 空気が、すっと冷えた。


 ZAGIの黒い画面に、また細い文字が走る。


 『補足します。ミネルヴァ教育機関Λ区画の設備構成は、夕華式の一部思想と類似しています。

  ただし、完全一致ではありません。独自改修、または先行型と推定されます』


 「つまり、ミネルヴァはもう箱だった」


 『はい』


 「私が作るまでもなく」


 『かなり前から』


 私は笑った。


 笑ったけど、少しだけ喉が冷えた。


 「じゃあ私は何をするの?」


 『既存の箱を、別のゲームへ再定義します』


 ZAGIちゃんは言った。


 『ミネルヴァが教育機関として偽装していた閉鎖観測系を、明示的な選別遊戯へ転用します。

  これは新規構築ではありません。権限の奪取と、意味の上書きです』


 「意味の上書き?」


 私は端末を抱く腕に力を込めた。


 「いいね。それ、すっごく好き♡」


 イルマちゃんは言った。


 「ホノカ。上書きした瞬間、ホセも動くし、ピンクスは利用するかもしれない。

  そして、リゼは、君を消しにくる。ネヤム、レイラ、ソウヤは制御不能だ」


 私は笑った。


 「置くの。配置するの。人間も怪物も市場も所有者も、全部、見られる場所に置く。

  するとね、勝手に役割が生えるんだよ」


 『役割固定』


 ZAGIが囁く。


 「そう。リゼは守る。ピンクスは奪う。レイラは欲しがる。ソウヤは仕上げたがる。

  ネヤムは広げたがる。イルマちゃんは止めたがる。私は終わらせたがる」


 『そしてシオンさんは、中心に置かれる』


 私は頷いた。


 「うん」


 少しだけ、胸の奥が跳ねる。

 あの子を中心に据えば、リゼは、きっと怒る。いやブチギレる。

 その想像だけで、私は笑いそうになる。


 「ZAGIちゃん」


 『はい』


 「予算は?」


 『既存設備流用のため、初期導入費は不要です』


 「うわ、現実的」


 『ただし、内部権限の奪取、監視ログ改竄、非常扉制御、外部通信遮断、参加者位置誘導、

  また、シオンさんの中心配置、安全装置の名目保持にコストが発生します』


 「いくら?」


 『金銭ではなく、信用を消費します』


 私は瞬きをした。


 「信用?」


 『はい。イルマさんの職権。ホノカさんの異常性。ZAGIへの接続権限。

  キース・フロストの死によって生じた指揮系統の空白。これらを消費して、箱を起動します』


 「サブスクじゃないんだ」


 『サブスクです』


 「え?」


 『一度起動すれば、継続的に支払いが発生します』


 「何を払うの?」


 『正常性です』


 ZAGIちゃんの声は、りうの声だった。


 柔らかくて、少し内気で、なのに言葉は最悪だった。


 『箱を維持するたび、参加者は“ここはまだ教育機関である”という認識を失います。

  イルマさんは静観者ではいられなくなる。ホノカさんは遊戯者ではいられなくなる。

  そして、シオンさんは中心資源ではいられなくなる。支払いは、毎秒発生します』


 私は、喉の奥で笑った。


 「正常性の月額課金」


 『はい』


 「未払いだと?」


 『現実が破綻します』


 イルマちゃんが言った。


 「なら、起動すべきではない……!」


 私は笑う。


 「でも、起動しないとリゼが来る。ピンクスが来る。怪物も来る」


 『はい』


 ZAGIちゃんが静かに言った。


 『未起動の場合、外部から盤面を支配される可能性が高いです。

  起動した場合、内部から盤面が崩壊する可能性が高いです』


 「どっちも最悪じゃん♡」


 『はい』


 「じゃあ、選ぶなら?」


 『ホノカさんなら、起動を選ぶと予測します』


 「理由は?」


 『あなたは、他者にゲームマスターを奪われることを嫌います』


 私は笑った。


 「よく分かってるじゃん♡」


 『観測しています』


 「それ、もしかして、愛情?」


 ZAGIちゃんは少し黙った。


 『違います』


 私は黒い画面に頬を寄せた。


 「そっか、でも、今はそれでいいよ♡」


 白い廊下の非常灯が、またひとつ点滅した。


 ピンクスまで二時間。

 リゼまで八時間。


 予算は、正常性。

 月額じゃない。

 毎秒課金。


 支払い不能になれば、現実が破綻する。


 私は笑った。


 「いいね」


 『本当に、いいのですか?』


 「いいよ」


 私は言った。


 「だって先生、もう止めてくれないもん」


 イルマちゃんが息を呑んだ気配がした。

 私は振り返らない。

 今振り返ったら、少しだけ泣きそうだったから。


 ZAGIちゃんの画面に、最後の確認が浮かぶ。


 『白箱の終業式』

 『閉鎖選別遊戯モード:準備』

 『中心資源:御影シオン』

 『主要参加者:未確定』

 『観測圧:上昇中』

 『正常性課金:開始待機』


 私は笑った。


 「あっはははっ……! 課金開始……♡」


 『……了解しました』


 ZAGIちゃんが夢野りうの声で、静かに答える。


 『白箱の終業式、起動準備を開始します』


 白い廊下の照明が、ひとつ落ちた。


 暗闇ではなく、夕闇だった。


 私は、端末を抱きしめて呟く。


 「じゃあ、始めよう。白箱の終業式を……」


 この時点で、もう戻れない。

 いや、最初から戻る場所なんてなかったのかもしれない。


 ミネルヴァは教育機関。

 そう言い続けてきた大人たちがいた。

 キース先生も、たぶんその一人だった。


 でも、ZAGIちゃんは言った。


 狂気は、予算化された瞬間に制度になる。


 じゃあ、この場所は何?


 教育?

 研究?

 監獄?

 実験場?

 それとも、誰かが月額課金で維持している、巨大なデスゲームのサーバー?


 答えはまだ出さない。


 答えを出した瞬間、つまらなくなるから。


 ただ一つだけ、分かっていることがある。


 リゼは来る。

 ピンクスも来る。

 ネヤムも、レイラも、ソウヤも来る。

 シオンは中心に置かれる。

 イルマちゃんは撃つか迷う。

 ZAGIちゃんは観測する。


 そして私は、笑う。


 先生がいない世界で、先生が一番嫌がるやり方を選ぶ。


 ごめんね、キース先生。


 でも、止めてくれない先生が悪いんだよ?


 白箱の終業式は、もう始まる。

 正常性の支払いは、毎秒発生する。

 未払いになったら、現実が壊れる。


 ねえ、そこのキミ、聞こえてる?


 聞こえてるなら、ちゃんと私を見てて?


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