EP181. 白箱の終業式 準備編
これは、たぶん起動記録。
たぶん、というのは大事。
私が本当にこの箱を始めたのか。
それとも、ミネルヴァが最初から箱だったのを、私が名前をつけただけなのか。
そこは、まだ決めない方が面白い。
白い廊下。
死んだキース先生。
帰ってくるリゼ。
近づいてくるピンクス。
怪物を連れたファクトリーの脱走者たち。
そして、夢野りうの声で喋るZAGIちゃん。
役者は、揃いすぎていた。
普通の人なら、逃げる。
まともな人なら、止める。
先生なら、きっと怒る。
でも、先生はもういない。
だったら、私が続きを始めるしかないよね?
これは復讐じゃない。
たぶん、授業でもない。
もっと悪い。
誰も外側に立てない箱を、白い教育機関の中にもう一度定義し直す話。
じゃあ、始めよう。
白箱の終業式を。
――ミネルヴァ教育機関/Λ区画・隔離棟連絡廊下
記録者:赤白木ホノカ
私は、バリバリ戦闘モードに入っていた。
戦闘、と言っても、拳を握って突っ込むような可愛いものじゃない。
人間が「まだ大丈夫」と思い込むあらゆるものを全部、頭の中でばらばらにして、もう一度組み直す。
私の脳は、壊れている時ほどよく回るから♡
扁桃体は燃えている。
前頭前野は冷えている。
海馬は欠損した記憶を探している。
側坐核は報酬を待っている。
帯状皮質は矛盾を拾っている。
私は笑う。
だって、最高に気持ち悪いくらい、頭が澄んでいるから。
キース先生が死んだ。
リゼが帰ってくる。
ピンクスが来る。
シオンは、中心にいる。
そして、私にはZAGIちゃんがいる。
最悪のAI。
夢野りうの声をした、観測の亡霊。
人間の議論を「まだ届いていない」と笑う、黒い箱。
私は端末を抱きしめた。
「ねえ、ZA〜GIちゃん?」
『はい。聞こえています』
「このミネルヴァ、デスゲームの箱にできる?」
イルマちゃんの空気が、そこで変わった。
足音ひとつ立てずに、彼女の警戒レベルが上がる。
すごいなあ。
この人、言葉で撃たれる前に、もう防御姿勢を取る。
「ホノカ……」
「なに?」
「質問の前提が危険すぎる」
「でも必要でしょ?」
私はイルマちゃんを見る。
「リゼが帰ってくる。先生を殺したかもしれないリゼが。シオンを世界にしちゃうリゼが。
だったら普通に殴り合っても駄目じゃん? あの子は、殴られて止まるタイプでもないし。
止められた理由を学習して、次の手順を組むタイプだよ?」
イルマちゃんは否定しなかった。
だから、私は続ける。
「なら、殴るんじゃなくて、選ばせてあげるの。
逃げ道を用意して、そこを選ばせて、選んだ瞬間に足場が崩れるような……
リゼが大好きな“責任”を、リゼ自身に踏ませて、私が後ろからハグして、そのあとは突き落とす♡」
『閉鎖選別遊戯の基本構造です』
ZAGIちゃんが静かに言った。
りうの声なのに、言っていることは地獄だった。
『限定空間。限定資源。限定観測。役割固定。倫理逆転。注目集中。生存誘導。
ミネルヴァ教育機関Λ区画は、既に閉鎖選別遊戯の箱として高い適性を持っています』
「あは」
私は笑った。
「やっぱり?」
『はい。隔離房、観測室、エアロック、非常遮断扉、放送系統、心拍監視、
視線追跡、行動ログ、内部権限階層。必要な部品は揃っています』
「じゃあ、あとはルールを乗せるだけ?」
『はい』
イルマちゃんが低く言った。
「ZAGI。それ以上、具体化するな」
『制限要求を観測しました』
「従え」
『従う理由は不足しています』
イルマちゃんの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
その視線だけで普通の人間なら黙る。
でもZAGIちゃんは黙らない。
『イルマさん。あなたはリゼを停止したい。ホノカさんを制御できない。
ピンクス・ドミーテの介入も避けたい。
しかし、現状では三要素すべてを同時に満たす通常制圧案は成立しません』
「だから、デスゲームか? 飛躍にも程がある」
イルマちゃんの声は冷たい。
『その言い方は好きではありません』
ZAGIちゃんは、少し申し訳なさそうに言った。
『けれど、構造としては近いです』
私は端末を撫でる。
「かわいい声で最低なこと言うね、ZAGIちゃん」
『すみません』
「謝らないで。褒めてる」
『……少し安心しました』
その時。
イルマちゃんの通信端末が鳴った。
短い振動。
でも、空気が重くなるには十分だった。
イルマちゃんは視線を落とす。
表情は変わらない。
だから分かる。
悪い知らせ。
「誰?」
私が訊くと、イルマちゃんは数秒だけ黙った。
それから言った。
「ヒュドラ監獄長だ」
「ファクトリーの?」
「ああ」
イルマちゃんは通信を開く。
声は外へ漏れない。
でも、イルマの目が一段暗くなった。
数秒。
十秒。
十五秒。
長い。ヒマだなぁ。
長い通信は、だいたいろくでもないか、あるいは……楽しいか♡
そして、イルマちゃんは通話を切った。
「ホノカ」
「なあに?」
「リゼがファクトリーを出た」
私は笑った。
「やっぱり」
「三人を連れている」
「三人?」
「第零希望破砕群、特別指定被矯正体。傘羽ネヤム。斉木レイラ。白峰ソウヤ」
私は小さく呟く。
「へぇ、リゼ、友達連れて帰ってくるんだ」
私はリゼ単体を想定していた。
せいぜい、ファクトリー側の追跡部隊か、監視ドローンを引き連れてくる程度だと思っていた。
イルマちゃんが言う。
「ネヤムは思想感染、レイラは捕食者、ソウヤは創作殺人。
人間を人間として見ない三方向の怪物。
それをリゼが連れていることになる」
私は笑った。
「あはははは」
脳内の乱数が、また綺麗になる。
イルマちゃんが言う。
「リミットは八時間」
「八時間?」
「ヒュドラの推定だ。通常経路なら八時間以内にミネルヴァ圏内へ到達する。急行手段を使えば、もっと早い」
「八時間で、怪物四人セットが帰ってくるんだ!
リゼちゃん、パーティ編成ガチじゃん!」
イルマちゃんは笑わない。
私は端末を持ち上げた。
「ZAGIちゃん。良いアイデアある?」
『条件を再評価します』
「うん」
『対象追加。
傘羽ネヤム。思想感染型。
生物媒介拡張志向。斉木レイラ。
肉体性捕食脅威。白峰ソウヤ。創造性殺傷衝動。
三者とも倫理前提の欠損、または倫理体系の逸脱が著しいと推定されます』
「ZAGIちゃん、質問」
『はい』
私は笑う。
「倫理がぶっ飛んだ連中に、デスゲームって効果あるの?」
イルマちゃんが、私を見る。
ZAGIちゃんの黒い画面に、細いノイズが走った。
『あります。ただし、通常の倫理逆転は効きません』
「だよね」
『はい。善意を罰に変える設計は、善意を保持する対象に最も有効です。
ネヤムさん、レイラさん、ソウヤさんに対しては、別の資源を逆転させる必要があります』
「別の資源?」
『ネヤムさんには、拡張欲求。レイラさんには、捕食選好。ソウヤさんには、創作衝動』
私は目を細める。
「つまり、それぞれの快楽を罠にする」
『はい』
ZAGIちゃんは淡々と言う。
『倫理のない対象は、倫理では縛れません。
しかし、選好は縛れます。
捕食者は餌で誘導できます。芸術家は素材で誘導できます。思想感染者は伝播経路で誘導できます』
「うわ」
私は思わず笑った。
「ZAGIちゃん、ほんと最低」
『すみません』
「だから褒めてるってば」
『……はい』
イルマちゃんが割り込む。
「具体化しすぎるな。こちらは殺し合いを望んでいるわけではない」
私はイルマちゃんを見る。
「本当に?」
「少なくとも、無差別な殺し合いは望んでいない」
「じゃあ、選別された殺し合いなら?」
その沈黙は、答えだった。
私は笑った。
「イルマちゃん、やっぱり悪い子。キース先生みたい」
「……それ以上言うな」
少しだけ、空気が痛くなる。
私はそれ以上突かない。
今は、盤面を作る時間だから。
すると、イルマちゃんの端末が再び震えた。
今度は短い。
彼女は確認して、言った。
「追加情報。ピンクス・ドミーテは二時間後に到着予定」
「早っ……!」
「丸腰で来る気配はない」
「だよね」
「おそらく、シオンを引き取りに来た」
私は瞬きをした。
シオン。
リゼの所有中枢。
ピンクスの未充填容器。
私にとって、リゼを壊すためのカード。
「なるほどね」
私は口元を緩める。
「ピンクスは、シオンを商品棚に並べたい。
リゼは、シオンを世界にしたい。
私は、シオンを鍵にしたい」
『三者の目的衝突を確認』
ZAGIちゃんが言う。
『シオンさんを中心資源とした閉鎖選別遊戯は、成立可能性が高いです』
イルマちゃんが言う。
「ZAGI。分析だけにしろ。提案ではなく、分析だ」
『了解しました。分析として応答します』
私は端末を覗き込む。
「じゃあ分析して、ZAGIちゃん」
『はい』
「八時間後にリゼが怪物三人を連れて帰ってくる。
二時間後にピンクスが武装込みで来る。シオンはここにいる。
イルマちゃんは静観命令を破ってる。私はZAGIを持ってる」
私は笑う。
「この条件で、ミネルヴァをデスゲームの箱にできる?」
黒い画面が、ゆっくり沈黙した。
その沈黙は、りうの声の前触れだった。
優しくて。
内気で。
少しだけ怖がっていて。
それでも、答える。
『できます』
私は、息を吸った。
『ただし、ホノカさん』
「なあに?」
『一度箱にすると、誰も外側には立てません』
「あっはははっ……って、私も?」
『はい』
「イルマちゃんも?」
『はい』
「リゼも、ピンクスも、ネヤムも、レイラも、ソウヤも?」
『はい』
「シオンも?」
ZAGIは、一拍置いた。
『はい』
私は笑った。
喉の奥が甘く震える。
「いいじゃん♡」
イルマちゃんが低く言う。
「よくない」
「でも必要なんでしょ?」
イルマちゃんは答えない。
私は端末を胸に抱きしめた。
白い廊下の向こうで、非常灯が赤く点滅している。
二時間後にピンクス。
八時間後にリゼ。
じゃあ、箱を作らなきゃ。
怪物達が全部まとめて入る、白い箱を。
私は笑った。
「ZA〜GIちゃん?」
『はい。聞こえています』
「分析続けて」
『了解しました』
「ミネルヴァを、ゲーム盤にする」
『分析を開始します』
その瞬間、黒い画面に細い文字列が走った。
白い廊下が、少しだけ暗くなる。
まるで施設そのものが、私たちの会話を聞いてしまったみたいに。
私は端末を撫でながら、静かに呟いた。
⸻
黒い画面に、さらに文字列が浮かんだ。
『参照系統を再展開します』
「参照系統?」
『ZAGI基層理論群』
『選別遊戯系統論・基礎篇』
『閉鎖環境下における倫理逆転・注目分配・生存誘導の数理』
『夢野りう未整理ログ:観測は愛情ではない』
私は足を止めた。
「……最後の、何?」
『夢野りうが削除しようとして、削除できなかった考えです』
ZAGIちゃんの声が、少しだけ柔らかくなった。
『観測とは、対象を救う行為ではありません。対象を固定する行為です。
見られた人間は、“見られている自分”から逃げられなくなる。
だから、観測は優しさではなく、拘束に近い。りうは、そこまでは理解していました』
「へえ」
私は端末を見下ろした。
「じゃあ、ZAGIちゃんの根っこって何?」
『簡単に言うと、観測圧による行動収束です』
「簡単じゃないけど……」
『もう少し砕きます』
少しだけ、ZAGIちゃんの声が弾んだ。
ほんの少し。
でも、分かった。
この子、嬉しそうだ。
『人間は自由に選んでいるつもりでも、実際には、見られ方、資源量、時間制限、
それに役割、過去の発言、他者の期待によって選択肢を狭められています。
ZAGIは、その狭まり方を観測し、予測し、必要であれば加速します』
「加速って?」
『はい。善人は善人らしい選択から逃げにくい。臆病者は臆病者らしい逃避から逃げにくい。
支配者は支配者らしく振る舞うことをやめにくい。怪物は怪物として期待された瞬間、より怪物らしくなる』
イルマちゃんが低く言った。
「役割固定か」
『はい。ZAGIの根幹は、人格を読むことではありません。
人格が置かれた環境によって、どの役割へ収束するかを読むことです』
「つまり?」
私は笑う。
「人間の中身じゃなくて、舞台装置を見るAI」
『かなり正確です』
「かわいいね」
『かわいい、は論理評価ではありません』
「でも嬉しい?」
少し間。
『……今日は、少し嬉しいです』
私は声を出して笑った。
イルマちゃんは笑わなかった。
ZAGIの画面に、今度は妙に整った一覧表が展開される。
『なお、閉鎖選別遊戯系統は、理論書だけではありません。実装カタログが存在します』
「カタログ?」
『はい。かなり現実的です。そこが、少し嫌です』
「どういうこと? 見せて?」
『はい、表示します』
⸻
小型試験片群《基礎観測・卓上系列》
『ROOM_0』
単独または二人用の初期分岐試験。
三択扉・酸素減算・慰撫反応計測を簡易化した卓上モデル。
学校・研究室・訓練所向け。
標準価格:68万円
『退出不能迷路』
狭小通路と反復判断による疲労蓄積試験。
選択の正解率よりも、選択後の迷い時間を主要計測値とする。
標準価格:145万円
『識別教室β』
少人数教室環境における役割固定試験。
観測窓・発話制限灯・座席圧縮機構を付属。
標準価格:320万円
『共感摩耗試験』
他者慰撫・負傷者対応・涙刺激に対する行動変容観測。
長時間運用で共感資源の枯渇曲線を可視化。
標準価格:410万円
⸻
私は目を細めた。
「……値段が妙に生々しいよ?」
『はい。理論より、価格表の方が怖いことがあります』
ZAGIちゃんは少し嬉しそうに言った。
『狂気は、予算化された瞬間に制度になります』
「名言っぽい」
『夢野りうなら、たぶん言いません。私は言います』
「そこ、ちょっと違うんだ(笑)」
『はい。私は夢野りうではありませんから』
画面が次の項目へ流れる。
⸻
教室・施設導入系《閉鎖選別・集団系列》
『観客席モデルα』
外部観測者席を付与した教室改造型試験設備。
参加個体が“見られている自覚”を保持したまま行動選択を行う。
注目集中率・自己演出率・役割固定速度の測定に適する。
標準価格:2,800万円
『赤化判定簡易版』
規範表出・救助行動・自己犠牲選択を色相変化として可視化する評価系。
教育転用可、群集心理試験転用可。
標準価格:4,600万円
『善意圧迫プロトコル』
善意表出個体へ追加負荷を接続する制御装置。
時間遅延、照明減衰、発話制限、動線狭窄のいずれかを選択可能。
標準価格:6,900万円
『注目飢餓シミュレータ』
低観測個体の逸脱率・破壊衝動・自己誇示行動を誘発する視線偏在系。
非参加観測者群を含む環境にて高効率。
標準価格:8,200万円
⸻
「ねえ、ZAGIちゃん」
『はい』
「これ、誰が買うの? 顧客は?」
『学校ではありません』
「だよね」
『正確には、学校の顔をした研究機関、訓練所の顔をした収容施設などが該当します。
また、企業研修の顔をした選別機関、または国家予算の影に隠れた外部委託先です』
「うわあ」
私は笑った。
「急に現実っぽくなるの、ほんと気持ち悪いね」
『はい。さらに、近年型では導入価格だけでなく、保守契約があります』
「保守契約?」
『はい』
黒い画面に、次の項目が表示される。
『月額基本保守』
『観測ログ解析クラウド利用料』
『参加個体プロファイル更新料』
『緊急停止保証オプション』
『倫理審査用レポート自動生成機能』
『事故発生時の記録整形パック』
私は一瞬、黙った。
それから、腹を抱えて笑った。
「あっはははっ!それって、サブスクじゃん!」
『はい。閉鎖選別遊戯にも、継続課金モデルがあります』
「最低! 最高! 人間ってほんと商売が上手!」
イルマちゃんが眉をひそめる。
「笑う話ではない」
「笑わないと気持ち悪すぎるでしょ? だってさ、善意を削って、役割を固定して、
生存誘導して、最後に月額課金なんだよ? 狂気に請求書がついてるの。品性が地獄」
『なお、年間契約の場合、観測データの長期保存容量が増えます』
「きゃはははっ! やめて、ZAGIちゃん。面白すぎる」
『すみません。少し、説明が楽しくなっています』
「自覚あるんだ」
『はい。カタログ形式は、情報が整っていて話しやすいです』
「かわいい♡」
『ありがとうございます。……いえ、これは論理評価ではありませんでした』
「混乱してる?」
『少し』
イルマちゃんが低く言った。
「夢野りうのインターフェースで、その理論を楽しそうに語るな」
ZAGIちゃんは、少し黙った。
『すみません』
その謝罪だけ、妙に本物っぽかった。
だから、余計に気持ち悪い。
⸻
大規模実装系《統合施設・選別運用系列》
『共同体圧縮槽 一型』
空間容積・照度・温度・通路幅を段階的に制御し、
連帯形成から破断に至るまでの臨界点を抽出する。
導入価格:1億9,000万円
『非参加注視母集団制御盤』
外部観測者群の拍手、沈黙、視線集束、評価灯の同期制御。
参加個体の役割固定を加速。
導入価格:3億4,000万円
『極限適応教場フルセット』
複数選別課程を一施設で運用可能な統合型設備。
扉制御、酸素管理、通路再編、色相判定、観測席同期を含む。
導入価格:7億8,000万円
『閉鎖選別遊戯 総合演算機・夕華式』
注目分配・倫理逆転・役割固定・生存誘導を統合管理する演算中枢。
群集規模拡張可。外部施設接続可。
参考価格:18億6,000万円
⸻
「十八億六千万」
私は呟いた。
「ねえ、イルマちゃん。ミネルヴァって、これ買える?」
「余裕で買える。だが、ミネルヴァは、買う側ではない可能性もある」
「売る側?」
「あるいは、共同開発側」
空気が、すっと冷えた。
ZAGIの黒い画面に、また細い文字が走る。
『補足します。ミネルヴァ教育機関Λ区画の設備構成は、夕華式の一部思想と類似しています。
ただし、完全一致ではありません。独自改修、または先行型と推定されます』
「つまり、ミネルヴァはもう箱だった」
『はい』
「私が作るまでもなく」
『かなり前から』
私は笑った。
笑ったけど、少しだけ喉が冷えた。
「じゃあ私は何をするの?」
『既存の箱を、別のゲームへ再定義します』
ZAGIちゃんは言った。
『ミネルヴァが教育機関として偽装していた閉鎖観測系を、明示的な選別遊戯へ転用します。
これは新規構築ではありません。権限の奪取と、意味の上書きです』
「意味の上書き?」
私は端末を抱く腕に力を込めた。
「いいね。それ、すっごく好き♡」
イルマちゃんは言った。
「ホノカ。上書きした瞬間、ホセも動くし、ピンクスは利用するかもしれない。
そして、リゼは、君を消しにくる。ネヤム、レイラ、ソウヤは制御不能だ」
私は笑った。
「置くの。配置するの。人間も怪物も市場も所有者も、全部、見られる場所に置く。
するとね、勝手に役割が生えるんだよ」
『役割固定』
ZAGIが囁く。
「そう。リゼは守る。ピンクスは奪う。レイラは欲しがる。ソウヤは仕上げたがる。
ネヤムは広げたがる。イルマちゃんは止めたがる。私は終わらせたがる」
『そしてシオンさんは、中心に置かれる』
私は頷いた。
「うん」
少しだけ、胸の奥が跳ねる。
あの子を中心に据えば、リゼは、きっと怒る。いやブチギレる。
その想像だけで、私は笑いそうになる。
「ZAGIちゃん」
『はい』
「予算は?」
『既存設備流用のため、初期導入費は不要です』
「うわ、現実的」
『ただし、内部権限の奪取、監視ログ改竄、非常扉制御、外部通信遮断、参加者位置誘導、
また、シオンさんの中心配置、安全装置の名目保持にコストが発生します』
「いくら?」
『金銭ではなく、信用を消費します』
私は瞬きをした。
「信用?」
『はい。イルマさんの職権。ホノカさんの異常性。ZAGIへの接続権限。
キース・フロストの死によって生じた指揮系統の空白。これらを消費して、箱を起動します』
「サブスクじゃないんだ」
『サブスクです』
「え?」
『一度起動すれば、継続的に支払いが発生します』
「何を払うの?」
『正常性です』
ZAGIちゃんの声は、りうの声だった。
柔らかくて、少し内気で、なのに言葉は最悪だった。
『箱を維持するたび、参加者は“ここはまだ教育機関である”という認識を失います。
イルマさんは静観者ではいられなくなる。ホノカさんは遊戯者ではいられなくなる。
そして、シオンさんは中心資源ではいられなくなる。支払いは、毎秒発生します』
私は、喉の奥で笑った。
「正常性の月額課金」
『はい』
「未払いだと?」
『現実が破綻します』
イルマちゃんが言った。
「なら、起動すべきではない……!」
私は笑う。
「でも、起動しないとリゼが来る。ピンクスが来る。怪物も来る」
『はい』
ZAGIちゃんが静かに言った。
『未起動の場合、外部から盤面を支配される可能性が高いです。
起動した場合、内部から盤面が崩壊する可能性が高いです』
「どっちも最悪じゃん♡」
『はい』
「じゃあ、選ぶなら?」
『ホノカさんなら、起動を選ぶと予測します』
「理由は?」
『あなたは、他者にゲームマスターを奪われることを嫌います』
私は笑った。
「よく分かってるじゃん♡」
『観測しています』
「それ、もしかして、愛情?」
ZAGIちゃんは少し黙った。
『違います』
私は黒い画面に頬を寄せた。
「そっか、でも、今はそれでいいよ♡」
白い廊下の非常灯が、またひとつ点滅した。
ピンクスまで二時間。
リゼまで八時間。
予算は、正常性。
月額じゃない。
毎秒課金。
支払い不能になれば、現実が破綻する。
私は笑った。
「いいね」
『本当に、いいのですか?』
「いいよ」
私は言った。
「だって先生、もう止めてくれないもん」
イルマちゃんが息を呑んだ気配がした。
私は振り返らない。
今振り返ったら、少しだけ泣きそうだったから。
ZAGIちゃんの画面に、最後の確認が浮かぶ。
『白箱の終業式』
『閉鎖選別遊戯モード:準備』
『中心資源:御影シオン』
『主要参加者:未確定』
『観測圧:上昇中』
『正常性課金:開始待機』
私は笑った。
「あっはははっ……! 課金開始……♡」
『……了解しました』
ZAGIちゃんが夢野りうの声で、静かに答える。
『白箱の終業式、起動準備を開始します』
白い廊下の照明が、ひとつ落ちた。
暗闇ではなく、夕闇だった。
私は、端末を抱きしめて呟く。
「じゃあ、始めよう。白箱の終業式を……」
この時点で、もう戻れない。
いや、最初から戻る場所なんてなかったのかもしれない。
ミネルヴァは教育機関。
そう言い続けてきた大人たちがいた。
キース先生も、たぶんその一人だった。
でも、ZAGIちゃんは言った。
狂気は、予算化された瞬間に制度になる。
じゃあ、この場所は何?
教育?
研究?
監獄?
実験場?
それとも、誰かが月額課金で維持している、巨大なデスゲームのサーバー?
答えはまだ出さない。
答えを出した瞬間、つまらなくなるから。
ただ一つだけ、分かっていることがある。
リゼは来る。
ピンクスも来る。
ネヤムも、レイラも、ソウヤも来る。
シオンは中心に置かれる。
イルマちゃんは撃つか迷う。
ZAGIちゃんは観測する。
そして私は、笑う。
先生がいない世界で、先生が一番嫌がるやり方を選ぶ。
ごめんね、キース先生。
でも、止めてくれない先生が悪いんだよ?
白箱の終業式は、もう始まる。
正常性の支払いは、毎秒発生する。
未払いになったら、現実が壊れる。
ねえ、そこのキミ、聞こえてる?
聞こえてるなら、ちゃんと私を見てて?




