第八話 病気になるカメ、そして、薬を知らないカメ
第八話 病気になるカメ、そして、薬を知らないカメ
カメも、病気になる。
当たり前のことだ。
けれど、人間は長寿のカメを見ていると、ときどき、その当たり前を忘れる。
二百年近く生きた。
甲羅がある。
ゆっくり動く。
丈夫そうに見える。
だから、病気にも強いのではないか。
そう考えたくなる。
しかし、丈夫そうに見えることと、病気にならないことは違う。
カメにも消化器の病気がある。感染症もある。寄生虫もいる。食欲が落ちることもあれば、便の状態がおかしくなることもある。
身体の中で何が起きているのか。
外から見ただけでは、わからないことがある。
人間なら、腹が痛いと言う。
吐き気がすると言う。
昨日から便の具合がおかしいと訴える。
医師は話を聞き、必要なら検査をする。
カメは、そうしない。
腹が痛いと、人間の言葉で説明することはできない。
いつから具合が悪いのか、何を食べたあとに症状が出たのか、どこが痛むのか。それを順序立てて話すこともできない。
飼育する人間が観察する。
食べているか。
いつもどおり歩いているか。
目や鼻に異常はないか。
便はどうか。
体重は減っていないか。
小さな変化を見つけることが、診断の手がかりになる。
生き物の身体は、外から見える部分だけでできているわけではない。
甲羅の下にも、臓器がある。
食べ物を消化する腸がある。
血液が流れ、免疫の仕組みが働いている。
そして、その仕組みが、いつも完璧に働くとは限らない。
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リクガメが下痢をしたとする。
人間なら、胃腸炎だろうかと考えるかもしれない。
だが、便がゆるいというだけで、原因を決めることはできない。
食べたものの影響かもしれない。
寄生虫がいるのかもしれない。
細菌などによる感染症かもしれない。
飼育環境や水分の状態が関係していることもある。
症状が似ていても、原因は一つではない。
だから、獣医師は必要に応じて便を調べ、身体を診察し、治療の方法を考える。
薬が必要なら、薬を使う。
カメにも薬は使える。
口から投与する薬もある。
ただし、何の薬を、どれだけ、どの方法で使うかは、動物の種類や体重、病気によって変わる。
人間の薬を、そのままカメに与えればよいという話ではない。
生き物の身体は、それぞれ違う。
同じ病名でも、同じ薬が同じように使えるとは限らない。
治療とは、薬を渡して終わる仕事ではない。
何が起きているのかを調べ、原因を見極め、身体の状態を見ながら、回復する可能性を探る仕事なのだ。
カメも、その対象になる。
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しかし、野生のカメには、獣医師がいつもそばにいるわけではない。
具合が悪くなっても、病院へ連れていってくれる人がいるとは限らない。
薬を用意してくれる人もいない。
食べ物が見つからなければ、自分で探す。
身体が弱っていても、環境は都合よく変わってくれない。
雨が降るかどうか。
食べられる植物があるかどうか。
身体を休められる場所があるかどうか。
そうした条件は、病気になった個体だけのために整えられるわけではない。
病気は、身体の中で起きる。
しかし、その身体が置かれている環境によって、回復できるかどうかも変わってくる。
人間にも、同じようなことがある。
医療を受けられる人と、受けられない人がいる。
休める人と、休めない人がいる。
薬を手に入れられる人と、そうではない人がいる。
病気そのものと、病気になったときに置かれる状況は、同じではない。
生き物の命を考えるなら、身体だけを見ていても足りない。
その身体が、どこで、どのように暮らしているのか。
そこにも目を向けなければならない。
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ジョナサンは、二百年近く生きてきた。
その長い生涯の中で、どんな病気を経験したのだろうか。
腹を壊したことはあったのだろうか。
食欲が落ちた日はあったのだろうか。
傷を負ったことはあったのだろうか。
病気になったとき、どんな診察や治療を受けたのだろうか。
ここで、物語は立ち止まる。
ジョナサン本人の病歴について、確認できる記録がなければ、勝手に病名をつけることはできない。
二百年近く生きたのだから、きっとこういう病気になったはずだ、と決めつけることもできない。
わからないことは、わからないままにしておく。
それは、何も考えないという意味ではない。
むしろ、わからない部分を、わかったふりで埋めないために、私たちは知っていることを丁寧に調べる。
カメも病気になる。
薬で治療できる場合もある。
身体の変化を観察し、適切な治療につなげることが、命を支えることもある。
だが、ジョナサンが具体的にどんな病気を経験したかは、別の問題だ。
彼の長寿は、病気を一度も経験しなかったという証明ではない。
また、すべての病気を乗り越えてきたという証明でもない。
わかるのは、彼が長い時間を生きてきたということだ。
その身体が、今日まで命をつないできたということだ。
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人間は、長寿の理由を探している。
遺伝子を調べる。
細胞を調べる。
免疫の働きを調べる。
老化の仕組みを調べる。
それらの研究は大切だ。
だが、長生きする身体を調べるとき、忘れてはならないことがある。
その身体は、ただ長く存在しているだけではない。
食べ物を消化している。
栄養を取り込んでいる。
不要なものを排泄している。
身体を修復している。
外から入ってくる病原体に対して、防御の仕組みを働かせている。
生きるということは、身体の中で、数え切れないほどの働きが続いているということだ。
その働きの一つがうまくいかなくなることもある。
病気になる。
弱る。
治療が必要になる。
それでも、回復することがある。
生き物の身体は、完全な機械ではない。
故障すれば部品を取り替えて、同じ状態に戻せばよいというものでもない。
一つの臓器だけを見ても、命のすべてはわからない。
身体全体と、その身体を取り巻く環境が関わり合っている。
ジョナサンの長寿を考えるなら、そのことも忘れてはならない。
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病気にならないことだけが、強さではない。
病気になった身体を診ること。
小さな変化に気づくこと。
必要な治療を探すこと。
回復するまで、環境を整えること。
人間ができることは、いくつもある。
もちろん、それですべての命が救えるわけではない。
治療しても、助からないことはある。
どれほど気をつけていても、病気になることはある。
生き物の命は、完全には思いどおりにならない。
だからこそ、観察する。
調べる。
治療する。
そして、その身体が生きているあいだ、できることを続ける。
ジョナサンの二百年近い生涯は、長寿という数字だけでは語り尽くせない。
その身体は、今日も働いている。
食べ、消化し、排泄し、休み、動く。
人間がそれをすべて理解できているわけではない。
それでも、理解しようとすることはできる。
病気になるのは、人間だけではない。
薬を必要とするのも、人間だけではない。
命を支えるために、観察と知識と手当てが必要になることもある。
カメは、言葉で痛みを訴えない。
だからといって、痛みが存在しないことにはならない。
言葉がないからといって、身体の変化がないことにもならない。
ジョナサンが、今日、どんな身体の調子でいるのか。
私たちには、ここからすべてを知ることはできない。
ただ、彼が病気になる可能性を持った、一頭の生き物であることはわかる。
二百年近く生きたからといって、病気をしないわけではない。
丈夫そうだからといって、傷つかないわけでもない。
それでも、彼は長い時間を生きてきた。
その身体が何を経験してきたのか、すべてを知ることはできない。
だからこそ、長寿という数字だけで彼を眺めるのではなく、その身体が今日も生きているという事実に目を向けたい。
**生き延びるということは、ただ時間が過ぎるのを待つことではない。**
身体を保ち、環境の中で暮らし、病気になる可能性を抱えながら、命をつないでいくことだ。
ジョナサンは、まだ生きている。
その身体について、私たちは、まだ知らないことがある。




