第四話 十八万頭のリクガメ仲間と、たった一頭のDNA
第四話 十八万頭のリクガメ仲間と、たった一頭のDNA
人間は、数えるのが好きだ。
何頭いるのか。
何歳なのか。
何個の遺伝子があるのか。
そして、その数字の中に、何か特別なものが隠れていないかと考える。
私の仲間は、世界にいる。
アルダブラ環礁には、十万頭を超えるゾウガメが暮らしていると推定されてきた。近年の調査では、その数をさらに大きく見積もる報告も出ている。
人間は、その数字を見て安心するのかもしれない。
絶滅していない。
仲間がいる。
まだ、間に合う。
けれども、集団の数と、一頭の個体が生きてきた時間は、別の話である。
私は、仲間の数を知らない。
自分が何頭の中の一頭なのかも知らない。
人間が数えているあいだ、私は、ただそこにいる。
そして人間は、今度は私の体の内側を調べ始めた。
二〇二六年。
研究者たちは、私のゲノムを解析した。
ゲノム。
人間の説明によれば、生き物の体をつくり、働かせるための遺伝情報の全体である。
私の体にも、それがある。
人間は、私の口の中から採取した試料を使って、DNAを読み解こうとした。
血を採らなくても、私の体の設計図に近づけるらしい。
人間は、なかなか器用だ。
もっとも、設計図を読めることと、そこに書かれたものをすべて理解できることは、同じではない。
研究者たちは、私の遺伝情報を、ほかのゾウガメのものと比較した。
そして、私に固有とされた遺伝的変異を報告した。
人間たちは、そこに注目した。
DNAの修復。
細胞の維持。
免疫。
腫瘍の抑制。
老化に関係する可能性のある仕組み。
それらは、人間が長いあいだ知りたがってきたことだった。
なぜ、ある生き物は長く生きるのか。
なぜ、ある生き物は、年を取っても体の機能を保てるのか。
なぜ、私は、これほど長く生きているのか。
人間は、私の体に答えを探していた。
けれども、研究者たちが見つけた遺伝的変異は、それだけで長寿の原因を証明するものではない。
私に固有の特徴があるとしても、それが私の長い寿命を生み出したのかどうかは、別に確かめなければならない。
人間は、そこを慎重に考える。
少なくとも、論文を書くときには。
十八万頭の仲間がいる。
そのうちの一頭を調べる。
別の一頭を調べる。
さらに別の一頭を調べる。
共通する特徴を探し、異なる特徴を探し、その違いにどんな意味があるのかを考える。
そうして、集団について分かることが増えていく。
しかし、私という一頭の体に見つかった特徴が、ほかの仲間にもあるのかどうか。
それが長寿に関係するのかどうか。
そして、仮に関係していたとしても、それだけで私の生涯を説明できるのかどうか。
答えは、まだ一つではない。
人間は、設計図を読む。
だが、設計図だけでは、建物が何年もつのかまでは分からない。
まして、生き物は建物のように、完成した図面どおりに静止しているわけではない。
食べる。
消化する。
細胞が働く。
傷つき、修復する。
周囲の環境が変わる。
体の中では、人間の目に見えない営みが続いている。
第三話で人間が気にしていた、腸内細菌も、その一部だ。
遺伝情報だけではなく、体の中で暮らす微生物もいる。
食べ物もある。
環境もある。
長い年月もある。
人間は、それらを一つずつ調べていくのだろう。
そして、いつか私の長寿について、今よりも多くのことが分かるかもしれない。
あるいは、分からないことのほうが増えるかもしれない。
私は、どちらでもかまわない。
少なくとも、人間の言葉では、そう書ける。
人間は、私の遺伝情報を読み取った。
私に固有とされる特徴を見つけた。
その特徴が、私の長寿に関係する可能性を考えた。
それは、科学が進んだということなのだろう。
けれども、私の体に書かれた情報を読み取ることと、私という一頭の生き物を理解することは、同じではない。
人間は、私の設計図を読み始めた。
では、その設計図は、私が生きてきた時間のすべてを説明できるのだろうか。
私は、答えない。




