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 ギルドの大扉を押すと、外の喧噪とは質の違う熱気が押し寄せてきた。

 高い天井の石造りのホール。壁一面の掲示板には依頼書が重なり、商人や冒険者がそれを覗き込んでは言葉を交わしている。革と紙と人の匂いが入り混じり、青司は一瞬だけ息を詰めた。


 ――ここが、この街の“商いの心臓部”。


 木製のカウンターに並び、順番が回ってくる。

 喉の奥が乾くのを自覚しながら、青司は一歩前へ出た。


「薬を……売りたいのですが」


 栗色の髪をまとめた受付嬢が視線を上げ、事務的な笑みを浮かべる。


「会員証はお持ちですか?」


「いえ……まだです」


「では登録からになります。お名前とお住まいを」


「青司と申します。……街の外れの森で、薬を作っています」


 わずかに、受付嬢の視線が鋭くなった。

 森で暮らす薬師。街にとっては、信用と危うさの境界にいる存在だ。


「扱うのは治療薬が中心で?」


「はい。怪我や熱、火傷用の薬です」


 帳簿に走るペン先の音が、やけに大きく聞こえた。


「登録料は銀貨一枚です」


 青司は袋から銀貨を取り出し、カウンターへ置く。

 受け取った受付嬢は、小箱を開き、小さな金属の証を差し出した。


「こちらが会員証です。これを身につけている間、あなたは“商人”として扱われます。紛失時は再発行できませんので、ご注意を」


 その言葉に、青司の胸がわずかに引き締まった。

 ただの金属片だが、これを持つことで――自分は“この街の側”に立ったのだ。


「では、薬を拝見します」


 背負い袋から瓶を取り出し、カウンターに並べる。

 澄んだ液体、草の色を残した煎液、軟膏。受付嬢は一本を手に取り、光にかざした。


「……少々お待ちください」


 そう言って、数本の瓶を持ったまま奥へ消える。


 取り残された青司の周囲では、商談の声や笑い声が交錯していた。

 その喧騒の中で、自分だけが試される側に立たされている。


 ――通るか、弾かれるか。


 街に受け入れられるかどうか。その分かれ目に、今、立っている。


 厚い扉が開き、ずんとした足音が近づいてくる。

 現れたのは、恰幅のよい壮年の男だった。整えられた濃い髭、灰色の上衣の胸には、三重の円が重なった紋章が光っている。


「君がセイジだな」

 低く通る声に、値踏みと威圧が同居していた。

「私は副ギルド長のガラントだ。その薬、見せてくれ」


 青司は瓶を一歩前に押し出す。

 周囲の喧噪が遠のき、このカウンターの内側だけが張り詰めた空気に包まれた。


「回復薬です。主材は《癒糸草》と《メルサ樹皮》。抽出後、魔力で有効成分を“織って”固定しています。劣化を抑え、効き目を安定させるためです」


「織る、だと?」

「はい。薄い魔力の層で成分を束ねています。栓の刻印が鈍れば、効果が落ちた合図になります」


 ガラントは瓶を光にかざし、匂いを確かめる。沈殿はない。

 液面に、かすかな光の筋が走った。


「用法は?」


「外用・内服どちらも可。深い裂創には洗浄後に直接灌注、浅い切り傷なら布に染ませて圧迫。内服はこの小瓶一本で大人一回分です。欠点は――再生が速すぎて発熱する場合があるので、解熱剤の併用を」


「ふむ……言いにくいことほど先に言える職人は少ない。それにしても、どれも今までにない調合法だな」

 ガラントの声がわずかに和らぐ。

 

 傍らの若い書記に目をやった。


「おい、さっき紙で指を切っていたな。試すぞ」


 止血剤を一滴。血はすぐに止まり、書記が目を丸くする。

 続いて鎮痛剤。帳簿係の男の眉間の皺がほどけた。


「効き目が速い。しかも匂いがきつくない」

 ガラントは腕を組み、青司の胸元にちらりと視線を落とす。

「――その会員章、先ほど発行されたばかりだな。三重円を付けて持ち込む品としては悪くない」


 青司は無意識に胸元のピンに触れた。

 “人・金・物”。この街で商う者の証だ。


「供給量は」

「週に回復薬が数本、他は十前後。品質を落とさない範囲で」


「……ふむ」

副長の視線が一段、柔らいだ。先ほどまでの“試す目”が、“値段を付ける目”へと変わる。


「いいだろう。まずは試験販売だ」


 ガラントは契約書を差し出す。

「手数料は二割。流通はギルドが担う。

 ――それと、君の調合法は当面、保護下に置く。五年だ。勝手に真似されることはない」


 その一言に、青司の指がわずかに強ばった。

 “守られる”という言葉が、思った以上に重く響く。


 契約書の角を軽く叩き、ガラントは続ける。

「そして最後。君が望むなら、いずれ調合法を公開し、製造を委ねることもできる。その場合は調合法の使用料を徴収し、開発者である君に還元される仕組みだ」


 セイジは真剣に耳を傾け、頷いたが、少し考え込んだように眉を寄せる。

「……供給量は、私の手で作れる分だけでいいんですよね?」


「当然だ」ガラントは即座に答えた。「いまは無理に増産を強いることはない。品質が落ちれば、こちらも信用を失う。量は君の裁量で決めろ」


 セイジは胸の奥に溜まっていた緊張が、すっと抜けていくのを感じた。

「……ありがとうございます。それなら安心できます」


「それと」ガラントは紙を指でなぞり、補足した。


「販売時には必ず効能・用法・禁忌を明記してくれ。効きすぎる薬は誤用されれば害になる。事故を避けることは、君の名誉を守ることにもつながる」


 セイジは深く息を吐き、契約書に目を落とした。条文は短く、しかし肝心な部分は守られている。

「……分かりました。これでお願いします」


 署名のために羽根ペンを取ると、ガラントの口許がわずかに緩んだ。

「ギルドでは、まずこの街の三軒の薬屋と衛兵隊に卸そう」

「はい、よろしくお願いします」


 ガラントは口の端をわずかに上げ、受付嬢に目配せした。

「登録は済んで、会員章は受け取ったな?」

「はい」

「三重円を胸に付けておけ。人・金・物。今日から君は、その輪の中の一つだ」


 そう言って、ガラントは回復薬の瓶を一つ手の中で転がした。光の筋が液中に細く走る。

「――それにしても、久々に“仕事の匂い”がする品だ。森の若い薬師、セイジ。腕は本物だと見た」


 セイジの胸の奥が熱くなる。深く一礼した。

「評価、感謝します。期待に応えます」


 ホールのざわめきや石床に響く足音が、今、自分の仕事が認められたことを実感させる。服の内側で、三重円の小さなピンがかすかに鳴った。


 ガラントが帳簿を閉じると同時に、低く落ち着いた声が青司に響いた。


「――商人の評価は言葉ではなく、行動で示されるものだろう。まずは前金として銀貨七枚を払おう。効能が確かで安定している。売れるはずだと見ているからだ。初めて持ち込んだ以上、多少の現金は必要なのだろう?」


 目を細めながら、ガラントは淡々と告げた。その声音には威圧ではなく、取引を成立させるための誠実な確かさがあった。


 庶民感覚では薬一本で、街の一週間分の暮らしが賄える額である。その額を当たり前のように口にするガラントの前で、セイジは現実感を失いかけていた。


「……こんなに……」

 無意識に声が漏れる。


 ガラントはその動揺を楽しむように、口の端をさらに持ち上げた。


「驚くことはない。薬は命を繋ぐ品だ。安売りすれば信用を損なう。君の薬は“扱える水準”にある。ならば、正当な値をつけるのがギルドの務めだ」


 セイジは喉を鳴らし、無言で頷くしかなかった。

 ギルドという巨大な仕組みの中で、自分の薬が“値段を持った”――その実感が、遅れて胸に落ちてきた。


*******


 昼の忙しさが落ち着き、食堂には常連客の笑い声だけが残っていた。

 私は椅子に背を預け、小さく息をつく。香ばしい肉と野菜のスープ。森では決して味わえない、姉の味だ。


 ふと、姉がこちらを見て目を細めた。


「……その服、ずいぶん大きいわね」


 心臓が跳ねた。

 袖は長すぎて何度も折り返し、裾は腰ひもで無理やり留めている。どう見ても、私のものじゃない。


「……事情があって」


 姉はにやりと笑った。


「ふうん。男物よね、それ。借りたの?」


「……借りただけ」


 ぶかぶかの袖を握ると、あの人の顔が浮かぶ。血まみれで倒れていた私を助け、何事もないように薬を作っていた横顔。思い出すたび、胸の奥がざわつく。


「顔に出てるわよ、リオナ」


「ちがっ……!」


 反射的に声を張ると、耳がぴんと立ち、尻尾まで膨らんだ。

 姉はそれを見て、楽しそうに目を細める。


「“世話になった人がいる”なんて、あんたが言うの久しぶりね」


 胸が、ぎゅっと締めつけられた。

 強くあると決めてきた私を、森で拾い上げたのは、他でもないあの人だ。


「……名前は?」


 逃げ場はなかった。

 私は視線を伏せ、小さく答える。


「……セイジ」


「ふうん。なら、その服は早く返さないとね」


 当然のように姉は立ち上がる。


「今から古着屋に行きましょ。ちゃんと、自分の服を用意しなさい」


「え、ちょ……」


 腕を引かれ、抵抗する間もなく立たされる。

 奥から顔を出した義兄が、苦笑まじりに言った。


「行っておいで。店は俺が見てるから」


 ぶかぶかの袖を握りしめたまま、私は姉に引かれて外へ出た。


 ――借り物のままじゃ、いられない。

 それは服の話であり、あの人との距離の話でもあり、

 いつまでも“誰かに守られる側”でいるわけにはいかない、という話でもあった。

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