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 湖畔から戻り、軒先に洗濯物を干し終えた頃だった。

青司は干した布のしずくを指で払いながら、何度も言葉を探すように口を開いては閉じ――ついに意を決したように、リオナへ向き直った。


「なあ、リオナさん?……体調が戻るまで、ここでゆっくりしていったらどうだ?」


リオナの耳がぴんと立ち、瞳が鋭く細められる。

「……どういう意味かしら?」

その声音には警戒がにじんでいた。自分のような容姿を狙って言い寄る男を、彼女はこれまで何度も見てきたのだ。


「えっと、その……!」青司は慌てて手を振る。「ち、違うんだ。変な意味じゃない! 治療を恩に着せるつもりもないし、あわよくば……なんて考えてない。本当に」


リオナはしばらく彼を見つめ――やがて小さく鼻を鳴らした。

「……ふーん。あなたの顔を見てたら分かるわ。嘘をついてる人の目じゃないもの」

そう言いながらも耳は揺れ、頬はわずかに赤らんでいた。


青司は安堵しつつ、真剣な声を続ける。

「狩人なんだろ? また森に戻るんだろうけど……血を失ったまま動いたら危険だろ。無理して倒れたら、今度は助けられる人がいないかもしれない」


リオナは唇を噛んだ。誇り高い狩人としての自負がある。けれど体はまだ重く、息も浅い。青司の言葉は正しかった。

「……確かに、体はまだ本調子じゃないわね」


「だったらさ。数日でもいいからここで休んでいけよ。薬もあるし、まともなものを作れはしないけど、食料も何とかなる。心配しなくていい。……ほんとに、変なことする気はない」


リオナは目を伏せて深呼吸をし、ちらりと家の中へ視線を向けた。散らかった作業場や乱れた台所が目に入る。

「……でも、この散らかり放題の家にじっとしてるのは、ちょっと落ち着かないかな」


「はは……まあ、その……俺、片付けはどうも苦手で」青司は頭をかいた。


リオナは小さく溜め息をつき、きっぱりと告げた。

「いいわ。じゃあ、こうしましょう」

「え?」

「数日なら休ませてもらう。その代わり、料理は私がやるわ。そのかわり、あなたはちゃんと片付けてね」


「え、俺が片付け……?」

「当たり前でしょ? 私が休んでる間にあんたがもっと散らかしたら、落ち着けないじゃない」


反論できずに呻く青司を見て、リオナは少しだけ笑みを浮かべた。

「それに……あなた、料理はあんまり得意じゃないみたいだし。私の方がずっと美味しく作れるんだから」

「……それは、否定できないな」


「だから、私は料理。あなたは片付け。それでおあいこでしょ」

リオナは照れ隠しのように視線を逸らし、耳を赤く染めていた。


青司はその仕草に、心の中で小さく頷いた。

――これなら、しばらく一緒に過ごせそうだ。



「そうだ、夜の寝床のことを決めておかないとな。寝室を使っていいよ」

青司の言葉に、リオナはぴたりと動きを止めた。

「……あなたの寝室?」


その声音にははっきりとした抵抗があった。

「えっと、ほら……布団あるから、その方が楽だろうって思っただけで」


リオナは鼻をひくつかせ、すぐに首を振った。

「ううん、ダメ。匂いが強すぎるの」

「えっ」

「布団も、部屋の空気も、ぜんぶあなたの匂いがするし……それに」


視線の先、寝室の奥。散らかった服や布が目に入った。

「……あんなに散らかってるの、ちょっと落ち着かないわ」


「うう……」青司は苦笑するしかない。


だが次の瞬間、思い出したように顔を上げた。

「奥に、まだ使ってない空き部屋があるんだ。藁布団がひとつあるだけだけど……逆に落ち着けるかもしれない」


「空き部屋?」リオナの耳がぴくりと動いた。


案内された部屋は窓から柔らかな光が差し込むだけのがらんどうな空間。床に置かれた藁布団を押すと、ごわごわとした感触が返る。


青司は慎重に取り出した。

「これ……少し硬めだけど、暖かくて寝心地はいい」


リオナの目が見開かれる。ウールのブランケット――庶民には手の届かない織物だ。思わず胸に抱きしめ、その柔らかさに耳がぴんと立つ。

「森での野宿と比べれば、雨風をしのげるだけで十分。藁布団なんて贅沢品よ。……ここがいいわ」


小さくそう言ったリオナは、赤い頬を隠すようにブランケットを抱きしめた。

「……ありがと」


青司はふっと笑い、肩をすくめる。

「なんだか、ここで過ごす方が落ち着けそうだな」

「……そうね。まあ、あなたの匂いに包まれて眠るよりは、ずっといいわ」


そう口にしながらも、尾の先は嬉しそうに揺れ続けていた。




**************



 「じゃあ……早速片付け、始めてちょうだい」

空き部屋に藁布団と織物の厚手布を広げ、ようやく落ち着いたリオナは、腰に手を当てて青司を見上げた。


「うっ……やっぱり言われるか」

青司は後頭部をかき、苦笑する。

床にこびりついた赤黒い痕が脳裏をよぎる。血と薬草の残滓が染み込んだ板張りの床は、どうしても放置できない。


「……そうだ、洗濯に使ったあの洗剤。あれなら床の汚れにも効くかもしれない」

思いついたように声を上げると、リオナはぱちりと瞬いて首を傾げる。

「ふうん……つまり、また湖に行くってこと?」

「うん。ハーブを摘んでくれば新しく作れるし……」


青司の言葉が途切れると、リオナはすっと顎をしゃくった。

「じゃあ、わたしも行くわ。弓と小剣、まだ置きっぱなしだもの。探さないと」


「でも……無理は――」

「大丈夫よ」

きっぱりと返す声に、狩人としての芯の強さがにじんでいた。

青司はその瞳を見て、苦笑しつつも頷くしかなかった。

「……分かった。一緒に行こう。ただし、少しでも辛かったらすぐ休むこと」

「はいはい、分かってるわよ」

リオナは口調こそ軽いが、耳はぴんと立ち、瞳はまっすぐだった。



森を抜け、湖にたどり着くと。

青司は群生しているハーブを見つけ、せっせと摘み取っていった。

「これに詰めて帰れば、たくさん持ち帰れるな」

「ふふ、ちゃんと用意してきたのね」

リオナは小さく笑い、草むらへ分け入る。やがて見つけたのは、自分の弓と矢筒だった。半分ほど矢は失われていたが、無事だっただけで十分だ。小剣も泥に汚れてはいたが、刃は傷んでいない。

「よかった……これがないと、狩りもできないんだから」

安堵の吐息をこぼす彼女を見て、青司も胸をなで下ろした。



帰り道。

「あっ、見て! 枝の上に赤い実がなってる」

青司が指差すと、リオナの耳がぴんと立つ。

「熟した森リンゴね。甘いはずよ」

彼女は軽やかに木へ登り、枝を揺らして実を青司のカゴへ落とした。尾がバランスを取るようにしなやかに揺れる。


さらにベリーの群生やナッツ、胡桃も見つかり、二人のカゴはすぐにいっぱいになった。

「こんなに集まるなんて……やっぱりこの森は豊かだな」

「その分、獣も多いの。私が言うのもなんだけど、油断したら駄目よ」

そう言いながらも、リオナの声はどこか楽しげだった。



家に戻ると、リオナは迷わず台所へ向かった。

「この果物、洗って冷やしておきましょう」

リンゴやベリーを水鉢に沈めると、赤い実が水面できらきら光った。

「冷やすと、さっぱりして美味しいのよ」

小刀を手にする彼女の横顔は、狩人というより家庭的な少女のようだった。


一方、青司は作業場でハーブを調合する。

魔力を注ぎ込むたび鍋の中の草が細やかに崩れ、清らかな芳香を放つ液体ができあがっていく。

「よし……これなら血の跡も落ちる」


瓶を抱えて戻ると、リオナは腰に手を当てて待っていた。

「ちょうどいいわ。その洗剤で床を拭いちゃって」

「えっ、俺が?」

「当たり前でしょ。自分の家なんだから。ほら、雑巾はそこよ」


しぶしぶ膝をつく青司。洗剤を垂らした途端、赤黒い痕はするすると消えていく。

「すごい……みるみる落ちていく」

「感心してる暇があったら、隅までちゃんと拭いて」

リオナは半眼で言いながらも、耳がぴくりと動き、尾がぱたぱたと揺れていた。


汗を流しながら雑巾を動かす青司。やがて床は光を取り戻し、部屋には爽やかな香りが広がった。

「ふう……やっと終わった」

「うん。これなら、ちゃんと人が暮らす家に見えるわ」

リオナは満足そうに微笑む。



「はい、座って」

彼女が手渡したのは、木の皿に並べられた果物。リンゴは花のように開き、ベリーには小さな葉が添えられている。

「これ……全部リオナが?」

「切っただけよ。大したことじゃないわ」


青司がひと口かじると、ひんやり甘酸っぱい味に思わず目を丸くする。

「うまっ……俺が食べた果物と全然違う」

「ふふ。切り方ひとつで変わるの。……あんた、丸かじりしてただけだったでしょ?」

「うっ……図星」


照れる青司を見て、リオナは尾をゆらりと揺らす。

「ちゃんと片付けたんだもの、ご褒美よ」

「ご褒美か……ありがとな」

青司が笑みをこぼすと、リオナの頬もほんのり赤く染まった。


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