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ベルド視点


 若い男は出されたベリーをかじりながら、落ち着かない様子で視線を店内に泳がせていた。

 俺は包丁を置き、濡れ布巾で手を拭うと、そのまま奥の席に視線をやった。


「……あんた、ここに誰かを探しに来たのか?」


 問いかけると、男は一瞬肩をびくつかせた。やはりそうか。

 おずおずと顔を上げ、少し言い淀んだ後、答えが返ってくる。


「えっと……ここは猫人族の女性がやっている店だと聞いたんです。待ち合わせをしていて……」


 やっぱりか。声の調子からして嘘ではないようだが、何者なのかはわからない。

 俺は腕を組み、敢えて無表情のまま彼を見下ろした。


「猫人族の女、ね。――その名前は?」


 探りを入れるように聞くと、男の目が一瞬迷った。だがすぐに、覚悟を決めたように口を開く。


「待ち合わせをしているのはリオナ、って言います」


 その名が出た瞬間、俺の眉がわずかに動いた。やはりリオナを知っている。しかも名前を知るほどに。

 俺はわざと低く鼻を鳴らした。


「……そうか。なら、ここで待っていろ。すぐに戻ってくるはずだ」


 短くそう告げて厨房に戻る。だが背中で、まだ落ち着きなく周囲を見回す気配が伝わってくる。

 あの目は、ただの通りすがりの客ではない。だが――敵意も下心も感じない。


 それでも、油断はできない。かわいい義妹の名を口にした若い男が、どんな奴なのか……俺の目で確かめる必要がある。


 ――さて、リオナ。

 お前はいったい、この少年とどんな縁を結んできたんだ?



**************



 控えめな刺繍の入った淡い水色のワンピースを着て、リオナとマリサが食堂へ戻ってきた。

 仕込みの最中だったベルドが顔を上げると、手にした包丁を思わず止めた。


「……リオナか?」

 驚きの色を隠せないまま、目を丸くする。


 リオナは途端に頬を赤くし、姉の背に隠れた。

「もう……やっぱり似合わない」


「似合わなくなんてないわ。ねぇ?」

 マリサが笑みを浮かべて夫へ同意を求める。


「ああ。よく似合ってる」


 その言葉にリオナの顔はさらに赤く染まり、耳まで真っ赤になる。

「やめてよ……!」

 尻尾がバタバタと床を叩き、リオナは居心地悪そうにうつむいた。


 そのやり取りを奥の席で聞いていた青司は、そっと顔を出してしまった。

「……あの、えっと……すごく似合ってると思います」


 一瞬で場が静まり返る。ベルドの視線が鋭く、青司を射抜いた。

「お前……そういえば、奥にいたのか」

「は、はい……」


 青司は座り直しながら、妙に小さくなって答える。


 マリサがそこでくすりと笑い、妹の肩を軽く叩いた。

「ほら、ちゃんと見てるじゃない。ねえ、リオナ」


「っ……! やめてってば!」

 リオナはますます真っ赤になり、顔を覆ってしまった。


 ベルドは腕を組んで青司を睨みつける。

「お前、リオナとどういう関係だ?」


 不意の直球に青司は言葉を詰まらせ、慌てて首を振った。

「か、関係って?! その、……助けてもらってただけで……!」


 リオナは焦って顔を上げ、慌ててかぶせる。

「た、助けたんじゃない! ちょっと手伝っただけ!」


 そんなやり取りを眺めて、マリサはにやりと笑った。

「ふふっ……なるほど。リオナがしばらく顔を出さなかった理由、ちょっとわかった気がするわ」


「ち、ちがっ……!」

 リオナは慌てふためいて耳をぺたんと寝かせる。


 青司も真っ赤になり、言葉を失う。

ベルドは一人渋い顔で唸った。

「……俺の店で勝手に変な芝居をするな」


 だがその口元が、わずかにほころんでいたのを見逃した者はいなかった。



**************



 仕込みの手が一段落した頃、ベルドが「営業まで少し時間がある」と手を拭きながら席に戻ってきた。マリサは当然のようにテーブルを整え、果物や軽い菓子を並べていく。その動きは、まるで家族の団らんを用意する母親のようだ。


「さあ、せっかくの機会だもの。四人で話しましょう」

 マリサの一声で、自然に輪ができあがった。


 青司は妙に居心地悪そうに背筋を伸ばし、手を膝に揃えて座っている。リオナは腕を組んでぷいと横を向き、耳を伏せ気味にしていた。ベルドは無言で腕を組み、じっと二人を見比べる。場を仕切るのはもちろんマリサだ。にこにこと笑みを浮かべながら、目だけは鋭く二人の様子を観察している。


「じゃあまず――馴れ初めを聞かせてもらおうかしら?」

 わざとらしく目を細めてそう問いかけると、リオナが反射的に立ち上がった。

「なっ……馴れ初めなんてない!」

 耳を真っ赤にして声を荒げる妹を、マリサは片手で制して落ち着いた声で続ける。

「そんなに慌てなくてもいいじゃない。ただねぇ……ぶかぶかの服を借りるくらい仲良くなってるんでしょ?」


「っ……! ちが……ただ、泊まらせてもらっただけ!」

 リオナは必死に言葉を並べるが、その必死さが逆に怪しく見える。


 その瞬間、ベルドの低く重い声が落ちた。

「……泊まった?」

 問いただすような声音に、青司は慌てふためいて両手を振る。

「い、いやっ! ほんとに、ちゃんと床に寝て……! その、何もしてません!」


「はぁ?」

 リオナが鋭い視線で青司をにらむ。自分が必死に否定しているのに、余計な説明をするせいで火に油を注いでいるのだ。マリサはそれを見て笑いをこらえきれず、肩を震わせていた。


「なるほどねぇ。二人して必死に否定するあたり、ますます怪しいわ」

「お姉ちゃん!!」

 リオナがテーブル越しに食ってかかると、マリサは楽しげに手を振って受け流す。


 そんな軽口のやり取りの中で、ベルドは青司に真っすぐ視線を投げかけた。

「……で、お前。どこで何をしてるやつなんだ?」


 青司はしばし黙り込み、しかし逃げることなく答えた。

「森の奥で暮らしています。薬草で薬を作って……。今日はリオナさんに案内してもらって街に来て、商業ギルドに薬を卸してきました」


 素直で率直な答えに、ベルドは「ふむ」と低くうなずいた。視線は青司の胸元へと落ちる。

「……だからギルドのバッジをつけてるのか」


 小さな銀のピンが光っているのに気づき、リオナもはっとした顔で青司を見やる。

「……どうだった? セイジの薬ならちゃんと売れたでしょう?」


「ああ。ちゃんと薬として認めてもらえた。全部売れて……銀貨になった」

 青司は少し照れくさそうに笑みを浮かべた。その表情は、達成感と安堵が入り混じった柔らかなものだった。リオナの胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 だが、その様子を見逃すマリサではない。

「まあ、リオナ。いいじゃない。しっかり稼ぐ人みたいね?」

「ち、違っ……! だからそういうんじゃないってば!」

 リオナは顔を真っ赤にし、耳まで熱を帯びて机を叩く。尻尾がばたばたと大きく揺れ、感情を隠しきれない。


 青司は気まずさから視線を落とし、ベルドは「ははっ」と小さく笑った。呆れ半分、面白がり半分といった声音だった。


「……にぎやかだな」

 青司がぽつりとつぶやくと、マリサは満足そうに頷いた。


 こうして囲んだテーブルには、照れと笑い、そして探り合いの気配が入り混じりながらも、どこか温かい空気が漂っていた。



**************



 テーブルに和やかな空気が流れはじめたころ、マリサが不意に青司へと視線を向けた。

「そういえばセイジくん、今日はどうするの? もう日も暮れるし、森に戻るのは無理でしょう」


 問いかけに、青司は少し背筋を伸ばした。

「はい……今から森へ帰るのは危険ですから。今日は宿を取ろうと思っています。もし、この街で安心できる宿をご存じでしたら、教えていただけませんか」


 真面目な声音に、マリサは「あら」と小さく微笑んだ。

「ふふ……律儀なのね。でも、わざわざ宿なんて取らなくても――」

 わざと声を間を置き、にやりと口角を上げる。

「うちの空き部屋、使っていいわよ? ひとつしかないから、リオナと一緒になるけれど」


 言った瞬間、椅子がきしんだ。

「なっ……! お姉ちゃん!」

 リオナは勢いよく立ち上がり、耳を真っ赤にして叫ぶ。尻尾はバサバサと音を立てるように動き、頬まで火が回っている。

「そういうのやめてってば! からかわないで!」


 青司も慌てたように両手を振った。

「い、いえ! 本当に、お気持ちだけで十分です。さすがにご迷惑をかけるわけにはいきませんから……」

 言葉を選びながらも真剣な口調で断る。その様子が余計に真面目すぎて、逆にリオナの顔はさらに赤くなった。


 マリサはそんな二人の様子を楽しそうに眺めて、肩を揺らした。

「冗談よ、冗談。ほらリオナ、そんなに本気で怒らなくても」

「怒ってない! ただ……もう!」

 リオナはぷいと横を向いて頬を膨らませた。


 その空気を切り替えるように、ベルドが低い声で口を開いた。

「ギルドの近くに〈麦穂亭〉って宿がある。値段は手頃だし、部屋も清潔だ。あそこなら泊まって安心だろう」


 青司はすぐに表情を改め、深くうなずいた。

「ありがとうございます。……本当に助かります」


 ベルドは「ただな」と付け足し、腕を組んで青司を見やる。

「どうせなら、夕食と朝飯はうちで食べていけ。宿は素泊まりにしておけ」


 一瞬きょとんとした後、青司は思わず表情を和らげた。

「……そんな、よろしいんですか?」

「マリサも聞きたいことはまだありそうだしな」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、どこか気遣いの色がにじんでいた。


 マリサは「そうそう」と笑顔で頷く。

「せっかく出会ったんだもの、食卓を囲むくらい良いじゃない。リオナだって、きっとその方が安心でしょ?」


 急に話を振られたリオナは「えっ」と目を丸くし、すぐに視線を逸らした。

「べ、別に……わたしはどっちでも……」

 そう言いながら耳は真っ赤、尻尾は落ち着かずに揺れている。


 青司は苦笑しつつも、真っ直ぐに答えた。

「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて夕食と朝食はここでいただきます」


 そう言って頭を下げる青司の姿に、マリサは満足そうに微笑み、ベルドは「そうしてくれ」と短く頷いた。

 照れ隠しに視線を逸らすリオナをからかうのは、さすがにやめておいて、食堂の空気はほどよく温かいものへと落ち着いていった。



**************



 食堂を辞して外に出ると、街路にはすでに夕暮れの色が差し込んでいた。西の空は橙から群青へと移ろい、石畳の上に長い影を落としている。人々の足取りも早まり、行き交う声が次第に夜の喧騒へと変わりつつあった。


 ベルドに教えられた通り、商業ギルドの通りを抜けていくと、やがて木の看板に金色の麦の穂が描かれた二階建ての建物が見えてきた。〈麦穂亭〉――古びてはいるが、軒先に吊るされた花籠や、窓からこぼれる橙の灯りが温もりを感じさせる。華美ではないが、どこか家庭的で安心感を与えてくれる雰囲気だ。


 扉を押し開けると、ほのかに焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐった。木の床板がややきしむ音とともに、温かな空気が体を包み込む。カウンターの奥では、ふくよかな体格の女将らしき人物が帳簿を広げており、視線を上げてにこやかに声をかけてきた。


「いらっしゃい。泊りかい?」

「はい。一泊素泊まりでお願いしたいんですが」


 青司は腰のポーチに手を添えながら答える。女将はちらりと彼の胸元――商業ギルドのピンバッジに目を留め、安心したように頷いた。


「ギルドのお方なら安心だね。素泊まりでいいのかい? 食事をつけることもできるけど」

「素泊まりでお願いします。知り合いの店で食事をとるので」


「そうかい。じゃあ銅貨四十枚だ」

 言われた額をすぐに支払い、小さな鍵を受け取る。真鍮の札に彫られた番号は「七」。指先に触れた金属の冷たさが、ようやく旅の終わりを実感させてくれた。


 二階へ上がり、角部屋の厚い木の扉を開ける。中はシンプルながら清潔に整えられていた。白い布を掛けられたベッドが一台、小さな机と椅子、窓の外には街灯の灯りがほのかに揺れ、遠くで人々の笑い声や馬車の音が混じり合っている。


 青司はリュックを下ろし、ベッドに腰を下ろした。ふぅ、と自然に息が漏れる。

 ――ようやく、今日の寝床が決まった。


 思えば、朝から慣れない街歩きに商業ギルドでの取引、さらにベルド夫婦とのやり取りと、気を張り詰めっぱなしだった。胸元のポーチに触れると、硬貨が心地よい重みで存在を主張している。確かに稼いだ証だ。


 窓辺に立つと、石畳の通りを行き交う人々の姿が見えた。夜の街を彩る灯りの数々、遠くで響く楽師の笛の音。それらがどこか現実離れした世界に自分がいるのだと改めて思い出させる。

 ――でも、不思議と心細くはない。リオナや、あの夫婦の温かなやり取りが胸に残っているからだ。


 青司は小さく笑みを漏らし、ベッドに再び腰を下ろした。

「さて、今夜はしっかり休んで……」

 そう呟いたところで、ふと口を閉ざす。


「……っと、その前に夕食を食べに戻る約束してたんだった」


 思い出した瞬間、疲れがどこかへ吹き飛ぶ。ポーチの中の硬貨よりも、温かな食卓の約束が、今の青司には大きな支えになっていた。


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