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ヘブンズゲート・クライシス  作者: 遠藤 薔薇
92/112

92

「ガラスや植木で切り傷があって…土で汚れていたわ」

「わかりました…」

フェリシティは再び車に向かっていった。

俺は没入する。土で汚れていた。そうだ、病院でそう聞いていた。手足が汚れていた。

土で汚れているのは他にもあったような…そうだ、あの手紙だ。千切れた手紙も土で汚れていた。

そうか…そうだ。

俺は植え込みに駆け寄った。植木の背が低くなっている植え込み。俺は植木に手を突っ込んだ。枝が手に刺さるが気にしていられない。枝が折り、空間を作ってから土に手を差し込む。この植え込みは剪定されただけでそのままにされていた。植え替えなどはされていない。

つまり土の中はいじられていない。

じっとり湿った土や植木の根っこの感触が指先に伝わる。掘り進めていく別の感触に行き当たる。土や根とは違う。明らかに異質の感触。少しでも力の加減を間違えると壊れてしまいそうなもの。

俺は慎重に、それを引き上げた。枝に引っかけないように、引きちぎってしまわないように。

それはやっと植木から抜け出して俺の目の前に現れる。俺は土を軽く払った。湿っているがまだ形態は保っている。俺は街灯の下に移動した。

「やっぱり…」

手紙だった。あの千切れた手紙の残りの部分。湿って、汚れて、字が滲んでいたが、辛うじて読める箇所がある。俺は目を皿にして具に手紙を読んだ。そこにはハーピアが持っていたあの千切れた手紙の欠けていた部分が全て記されている。

同時に、記憶の扉が完全に開かれた。そして全ての空白が満たされていく。消えていた記憶に色がつき、流れ込んでくる。アメリカで過ごしていた自分が、2ヶ月前の自分が戻ってくる。

欠けていた俺が完全な俺になる。

それは仮説の立証も意味していた。やっぱり、そうだったんだ。

何もかも、誰も彼もが行き違い、掛け違い、すれ違っていたんだ。

「そうだったんだ…イリス…」

俺は膝を着いていた。記憶が戻った余韻で力が抜けていく感覚がした。戻ってきた自分と今までの自分との間に齟齬が発生したかのような感覚だ。

これまで記憶を戻すための努力をしてきた。そのためにアメリカまで来た。だけど実際に叶うと、ある種の喪失感めいたものが生まれてくる。同時に戻ってきてしまったという後悔も舞い込む。

フェリシティの言った通りだ。覚えていなかった時の自分を俺は決して嫌っていなかった。記憶が消え、様々な先入観が排除されていたからこそ感じたことや生まれた気持ちもあった。

だが戻ってきた記憶は圧倒的なリアリティと動かしようのない現実感がある。もう俺の記憶を想像することはできない。俺にできるのはただ受け入れるだけだ。

「真田君?真田君!」

フェリシティの声が聞こえた。そうか、今の俺の位置は彼女の死角だ。行かなきゃ。

俺は脱力した足を懸命に動かし、フェリシティの元へ向かおうとする。

ふと、背後に気配を感じた。小さくも鋭いブレーキ音が耳に入る。振り返ると、黒塗りのワゴン車が俺の後ろに停まっていた。

「え…?」

直感的に、その車は俺に用があるように感じた。反射的に俺は身を動かそうとする。

だがそれより早くワゴン車のドアが開き、中から屈強な体格の男が現れた。男は俺の腕を掴み、容赦ない力で引きずり込もうとする。俺は声を上げようとしたが、男のもう一方の手で口を塞がれた。弾みで握っていた千切れた手紙が落ちる。

俺はまんまんと車の中に引きずり込まれた。ドアが閉められ、ワゴン車が発進する。くぐもったフェリシティの声が聞こえ、答えようとしたが男の腕で首を締めあげられ、声がひしゃげる。

もがくことも敵わず、俺の意識はそのまま闇に落ちた。


10.監獄の家

意識を失うということを俺はこの2カ月でどれくらい経験しているだろう。一介の男子高校生、いや普通に生きている人達の中で意識を飛ばすという経験はそう多くあることはない。俺の場合、何度も何度も意識が落ちては、目覚めると知らない場所にいるという定型が出来上がってしまっている。明らかに犯罪めいた攻撃を受けた俺だったが、その定型に慣れてしまったからか、知らない空間にいると分かっても驚いたり慌てふためいたりするようなことはなかった。変な慣れ方をしてしまったものだ。

目覚めた俺がいたのは部屋だった。ホテル…というよりマンションの一室といったような趣だ。高級家具が揃っており、部屋自体は広い。10畳はあるだろう。

俺は起き上がろうとして違和感に気づく。両腕が腰の後ろで拘束されている。細いものが両手首に巻き付いており、力を入れても引きちぎれない。結束バンドという奴だろうか。映画で見たことがあるが、実際にやられるとここまでしっかり拘束されるとは思わなかった。

「くそっ…」

そこでやっと、俺に焦りが生まれる。明らかに俺に対して危害を加えようとする意図が垣間見える。早くここから脱出した方がいい。

ひとまず俺は状況を確認するために、両足だけを使ってどうにか立ち上がる。窓際まで歩き、肩でカーテンを開くとニューヨークの夜景が見えた。マンハッタンの夜景だ。100億ドルの夜景とはいうが、それを楽しんでいる暇はない。

今いる場所は高層ビルの一画らしい。とてもじゃないが窓から飛び降りるなんてことはできない。そもそも結束バンドで腕を縛られている以上、窓を開けることもできない。

一応ドアの方も確認してみる。案の定ドアに鍵がかかっている。内部から開けられるタイプではない。完全に手詰まりだ。

他に出口がないかを探す。映画やアニメだと換気口やエアダクトを見つけて逃げることが多いが、それも出来ないようだ。換気口こそあったが、俺の体格では通れない小さいタイプだ。そもそもしっかり鉄のカバーがついている。今の状態でこじ開けるのは難しい。

ズボンのポケットに入れていたスマホを探そうとするが無くなっていた。恐らく取り上げられたのだろう。

脱出する余地が見当たらない。

脱出口を探していると、天井の隅に設置された監視カメラに気づいた。誰かに覗かれている。俺が目覚めたことにも気づいているだろう。いずれ誰かが部屋に来るかもしれない。

俺を捕えた人間には心当たりがあった。あれだけ気を付けていたのに。自分の軽率な行動を呪った。手紙の在処に気づいたので頭がいっぱいになって、フェリシティの死角に入ってしまうなんて。足を引っ張ってどうするんだ。

あの破れた手紙はなかった。男に捕まった時に落とした記憶がある。フェリシティが回収してくれていたらいいけど…。

ふと、施錠されたドアの向こうで人の気配がした。やっぱり誰かがきた。俺は身構える。入ってきた瞬間にタックルをかましてやる。護身術とか格闘の心得はないけど、思いっきりタックルすればある程度のダメージは与えられるはずだ。

鍵が開かれる音がする。俺は前傾姿勢になってタイミングを計る。開錠されたドアが開く。人影が入り込む。その瞬間、俺はタックルを仕掛ける。

だが現れた人影が痛烈なキックを見舞ってきた。肩に蹴りを受けた俺はひっくり返る。負けずに立ち上がろうとするが、胸倉を掴まれ、そのまま持ち上げられた。息が詰まりそうになるのを必死にこらえながら相手の手に爪を立てる。俺の細やかな抵抗が気に入らなかったのか、男はさらに俺の喉元を締め上げた。


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