第70話 思い出話
食前酒と食前ケーキは絶品だった。
和栗の力強い風味が口内に残る状態でビールを流し込む。
その一体感たるや天にも昇る味わいだった。
一口一口を味わう博希に対して、刺賀姉弟は味わう気など皆無な食べっぷりだった。ものの数秒でモンブランとビールを胃に収めて即退店した。
その帰り際、辰爾は「悪いな博希、あたしは公平なんだ」と意味の分からない言葉を言い残し、実弥さんも「私は……やめとくわ」とこれまた意味深な言葉を残していった。
「……さっきのってどういう意味だったんだろうな?」
博希としては普通の会話、ただの世間話のつもりだったがタイミングが最悪だった。未来がグラスを傾けて今まさにビールを飲もうとしている最中だったからだ。
「……ぶはっ!?」
未来の口から霧状の琥珀色の液体がテーブル、壁に床へと満遍なく散布される。
口を押さえて咳き込む未来の背中をさすりながら店主に声をかける。
「……すいません、嶽さん! おしぼり数枚もらえますか!!」
博希の声が届くなり店主はおしぼりを鷲掴みで持って来てくれた。蒸したて熱々な十枚は優に超える量を平然と掴んでいる。行動の速さもそうだけど、その熱耐性の高さにも驚嘆する。
「……すんません、嶽さん。店、汚してもうた……ごほ、ごほ……」
「気にしなさんでください。ああそうだ、お水持ってきますね。《《彼氏さん》》もすいませんね、拭いてもらって……」
「いえそれこそ気にしないでください。元はといえば、俺らの責任なんで。おしぼり、ありがとうございます」
博希はその大量にあるおしぼりを使って、散布されたであろう場所を隅々拭いて回った。テーブル席だったこともあり、カウンター席にはまでは飛んでいないようだ。他客に迷惑をかけずに済んだのは不幸中の幸いだ。
「……ごめん博希、嶽さんもごめん。お二方もごめんなさい」
ペコペコと頭を何度も下げて未来は謝罪の言葉を紡ぐ。関西弁陽ギャルはどこに消えたのかというほど、異常なまでに気落ちしている。確かに迷惑はかけたかもしれないけど、ここまでしょげる彼女を見たことがない。
「嶽さんもあの人たちも、そこまで怒ってねぇって。つうか、一ミリも怒ってないじゃないか。だからその謝るのはもうやめろ。せっかくの料理がマズくなるだろ? まあまだビールとケーキした食べてないけども……」
「……うん、せやな。……スーハー……皆さん、ご迷惑をおかけしました! はい、これで終い。嶽さん注文おねが~い!!」
「う~ん、さすがにちょっと現金すぎん……?」
別に未来も悪気あって噴射したわけじゃないのは分かっているけど、せめて一分いや三十秒ぐらいは、反省の色をみせてもいいのでは、さすがに十秒は短かすぎやしませんか。
「博希がそうせぇって言うたんやろ? 博希はしおれたうちの方が好みってことか!?」
「あーそういう意味じゃねぇよ。まあいいや、機嫌が戻ったのならそれでいいよ」
「せやろ……それに……」
また未来が口ごもり出した。
目を逸らし口元を抑えて恥ずかしそうにしている。あれほど肌を見せても平気な未来が、恥ずかしそうにしている。こんな乙女のように恥じらう彼女の姿を見るのは、学生時代を含めても数回あるかどうかだ。
そこで博希は、彼女が恥じらっていた場面を回想して、ある仮説をたてる。
布面積が増えれば増えるほど、羞恥心もまた比例して増すんじゃないのかと。
その仮説を裏付けるように、今日の未来の服装はスーツだ。首元とか手首しか露出していない、彼女の普段着を知っている身からすれば、信じがたい装いだ。彼女のアイデンティティを損なうことにはなるけど、たまにはこういう未来も悪くない。普段が騒がしいから、お淑やかというか静かな感じが新鮮味があって面白い。実にいじりがいがある。
「それになんだよ? てかさ、なんか今日のおまえいつもよりカワイイよな」
「……カワ!? うちがカワイイ!? な、なに言っとん博希。あ、あれやろ! 空きっ腹にビールやったから、もう酔うたんやろ」
「はあ? この程度で酔うわけないだろ。それよりもおまえ? 自分から“エロクテカワイイ”とか強要してくるくせに、まさか照れてるんじゃないだろうな?」
耳に頬にと顔全体がみるみるうちに朱色に染まる。
「……つぅ……う、うちが、照れるわけないやん。博希のアホ! おたんこなす!!」
涙ぐみながら未来は小学生の喧嘩かよってレベルの暴言を吐いてきた。
ここまで取り乱すとは予想外だった。
少しばかり意地悪がすぎたかもしれない。
「すまん、ちょっとやり過ぎた。なんつうか昔を思い出してな……」
指先で涙を拭いながら「……昔?」と聞き返してくる。
「ああそうだ。最初は確か、おまえが瑞希に料理を振舞ってくれた時だよな」
「……そんなことあったな。今も可愛いけど、あん時の瑞希ちゃんは本当に可愛かった。目をキラキラさせて、美味しい美味しいってご飯食べてくれてな~。ちょい待ち、博希……」
「おうなんだ?」
指を組み両肘をテーブルにつけて拝むような姿勢と真に迫った表情で未来は言葉を紡ぐ。
「そん時のうちって、今みたいになっとったん? んで、博希はその時のことを覚えてる、と。瑞希ちゃんが言ったことは、さすがに覚えてたりせぇへんよな……?」
「覚えてるに決まってるだろ。一字一句違えることなく詠唱できるぜ。ごほん……『未来お姉ちゃんが博希お兄ちゃんのお嫁さんになったら、瑞希ずっとこれ食べられる?』だよな」
「あ、ああああああああ……なんで覚えとんねん。んで、ここで喋んなや……あーもう……嶽さん! 嶽さん!! 料理まだあ~!!!」
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