第65話 あれから
今になって思い返してみれば、焼きもち焼きな真白が、あんな催し物を開催許可を下すこと自体が不自然だった。たとえ勝利を確信していたとしても、彼女なら俺が賞品として扱われるのを嫌うはずだ。
心を打ち明け合い、約束を交わしたことで、どこか安堵していたのかもしれない。言伝どころか置き手紙の一つもなく、急にいなくなってしまうなんて思いもしなかった。連絡をとろうと思っても、スマホの電源が入っていないのか一切通じない。
彼らに告げると総出になって探そうとしてくれたが、その心遣いだけ受け取り何もしないでくれと制止しておいた。刺賀姉弟は何も言わずただ頷き、未来と伊咲は複雑な顔を浮かべていた。瑞希は酷く落胆していた。
彼らが手伝ってくれるというのであれば、本当は今すぐにでも手伝ってほしい。が、暗殺者の足取りを探ることなど、霞を掴むようなもの。彼女が自ら発見されたいと思わない限り、決して見つけることはできないだろう。
それに真白はそんなことを望んでいない。そうじゃなければ、説明もなくたったひとりで出て行くわけがない。ネックレスが貴重品箱に保管されていたことや、婚約指輪が無くなっていたことから、帰ってくる予定なのは間違いない。
俺にできることは、裏稼業連盟との交渉が無事に終わることを願いつつ彼女の帰りを待つことだけだ。帰ってきた時に呆れられないように健康的な生活を意識して、一日一日をこなしていけばいい。彼女が笑顔で帰ってくる、その日まで。
そして――気づけば二年もの月日が経過していた。
朝の六時半、目覚まし時計の仕事を奪うかのように、ピンポーンとインターホンが鳴る。寝ぼけまなこで博希はベッドから下りると、一直線に玄関口に向かい開錠する。来訪者を確認することなく洗面所に移動し朝支度を整える。
扉越しに「おっはようー、博希お兄ちゃん!」とけたたましい声が室内に響く。
キッチンからはカチャカチャと玉子をかき混ぜる音が聞こえる。
真白がいなくなってから数日後、瑞希が朝早くに自宅に来るようになった。理由を尋ねてみると『朝起こしてくれる人がいないと寂しいでしょ』と返された。すぐに飽きるだろうと思い、彼女の好きなようにさせてみた。
まさかの皆勤賞、この二年間休みなしで朝起こしに来ている。
平日は言うまでもなく、土日祝日と学校が休みの日だろうと関係なく、夏休みとか学生において最高の長期休みだろうが関係ない。雨が降ろうが雷が落ちようが暴風警報が出ていようがおかまいなしで家に来る。
さすがにその時は心配のあまり瑞希を正座させて、懇々と説教をした。それが良くなかった。その数週間後、瑞希は学生寮から飛び出して、同マンションの空き部屋に引っ越してきた。
そこからはもう何を言っても『オナマンだし』の一言で全て一蹴されている。休みの日ぐらいは行くりと寝かせてほしいところではあるけど、瑞希には本当に感謝している。が、そろそろ兄離れしてもらいたい気持ちも少なからずある。
倉持瑞希には、合い鍵を渡していない。渡したら最後、入り浸りそうな予感にも似た確信があったからだ。別にそれが嫌というわけじゃないのだが、これまた深海のように深い理由がある。
花盛りな十八歳が従兄とはいえ男の部屋に入り浸るのは、あまりいいもんじゃない。それに不在時に合い鍵を渡したことを知られたら、後処理が素晴らしく面倒くさい。
朝ご飯に弁当まで用意してくれている。最初は焦げた何かか、冷凍やレトルトのオンパレードだったたけど、今では玉子焼きなんてお手の物。料理のレパートリーも豊富で、同時進行で調理から片付けまで行えるようになっていた。
料理の腕はもちろんのこと、気立ての良さやその容姿といい本当にどこに出しても恥ずかしくない従妹に成長した。誉め言葉として何度か、瑞希本人に伝えたことがあるのだが、そのたびに不満そうな顔で『手強い……』と漏らしていた。
近所の人たちからは、その健気さから《《通い妻》》と揶揄されている。ただ瑞希の将来を考えたら、そのたとえは止めて欲しいところではある。が、彼女本人はそう呼ばれても気にも留めていないので、こちらも胸の内に留めている。
時折、瑞希の口から『通い邪魔だな……』という謎の言葉が発せられることがあるけど、そちらについても尋ねないようにしている。その言葉を吐く時は、とても不機嫌そうにしているからだ。
「おにいちゃーん、ご飯できた。ささ運んで運んで!」
「はいはい分かったよ。だからそんなに急かすなって……」
今朝の献立は、だし巻き卵と焼き鮭にミートボール、焼きのりに漬物、わかめの味噌汁。
男一人だったら絶対にお目にかかることはない、朝から元気いっぱいになりそうな朝食。
「……見てないで、運んでくれる?」
「ああすまん、美味しそうだなってつい見惚れてしまった」
「いつもと変わらないと思うけど……?」
「そんなことないさ、特にこのミートボールとか絶対に旨いだろ!」
「……それはレトルトです。博希お兄ちゃん……冗談でもあまりそういうのは言わない方がいいと思いますよ、包丁を持っている時とかは……特に……」
瑞希は手首を返し包丁の側面を照明に当てる。
煌びやかな反射光が博希の双眼に向かってのびる。
「調子にのってすいませんでした……」
「謝れて偉いです、博希お兄ちゃん。では続き、お願いしますね」
「かしこまりました……」
いつものように食卓を囲い、いつものように一緒に部屋を出る。博希は通勤路へ瑞希は通学路へと道を分かち、また一日が始まる。
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