第56話 制服の防波堤
次に意識を取り戻した博希が最初に目にしたのは、電子タバコを口にくわえてペンを走らせる仕立屋の姿であった。作業台に腰かけて、ボソボソと呟きながらタブレットに熱い視線を送っている。
暖色の照明が部屋を照らし、洋服棚には服地が種類ごとに仕分けされ積み重なっている。小型ながら冷蔵庫などの家電製品も完備し、ベッド代わりのソファーもある。
ここは彼女が仮眠用として使っているバックヤードで間違いなさそうだ。だからこそ疑念が残る。
あの必殺技を受けて以降の記憶がなんにもない。真っ白なぐらい何にも覚えていないのだ。
「……あれ? なんで俺、ここで寝てんすか?」
実弥さんに声がけをすると彼女は、ペンをタブレット側面に引っ付けて作業を中断し「ほぉ……時間どおりだな」と口元を歪ませる。
「時間どおりって何すか……?」
「こっちの話だ。それはそうと、博希おまえどこまで覚えている? 自分でここまで歩いてきたこととか覚えてるか?」
「俺が実弥さんの店まで……すいません、何にも覚えてないっす……」
「はっ……夢遊病かよって、冗談で言っている雰囲気じゃなねぇな。しゃーねぇーな、この実弥さんが一から説明してやるよ――」
博希はソファーの上で姿勢を正し拝聴する。率直な意見を言うなら、フィクションかなと思うほど信じがたい内容だった。
真白を付き添って入店してきたかと思えば、一直線でバックヤードに向かいソファーの前で電源が落ちたかのように倒れ込んだ。その異様な行動に、さすがの実弥さんも戸惑ったらしいけど、満面の笑みで語る真白を見て納得して、一旦放置してみることにしたらしい。
『二十分後に起きると思う。起きたら私は辰爾んとこにいるからって伝えてね、実弥』
そして、その言伝どおり時間ピッタリに目を覚ましたから『時間どおり』だと思わず発したとのことだった。
真白は意識を失った人間を操る術までも習得している。
ちょっとやそっとの技術じゃない。これもまた暗殺関連の技術や技能の一端だろう。
自宅からグラッセ大御門まで徒歩で十分。信号機や横断歩道がある街中を事故なく歩かせる。往来する人も気がつかない見事な傀儡化。
特異な得物はナイフとかいってたけど、あいつ無手でいいんじゃないか。へたに武器を持つよりも素手の方が強い気がする。それにここ最近、暗殺者方面を隠そうとしなくなっている。そうしなければならない理由でもあるのか。
「いやなんも考えてなさそうだな……」
「……ああ? それ私に言ってんのか?」
「ちが、ちがいますって、真白の話っす。で、真白は辰爾の店にいるんすよね、ちょっくら見てきます」
「おぅ行ってこい。それと六階に行くのはいいけど、時間だけは遅れるなよ。未来いうても、私らのお得意様でもあんだからな。あーあと、バカ弟に頼るとか言語道断だと思えよ?」
ソファーから立ち上がり「重々承知しております!」と声から腹を出し敬礼を行ったのち、踵を軸にして反転し振り返ることなく退店する。
店を出て店頭をチラ見すると、扉にかけてある看板をクローズからオープンへと裏返されていた。
正面にある辰爾の店に向かうと、そこは客で溢れかえっていた。入るどころか近づくことさえも困難。
「モーセでも無理だって、こんなん……」
辰爾の店が人気なのは知ってはいたが、今日は異常なぐらい繁盛している。ランジェリーショップでなおかつ制服姿の女の子の波をかいぐぐって入店する勇気はない。変人とか変態とかいうレベルの話ではない。最悪SNSにさらされて人生が終わる。
よくよく考えたら、遠目で観察しているのも相当危ういんじゃないか。
そう思い一旦実弥さんの店に逃げ込もうとしたが、窓越しから鋭い眼光が煌めているのに気づき元いた位置に戻る。
この日、辰爾の店が繁盛していたわけ。
そこには博希のある行動が多大な影響を及ぼしていた。
あの大量のエナドリは真白と話し合い全て処分した。シンクに流したとか、血も涙もない所業ではなく、辰爾に全て引き取ってもらった。最終的に、そのエナドリは一本残らず全て女子高生の手に渡る。
辰爾が思いついた妙案は、購入特典として活用するというものだった。あとになって知ったのだが、一日三本ずつ消費したとしても軽く一年はもつであろう量を、あのカリスマ店長はたったの一日で在庫ゼロにしていた。
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