第55話 お隣さんとの邂逅
会場は倉神町民であれば皆が知っている場所。特に西側で暮らす町民なら週七で通う人もいるぐらい大人気のショッピングセンターだ。
そう我らが【グラッセ大御門】である。
今回はそこの六階にある展示場の一部を借りて行われるらしい。また六階といえばゲームセンターに映画館と、アミューズメント施設の宝庫でもある。
午後三時からの開場にかかわらず、未来から連絡が入るや否やすぐに出発の準備に取り掛かったのは、そこらで時間を潰す算段をしていたからだ。時間を忘れて遊びまくる可能性は否定できないが、そこは辰爾とかが気づいて電話の一つでもかけてくれる。そう期待しておくとしよう。
玄関ホールで順番待ちをしている真白に声をかける。
「さてと……忘れものはないか?」
「ないけど、出るにしては早すぎない? それに今から行ってもまだ開いてないよ?」
真白の言い分はもっともである。グラッセ大御門の開店時間は九時半、現時刻は九時七分とまだ二十分近く余裕がある。徒歩で向かうことを考慮したとしても、それでもまだ十分ほど時間があまる。開店するまで扉前で待つぐらいなら、自宅でもう少しのんびりしてから出発すればいい。だが、この博希には時間外でも入る術を得ている。
「いいや、これぐらいでいいんだ。イベントがある日は、混むから少し早めに開くんだよ」
「へぇ~そうなんだ……じゃなくて。こんなに早く行っても試着会まで時間ありすぎじゃないって言ってるの」
「だ~か~ら、任せとけって。そっちも考えてるから、期待して待っとけって!」
「……あーだめだ。私の夫……ぜぇんぜぇん話を聞いてくんないや……わたしのおっと?」
「なに呆けてんだ、俺は真白の夫だろ? んで真白は俺の妻だろ? おれのつま……か」
真白同様に博希もまた横斜め上を見ながら停止した。
『おれのつま』
その言葉が何度も脳裏で反復横跳びをしている。
「ふ、うふふふふ……博希も私と一緒で呆けてんじゃない♪」
「なんつうか、言葉にしたらグッとくるものがあったわ……」
「わかりみ」
以心伝心、こころが通じ合う。
無意識のうちに双方ともに手を差し伸べていた。
そして固く揺るぐことない握手を交わすのであった。
準備万端、いざ出発の時と玄関扉を勢いよく開けて飛び出す。
「さあ行くぞっ!」
見計らったかのように隣の部屋から住人が出てきた。
この部屋を借りて六年、今年で七年目になるが一度も会ったことがない隣人。よりにもよって、こんな最悪なタイミングで出くわすことになるとは露にも思わなんだ。
「……えっと、あーその。おはようございます……」
「……どうも、おはようございます……」
二十五歳が短パン小僧のように飛び出す瞬間を、隣人に見られた。しかも近所づきあいが希薄となった昨今、ご丁寧に頭を下げて挨拶までしてくれている。そんな一般教養のありそうな人の前で、盛大にやらかしてしまった。
隣人はどう対応したらいいのかと悩んでいるようで、恐ろしいまでに目が左右に泳いでいる。
残業地獄だった当時、帰宅時にいつも部屋に明かりが点いていたから、昼夜逆転生活だと思っていたけど、目の下にはクマもないし肌の血色も悪くない。背筋も伸びていて健康的な暮らしを送っている、そんな雰囲気が全身から伝わってくる。
透明感のある肌に前髪パッツンな黒髪が映える。双眼は真白のように碧色で、見ているだけで吸い込まれそうになる。大きめのボアジャケットに裾の折れたデニム、スニーカー。彼女が着ている物、その全てが髪色に合わせたように真っ黒。
一言で言い表すとするなら、《《真白さん》》といったところだろうか。純白から漆黒へと変更されてはいるが、服装といい顔立ちといい、とてもよく似ている。
「なに止まってんの博希、邪魔なんだけど……」
真白が小言を言いながら背中を押してくる。
「あの……同居人の方が出たそうにしてますけど?」
「ああいえ気にしなくて大丈夫です。えっと、挨拶するのは今回がはじめてですよね? 505の倉持です」
「確かに言われてみれば、挨拶するのも会うのも今日がはじめてかもしれませんね。504のクライスと言います」
「あー外国の方なんですね。日本語が上手すぎて気づかなかったです。あっ……気を害したらすいません……」
「いえいえよく日本人に勘違いされるんで気にしてませんよ。実際半分は日本人の血が流れてますし……っと、すいません。僕も用事があるんでした。名残惜しいですけど、そろそろ失礼しますね」
クライスは会釈をすると階段を下っていった。
「博希、話は終わった? よっぽど綺麗な人だったのかな、すっごく盛り上がってたねぇ~」
真白が小刻みにこついてくる。
右右左と実にリズミカルな動きだ。
「この浮気者のおぉぉぉ!!」
体が浮くほどの衝撃と激痛が走りわたる。
衝撃波が波紋のように皮膚に広がり骨が軋む。
「痛み目みるの早くないっすか……?」
何とも情けない言葉を言い残して博希は膝から崩れ落ち意識を失った。
正中線、ちょうど鳩尾がある、その位置めがめて背後から掌底が放たれた。
腰に連動して捻るように繰り出された掌底、その破壊力は凄まじく博希の体を貫通し正面の外壁に、小さな手のひらの跡を刻み込んでいた。
真白本人は気づいているのか不明だが、それは発勁と呼ばれる達人の業であった。またどう考えても、決して一般人にしてはいけない禁じ手でもあった。
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