第46話 人肌クッション
「二人が乗るのを見たら、あたしら帰るよ。こんな寒空の下で一時間はキチィしな!」
「……は?」
「いやいや、は? って言いたいのはこっちだわ。お膳立てはもう十分だろ。なんつうか異常に勘が鈍くなるのなんなの。結構おまえと付き合い長いけど、そこだけはいまだに理解できねぇわ」
「愚弟の言うとおり、私らは帰るからさ。まあ頑張れよ、博希」
刺賀姉弟はそう博希に言い残すと、真白に別れを挨拶を済ませて足早にその場をあとにする。その別れ際に姉弟は博希の肩をポンと叩く、グッドラックと。
「……いったいなにをどう頑張れというんだ」
名残惜しい雰囲気を出すこともなく、二人は定時退社のようにスンと帰った。真白に怯える姿など見せたくはないが、だからといって人数による恐怖削減は不可能な現状。ただひたすらに一時間耐え凌ぐしかない。窓から覗く夜景もあるし会話を絶やさなければ、何ら問題なく終われるはずだ。
(真白と二人っきりのはずなのに、こんなに心が躍らない時がこようとは……)
途方に暮れて観覧車を見上げていると「そこにおんの、博希?」と後方から声をかけられた。振り返ろうとした瞬間に柔らかい感触が後頭部に当たる。そのクッションは次第に正面へと移動していき顔面を覆い始める。最終的には隙間なく埋もれて何も見えなくなった。
「な、ななななななにしてんのおぉぉぉお!!!!」
ここ最近は聞くことがめっきり減った真白の魂の叫びが耳をつんざく。
そんな状態でも、博希は至って冷静であった。なぜならこのクッションに覚えがあったからだ。恥ずかしげもなく、自前のクッションを顔にぶつけてくる相手は一人しか思い当たらない。もし同様のことを真白がしようものなら、博希の心臓はもたないかもしれない。またばたりと倒れて床に伏せていたことだろう。だけど、この相手に対しては何の感情も芽生えない。強いていうなら『またか』という簡素な感想のみだ。
暗闇のなかで博希は辟易とした様子で呟く。
「……未来、会うたびそれすんのやめろって、何度も言ってんだろ」
「ええやん。別に減るもんちゃうし」
「普通“そっち側”が言うセリフじゃなくね。てか、マジで離してくれ、隙間がないから呼吸がしにくくてたまらん」
「博希あんたやっぱおもろいな。こんなんされても平然としとるし、うちってそんなに魅力ないんかな……シクシク……ああ悲しくて、うち……涙止まらへん」
「その三文芝居も何度目だよ。あーこれ、また言う流れか……?」
「よぉわかっとうやん。言わんと一生このままやで? ええのん、うちは別にかまわへんけど?」
「はぁ……未来はエロクテカワイイヨ……」
「なんや愛情がこもってへんけど、それで許しといたるわ。観音様のように心の広い、うちに感謝しい博希」
魔法の言葉を唱えると博希は暗闇から解放された。暖かなクッションが密着したことで顔だけが熱を帯びてポカポカする。涼やかな夜風が再度、火照りを奪い去っていくなかで、ふと真白と目が合った。
威嚇する猫がごとく目が据わっている。いま手を伸ばせば鋭い爪で切り裂かれそうだ。この茶番劇が虎の尾を踏んでしまったのは確実だろう。
「あーこいつはな……」
「……博希、そこの女は誰? 返答次第では処すから、よく考えて口にしてね……」
鋭利な刃物で喉元を一閃されたように言葉が出なくなった。
この全てを押し潰すような威圧感は今まで感じたことがない。
それはそうと、この獄卒のような魂に響く声を聞くのも久しぶりだ。ピリピリと張り詰めた空気と夜風が交わり氷雪となる。うまいこと活用できれば、エアコンいらずで猛暑も過ごせそうだ。まあそのあと命の灯火も消えているかもだけど。
「なんやの~この子! 可愛すぎん!? 博希、うちこの子と結婚するわ!!!」
「…………は?」
ガラスに亀裂が入りパリンと砕け散るように空気が一変する。
両手を広げて未来は真白に襲いかかる。予想だにしない行動に呆気をとられた真白は回避が一瞬遅れた。その隙を未来は見逃さなかった。捕獲された真白は博希同様にクッションを顔面に押し付けられる。はじめは両手をグーパーと開閉していたが、いつしか降参とばかりに開いたまま動かなくなった。
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