第04話 純潔を奪った証拠
まったくもって身に覚えがない。アルコールの類も久しく飲んでいない。勢いでとかいうこともないはずだ。それ以前に、ここ数年間は自宅と会社を行き来するだけの味気ない生活を送っている。出会うチャンスすらないのに、そんなイベントが起こるわけがない。胸を張って言える、彼女の真っ白な服のように俺は清廉潔白だと。
それに俺の推測が間違っていないとするなら、あの暗殺者は少女のはずだ。つまるところ未成年。そんな相手に手を出すはずがない。社会的抹殺対象なゴミクズムーブをするはずがないのだ。
(そうだよな昔の俺、信じているからな……)
一度は死を覚悟したが、気づいた時にはもう跡形もなく消えていた。理由は言わずもがな、あまりにも衝撃的な事案を聞かされたからだ。何が何でも無実だと証明しなければ、死んでも死にきれない。
一ミリも記憶にない博希が切れる手札は少ない。正直無手札といっても過言ではない。手札がないのなら補充すればいい、情報が不足しているのなら先ほど同様に話してもらえばいい。あとはその知り得た情報をもとに糸口を掴み必ずや無実を証明してみせる。
「すまない、俺は覚えていないんだ。よかったら、出会った時のことを教えてくれないか?」
「……雪降ってた。猫がいた、あなた引っ掻かれてた」
「どんな状況? 他には何かない?」
「ほか……ならこれでどう?」
暗殺者は謎の技術で手に持っていたナイフをどこかに収容し手ぶらになると、首元のファスナーを掴み一気に引き下ろす。次にパーカーの両端を左右の手でそれぞれ持つと、アリクイの威嚇行為がごとく勢いよく両手を広げた。
予想外の行動に博希は全力で目を逸らす。
その動作たるや人生で歴代最速の早業だった。
「思い出した? これが証拠、言い逃れできない。あなたが私の純潔を奪ったという決定的証拠。なんで目を背ける?」
「そう言われてもな。大丈夫か? 本当にいま見ても大丈夫な状態なのか?」
「博希早く見てっ!」
「……えっ、なんで俺の名前を?」
急な名前呼びに戸惑った博希は脊髄反射で視線を向ける。
暗殺者の装いは頭からつま先まで全て白い衣類で統一されていた。その中で、一点だけ目に留まるものがあった。シャツの右胸部分辺りにインクを落としたように小さな赤い点が付着していた。
赤黒く滲んでいる。その色合いからして絵の具というよりも血液。だが、それがどう証拠になるんだろうか。
「その血が証拠ってこと?」
「ほんとうに、何も覚えていない? 二年前、あの自販機前で私と出会ったことも?」
「ああ何にも」
「な、んにも……」
博希の返答を聞いた暗殺者は、だらりとパーカーから手を放し俯くとそのまま動かなくなった。
その姿が今にも消え失せてしまいそうなほど博希の目に儚く映る。あの寂しそうな声や仕草が妙に気になる。心が揺さぶられるというかざわついて仕方がない。
(覚えていないと一蹴するのは、簡単だけど……)
二年前というとまだコーヒーが第一の相棒だった頃だ。自販機のコーヒーを買い占めるほどヘビロテしていた。なので『二年前、あの自販機前で』を手がかりに、出会った日のことを思い出そうとするが、残念ながらいくら回想しても缶コーヒーを購入した記憶しか出てこない。
「……さっむ、なんだ雪?」
ふと夜空を見上げると小さな粒が舞っているのが見えた。思い出すことに必死で気づかなかったが、いつの間にか雪が降っていたらしい。吐く息も白い、どおりで寒いわけだ。
目の前に少女と軽やかにふわりと舞い落ちる粉雪。
「白い服に、初雪か……」
その言葉をトリガーに、とある場面が脳内で再生される。
指から血を流しながら謝罪する自分と、その血がシャツに付いて硬直する少女。
確かあの日も今日のように雪が降っていた。しかも初雪なところまで一緒だった。
その場面をきっかけに、次々と思い出が溢れかえってくる。
自販機横にいた野良猫を撫でようとして思い切り爪で引っかかれた。お腹を見せてくれたりと懐いてくれたと思った矢先の出来事だったこともあってか、拒絶されたショックで大げさによろけてしまった。そこを偶然通りかかった彼女とぶつかり、これまた偶然にも俺の左手が彼女の右胸に触れてしまった。
確かに俺は彼女と会ったことがあるようだ。
さらにいえば芋づる式に彼女の名前も思い出した。
「……真白」
名前を呼ばれた少女はぴくりと反応すると、無言のまま一歩また一歩と博希に近づき始めた。今までの目で追えない俊敏な動きが嘘のような牛歩。
一定距離まで迫ったところで少女は急加速し頭から飛び込んできた。体重が軽いこともあってか踏ん張らずとも余裕で受け止めることができた。ただ角度が少し異なっていたら、彼女の頭がみぞおちにめり込み悶絶していたかもしれない。この技を猪突猛進タックルと名付けよう。
「はい、あなたの真白です。やっと思い出してくれたんですね」
真白はそう言うと摩擦でスーツに穴が空きそうなほど頭をこすりつけていた。
独特な喜び方に多少困惑したが、彼女が再会をそこまで喜んでくれたのはシンプルに嬉しい。
こちらとしても悪い気はしないが、この異様なはしゃぎ様は些か気になる。
その疑問の答えを博希はすぐに知ることになる。
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