第25話 結婚資金
安息の地から追放された彼らを横目に、真白の絶品料理に舌鼓を打つ。料理を舌に乗せるにつれて彼らの存在が薄れて塗り替えられていく。朝昼の食事が物足りなかったこともあって、夕食は腹八分どころか十二分を超えるほど食べまくった。用意された料理を全て平らげる頃には、視界に入っても飲みたいという衝動に駆られることはなかった。
程よい温度の緑茶で余韻を堪能する。普段なら食後の一杯にはエナドリ一択なのだが、この時ばかりは先のとおり一口どころか一滴すらも飲みたいとは思わなかった。
最高に可愛い妻と最高に美味しい料理。体と心が満たされると、渇望していたものが露と消える。ただこの幸福が失われた瞬間に、または魔が差してつい摂取してしまう可能性が高い。決して彼らが悪いというわけではないし、むしろ今までやってこれたのも彼らの声援があってこそだ。だからこそ、今後の彼らとの向き合い方について考えるべきだろう。
追加購入は一旦停止するとして、すでに購入している分をどう処理するべきかということだ。本数を抑えるか、それともこれを機に決別するべきか。
至福の一時のなかで、無粋にもそんな思考が脳内を駆け巡る。
「……はぁ……ごちそうさまでした」
「ほんとよく食べた。一週間分買ったつもりだったけど、この調子だと三日ぐらいで無くなりそう」
「マジか!? ごめん、旨すぎてつい食べ過ぎちまった……」
「ううん、気にしなくていい。私も作り甲斐があって楽しかった。博希が美味しそうに食べてくれたのが、一番うれしい」
「そう言ってくれるのは俺も嬉しいけどさ、食費とか考えると少し抑えるべきかもって思ってな?」
「そのことなら心配いらないっ!」
こちらの不安をよそに真白は満面の笑みを浮かべ豪語する。おもむろにパーカーを開けて内ポケットに手を突っ込む。十枚近くの通帳を取り出すとテーブルにぶちまけた。唖然とする博希を追撃するかのように真白は、対となる内ポケットにまた手を突っ込むと、これまた先ほどと同じように大量の通帳をばら撒いた。
「……え~っとこれは何?」
「なにって、結婚資金だよ」
「これ全部……!?」
「全部に決まってるでしょ。だから、博希はなにも心配しなくていい」
「えっいやでも……?」
「私に全部、ぜいぇーんぶ任せておけばいいっ!」
有無を言わせず真白は無作為に机上の通帳を拾い上げ博希の眼前で開いてみせた。その額が目に映った途端、博希は言葉も夫として尊厳も失った。そこには、九桁の数字がずらりと並んでいたからだ。
「……まさか全部これぐらいあったりする?」
「こんぐらい貯まるたびに新しいの作ったから、そうかも?」
「さいですか……」
身体能力だけならまだしも精神的にも金銭面的にも大敗している。天地をひっくり返したとしても覆せそうにない圧倒的なひらき。結婚資金という名の暴力的な額に、エナドリ貯金とか抜かしてちまちまと貯めていた自分が恥ずかしくなってきた。
あっけらかんと答える真白を前に、博希は膝を屈しそうになるが残りわずかな自尊心がそれを許さない。次々と通帳を開けては、金額を提示してくる真白の手を物理的に制止する。
「――!?!?」
いきなり手をギュッとされた真白は、ビクッとひと跳ねしたのち不動となる。ただ目は激しく泳ぎまくり、口は金魚がごとくパクパクを繰り返していた。
「あのな、真白。その申し出は嬉しいけど、全部は任せられない」
「……えっえええええなんでぇぇぇぇええ!! そのために頑張って貯金したのにぃ!?」
別ベクトルの困惑へと切り替わる。
もしも逆の立場だったとしたら俺もきっと同じ反応をしていた。この時のためにせっせと稼いだお金を拒否される。それはある種、今までの苦労を、人生自体を否定されたかのように感じるからかもしれない。
たとえそれが愛する人の善意によるものだとしても、その事実が心にぐさりと突き刺さるはずだ。だからこそ、誠心誠意を込めて齟齬がないように伝えなければならない。
「よく話を聞けよ。全部は任せられないって言ったんだ。せっかく夫婦になったんだから、そういうのも折半というか、協力し合わないと……な?」
「つまりは、どゆこと?」
「うんとだな、真白には食費を出してほしい。残りは俺が全部出す。本当は全部俺が負担するって言いたいんだけど……いまの給料じゃこれが精一杯なんだ……ごめんな」
「ふ~ん、わかった。でも、どうしてもってなったら言ってね。このお金は、私と博希のためにあるんだから♪」
喉から手が出るほど有難すぎる話。できることならまるっと全部享受したい。だけど、その誘惑を受け入れることは到底できない。全てにおいて負けていたとしても、結婚生活だけは対等でありたい。一方的に養われる“ヒモ”など断固拒否だ。俺が理想とする夫婦とは、互いに尊重し合い助け合う。そんな一方的じゃない双方的な関係性なのだから。
俺のエゴだとしても、そこだけは譲れない。ここを譲ってしまうと、もう夫どころか男ですらない。堕落した何かに成り果ててしまう。真白がそれをヨシとしても俺自信が許せそうにない。
真白が稼いだお金は彼女のものであって、俺が手を出していいものじゃない。あくまでも真白自身のために使うべきものなのだ。本心でそう思っているし、そうあって欲しいと願っているけど、現実的にそれを行うのは少々厳しいものがある。それらを加味しての妥協案が、真白には食費を負担してもらい、他を俺が負担するというものだ。
(ここで、その金には一切手を付けないって断言できりゃ、カッコいいんだけども。悲しきかな、そこまでの経済力は俺にはない……)
二人を負担を天秤にかけたら真白の方に傾くのは火を見るよりも明らか。それでも笑顔で返してくれるあたり、強者たる器が垣間見える。彼女の期待に応えるためにも、まずはその第一歩としてエナドリを断つ。残っている分に関しては彼女に一任しよう。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。
(いやほんと……見た目に反して、男前すぎんだろ。俺のお嫁さんは……)
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