第02話 どっきりびっくり現場
点滅する自販機に照らされた全身真っ白な服を身にまとった人物。
その人物は赤い液体がべったりとついたナイフを握り締め佇んでいる。足元にはスーツ姿の男性がうつ伏せで倒れていた。
ドラマの撮影かと一瞬脳裏をよぎったが、こんな場所でこんな時間帯にあり得ない。
カメラもスタッフの一人も見当たらない。それにこのむわっとした生臭い鉄分の匂い。血のりじゃないと本能に訴えかけてくる、本物の匂い。
体が脳が危険信号を発している。
見てはいけないものを見てしまった。
(ど、どどど……どうにかしてここから離れないと)
幸いにも殺人鬼は背を向けている。今ならまだ間に合う、気づかれずに逃げられる。何も見なかったことにできるはずだ。あえて泳がされている可能性も捨てきれないが、もしもの時など考えている余裕はない。
(抜き足差し足忍び足)
心の中で何度も魔法の言葉を念じながら後ずさる。
このまま立ち去ることができるはずだった。
前段階でやらかしていなければ……。
現場に出くわしたことで無意識のうちに博希は「うわっ……」と声を上げていた。そのことに気づき口元を両手で覆ったが、すでに手遅れだった。
それでも一縷の望みをかけて恐る恐る状況を確認する。
殺人鬼は背を向けたままで振り返る様子はない。思っていたよりも小声だったようで、殺人鬼の耳には届かなかったらしい。
(はぁ~良かった……聞こえてない……)
そう思い安堵したのも束の間、殺人鬼の肩がゆらりと左右に揺れた。
(えっ消え!?)
視界から消えたと思った次の瞬間、目の真ん前にいた。
自販機からここまで距離にして三メートルは離れている。にもかかわらず、その距離を一瞬で詰めてきた。
「……えっは、嘘だろ?」
ゲームやアニメでしか見たことがないような瞬間移動。
それを眼前で体験した博希は、驚きのあまり空缶を投げ捨ててしまった。
この反射的行動が功を奏す。
真夜中にカランという音が反響し響き渡る。
その音につられた殺人鬼の視線が博希から空缶に移る。
(いまだっ!)
博希はこの一瞬の隙を見逃さず、即座に反転し路地を逆走する。この脅威から逃れる方法もまた並行して考える。
このまま路地を突っ走ったとしてもいずれ追いつかれて殺される。なら、たとえ追いつかれたとしても手が出せない状況に持ち込めば……やるしかない。
深夜テンションやカフェインに砂糖、絶体絶命な危機的状況。
恐怖、不安、困惑、興奮、複雑な感情が入り乱れ合わさり混ざる。
刃を喉元に突きつけられるような感覚。一生に一度あるかないかの稀有な体験。
それらが本能を刺激する。
博希の感覚は過去一鋭く研ぎ澄まされていた。
鷹が上空から大地を見下ろすように、俯瞰的に周囲の状況を把握できる。
どのルートをどう走れば切り抜けられるのか、何も考えずとも自然と思い浮かぶ。
生命の危機にさらされたことで導き出された最適解。
それは路地を抜けて大通りに出ることだった。
人目の多い場所にさえいけば、向こうも迂闊に手は出してこないはずだ。
博希の瞳にかすかな希望が灯る。
あとはそれを全力で実行に移すだけ。
死ななければ安い、エナドリパワー全開だ。
「逃げても無駄」
背後から這い寄る死の声が聞こえた。声色から判断するに少女っぽいが振り返って確認する余裕も勇気もない。いまはただ足が千切れるまで走る続けるのみだ。
そう覚悟を決めて三つ目の角を曲がった直後、博希は足を止めた。
「な、なんで……」
止まるしかなかった。殺人鬼がそこにいたからだ。
この細路地は、地元民ですら知らない穴場中の穴場。子供ならまだしも大人だと、すれ違うのは厳しいほど狭い上に迂回路は存在しない。連なった数多の外壁に囲われた道が数百メートルと続く。つまり、先回りするためには必然的に反対側から侵入するしかないのだ。
殺人鬼は博希が死に物狂いで駆け抜けた距離を優に超える長距離を迂回した上で、さらに出迎えるかのように入口付近で待っていた。
逆走したとしても、またすぐに追いつかれてチェックメイト。所詮、素人がいくらゾーンに入ったところで、玄人相手に勝てる要素など端からなかった。
生死を賭けて挑んだ逃走劇は、わずか十秒足らずで終幕となった。
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