第01話 深夜三時の社畜
恨めしそうに消灯した駅を、そこから延びる線路を眺めながら一歩、また一歩と重たい足取りで夜道を歩く人影が一つ。
よれよれのスーツにくたびれた革靴。目の下には、夜中でもくっきりと視認できるほど深いクマが刻まれている。百八十センチの高身長を台無しにする猫背も相まって、まだ二十五だというのに四十手前だと言われても納得できそうな哀愁を漂わせている。
日々の残業や休日出勤により体は癒えず、疲労が落ちゲーのように積み重ねっていく。一列になったり、四つくっ付いたら消えるとかいうこともなく、ただただ止めどなく積み重なる。
仕事を終えて暗がりの道を歩くたびに、彼はタクシーに乗って帰りたいという衝動に駆られる。だが、その誘惑に一度たりとも屈したことはない。
なぜなら彼には、その誘惑を断つ術を知っている。
誘惑を断つには、その誘惑が霞むようなさらに強大な誘惑をぶつければいい。
坩堝にハマっているようにしか思えないが、長年の経験により彼が見出した最善策。
「タクシー……いやいや俺にはこれがある」
深夜三時、彼はそう呟き手元に目を向ける。
虚ろな瞳に神々しく輝いて映る。
視界に収めるだけで、生唾が溢れ手が震えてくる。
飲まずにはいられない、この誘惑にだけは勝てない。
「……いざ」
右手に持った缶を開けて恐る恐る口をつける。缶を傾けると、目がくらむような甘さと強炭酸による刺激が喉から食道を通過し、胃へと一気に流れ込んでくる。
まさに至福の瞬間、この時を待っていた。
ただただ美味いの一言に尽きる。
これがあるから働ける、これがあるから生きていける。
「ぷっはぁ~~~」
夜空を仰ぎ見て感嘆の想いを馳せる。
この一連の動作は、彼にとって一種の儀式。
こうすることで本日の業務が終了したと自覚できるのだ。
そんな彼が口にしたものは、一本でコーヒー十杯分のカフェインが入っていることで有名なエナドリ、その名をクリーチャーという。
エナジードリンク界隈において、これ以上のエナドリは存在しないとされる一品。敬意諸々の意を込めて製品名ではなくて、エリクサーと呼ばれ愛飲されている。
目覚めに一杯の白湯を飲むようにエナドリをプシュ、昼食時にもプシュ、帰り道にプシュと、言うまでもなく末期のカフェイン中毒者。
命の前借をしまくっている彼の名は、倉持博希。同僚が次々と辞めていくなかで、ただ一人残った真っ黒な社畜である。
会社の自席の引き出しにはケースで買った同様のエナドリが大量に入っているし、自宅にもセール時に大量に注文して、まだ開封していないダンボール箱が山のように積んである。
頼れる相棒を飲む頻度を減らせば、今日のタクシー代ぐらい軽く浮くのだが、彼に相棒を手放すという選択肢は元より存在しない。エナドリの購入資金に手を出すぐらいなら毎晩一時間かけて帰宅する。
その気概だけは目を見張るものがあるが、賛同する者は極少数だろう。
カフェインを摂取してから数分後。
博希は最短ルートから寄り道ルートへと舵を切っていた。
今年は異常なまでの暖冬で、十二月にはいっても昼間の気温は二十度近く、夜間になってもそれほど気温は下がらないことが多かった。
今日も同様に朗らかな天候だった。それが急に冬到来とばかりに季節相応の気温。夜風が路地を吹き抜けるたびに身震いしてしまう。
エナドリが内側を、夜風が外側を冷やしていく。
「明日から手袋は必須だな。コートも要りそうだな。その前に……」
温かい物が飲みたくなってきた。
このままでは家に着く前に凍えてしまう。
ここは第二の相棒に頼る時がきたのかもしれない。
「確かあの路地を抜けた先に格安自販機があったはず……」
懐かしい記憶を頼りにその場所に向かう。
「まだあのコーヒー売ってるかな~」
一本五十円と破格の値段だったこともあり、新入社員時代に大変お世話になった思い出深い缶コーヒー。久しぶりにそれが堪能できると考えるだけで、気分が上がってくる。
右へ左と進み入り組んだ路地に進入する。自販機がある路地裏へと続く角を曲がった先で博希は足を止めた。その顔からは先ほどまでの陽気な色は消え去り、戸惑いの色が浮かんでいた。
幻想的であり残虐な光景――。
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