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Episode 98: 残された空気(敦史視点)

部屋の空気が、妙に軽くなっていた。


ついさっきまで、あの場に確かにあったはずの張りつめたものが、流星が出ていった途端にふっと抜け落ちて、まるで最初からそんなものは存在していなかったみたいに、いつもの空気に戻っている。

それなのに、テーブルの上に残された湯呑みや、手をつけかけたままの皿が、そこにいたはずの四人の時間をやけに生々しく証明していて、そのちぐはぐさが、どうにも落ち着かない。


……いや、違うな。

落ち着かないのは、空気のせいじゃない。

あいつの、あの言い方だ。


頭の奥に引っかかって、離れない。


「ねえ、さっき……流星、どうしちゃったの?」


クロが、遠慮がちなのか無遠慮なのかよくわからない声でそう言って、テーブルの上を指でなぞる。

その仕草はいつも通り子供っぽくて軽いのに、声だけが少しだけ様子をうかがっているみたいに揺れていた。


「怒ってたの? 流星、なんかこわい感じ」


その言葉に、少しだけ考える。

怒っていたかどうか。


……違う。


少なくとも、単純なそれじゃない。

もっと、こう、内側に沈んでいくような——


「いや……あれは、怒りじゃないんだろうな」


自然とそう口に出してから言葉を探すが、ぴったり当てはまるものが、すぐには出てこない。

でも、感覚としてははっきりしている。


「……どっちかっていうと、嫌悪、かな」


自分自身で言っておきながら、その単語の強さに少しだけ引っかかる。

けれど、引っ込める気にはならなかった。むしろ、しっくり来てしまっている。


クロがぱちぱちと瞬きをする。


「けんお? きらいってこと?」

「まあ……うん、近いけど、もうちょっと強い感じ」

「……なんで?」


素直な反応だと思う。

実際、流星はあそこまで露骨に嫌悪を出すタイプには見えなかったから。

テーブルの木目をぼんやりと目で追いながら、さっきの光景を思い返す。


流星は、基本的にわかりやすい人間だ。


明るくて、場を回せて、空気を読めて、誰とでもそれなりに距離を取れる。

こっちが黙っていても勝手に会話を繋いでくれるし、沈みかけた空気を引き上げるのも上手い。


……正直、ああいうのは、少し羨ましいと思う。

俺自身が上手くそういう事が出来ないから余計に。


ああいうふうに振る舞える人間を、俺は“普通”だと思っていたし、この中では一番そっち側に近いとも思っていた。

だからこそ、余計に引っかかる。


「でもさ、あんな言い方するか?」


問いかけというより、整理に近い。

クロは「んー……」と唸りながら首を傾げて、それからぽつりと呟く。


「ちょっと……こわかった。なんか、へんなかんじ」


その曖昧な言い方が、妙に的確だった。

“こわい”とか“へん”とか、そういう単語でしか表せない種類の違和感。


理解できる範囲から、少しだけはみ出している感じ。


「……ああいうの、出すタイプじゃないと思ってたんだけどな」


もっと隠すか、そもそも持っていないか、そのどちらかだと思っていた。

少なくとも、流星はあんな形で露出させる人間ではない、と。


「隠してたんだろ」


静かに、修二が口を挟む。

壁に背を預けたまま、腕を組んでいる姿勢はさっきから変わらない。

その声も、特に強くも弱くもなく、ただ事実を置くみたいに平坦だった。


「隠す?」

「出す必要がなかっただけだ」


あっさりと言う。

けれど、その言葉は妙に納得できた。


ああ、なるほど。

“なかった”だけ、か。


「……じゃあさ、なんで、今なんだろうな」


喉の奥が少しだけ引っかかる。

修二は少しだけ視線を上げて、ほんのわずかに間を置いてから答えた。


「きっかけがあったからだろ」


きっかけ。

その単語で、さっきの会話が頭の中に浮かび上がる。


ヒーローの話題。


軽い流れの中で出てきた、はずのもの。

それに対して、あいつは——


「……あれ、地雷だったってことか」


呟くように言うと、クロがぱっと顔を上げる。


「……じらい?」

「まぁ、何気ない一言が相手の触れられたくないことで、相手を怒らせたり不快にさせたりする言葉のことを”地雷”っていうんあよ。

今回のは、そういうやつ」


苦笑が漏れる。

悪気がなかったなんて、意味はない。

踏んだ事実だけが残る。


少しの沈黙が落ちる。


誰もすぐには続けない。

その間に、思考が勝手に動いていく。


流星のことを考える。

あの、わかりやすくて、扱いやすくて、どこにでもいそうな“普通のやつ”を。


「……変だよな」


ぽつりと漏れる。


「なにが?」


修二が短く返す。

その視線は相変わらず静かで、こっちを急かさない。


「いや……あいつさ、なんつーか一番普通っぽいじゃん、いい意味で」

「そうだな」

「戻ろうと思えば戻れる側っていうかさ……俺らと違って」


言いながら、自分の中で少しだけ引っかかった。

“違って”ってなんだよ、と思うがその場では言い直さなかった。


どうせ、この場にいる二人には通じている。


「でも、さっきの見たらさ……あれ、なんか違う気がして」


言葉が途切れずに続く。

さっきの光景が、どうしても頭から離れない。

戻るとか、戻らないとか、そういう話じゃない、もっと根の部分で。


「……あいつ、もしかして一番、“こっち”にいるんじゃないか」


少しだけ間を置く。

言葉にするのを、ほんの一瞬ためらった。

けれどそのままにしておくと、余計にまとまらない気がしたが、言った瞬間、自分の中で妙に納得してしまう。


クロが目を丸くする。


「こっちって、なに? こっちってどっち?」

「悪の組織側、って意味」


言いながら、少しだけ自嘲が混じる。

なんだそれ、と思うが否定もできない。


「だってさ、普通のやつが、あそこまで”正義”を拒絶するか?」


嫌いとか、苦手とか、そういうレベルじゃない。

もっと深いところで、触れたくないものみたいな。


「……なんか、あっただろ、絶対」


確信に近い言い方になる……証拠なんてないのに。

それでも、そうとしか思えなかった。


修二は、わずかに目を細める。

それでも否定はしない。


「あるんだろうな」


あっさりと、そう言った。

拍子抜けするくらい、自然に。


「……聞かないのか?」


思わずそう言ってしまう。

すると、修二はほんの少しだけ首を振った。


「必要ない。

話す気があるなら、あいつが話す。

それに俺らにだって、誰にも触れられたくない部分はあるだろう

だから無理に聞くものじゃない」


それだけ言って、視線を少し外す。

——そういう距離感か。


胸の奥に、わずかに何かが引っかかる。

羨ましい、に近い感覚かもしれない。

俺は、多分、そこまで割り切れない。


気になるし、知りたくなるし、理由を掘りたくなる。

構造を理解しないと、落ち着かない。


「……修二は大人だな」


それを聞いて修二は小さく息を吐く。


「そんなことないさ、全てを抱えるのが面倒なだけだ」


その言い方が、少しだけ救いになる。

完璧じゃない、という安心感。

同じ側にいるという実感。


クロが二人のやり取りを交互に見て、それからぽつりと呟く。


「でもさ」

「ん?」


「流星、怒ってたんじゃないんだね。

……なんか、ちがうのかも」


その言葉に、少しだけ考える。

怒りではない……あれは。


「……ああ。怒ってたら、もっと外に出る」


ぶつけるような形になる。

でも、あれは違った、まるで内側に沈んでいく感じで。


「どっちかっていうと……恐れに近いかもな」


クロが「え」と小さく声を上げる。


そう言いながら、自分でも少し納得する。

あの一瞬の、声の揺れ方を思い出す。


「……そっかぁ」


クロはそれ以上は深く追わなかった。

ただ、小さく頷いて、湯呑みを両手で持つ。

その仕草は相変わらず子供っぽくて、それが逆に、この場の空気を少しだけ柔らかくした。


全部を理解する必要はないのかもしれない。

見て、感じて、少しずつ更新していけばいい。


多分、それで十分だ。


「……まあ」


背もたれに体を預けながら、小さく息を吐く。


「アイツへの見方は、ちょっと変わったかも」


正直にそう思う。


あいつは“普通のやつ”ではない。

少なくとも、それだけで説明できる人間じゃない。


むしろ——


「……一番、厄介なやつなのかもな」


冗談めかして言ってみたけれど、半分くらいは本気だ。


修二は何も言わず、ほんのわずかに口元を緩めるだけで、

クロは「えー、そんなことないよ」と不満そうに声を上げる。

その温度差が、少しだけ可笑しくて。


さっきまでの重さが、ほんの少しだけ軽くなる。


——ただ。


完全に消えたわけじゃない。

誰もいない席に、ふと視線が向く。


あいつが座っていた場所。

さっきまで、確かにそこにいた。


「……どこ行ったんだろうな」


小さく呟く。

返事はない。


けど、それでいい。

どうせ戻ってくる、何もなかったみたいな顔をして。


それができるやつだ、あいつは。


……だからこそ。


今はまだ、踏み込むところじゃない。

コミニュケーションが苦手な俺だって、そのくらいの判断はできる。


「……まあ、いっか」


そう呟いて、力を抜く。

今は、待てばいい。

多分それが、一番まともな距離感じゃないかな。

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