Episode 97: 違和感(後編)
机の表面に走ってる木目を、意味もなく目で追う。
まっすぐな線の中に、ところどころ歪んだ節が混じってる。そこだけ色が濃くて、妙に浮いて見える。
なんとなく、それに指先を重ねる。
ざらついてる気がしたけど、実際はそんなこともなくて、ただの思い込みだった。
頭の中だけがやけに静まらない。
さっき見た映像のせいだと思う。
別に、珍しいものじゃない。どこにでもあるような、ありふれた“正しい光景”。
――だからこそ、気持ち悪い。
湯呑に手を伸ばす。持ち上げて、口をつける直前で止める。
何をしたいのか自分でもよく分からないまま、また机に戻す。
「……まあ、でもさ」
敦史の声が、空気を少しだけ動かした。
「世間的に見りゃ、ああいうのが“正しい”んだろ。
ヒーロー育成だっけ? 子供集めて、適性見て、訓練して――まあ、胡散臭いのは分かるけどさ」
軽い言い方。いつも通りの距離感。
物事を一歩引いて見てる、あいつらしい整理の仕方。
間違ってないと思う。
多分、それが一般的な理解だ。
……でも。
机の節目から、視線が動かない。
喉の奥に、何かが引っかかる。
飲み込めるはずのものが、そこで止まってる感じ。
いつもなら流せる。こういうのは。
「まあな」で終わらせて、別の話に移れる。
なのに、今日はそれができない。
「……あれ、違うだろ」
気づいたら、声に出してた。
自分でも、思ったより低い声だった。
「何が?」
すぐに敦史が返す。軽いけど、ちゃんと拾ってくる。
……どこから言えばいい。
頭の中にあるのは、言葉じゃない。
感覚の塊みたいなもので、それをそのまま出しても伝わらないのは分かってる。
でも、黙ってるのも無理だ。
視線を上げずに、机を見たまま口を開く。
「……楽しそうに見せてるのが無理」
言った瞬間、これじゃ足りないって分かる。
案の定、敦史が少し眉を寄せる。
だよな、って思う。
自分でも説明になってないのは分かってる。
でも、そこが一番引っかかってる。
「いや……なんていうかさ」
言葉を探す。うまく掴めないまま、それでも続ける。
「全部、あらかじめ用意されてる感じ、あるじゃん。あれ」
頭の中に、さっきの映像が浮かんだ。
明るい照明、整えられた舞台、笑顔で見守る大人たち。
選ばれた子供が、嬉しそうに何かを受け取る瞬間。
切り取られた、成功の一場面。
「オーディションって言ってるけどさ、あれ……選んでるように見せてるだけだろ」
少しずつ、言葉が形になっていく。
「こっちが選んでるんじゃなくて、向こうに選ばれてるのに、それを“自分で決めた”みたいに思わせてるっていうか」
口に出しながら、嫌な感じが増していく。
「都合いいとこしか見せてないし。
かっこいいとことか、褒められるとことか。
ああいうのだけ並べてさ」
机の木目の、綺麗に整ってる部分と、歪んでる節の差がやけに気になる。
表面は整ってるのに、全部がそうじゃないのが見えてしまう感じ。
「……あれ見てたら、そりゃ、なりたいって思うだろ」
そこは否定しない。できない。
なりたいって思うのは、普通だ。
ああいうふうに見せられたら、むしろ思わない方がおかしい。
一瞬、言葉が途切れる。
ここでやめてもいい。これ以上言うと、ただの文句になる。
……でも。
「……でもさ」
口が、勝手に続く。
「何も分かってねえ子供に、あれ見せんなよ」
言った瞬間、空気が変わるのが分かる。
「いや……そこまで言うほどか?」
敦史の声が、さっきより少しだけ硬い。
分かる。言い過ぎに聞こえるのは。
でも、引けない。
「言うだろ。
分かってねえまま、“これが正しいんだ”って思わされて」
頭の奥で、ざらつきが広がる。
映像じゃない。もっと曖昧で、でも確実に嫌な感覚が残る、視界の端に何かがちらつくみたいな。
「……本人がやりたいって思ってるなら、それでいいんじゃないか?」
敦史が、今度は少し真面目に言った。
いつもの軽さじゃない。ちゃんと考えて返してる声だ。
……その意見も分かる。
だから余計に、イラついてしまう自分がここにいる。
「思わされてんだろ」
自分でも、声が低くなってるのが分かる。
「最初から、“これがいいことです”って形にして見せて、
それ以外の選択肢を考えさせないようにしてさ」
言葉が止まらない。
「“自分で決めた”って思わせてるだけで、実際は誘導されてるだろ、あれ」
クロが、小さく首を傾げる。
「でも、みんな
なりたいって思ってるんじゃない?」
まっすぐな声だった。
疑いも、皮肉もない。ただ事実を確認してるだけの言い方。
一瞬、言葉に詰まる。
否定できない。したくもない。
……でも、それでも。
「……そう思えるようにしてんだよ」
少しだけ声を落とす。
さっきより静かに、でも逃げずに。
「環境とか、見せ方とかで。“これが正しい”って、先に決めてから選ばせてる」
言葉にするほど、心の奥底から嫌な感じがはっきりする。
「あれじゃあ、逃げ場ないだろ」
ぽつりと出た一言に、自分で少しだけ息が詰まる。
――言い過ぎた。
そう思った瞬間、修二が口を開いた。
「……仕組みの話か」
短い声。
顔を上げると、修二はこっちをまっすぐ見ていた。
「正しいかどうかじゃなくて、“どうやってそう思わせてるか”が気に入らない」
淡々としてるけど、芯を外してない言い方。
それは逃げ場がないくらい、的確で……。
「……まあ、そんな感じ」
俺は曖昧に返した、それ以上は……何も言えない。
言えば、多分、もっと別のところまで行く。
クロはまだ納得しきれてない顔で、敦史は考え込んでる。
修二だけが、何も言わずにこっちを見ている。
その視線が、妙に居心地悪かった。
机の上の湯呑に手を伸ばす。
完全に冷めてるのが、触っただけで分かる。
持ち上げて、一口飲む。
ぬるい。
……なんで飲んだんだ、俺。
小さく息を吐くき、そのまま湯呑を置く。
居心地の悪さに視線をどこにも合わせられないでいた。
さっきまで出てた言葉が、急に全部重くなる。
空気の中に、自分の声だけが残ってるみたいで、逃げ場がない。
「……悪い」
誰に向けたのか分からないまま、そんな言葉が出た。
言ったあとで、余計に居づらくなる。
これ以上ここにいると、また余計な何かを言いそうだ。
黒くどろどろと濁った、言いたくないことまで。
「ちょっと、頭冷やしに外に出るわ」
返事を待たずに立ち上がる。
背中に何か視線を感じる気がするけど、振り返らない。
ドアに手をかけて、少しだけ止まる。
……別に、逃げてるわけじゃない。
そう思いながら、そのまま開ける。
冷たい空気が、隙間から入り込んでくる。
それを一度だけ吸い込んで、外に出た。
後ろでドアが閉まる音がして、ようやく少しだけ、息がしやすくなった気がした。




