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Episode 95: コタツ攻防戦

 今よりほんの少し前の事。


 朝。こたつの中に溜まったぬるい空気が、じわじわと膝にまとわりついていた。

もう温かいというより、逃げ場のない熱気に近い。

布団の内側にこもった湿り気が、肌に貼りつくようで気持ちが悪い。


「……いや、流石にもう無理だろこれ」


 俺は耐えきれずにこたつ布団をめくった。

むわっとした空気が外に溢れ、逆に部屋の涼しさが少しだけ戻る。


「……遅い判断だな」

「いや絶対お前も前から思ってただろ、修二!」

「まぁ、思ってはいたが、主観的な不快と環境の最適化は別問題だからな」


 修二は涼しい顔で言いながら、手元のコップを持ち上げる。

中身はもう完全にぬるいだろうな、あれ。


「じゃあその最適化とやらでどうにかしろよ」

「まず現状の問題を定義する必要がある。熱源は不要、空間占有率は高い、撤去が合理的——」

「つまり片付けようって話だろ!」

「結論を急ぐな」


 こたつの向かいで、敦史がごろりと寝転がったまま呟いた。


「えぇ~……別に今日じゃなくてよくない?」

「よくない」

「なんで?」

「暑いからだよ!わかるだろ」

「えぇ~、人間は適応する生き物だぞ?」


 ……こいつは絶対適応する気ないだろ。

その横で、クロがこたつ布団に顔を埋めたまま、ぽつりと言った。


「……まだ、こたつ つかう」


 意外な言葉に言葉が一瞬詰まる。


「いやいやいや、もう5月になるんだぞ?

気温だって20度を超えてるし、何なら25度近くに……」

「つかう」

「いや暑いって、わかるだろ?」

「つかうの!」


 短い拒絶。

珍しい。というか、初めて見るレベルだ。

予想外の障害の登場に、俺は修二にぼやいた。


「あっちゃぁ、……まさかの展開だ。

これどうする?」

「意思の衝突が発生しているな」

「いや、見りゃわかるだろ」


 こたつの中に手を突っ込むと、クロの腕——なのか布団なのか曖昧な感触が指に触れた。

ひんやりしているのに、どこか柔らかい。


「クロ、なんでそんなこたつ好きなんだよ」

「……ここ、いい」


 短いのに、やけに残る言い方だった。


「いいって何が」

「……おちつくの」


 その一言で、俺はちょっと考え込んだ。

……ここ、クロの“場所”なんだな、ってなんとなく思ったのだ。

だから、か。

敦史が、だらだらと横になったまま天井を見上げて言った。


「ほらぁ、本人がそう言ってるし、現状維持でいいんじゃない?」

「お前は、ただただ動きたくないだけだろ」

「チッ…あー~合理的判断だよ。無駄なエネルギー消費は避けるべきだろ」

「さっきから言ってること修二と似せてるけど、中身マジで真逆だからな?」


 そんな様子を横目で見ていた修二が、呆れたように軽く息を吐いた。


「……議論が停滞している。手順を定めたほうがいいな。」

「修二は修二でなんでそんな大げさなんだよ……。」

「作業は分解すれば効率化できる。

まず布団の除去、次に机の移動、最後に本体の搬出——」

「待て待て、ちょっと待て

机って、これそのまま使うのか?」

「当然だろう。テーブルとして機能する」

「あ、これ昔のボコっと出っ張ってるやつじゃなくて上が平らなのか……

いや、このまま畳に直で置いて大丈夫か?」

「……何がだ」

「傷むだろ、畳」

「……」


 一瞬、空気が止まる。

敦史がゆっくりと眠そうに顔だけ向けた。


「……あー、それはあるかもな、足の接地面が擦れてってやつか」

「だろ?」

「なるほどな、敷布団を退けた時の、直に触れる時の圧力分散の問題か。」


 修二が考え込むように顎に手を当てた。


「確かに長期的に見れば摩耗は無視できない。対策が必要かもな」

「ほら見ろ!」

「じゃあめんd……対策できないから、今日はやめとく?」

「もう!なんでそうなるんだよ!」


 クロがもぞりと動く。布団がわずかに形を変え、膨らみ方が変わる。


「……こたつ とらないで」

「いや取るよ!?もう気温が暑く……」

「とらないで!!」


 布団の端が、じわりと床に貼りつくように広がった。

まるで“離したくない”って意思が、そのまま形になったみたいだった。

触れてる指先が、ほんの少しだけ押し返される。」


「えっ……今、こたつ布団広がった?」

「気のせいじゃない?」

「いや絶対広がっただろ……どういう事だ」


 修二が静かに布団を観察する。


「……擬態の一種か」

「え、これ擬態なのか?」

「形状保持と外形変化ってところか。精度は低いが、方向性としては一致している」


 クロは答えない。ただ、こたつの形を保とうとするように、布団と一体化している。


「……守ってる、のか?」

「テリトリー意識だろうな」

「カタツムリかよ」

「だいぶ質感も近いな」

「妙な納得すんなよ」


 敦史があくびをしながら半ばあきらめたように言った。


「じゃああれだな、“こたつ撤去作戦”は難航ってことで」

「勝手に作戦にすんな」

「もう作戦だろこれ、どうすんだ?」


 今の間に広がる少しの沈黙。

俺は気持ちを落ち着かせるためにふっと息を吐いた。


「……じゃあさ」

「何だ」

「完全撤去じゃなくて、段階的にいくか」

「具体的には」

「最初に一旦布団だけ外す。机はそのまま使う。でも下に何か敷く」

「まあそれが一番妥当なんだろうな」

「だろ?」

「俺は賛成」

「お前は最初から面倒がって何もしてないだろ」


 俺はあきらめ半分で、もう一度こたつ布団に手をかけた。


「なぁ、クロ」

「……」

「完全には取らない。ちょっとだけ、いいか」


 少し間があって、布団の張りつきが弱まった。

ほんの少しだけ。


「……すこしだけ」

「よし」


 流星がゆっくりと布団をめくる。今度は抵抗がない。

クロの体——の一部が、布団から分離するように戻っていく。


「すごいな……さっきよりスムーズだな」

「擬態の制御が出来てきてるな」

「マジかよ、こんなことで成長するのか」


 布団を外し終えたとき、部屋の空気が一気に軽くなった。風が通る。

畳の匂いが、久しぶりにちゃんと感じられる。


「……涼しい」

「だろ?」

「だが机の下は空洞だな」

「それはもうテーブルだろ」


 敦史が再び大きくあくびをした。

もう完全にここから動く気はないらしい。


「……で、その下に何敷くの」

「なんか布とか?」

「ないだろ、そんなもの」

「じゃあ買うか?」

「う~ん……」


 再び、沈黙が居間に広がった。

クロが、ぽつりと。


「……ここ、すこし、ちがう」


 布団のない机の下に潜り込みながら、小さく言う。

少しだけ迷うみたいに、間があってから


「でも、いい?」

「これから暑く成ってくんだから、じきにちょうど良くなるさ」


 その夜。


「……ちょっと冷えない?」

「言うと思った」

「布団だけ戻すか」

「は?」


 結局、掛け布団の枚数を半分だけ減らしたこたつの中で、俺たちはまた同じ位置に収まっていた。

今日は完全に片付くことはなかった。


 後日、結局夏用のござのシートを買ってきて台の下に敷くことになったが、この時は案外ござを気に入ったクロのおかげでスムーズに移行することが出来たのだった。

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