22:Good bye.気高く美しき異世界よ
こちらに来て何年が経ったのかすぐには分からなくなってしまった今でも、時折日本のことを思い出す。でも日本語は少ししか思い出せない。漢字はほとんど書けなくなってしまったけれど、読むことだけならできるんじゃないかな。
ユリアさんも、アルトさんもハロルドさん、カルザさんにプロトナさん夫婦も、もう亡くなってしまった。彼らは私よりも少しではあるが年上だったということに加えて、こちらの平均寿命は六十歳前後だということも関係しているだろう。特に日本でたくさんの予防接種を受けた私は、この国の人たちよりも病気になりにくい気がする。
病気に関する知識も少しはあるので、流行病の対抗策をいくつか提案したものだ。現在ではワクチンもどきの研究・実用化も進んでいる。平均寿命が延びるとまではいかなくても、若くして命を落とす人は減っているらしい。貴族庶民、富豪貧民関係なく医療が行き渡ればいいと思う。
私の近況はと言うと、このあいだ七十歳の誕生日を祝ってもらった。ユリアさんの創立した孤児院の子どもたちに、だ。こちらに来たときには十九歳だったから、もう五十一年も経ったということか。私の頭のなかにまだ残っている知識は半世紀以上前のものだということなので、私ができることはもうないかもしれない。
日本はどうなっているのだろう。両親はとっくに亡くなっただろうな。平均寿命が九十歳になっていたとしても驚かない。移民は受け入れるようになったのだろうか。リニアモーターカーは走っているのだろうか。車が空を飛んでいるかもしれない。AIの進歩は私の想像を超えているだろう。
「デイム・マリナ! あやとりでこんなのを作りました!」
「あらすごい。あやとりを三つも使っているのね?」
ユリアさんが亡くなってから、国王陛下のすすめで王都で暮らすようになった。孤児院の子が毎日遊びに来てくれるので退屈したことはない。あやとりはほうきくらいしか教えられなかったのに、彼らは斬新な糸のとり方を考える。
紙も量産できるようになったので、折り紙も教えてあげた。手先が器用になるのはいいことだ。江戸時代のように紙は燃料にしているので、ごみは出ない。灰も有効利用している。エコだな。
他にも日本の昔遊びは教えてある。お手玉やあやとりは片付ける場所もほとんどとらないので、一般家庭にも普及しているようだ。特にお手玉は中に麦や豆を入れられるということで、飢饉対策にも一役買っている。来年に蒔くのだという種を入れている人もいる。中身を聞くのも楽しみの一つだ。
それから子どもたちの遊んでいるお手玉の中には、時折ちゃりんちゃりんと音のするものがある。さすがに小銭や貴金属を隠すのには向いていない。トラブルが起こるといけないから、貴重品を入れないように、再三注意しておかなくては。
「先生。馬車が参りました」
一人で生活することが困難になった数年前から、高等教育を終えた孤児院出身の子を、使用人として置いている。彼女は成績優秀で、給付型の奨学金を取って主席で学校を卒業したのだ。というかこの国にはまだ給付型奨学金しか存在しないのだけど。
それはともかく、成績優秀なのは良かったのだけれど、残念なことに長続きする就職先がなかったらしい。優秀すぎて僻まれるのだ。
幸いなことに薬草に興味があったからここに置いているけれど、やりたいことはきっと他にあったのだろう。男尊女卑はまだまだ根強い。
「すぐ行くわ。あやとりの話はまた今度、もっと聞かせてね」
「はーい!」
今日は現国王陛下に呼ばれたので、王宮に行くのだ。彼らは血筋的に好きなことだけしていたいようで、即位してもさっさと隠居してしまう。そんなこんなで今の国王陛下はユリアさんのお兄さんの孫に当たる。要は私がこの世界に来たときの国王陛下の孫。彼はできるかぎり王座に座り続けるつもりらしい。
「早くに隠居されるのがどれだけ迷惑か、身をもって体験しましたから」
「真面目なのね」
「いえいえ、わりと書類仕事好きなんですよ。視察や会談は面倒ですけど」
やたらと丁寧に話すのはやめてほしい。けれどそう簡単にもいかないらしい。私の功績と、やけに長寿なことが原因なそうだ。
「私の国では、誰かが亡くなったら火葬だったの。こちらでは火葬は無理かしら」
「窯の温度がわかりませんが、不可能ではありません」
「遺体を燃やしたら、骨をお箸で拾って壺に納めてほしいんだけど。誰かにお箸の使い方を教えておかないとだめかしらね」
「デイム・マリナのご要望であれば可能な限り叶えたいと考えていますよ。テヤ神のいとしごとして認定されていませんが、私はそうだと思っていますし。祖父の代から国に貢献してくださっているあなたですから。大臣の説得も容易いでしょう」
国王に良い意味で目をつけられているおかげで、少し融通が効きやすいという利点はある。それで一度女性の能力を引き出すために、街をまるっと借り受けて女性だけの街を作りたいと頼んでみたことがあった。さすがに断られた。
「ユリアさんにお土産話がたくさんあるから、お墓はお隣にお願いね」
「叔母上、いえアユリアナ王女は土葬でしたよ」
「じゃあ骨は拾わずに、そのまま埋めてもらおうかしら」
「骨を拾う……? ということは、結局火葬ですか」
「ええ」
「身体を燃やすと天国に行けませんよ」
「信仰している宗教が違うじゃない」
私の寿命はもうあまり残されていないだろう。一年が過ぎるのが早い。体は歳相応に痛むし、夜中に目が覚める回数も増えた。
「まあできればって話だから、土葬のほうが都合がいいならそれでもいいの」
護衛のノックス公爵に挨拶して帰る。彼はカルザさんのお孫さん。爵位を継いだのはついこの間だ、と思っているのは私だけで、きっと何年も前の話。
馬車に乗って自宅へ戻る。貴族達の邸宅が建ち並ぶ中、私の家は不釣り合いにも見える。
広大な庭の中に、ぽつんと平屋が建っているのだ。庭にはハーブが蔓延っていて、品種改良にも挑戦している。ガラスで温室も作ってみた。地震が来たらかなりまずい。過去に地が揺れたという文献は無いそうだけど、心配だなあ。一応他の国には火山があるらしいし。
火山があれば温泉も湧いている可能性があるから、もう少し若かったら旅行に行ったかもしれない。いや、私を国から出すことをよしとしない人たちがいるから無理か。
家の裏でキラキラ輝く温室は、さながら小さなクリスタルパレスだ。実物、見たこと無いけどね。
私には子どもがいないので、後継者の問題で揉めないよう私が指名して、遺言書もしたためておかなくてはいけない。現陛下の末の王子は薬草に興味がある用で、よくここにやってくる。彼を後継者にするのが一番早いかな。使用人のあの子とも仲がいいみたいだ。
具体的にいうと好意を抱いているし。両思いっぽいし。
今日も空は青い。日本の空とは違う青さだ、と思う。
教会の鐘の音とともに、人々の気高く美しい魂が天へ還っていく。
私が天に召された時、せめて魂だけでも日本に帰ることはできないのだろうか。
なーんて、ね。




