17:一周年記念感謝祭
今日お庭についてくる担当騎士さんは、ハロルドさんだ。ちなみに私は、未だにこのお屋敷の敷地から出ていない。凄いね、まるで引きこもりだ。
手回し扇風機計画はずるずると先延ばしになっている。今はもっぱら、筆算講座で使う教材の作成や、寺子屋計画で使う教材の監修、物理の講座準備に忙しい。
特に物理はもともとこちらにいる騎士さんに加えて、わざわざ王都からやってきた官僚の人にも教えている。空気抵抗による誤差があるとは言え、速度や時間を式で予測できるのが楽しいらしい。投石にでも応用されるのかね。
ただ、教えるというのはなかなか難しい。だからまだ簡単な公式、例えば等速直線運動や自由落下、そしてそれらを応用した斜方投射程度しか教えられていない。まあ物理を教えると言っても、電磁気や原子はここでは必要ない。基礎とも言える力学のみになるから、気は楽だ。
数学も少しやっておいたほうがいいのかな? ここに来てから数学をやっていないので、ちゃんと覚えていられているかどうかは不安だ。そろばんはサンプルを作るのに少し手間取っている。コマの加工や組立は新たな雇用を生み出すことができるだろう。
ちなみに近日、富裕層向けの折りたたみ式テーブル販売に乗り出す。寺子屋で使えないだろうかと試作したところ、ユリアさんに量産を勧められたのだ。貴族のお嬢様方が、野原でピクニックをするときにちょうどいいそうです。お安い家具屋さんに売ってたやつを模しただけなんだけどね。
それからユリアさんがいくつかの工房に声を掛けて承諾は二つ返事、そこで作ってもらうことが決定している。いくつか試作品も提供してもらって、それらは王都の直営店に置かれるのだそうだ。
量産とはいえ、商品価値を落とさないように、一応受注生産という方式をとることにしている。木材の種類や天板、足の装飾などは注文者の希望に沿っての製造を予定しているので、要はオーダーメイドだ。どうも折りたたみ式テーブルごときにオーダーメイドという言葉を使うのは、はばかられる。
仕組みは簡単だから誰かに真似される可能性は大きいけれど、天板の裏に私のマークというのを刻印している。マークの偽造は犯罪行為だ。ちなみに私のマークは国王陛下からいただいた。
そのマークを受け取るのに、本来ならば授賞式とやらに出席しなくてはいけないそう。でもユリアさんが反論してくれたらしい。「マリナ様がわざわざ出向く必要がどこにあるのです!」とまあ、こういう具合だったと、アルトさんから聞いた。
どちらにせよ今度この間作った新しい水車のモデルか何かの功績がどうのこうのということで、王都に出向かなければいけないそうだ。大したことをした感覚はないんだけどなあ。
そんな私も、この世界にやってきて一年が経つ。
「ここに来てから一年しか経っていませんし、そんな凄いことをした覚えもないんですけどねえ」
ハロルドさんと庭を散歩する。この人は随分と話をしてくれるようになった。
「あなたの世界の文化はこちらのものとは比べ物にもならない。もっと自信を持つべきだ」
「異世界人の存在は秘匿されるべき、って聞いてますけど、思い切りおおっぴらにされてますよね」
「いや、シミズ・マリナが異世界人であるとは、ほとんどの貴族は知らないだろう」
「なぜ?」
見上げるとアルトさんは少し目を細めた。逆光が眩しくてすぐに目をそらす。
「あなたは遠い異国から亡命してきたことになっている。騎士団も、殿下が重用しているくらいだからと、素直に飲み込んだ」
「それは、なんともまあ……都合のいい設定ですね。それで納得していただけているならば幸いです」
うん、初耳だ。まあ引きこもりだから当然なんだけどさ。
「王都に行かなくてはいけないと小耳に挟んだんですけど、それも夕方出発ですか?」
「行程を組むのは殿下だが、きっとそうだろう。朝に出発したところで一日中座っているのは退屈だろう?」
「いえ、景色を見てみたいと思いまして。私、こちらに来てからほとんど引きこもりなので」
こっちに来た時もこっそり覗いてみたけど夜だったからね。アルトさんとハロルドさんに見つけてもらったときに少し街を見ただけなので、箱入り娘かよというくらい外に出たことがないのだ。
ふんふんと鼻歌を歌いながら自分の花壇に向かう。植えているのは野イチゴだ。どうにか上手いこと交配させて、とちおとめだのあまおうだのを作りたいのである。株の増やし方も水の塩梅も分からないけれど、雑草のごとくすくすくと育ってくれている。ちょっと失敗してるのかもしれない。
「街に出たいのか?」
「はい?」
てっきりその話は終わったと思っていましたよ!
「確かに街にも行ってみたいですね。この世界の発展具合を知ることで、よりよい商品開発につながると思います」
別に街じゃなくたっていいんですけどね。単に外に出るための言い訳です。多分今まではやりたいことが多すぎて、外に出ようなんて思いつかなかったんだろうなあ。
「では今からどうだ」
「今から!?」
ところが何か文句の一つでもこぼしそうなユリアさんも賛成して、あれよあれよと町娘風に着せ替えられてしまった。ハロルドさんも、騎士さんの制服を脱いでいた。
「満喫してきてくださいね!」
ハロルドさんに手を引かれてお屋敷を出る。
「あの、今日のユリアさんちょっと変じゃありませんか?」
「殿下はいつだって他の方々とは違っている」
「ええ、まあそうなんですけどね」
ユリアさんが王女殿下で女領主だと知ったのは最近のことだ。不思議と驚かなかったのは、きっとユリアさんだからなのだろう。この人はもう何でもありだ。
ハロルドさんは、まるで事前に仕組まれていたかのようなコースで私を案内してくれた。食品店に服屋に家具屋、そして寺子屋計画を実施中の教会。買い食いもした。
「農村はここから遠い」
「水車と農法は不都合があればユリアさんに連絡が来るでしょう。自分の目で見てみたいような気もしますけど、これ以上のわがままは言いませんよ」
ちなみに水車は『互いに素』を守るだけで長持ちすることを提案しただけだ。
「寺子屋計画も順調に進んでいるようで安心しました。今後も家具の販売によって得た利益は、積極的に寄付・投資していただきたいですね」
「なぜ利益の用途を殿下に一存している?」
「お世話になっている身ですから。それに私の生活費は国庫から出ているそうじゃないですか。血税で生活させていただいているのですから、本来ならばもっと慎ましやかな生活をするべきなんですよね」
ハロルドさんは私の答えに納得できないらしい。
「あなたは十分慎ましやかだ」
「貴族としての責任とか、私にはないですもん。好きなことを好きなようにすることが容認されているので恩返しということで」
ハロルドさんが何か言おうとしているのが分かったけれど、無視してお屋敷に向かって足を進める。
夕焼けが目に沁みた。
「ずいぶん遅かったですね」
お屋敷の門をくぐるなり、アルトさんのお出迎えだ。
「今日来るなら事前に連絡してくださったらよかったんですよ」
「いえいえ、お構いなく」
なんだか変なアルトさんが扉を開くと、ホールは見事に飾り付けられ、食堂にあったはずの机の上に料理が所狭しと並べられていた。
「マリナ様、一周年おめでとうございます!」
やけにテンションの高いユリアさんに、葡萄酒の入ったグラスを渡される。
「一周年ってまさか」
「そのまさかですよ! 今日はこっそり準備をするために、男爵に頑張っていただきました」
そう言ってハロルドさんに目配せするユリアさん。
なるほど、だから私が町に出たいと言ってもスムーズに事が進んだのか。やけに私の興味がある場所を把握しているなとは思ったけれど。
それよりもハロルドさんって男爵だったんだな。騎士さんたちは副団長と呼ぶから知らなかった。
「誕生日でもないのにこんな盛大に祝っていただけて、感無量です」
やらかした。
「マリナ様……誕生日はいつですの?」
「五月四日、えーっと新年が始まってから124日目ですね」
「殿下、マリナさんがこちらへ来てからすでに一年経っているということは、もう過ぎているということですよ」
「来年は盛大にお祝いさせてくださいね」
久しぶりに見たユリアさんの強制力マシマシ笑顔。というかユリアさんって王女なのに誕生祭とかやらないんだよね。誕生日という概念が抜け落ちていたことに今更気が付いたのだった。
いや、そもそも日付の数え方が違うから、日本での新年から数えて124日目もこちらでは夏真っ盛りとかありえそうだからな。その新年でさえ淡白にあけるのがローレンツ王国流。年賀状はもちろんのこと、グリーティングカードも存在しない。
楽でいいな。




