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12/23

12:いざ新天地へ

 この世界に来て一ヶ月が経った。まだ一ヶ月しか経っていないし、もう一ヶ月も経った。

 この一ヶ月、あの謁見の日以降この部屋の外には出ていない。窓を開けて空気を交換することはあったけど、まじでずーっとこの部屋の中で過ごしている。少しこの生活に嫌気が差していたりいなかったり……。


 それでもなんとかやってこれたのは、言葉がわからなかったからと言うのが大きい。こっそり抜け出すのは扉横に立ってる騎士さんに阻まれて不可能だけど、仮に窓から出たとしても私にはどうしようもない。帰るところも行くところもないのだ。


 ちなみにアルトさんとカルザさんは、ほぼ毎日のようにやってくる。もはや常連だ。さすがユリアさん、できる女はモテモテなのである。

 私もちゃっかり手土産の美味しいおやつにあやかっている。お二人とも王城勤務なだけあってお金持ちなんだろうな。やっぱ貴族か。


 こんな庶民が貴族の人と仲良くさせていただいてるのも不思議な話だけれど、貴族って高飛車っぽいという勝手なイメージがあった分、こんな人たちが貴族かと思うと意外でもある。


 それから私の語学レベルは小学一年生並にはなったのではないだろうか。ほぼ幼稚園児じゃんとか言うなよ。一ヶ月で六年分もレベルアップしたんだからな!

 話すことと読み書きは微妙だけど、聞き取りは特によくできるようになった。これが私のチートスキルだったりして! なーんて。


 ありがたいことに文法は英語とほぼ同じだったので、単語を覚えるだけで済んだ。とはいえ名詞はともかく形容詞や副詞はまだあまり分からない。辞書が無いので感情を表すのも一苦労。あの絵本が一役買ったが、本当に正しい意味で使えているのかは未だに不安だ。


「マリナ様、明日この部屋を出ることになりました」

「えっ」


 就寝前、唐突にユリアさんからすごいことを告げられた。出ていくって、それはユリアさんがですか?


「これからはしばらく私の領地でお過ごしいただくことになります」


 違う。出ていくのは私のようだ。でも行先の単語が分からない。知り合いのところとかそういう意味なのかな。


「わかりました」

「急な連絡になってしまい、申し訳ありません。家具は思い入れがあるようでしたら持っていくこともできますが、どうしますか? もちろん新しく用意させることも可能です」


 うーん、わざわざ新品を用意していただく必要なんてないんだけどな。この時代ってアンティークっていうか年代物の、先祖代々受け継がれてきた家具を使うことが一種のステータスだと思ってた。ここは西洋じゃなくて西洋風異世界だから何か違うのかもしれない。


 というか新品ってそんなにすぐ用意できるものなんですかね。ユリアさんのことだから、また何かすごい力で用意してしまいそうなんだけど。

 私はこの一ヶ月で、ユリアさんは一介の使用人なんてするような立場の人ではないことを、ひしひしと感じていた。


「これらの家具をそのまま使いたいです」

「畏まりました」

「あっあの、ドレスと他のものも、持っていくのができるのは、全部お願いします」

「すぐに手配させますわね」


 ユリアさんはなにかと私に新しいドレスを着せたがる。ドレスも靴も、アクセサリーも、そんなにあっても把握しきれないから必要ないと思うのだけど。尤も、把握するのはユリアさんであって私ではない。


 私はもっと庶民的なお洋服で充分なんだけどなあ。

 てか明日にお引っ越しって、謁見のときも思ったけど連絡急すぎやしませんかね? せめて三日前には教えてもらいたいところである。


 朝食後、ハロルドさんがやってきた。この部屋の家具を運び出すため、私は出発まで別の部屋を使うことになるらしい。翻訳セットも持っていこうとしたけれど、この部屋に置いていくように言われた。仕方がないので暗記カードもどきだけ持っていくことにする。


「人払いは済ませてある」

「そうでなくては困りますもの」


 私には人払いの必要性がわからないのだけれど、ユリアさんはやっぱり理解しているようだ。それから私に早口で何か告げる。


「お先に向こうでお待ち下さいまし。お腹が空いたときのための軽食も、手配しておきますわね」


 聞き取れなくて遠ざかるユリアさんの背中を眺めていると、ハロルドさんは察してくれた。


「殿下は搬出の指揮を取るそうだ。後からいらっしゃる」

「そうですか」


 聞き慣れない単語が飛び出してきた。先にいけということか。理由は不明ということで。


 移動先の部屋は、元の部屋よりかは簡素だった。とはいえ比較対象が豪華すぎるだけで、日本での私の部屋と比較すると、比較するのもおこがましいほど充分に豪華な部屋だ。この部屋の中に平屋が余裕で一軒建つよ。

 ハロルドさんは案内をしてくれたお礼を言う間もなく、さっさと立ち去ってしまった。


 最低限の家具しかない、だだっ広い部屋に取り残される。唯一ここに持ち込めた暗記カードもどきを取り出して、眺める。

 紙をじゃばら状に折って、山を挟んで上側に日本語、下側にこっちの言葉を書いただけのもの。言葉の訳が合っているかなんてわからない。ただ、今後この国に来るかもしれない地球の人のためにも、辞書を作っておきたいという目標がある。一年経ったらもっと自由に言葉を操れるだろうか。


 そこからどれくらい経ったのか、ユリアさんがお昼ごはんのカートを押して部屋に入ってきた。


「お一人でしたのね」

「勉強をしていました」

「そうでしたか」


 いつもと変わらない豪華さの食事。……そういえば今日出発なんだよね。なんで呑気にごはん食べてんだろ。


「行くところ、近いんですか?」

「夕方に出れば、明日の朝に着きます」


 感覚的には夜行バスと一緒だな。というか街灯もなにもないだろうに、夜に進んで大丈夫なのだろうか。やっぱ野宿するのか。


「夜通し走りますので、座り心地の良いものを用意させておりますわ」


 なにそれブラック。忘れてたけど、交通手段は基本馬だった。夜通し走るなんて、お馬さん疲れるでしょ。それに馬車にスプリング効いてないと、揺れがダイレクトに伝わってきそう。


「馬車に乗る前に何か食べると、気持ち悪くなるかもしれません。夕食は抜いていただくことになりますが、木の実やドライフルーツを持っていくので、お腹が空きましたら教えて下さいね」

「ありがとうございます」


 空腹との戦いか。まあ吐かれたらまずいもんね。胃の中は空にしておくに限る。日本では乗り物酔いを経験したことはなかったけど、自動車と馬車を比較してはいけない気がする。ユリアさんの配慮に感謝。


 というかドライフルーツって訳してるけど、干し柿みたいなかんじだからね。干し飯はもちろんのこと、乾パンも無いので、これが保存食の限界である。主食が欠如しているのはキツい。

 すっかり慣れてしまった量の食事を平らげる。出発まで何をしようかと考えていると、ユリアさんが持ってきていたトランクから翻訳セットや絵本を取り出した。ありがたい。


「これくらいであれば馬車に乗せられますもの」


 夕方になると扉が叩かれた。迎えが来たようだ。


「あら、ヒドメタソン副団長」

「……またけったいな呼び方を」

「たしかに私は騎士団の所属ではありませんわね」

「まあいいです。殿下の護衛のため、私もイソパラノル領に赴くことになりました。よろしくお願いします」


 馬車にはハロルドさんも乗るようだ。一階まで降りて外に出る。


 一ヶ月ぶりの外。空気が美味しいね! どでかい箱にちょっとビビるけど、これが馬車か。ハロルドさんは馬を操縦するらしい。馬は操縦ではないか。

 まあいいや、馬車に乗るとかいう初体験にどきどきである。


「馬車は初めてですか?」

「はい」


 日本では電気やガソリンで動く乗り物が主流だったもので! でも京都の嵐山なんかに行くと、人力車があるみたいだよね。

 日本で電気やガソリンを必要としていなくて主流な乗り物って、自転車くらいだとおもう。自転車作ったら売れるかな? 作り方わかんないけど!

 特にチェーン、あれってどうなってんだろ。


 街は舗装されていたから良かったけれど、外に出ると地面の上を走ることになる。思っていた以上に早いし揺れるし、長時間座りっぱなしでしんどい。お馬さんあなどってたわ。


 こんなところで寝られるはずもなく(ユリアさんは寝てたけど)、こっそりカーテンをめくって外を見る。真っ暗になっても走り続けていたので驚き。他にも乗馬した騎士さん数名と、荷馬車が前後に走っていて、こんなに暗いのによくもまあ、ぶつからずに走れるなと感動した。

 結局引越し先に到着するまで一睡もできなかった。

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