運命の彼方へ(5)
大野木は周人が駆け抜けて行った後もその背中を追うこともしなければ振り返ることもしなかった。どんなに強い相手であろうが、どんなに多彩な武器を持った者であろうが『キング』を前に、特にあれだけの威圧感を前にして笑った人間などいなかった。『キング』以外に敗れたこともなく、暗殺者であろうが軍隊であろうが、それこそどんな人間だろうと叩きのめし、殺してきた大野木ですら戦慄するほどの威圧感を感じながら笑える人間などいるのだろうか。そんな思いが大野木をその場に縛り付けていたのだ。
「あいつは何者だ?」
その問いかけは自分に向かってゆっくりと歩いてくる哲生に向けられたものだ。
「鬼だ」
「『魔獣』じゃないのか?」
「『魔獣』であり、鬼であり・・・そして信念の塊だよ」
その言葉に何故か大野木の心が揺れた。
「信念か・・・昔の俺にもあったぜ。でもな、『キング』の前ではいかなる信念すらゴミ同然だ」
「あいつの信念は太くてデカイ・・・」
「それを砕くのが『キング』という名の悪魔さ」
大野木はそう言うと静かに両腕を構えた。じわじわと殺気を放つ自分の前に立つこの男はさっきまで少々怯えた感じを出していたいわばザコだと思っていた。だが、今はそれがない。殺気もなければ闘気もないが、逆にそれが大野木の中で警鐘となっているのがわかる。
「あいつの後ろには天使がついてる」
「天使であって神でないなら、待っているのは死だけだ」
そう言われた哲生は小さいながらも微笑んだ。ここへ来るまで、そして来てからもずっと感じていた不安と恐怖。それが今の自分にはない。どんなに鍛えても精神を集中させても一向に開花しない『無我の領域』に焦り、今のままでは勝てないと思っていた自分が恥ずかしいほどに、さっきの周人は哲生の中で異質な存在となっていた。たとえ全身に武器を仕込んだものであろうが、それこそ戦車に乗っていたとしてもあれだけの威圧感と殺気、存在感を前にすれば戦意を失って当然だろう。だが、周人は笑ったのだ。自分が心底逃げ出したくなり、この男とは絶対に戦いたくないと本能で悟った相手に向かって笑みを浮かべて駆け抜けることができる周人に怯えてしまった。そんな周人を見て自分の中の弱気な心は消失し、実に普段通りの落ち着いた心を取り戻したのだ。
「あいつについてる天使はあいつにだけ神に等しい力を与えてくれる最強の存在さ」
「ほぉ。お前についていないのが残念だよ・・・そうすれば少しは楽しめたろうにな」
「心配するな。天使がいなくても、お前を倒すことぐらい屁でもねぇさ」
その言葉にこめかみに青筋を立てつつ歯をむき出して笑う大野木に向かって闘気を込めた拳を上げる哲生。ビリビリと感じる『負の気』に鳥肌が立ちつつも絶対に勝てると自分に言い聞かせた哲生は先手必勝とばかりに笑う大野木に向かって駆け出すのだった。
ただこの瞬間だけを夢見てきた。そしてこの時を待ちわびながらも随分遠回りしてきた気がする。ただこの男を殺すためだけに数多くの強敵と戦い、かけがえのない仲間を得た。今では殺したい気持ちは叩きのめすに変化してしまっているが、その根底にある『恵里の仇を討つこと』になんら揺らぎは無かった。自分たちはおろか味方ですら凍りついたその強大にして禍々しいまでの『負の気』は人間とは思えないほど圧倒的であり、周人の心と体に突き刺さっていたのは事実だ。だが、それに押されて怯える心よりもようやく恵里の仇が討てるといった気持ちの方が大きくなっていた周人はその時を前にして歓喜に震えたのだった。凄まじいまでの恐怖すら押さえ込む歓喜、それこそが周人をここまで連れてきた原動力なのかもしれない。呆然とする『四天王』の脇をあっという間にすり抜けた周人は薄ら笑いを浮かべた仇敵へと一直線に駆ける。その強さはあの『約束の夜』に邂逅した際に十二分に理解できているとはいえ、自分もあれから腕を上げている。そのために真っ向から戦いを挑む周人の後ろ姿を見て舌打ちした茂樹は長い茶髪の男の両足を掴むとまるでハンマー投げをするかのようにして振り回しながら近づいてくる数人に茶髪の男の体をぶち当てるのだった。何も正面から挑むことは無いだろうと思うのは茂樹だけではなく、魔女たちも同じである。緑と桜はどこか余裕の表情で自分の彼氏である『四天王』たちの戦い振りを見ているが、相変わらずの無表情をしている葵とは違って千江美はどこか苦々しい表情をしていた。そんな千江美の視線の先にいる周人は自分に向かってその巨大なハンマーとも言える拳を突き出してくる『キング』の一撃をまるでスライディングをするかのようにしてかわすと、さすがにすぐさま反応してサッカーのシュートをするようにして蹴りを打ち出すその足に自分の足を乗せ、その勢いを利用して跳ね上がった。さすがにこの動きには驚く『キング』のアゴをめがけて蹴り上げる周人だったが、何か背中をゾクリと駆け巡るのを感じてその蹴りを中断すると『キング』の腹部を蹴るようにして後方へと飛び退いた。着地を決めながら決して戦闘態勢を解除しなかった周人だが、何故か『キング』は周人を追う事をせずに豪快な笑い声を上げるに留まっている。ビリビリ伝わる『負の気』を前にしてもなお冷や汗をかかない周人はきつい目つきで『キング』を見据えたままいつでもどんな攻撃にも対応できるように常に緊張した自分を保っていた。
「お前強い!以前会った時から気になっていたが・・・強いなぁ」
笑いながらそう言う『キング』の全身からさらに『負の気』が膨張する。恐るべきその気に際限はないのか、無限に大きくなるそれは『四天王』、『魔獣四天王』そして魔女やその他で乱闘を続けている茂樹たちその場にいる全員を凍りつかせた。
「オレを覚えていたのか?」
「あぁ・・・大方あの時の女の仇討ちだろ?あの女の味も印象深かったが、それ以上にお前の方がな。おかげで今じゃ女の味がどうだったかも覚えてねぇわ」
意外な顔をする周人の質問にも笑みを消さずにそう言うと、『キング』は髪の毛一本すらない頭をぼりぼりと掻くようにしてみせた。
「そうかい・・・なんか少しだけ、ほんの少しだけ救われた気分だぜ」
周人はそう言うと口の端を歪めるようにして笑みを形作る。だが目は笑っておらずに睨みをきかせたままだ。かけがえのない人を犯し、殺した相手がその人のことを覚えていないのも腹が立つが、それ以上に何も覚えていなかったということに気が楽になった。『キング』にとって恵里は自身が快楽を得るための一時的な媒体でしかなかったという事実は、仇敵の中で印象に残られていることに比べればどこかホッとしてしまうことなのだ。
「一つ聞きたい・・・あの時、オレを殺せていたはずだが、何故そうせずに逃げた?」
「あぁ、あれな。簡単だよ、俺は美味いもんは最後に残すたちだからだ。また会う予感がしたからな」
周人は凄まじい気をもってそう訪ね、『キング』はそれを真正面から受け止めつつそう答えた。
「その最後に残したものがお前に食中毒を起こさせるんだぜ?」
「消化しきってやるさ」
2人はそう言うと笑った。片や口の端を吊り上げ、片や歯茎すらむき出して。
身も凍える殺気と鬼気がぶつかりあって空気を振動させている。『四天王』の知る限り、『キング』の放つこれほどの殺気を受けてなお鬼気をもって対抗しうる者など記憶に無いどころか存在すらしなかった。自分たちでさえできなかったそれを、見た目もやわそうな少年がやってのけているのだ。そしてそれは魔女である4人の美少女たちも同じ気持ちであった。自分たちが見てきた『魔獣』と呼ばれる少年がこうまで『キング』と張り合える気を持っていたなど知らなかったせいもあるが、『キング』の殺気以外に自分たちをこうまで怯えさせるほどに成長した周人に戦慄していた。
「信じられる?本気の『キング』を前にして笑える人間なんて・・・」
震える唇からそう言葉を発する桜は唇だけではなく身も震わせている。どういう神経をしていれば笑えるのかがわからず、何より周人があれほどの威圧感を前に微塵の怯えも見せていないことが不思議でならない。
「勝てるとしたら、彼だけ・・・かもね」
そうつぶやく千江美の言葉に驚きの目を向ける緑だったが、心のどこかで千江美と同じことを考えていた自分がいることに気付く。
「あいつが『キング』を倒したい理由は?」
緑は『魔獣』が戦う理由をただ『キング』に成り代わってトップに立ちたいからだと思っていた。だが『キング』を前に笑いながら、しかも正面きって戦いを挑んだバカは今までにいない。それに『キング』に対して真っ向からその殺気を受け止めてなお平然としているそのことからも周人の『キング』への執着心が生半可なものではないことが理解できていた。
「彼女を殺された、その仇を討つため」
答えたのは千江美ではなく、質問を投げた緑の後ろで幽鬼のごとくたたずんでいた葵だった。その恐ろしく感情のこもっていない口調の中にわずかに込められた力強さを感じ取れたのは全てを知る千江美だけだろう。その千江美は少々表情を曇らせつつも硬い表情を変化させることはなかった。
「それだけのために・・・ここまで来たっていうの?」
驚きを隠せない桜の言葉にも静かにうなずくだけの葵。まさかその葵までもが自身の復讐を周人に託したことは知らない緑と桜はただただ呆気に取られるばかりである。だが、もし、たったそれだけの理由で世界でも最高レベルの強さを持つ『キング』に挑める心を持っているのであれば、さっき千江美が言った『勝てるとしたら周人だけ』という言葉にもうなずける。権力、力、バックボーンすべてを兼ね備えた完全無欠の存在に仇討ちを挑んでここまで辿り着いた人間などいなかっただけに、緑と桜、そして千江美は何かを期待する心に戸惑いつつも『キング』と向き合う周人の背中を見つめるしかなかった。
「『完全無欠』の世界最強最悪の男が勝つか、『絶対無敵』の心で仇討ちをしにきた優男が勝つか・・・神様でもわからないでしょうね」
つぶやく葵の言葉を背に受けつつうなずくことさえしなかった3人は自分たちの彼氏の戦いなどそっちのけで周人と『キング』による因縁に満ちた対決に注目するのだった。
右にいたと思った瞬間にはもうそこには幻影しかない。『四天王』の1人である西原さとるはまっすぐ前を向いたままただ立っているのみだったが、一瞬にして左に移動しながら蹴りを放つ純が舌打ちをしたのはどういうわけか。左右の足を同時に蹴り上げる周人に近いほどの高速の動きで蹴りを放つ純だったが、そのありえない防御方法にどうすることもできないでいた。もはや人間ではありえないその動きは葵がくれたデータ通りといえばそうなのだが、実際に目にしてみればこれほど異様な光景は無い。相手の背中に向けて放った蹴りを振り向くことなく腕で受け止めるや否や、やや背面側に立った純にこれまた全く立ち位置を変えることなくまっすぐ蹴りを放てる人間などいはしない。肩と肘が完全に逆関節を曲げて背中が正面のごとき状態で純の蹴りを受け止め、ありえない可動範囲を誇る股関節から繰り出す蹴りが純の腹部を直撃した。葵のくれたデータに記載されていた『全ての関節を360度あらゆる方向に曲げることができる』と言われるさとるは首すらも背後に回転させてにんまりと微笑んだ。その動きはまるで人形のようであり、気持ち悪さが募って精神的に壮絶な不快感を与えつつ体にもダメージを与えてくるのだ。神の身体を持つ男と言われているらしいが、これは悪魔の身体を持つ男といった方が正しいだろう。これではいくら相手の死角をついた攻撃をしかけようとも常に正面を向いて攻撃しているのと同じなのだ。現に今は背中を正面にしたように首が完全に後ろを向き、手足もそれが普通のように関節が見事に逆になっている。知らない人から見ればそれが背後を向いているとは思えないほど見事な状態だ。
「キショイ体しやがって・・・」
つぶやく純は一旦間合いをあけつつもどうやってさとるを攻略するか算段を練る。
「俺の変異種としての能力は何もこの関節自在の能力だけじゃないぜ。反射神経も人間を超えている」
その言葉に舌打ちする純だったが、それはすでに理解できている。いかなる速さで迫り、蹴りやパンチを繰り出そうとも見事なほど全てを受け止められて反撃を食らっている。その反撃もかわしている純だったが、動くのは一方的に自分ばかりではスタミナも尽きてくるだろう。どこから攻めても全て正面からの攻撃となってしまうのでは話にならない。
「一閃炸裂とはよく言ったものだけどな・・・所詮はただの人間だよ」
「あぁ、お前みたいなバケモノじゃねぇよ」
その言葉に苦笑を漏らすさとるには余裕があるが純にはそれがない。さすがに『キング』の側近を務める『四天王』だけあって純のスピードに対抗しうる反射神経と運動神経を持ち合わせているせいか、その強さも今までに戦った相手とはレベルが違う。純はどうにかして死角を突き、自身の最高の技としている拳脚一体の技を叩き込むことに集中することにした。とにかく何らかのダメージを与えない限りは勝つことはできない、そう自分に言い聞かせた純は全力でさとるに向かって駆ける。正面から突っ込み、繰り出される拳をかわすようにして直角に曲がりつつもスピードは殺さない。そのまま一気に背後に回るがその動きが見えているのかさとるもまた純の動きに合わせて常に正面を向くような格好を取る。もちろん体は動かさず、奇妙な動きで首や腕をあらゆる方向に向けて純を正面に捉えているのだ。純はさとるの周囲を高スピードで移動しながらも近づいたり離れたりしてその一撃を放つタイミングを図る。そして一気に相手の懐に飛び込んだ時、そこにめがけてさとるの拳が突き出された。純のスピードにあわせた驚異的な反応だったが、その拳は何も無い場所に突き出されただけとなった。純は拳が突き出されたタイミングにあわせて瞬時に方向を変え、すかさず左右の拳を交互に繰り出したのだ。さとるの拳に対して少しだけ斜めに移動して放った両拳がさとるのわき腹にめりこむ感触を意識したその瞬間、目の前のさとるが突然力を失ったかのようにして地面に倒れこんだ。体中の骨という骨がその機能を失ってまるで軟体動物のような形で地面にある姿は異様を通り越して不快感を与えてくる。攻撃が虚しく空を切った純は突き出した拳の勢いに体を前につんのめりながらも必死で踏ん張ろうとするが、渾身の拳が空を切った代償はあまりにも大きく、自身のバランスを大きく崩してしまっていた。
「惜しかったな」
突然目の前に姿を現したさとるはニヤけた顔を純の鼻先に出現させると同時に強烈な膝蹴りを純の腹部にめり込ませた。さらにそのままその膝から下が跳ね上がると純のアゴを直撃する。さらには両手で純のわき腹を挟み込むようにしながら拳をめり込ませ、そのままそこを持って純を軽々と持ち上げると自らを回転させて勢いをつけると放り投げたのだ。腹部の一撃が内臓を傷めつけ、あごへの一撃が意識を遠のかせ、わき腹への一撃で左の肋骨が何本か折れた感触がしている。その上さらに背中から地面にたたきつけられた純は血反吐を吐きながら土煙を舞い上がらせる。幸い土の地面だったおかげで折れた肋骨がひどくなることはなかったが、それでもそのダメージは相当なものだった。
「関節を自在に動かせるってのはそういう芸当もできるってこった」
気だるそうにそう言いながら首の骨をパキパキ鳴らすさとるは虚ろな目を空に向けて倒れている純を見て小さく口の端を吊り上げて笑った。もはや意識朦朧とし、口も半開きで息すらしていないように見える。
「ま、しょせんは雑魚だよなぁ~」
やれやれと言わんばかりにため息をつきながらそう言ったさとるは体中をひねるようにして骨をバキバキと鳴らした後、ゆっくりとしたというよりはやる気のなさそうな足取りでもはや瀕死の状態にある純に向かって歩き始める。そんなさとるの近づく足音やあちこちで起こっている乱闘の声も耳に入ってこない純は目の前が真っ暗な中でふわふわした感覚にただ快感を得ていた。
『気持ちいいなぁ・・・なんなんだろ、これ・・・・』
もはや戦っていたことすら忘却の彼方となっている純は指一本すら動かせない体に何の疑問を抱くことなくそのふわふわした感覚の虜となってしまっている。
『西原も来ればいいのにさ・・・こんなに気持ちいいのに』
純は今自分の頭によぎったその『西原』という名前に妙な違和感を抱くが、やはり快楽の前にその違和感もすぐに消し飛んだ。
『隣に西原がいたらもっと気持ちいいんだろうけど』
微笑を浮かべながらそう思う純はそこで何かに引っかかったような気分になり、ここで初めてふわふわした感覚に勝る意識を抱いた。
『俺、告白したよな?で、確かOKもらったのに・・・なんで西原はいないんだ?』
純は首だけを器用に動かして周囲を見渡すが、暗い闇があるだけで他には何も無い。
『ここは?』
そう思って身を起こそうとするが体が全く動かない。その上つい今しがたまで動いていた首すらも動かないのはどういうわけか。もはや快感などどこへやら、純は必死になって体を動かそうともがくようにしてみせるがやはり指一本すら動かせなかった。
『なんだよこれ!俺・・・まさかこれって死んだってことか?』
焦る気持ちに心臓が呼応している。やけにはっきりと感じる自分の心臓の動きに焦りも加速していく中、純の頭の中でさとみの声が鳴り響いてきた。
『死んだらいやだからね?』
その言葉に恐怖から目を閉じていた純はカッと目を見開く。観覧車の中での告白、そして想いが通じ合ったこと、約束。それら全てを鮮明に思い出した純はどうして自分がこうなったかという原因すらも思い出し、徐々に目の前が白くなっていくような感覚を覚えた瞬間、自分を見下ろしながらだるそうな表情をしているさとると目が合った。
「お、意識が戻りやがったか・・・どうせまたすぐに意識を失うだろうけどね、永遠に」
突然現実世界に引き戻された純の頭を踏み潰そうとさとるが右足を上に上げる。そしてそれが力任せに下ろされるその瞬間、純はありったけの力で地面を転がると全身を駆け抜ける強烈な痛みを感じつつも5メートルの距離を開けて膝立ちとなった。肩で大きく息をする純は鋭い痛みを発する左のわき腹を押さえつつ、吐き気を我慢しながら驚いた顔をしているさとるを睨みつけた。顎と腹部もかなり痛むせいか、まるで全身が傷だらけのように痛みが意識を奪い去ろうとしてきた。
「このままじゃ確実に負ける・・・死ぬ。けど、約束したんだ・・・死なないって」
純は自分に言い聞かせるようにそう言うと脳を揺さぶる痛みを堪えて立ち上がった。体中が熱を帯びたように熱い。
「お前さぁ、そんな状態でどうしたいわけ?寝てたらそのまま痛みも知らずに死んでいけたのにさ」
呆れ顔のさとるを睨む純だが、もはやまともな戦いができるとは思えない。けれど戦い、勝利する以外に生きて帰るというさとみとの約束は果たされないのだ。その想いが純の中で小さな火を灯させる。
「どうせどっから攻めても正面になるんだ。だったら小細工なしでいくさ」
つぶやくようにそう言うと純は一気に駆けた。それはライトニングイーグルというにはあまりにお粗末なスピードでしかなかったが、そこから拳を突き出す。しかし当然ながらさとるはまるで蚊やハエを追い払うかのような仕草でその右手をかわすとさらに突き出されてきた左拳も同じようにして払いのけた。純は一つ一つの動作が痛みを伴う中、徐々にだが拳を突き出す速度を上げていく。そんな純に驚く素振りも見せずにただニヤけた顔で拳を払いのけるだけのさとるだったが、ある時から妙な変化に気付いて顔つきを変えた。
「なんだ・・・こいつ、スピードが上がってるだけじゃなくてパワーも?」
力のこもらぬ拳のはずだった。だからこそ軽く払いのければそれで済んでいたのだ。なのに今は違う。払う腕に力を込めなくてはその威力に押されてしまうほどだ。
「金色?金色の光が・・・」
さとるは目の前の男の目に宿る炎のようなゆらめきと突き出す拳が金色の筋を引き連れてやってくる様を信じられない気持ちで見ていた。その金色の光に対して本能が頭の中で警報を発し始めたそのとき、純の拳がさとるの顔にめり込んだ。まさか当たるとは露ほども思っていなかったせいか、鼻を直撃した拳の痛みに思わずのけぞる。
「なめるなぁ!」
だがこの程度でひるむ相手ではなく、すぐさま本気になって純の体を掴みにかかった。だがどうしたことか、今さっきまでそこにいた純の姿は真横に移動しているではないか。そこから繰り出すパンチを右肩で受けつつもさとるはその光景がまるで夢のようであることに戦慄していた。自分の周囲にいる純の姿は3人にも見える。人間を超えたようなその高速の動きがそうさせているのだろうが、こんなことはありえない。いや、今までに戦った中で変異種として超スピード能力を持ったものはいた。だが、今それに匹敵するほどのスピードを見せているのはついさっきまで死の縁にいた男なのだ。
「こんなことはありえない・・・ありえないんだ」
さとるは本気で純を掴みにかかるがどれも宙をさまようばかりだ。どういうステップを踏んでいるのか、純は変則的なスピードと動きでさとるを翻弄していた。
『今は痛みは忘れろ・・・こいつの動きにだけ集中するんだ』
全身を駆ける痛みは増すばかりだが、今の純はそれよりも体を動かすことに集中できていた。
『勝つんだ・・・勝って西原と付き合うんだ・・・・約束したんだから!』
その想いは力となって純をさらに加速させる。哲生の言う『正の気』の究極の形『無我の領域』に達した自覚もなく、純は完全にその力を自分の物としていた。相手の動きがまるでスローモーションのように見え、どこに攻撃すればいいかすら容易に判断できる。顔、腕、腹部に拳をめり込ませつつさとるの周囲を回るようにして動き回る純の速度はまさにライトニングイーグルの名にふさわしい神速の域に達していた。
「雑魚のくせに、死んでこい!」
自分の攻撃は当たらずに相手の攻撃ばかりが自分を襲うなどという経験などないせいか、焦りの極みにいるさとるはもはや勘を頼りに拳と蹴りを目の前に来た純に炸裂させた。自分の中で完璧に決まったと思えたその攻撃はたしかに純に当たったはずだった。だがその純は幽鬼のごとき幻影であり、さとるの目は恐怖に見開かれた。幻影が消えた刹那、そこに現れたのは純の姿。とっさに体をかばうように腕を上げかけたさとるを遥かに上回るスピードで純の拳が乱舞した。口と鼻から血を流し、見る間に顔が腫れ上がる。もちろん顔だけでなく上半身のいたるところに純の拳が次々と、まさにマシンガンのごとく打ちつけられていった。既に意識が飛んでいたさとるだが、そのさとるの胸の中心に渾身の蹴りが炸裂する。大きく吹き飛ぶさとるを見ながら、技を放った純もまた片膝をつき、左わき腹を押さえるようにしながら肩で大きく息をしていた。もはや腕はおろか指すら動かすのも痛みが走る。限界を超えて打ち放った拳の乱打と必殺の蹴りに満足感を感じつつ、純はその場にへたりこむようにして座り込んだ。
「役目は果たしたぜ・・・あとは生きて帰れるかどうかはお前次第だ、周人。頼んだぜ」
そう言うと前のめりに倒れこんだ純は消えそうな意識を必死で保ちつつ『キング』に向かって蹴りを放つ周人の姿を見つめるのだった。そんな純を守るように指示した茂樹は口の両端を吊り上げて笑うと、周人を気にしつつも残った3人の方へと視線を走らせるのだった。
見えない刃の切っ先を地面につけたまま疲れたような表情をしている御手洗はその剣を指差す目の前の男の思考に戸惑っていた。厚さ数ミクロン、紙より薄い特殊な鋼材でできたこの神剣フラガラッハはその透けて見えるほどの薄さゆえに見えない刃として有名である。横からの衝撃どころか斬りつける衝撃ですら折れそうなその極薄の刃はダイヤモンド並みの硬度を持っている故に『この世に斬れぬ物などない』と言われているのだ。現に鉄やコンクリートはもちろん、人間の体や車でさえも何の抵抗もなく真っ二つにできるその剣を『ビームサーベル』などと言ったバカはいなかった。自分たちに対するあまりの予備知識の無さに閉口しつつ、それを真剣に口にした自分の相手である十牙の思考はどう考えても謎なのだ。
「この剣は厚さ数ミクロンという薄さの特殊鋼材でできている。その薄さと超硬度によって斬れない物などない」
何故いちいちそれを説明しなくてはならないのか、それすらバカらしく思える御手洗は見えないはずの刃を倒れているバイクのライトにかざすようにしてみせると、その刃をライトの光で浮かび上がらせるようにしてみせた。暗いので見えにくいが、たしかに刃の形の部分だけ若干背景がくすんだように見えている。それも強烈なバイクの光があってこそわかるのであり、夜である今はおろか昼間ですらその極薄の刃を見ることはかなわないだろう。
「そんな透けるほど薄いもんでああまで綺麗に斬れるたぁ驚きだぜ」
言葉とは違ってそうたいして驚いたようには聞こえない口調でそう言う十牙だったが、これで葵がくれた資料が正しかったことがわかったせいか少し落ち着きを見せていた。それにその刃の形状、長さを記憶できたことは大きい。リーチも何も分からない状態では話にならなかったが、透けているとはいえその形や長さがわかればまだ対応の仕方ができるからだ。かといってその剣と斬り結ぶことはかなわない。いかに鉄に等しい硬度を持つ阿修羅であろうとも、バイクすら見事に斬ってみせるフラガラッハにかかれば無残な姿となってしまうだろう。
「一撃必殺に賭けるしかねぇな」
相手の刃と剣を交えずに一撃をもって御手洗を倒す以外に勝ち目はない。だがそれがいかに難しいことかわかっているだけに、冷汗が十牙の額から頬を伝って顎先から流れ落ちた。意識を奪い去る一撃を放てずに阿修羅にフラガラッハが触れれば即座に阿修羅は真っ二つとなり、返す刀で十牙自身も真っ二つになってしまう。相手は空間把握能力を持った変異種であり、その間合いを1ミリ単位で見切ることが可能なのだ。うかつに相手の間合いに入れば即座に剣撃が飛んでくるだろうことからして相手の隙をついて必殺の一撃を叩き込むしか勝機はないが、それはまさに神がかりの一撃と言えるだろう。そんな十牙の緊張感を見抜いてか、御手洗は不敵な笑みを浮かべつつ見えなくなった刃の切っ先を十牙へと向ける。そしてそのまま飛ぶように一歩踏み出した御手洗は十牙の頭頂目掛けて必殺の一撃を打ち込んできた。だがすでに十牙はおおげさなまでの動きでその場を去っており、フラガラッハは地面を難なく切り裂いて逃げた十牙を追いかける。剣士として敵に背中を見せないのが鉄則だが、そうは言ってもいられずに猛ダッシュする十牙は廃棄されている鉄製のコンテナの前に立つとチラリと後ろを振り返る。迫る殺気に険しい表情をしつつ追ってきた御手洗から目を逸らさない。そして御手洗はダッシュを止めることなく十牙に迫ると袈裟懸けにその一刀を振り下ろす。斜めの剣撃、見えない刃のイメージを決して絶やさないでいる十牙はコンテナを駆け上るようにしてその一撃を避けてかわすとコンテナの後ろに逃げて御手洗の隙をつく作戦を実行しようとした。
「降りてこい」
その場から去ろうとしている十牙にそう言うのと右足でコンテナを蹴飛ばすのとはほぼ同時だった。蹴りの衝撃を受けたコンテナは間違いなく鉄製であり、その鉄1枚の厚さは5センチにもなる。そのコンテナの一角、十牙がいた部分が音もなくずれていくその光景はマジックのようだ。三角を形取ったコンテナの一部が音を立てて地面に転がる様子を信じられないといった表情で見ていた十牙は真下で剣を振りかざす御手洗に恐怖した。まるで演舞をしているかのように、目の前に鉄のコンテナなどないように剣を振り回す御手洗は手ごたえなどないのが当たり前のようにして一通りの動きを終えると切っ先を地面に向けたまま再度コンテナを蹴り上げた。軽い衝撃を受けただけのコンテナはバラバラになりながら音を立てて崩れるように地面に落ちていった。うまくバランスをとりつつも鉄の塊を避けながら着地した十牙の目が目いっぱい見開かれる。不敵な笑みを浮かべた御手洗が今まさにその恐るべき斬れ味を誇る刃を振り下ろそうとしているのだ。とっさに阿修羅でそれを迎え撃とうとした自分をバカだと思う。その一瞬のタイムロスが十牙の回避運動を遅らせる結果となり、極薄の刃が十牙の着ている服ごと袈裟懸けにその皮膚を裂いた。血が舞い、苦悶の表情が浮かぶ。それでもこれまで数多の喧嘩を得て今に至っている経験からか、致命傷は免れているのはさすがだろう。その手ごたえの薄さに舌打ちをした御手洗はすぐさま間合いを詰めるも、自身の異能力である空間把握能力は十牙には刃が届かないことを知らせている。目の前を通り行くバイクを蹴飛ばして御手洗の動きを遅らせるが、運転手である奇抜な髪型の男の左腕ごと雑作もなくバイクを切り裂いた御手洗を前に、ついに十牙は片膝をついて今しがた御手洗に斬り裂かれた胸の傷を押さえるようにするのだった。あともう1センチ近ければ骨ごと肉を裂かれていただろう。筋肉に覆われた胸を5ミリ程度の深さで左の鎖骨付近から右のわき腹手前まで斬られた傷口からは血がとめどなく噴出していく。痛みが熱をもって十牙を襲う中、なんとか立ち上がろうと膝を上げた十牙に御手洗の右足がその傷口をさらに傷みつけるように蹴り上げた。痛みに叫び声を上げる十牙は何故一思いに自分を切り殺さないのかと考えつつも激痛に意識が飛びそうな自分を必死で保つのが精一杯だ。
「お前を殺すのは一瞬だけどな、こういうのをいたぶるのは楽しいから一瞬では殺さないさ」
残忍極まりない表情でそう言う御手洗は転げまわる十牙の傷口を実に正確に蹴りつけていく。土まみれになりながらも転がるしかない十牙はあまりの激痛に徐々に意識が薄れていくのを自覚していた。
「くそぉ・・・このままなぶり殺しかよ」
血を流しすぎたせいもあって視界も暗くなり、その先には死しかない気絶が目の前まで迫ってきている。
「死ぬのか・・・俺は・・・ここで・・・・・・」
もはや死ぬことすら受け入れようとしている十牙の頭の中で千里の顔が頭に浮かぶ。何故死を覚悟した今この瞬間に千里の顔が浮かぶのかはわからないが、何か大事なことを忘れているような感覚に薄れていた意識が少しだけはっきりとしてくるのだった。
『百円でキス1つって言ったでしょ?だからあと49回以上はあるからね』
「49回か・・・もったいないよな、って、何で俺があいつとのキスを欲しがるんだよ」
千里とはただの友達だ。それもここ最近仲良くなっただけでそれまでははっきり言ってろくな会話もなかった。だが自分に対して悪態をついてばかりの千里はそれでもどこか十牙のことをよくわかっているような感じもする。
「やっぱあいつは俺に惚れてやがるな」
そう思った矢先に脳天から足先まで鋭い痛みが駆け抜ける。失いかけていた意識がその痛みで目覚めれば、十牙の左足の太ももにフラガラッハが突き刺さっていた。
「寝るなよ・・・まだ早いぜ?」
勝ち誇った目で見下ろしながらそう言う御手洗は音もなくフラガラッハを抜き去るとその傷口を思いっきり踏みつけてきた。猛烈な勢いで血が噴出す中、十牙は痛みよりも怒りが体を駆け抜けるのを感じていた。
「調子こきやがって・・・このボケナスが!」
心でそう怒鳴るものの、触れる物をすべて斬り裂くフラガラッハの前では何をしようと無駄だ。
「気硬化も無駄かよ。あ~もう、だったらダメ元だ」
どんなに気を集中させても踏みつけられている傷口には効果はない。ならばと、十牙は右手に持った阿修羅にその気を集中させていく。
「あの剣を受け止められたら俺の勝ち、できなきゃ死ぬってか?上等だ!」
最後の一言だけ声に出した十牙は御手洗も予期せぬ動きで太ももの傷口を踏みしめている右足に阿修羅を叩きつけた。痛みに右足を離した御手洗は怒りに満ちた目を十牙に向ける。十牙はそんな御手洗を睨み返しながらも膝立ちになり、ありったけの気を両手で握った阿修羅に集中させていく。
「行くぜこの野郎・・・」
そのつぶやきに悪鬼に似た表情を浮かべる御手洗は右手に持ったフラガラッハをゆっくりと振り上げていく。
「調子に乗りやがって・・・もう遊びは止めだよ、冷めた。お前を殺してこんなところとはおさらばして桜で久々に燃えるか」
「そりゃこっちの台詞だよ。俺もお前をぶっ倒して藤川と・・・って、藤川かよ・・・・まぁ、いいか」
何が言いたいのかわからない台詞を吐いた十牙に御手洗の眉が吊りあがる。上半身血まみれで右足からも大量の血を流している目の前の男が不敵に笑っているせいだろう。その出血量からして意識を失うのは時間の問題だろうが、それにしてはその笑みはありえないほどに自信に満ちている。
「死んで来い!」
見えない刃が一瞬ライトの光を反射してその姿を浮かび上がらせる。同時に十牙もまた痛む右足などおかまいなしに下から渾身の力でその刃を迎え撃った。たかだか木刀など雑作もなく、まるで空気のごとく切り裂けるフラガラッハに迫るその木刀がぼんやりと黄金色に輝いて見えるのはなにかの光の加減だろうか。だが、そんなことなどどうでもいい、そう思う御手洗のフラガラッハが十牙の持つ阿修羅と今まさに触れ合うその瞬間、ガキィンというまるで硬い金属同士がぶつかるような音と衝撃が2人を包み込んでいった。ダイヤモンドすら斬り裂いたことがあった。複雑な構成をした金属の塊すら素振りをするかのようにしてたやすく斬ることができた。この世に斬れぬ物などない、はずだった。だが見よ、明らかに木とわかるその木刀とぶつかり合い、火花を散らしながら押しつ押されつの攻防を繰り広げているその最強の剣を。
「な!バカな・・・」
どんなに力を込めても斬ることはおろかそれ以上振り下ろすことができない自らの剣を見やった御手洗は信じられないといった表情をしている。その御手洗の表情がさらに凍りついたのは鋭い目をそのままに凄まじい笑みを口元に浮かべた十牙の表情を見たせいだ。
「奇蹟って知ってるか?」
口元に浮かんだ笑みをそのままにゾッとさせるその低い口調の十牙は足から噴き出す血も無視してついていた片膝を浮かせる。痛みすら心地いいと思える十牙は遂に立ち上がると斬り結びながら力比べをしている愛刀阿修羅から御手洗へと視線を向けた。おびただしい出血の中でこうまで力を発揮していることこそ奇蹟だろう。ならばこのフラガラッハを受け止めている木刀はどう説明すればいいのか。
「気が乱れてるぜぇっ!」
叫ぶや否や、十牙はありったけの力でフラガラッハごと御手洗の両腕を跳ね上げ、横薙ぎの一撃を御手洗の左わき腹に直撃させた。先ほど十牙が言い放った『乱れた』のは何もその強大な殺気だけではない。集中力の乱れもそこに重なり、空間把握能力すら薄れていたせいで簡単に十牙の反撃を食らってしまったのだ。骨の折れる感覚を噛み締めつつもさらなる一撃を加えようとする十牙の動きを見ながら渾身の一撃を袈裟懸けに振り下ろす御手洗だったが、またも先ほど同様に金属がぶつかりあうような音と共にフラガラッハと阿修羅は激しく斬り結びながらも一進一退の攻防へと突入していく。一度ならずニ度までも切り落とすことができないその現実に御手洗は悪夢を見ているかのような感覚を覚えるのだった。
「こんな・・・こんなことが・・・!」
「負けられねぇんだよ、俺は・・・・あと49回のキスをもらうまではなぁっ!」
無意識にも似た感覚でそう叫ぶや否や、十牙はぶつかり合った刃の部分を軸に器用に手首を返しつつフラガラッハを跳ね上げる。鍔元付近に切っ先を乗せられたせいでその力に負けた御手洗の腕から抜け出したフラガラッハはクルクルと回転しつつコンテナが不規則に並ぶ場所に消え去っていった。ありえない状況に自分を見失った御手洗は最強の武器を失い、顔面蒼白となりつつ奇妙な構えを取る目の前の敵へと視線を向ける。血を流す右足などお構いなしに大きく開かれた両足に力がこもっているのがわかる。そして正面を向いた下半身とは対照的にまるで敵に背を向けるような状態を保ちつつ腕もまた捻るようにして背中から生えているような格好を取っていた。
「あばよ」
一言そう言った瞬間捻られた上半身が巻かれたゴムが元に戻るかのように凄まじい勢いとパワーをもって御手洗に襲い掛かった。相手を攻撃し、身を守る剣も既に無く恐怖に目を開くしかできない。そんな御手洗の右腕に最初の一撃が炸裂した。骨が折れる衝撃を感じた刹那、目の前の十牙はその動きを止めることなくそのまま左の腕、右肩、右わき腹、左肩、腹部への突き、そして最後にその突いた切っ先を跳ね上げて顎先を斬りあげる。数度の回転を加えたその稲妻の如き速さで放たれた七連撃は御手洗の骨を砕き、意識を失わせて地に這わせるには十分の力を持っていた。例えフラガラッハが持たれていたとしても超高速で放たれた七つの斬撃を見切り、全てをかわすことはできなかったであろう。血を吐いて倒れこんだ御手洗を見下ろす十牙は大きく肩で息をしながら阿修羅を杖代わりにふらつく体を倒れまいと踏ん張るのが精一杯だった。
「じいさんのじいさんが編み出した奥義、絶天牙・・・効いたろ?」
失神している御手洗を見下ろす十牙が勝ち誇った笑みと共にそう言った矢先、持っていた阿修羅が腕から零れ落ちると止まらない出血部分である胸と右足を押さえながら背中から地面に倒れこんでしまった。
「へへ・・・こりゃ、重傷だ」
かすれた声でそう言うが、さっきの奥義の代償のせいで体が動かせないために止血すらできない。死を覚悟しながらも千里に会いたいと思う十牙はそこで頭の中でハテナを浮かべ、薄れていた意識が急速に戻るのを感じていく。
「なんだよ・・・俺ぁ、あいつが好きなのか?」
苦々しい顔でそう言ったが、それもすぐかすかな微笑に変化する。
「ま、悪くはねぇな」
そう言って目を閉じた十牙は満足そうな顔をしたまま徐々に意識が薄れていくのを自覚していく。そんな十牙の胸と右足の傷口が何かによって押さえ込まれるような鋭い痛みに消えかけていた意識が蘇り、思わず身を起こしそうになるほどに顔を上げた。
「痛ぇな!こら!」
「手当てしてる相手に言う台詞じゃねぇな、おい」
野太いその声の主を目にしても睨むことを止めない十牙は上げた頭をゆっくりと下ろすようにして再び体を横たえるとフンと鼻息を吐きながら痛む体の方へと目だけを向ける。そこには服か何かの布が大きな手で体と太ももに押し込まれるような状態であてがわれているのが見えた。そしてその手は太ももの傷口のやや上方付近をきつく縛り付けはじめているではないか。不器用ながら豪快な手さばきで止血をしているその手の持ち主である茂樹は足の傷の応急処置を終えつつも胸の傷をどうしたものかと思案していた。
「誰かに押さえさせておく。護衛もつけてやるから今は寝てろ」
そう言うなり、立ち上がりざまに襲い掛かってきたごろつき3人をあっという間に蹴散らした。十牙はそんな茂樹に小さい声ながら礼を言うと小さくため息をついてそっと目を伏せてから周人が戦っている方向へと顔を巡らせるのだった。




