その11、小春日和
「それはまた朝から豪勢っていうか、健啖っていうか」
「はい。美味しかったです」
にっこりと笑うアリメロさんは、眩しい限りだ。
ひょっとして仕事が忙しかったからというよりは、牛丼とか焼肉とかそういった系の食べ物が恋しかったのかもしれない。
半ば冗談、半ば本気でそんなことを思う。
朝から特盛り玉子つきお漬物を掻っ込む金髪褐色の女性、想像しただけで店内の異様な雰囲気がたまらない。
「乃羽さんは朝からお出かけですか?」
「ええ。本当は仁屋さんに改めてデートを申し込みに行こうとしたんですけどね」
「行かないんですか?」
「お疲れでしょうから」
「ふーん。行ってあげればいいじゃないですか。それで、ゆっくりふたりで過ごすんです」
「人と居たら気を使うでしょう」
「むしろ使いたい人も居るんですよ。特に……ね?」
人と居たほうが安らぐということもあるだろうけれど、それはもっと深い仲になってからじゃないだろうか。
それとも、それぐらいの仲になれと言っているのか。
「そういえば、アポもなくいきなり訪ねていくとどうなると思います?」
「ポリスですね」
「ですよね」
ストーカー級の危険人物というかそのものだ。
アルコールが残っているのか、まだ冷静になっていないのかもしれない。
LINEでも送ってみようかと思ったところで、
「そういうことならわたしがお手伝いしましょう」
と、提案があった。
「そこまでしてもらうのは悪いっていうか、さすがに自分で連絡するものでしょう」
「それはその通りです。が、クッションは必要なんですよ」
曰く、直接的に伝えすぎると仁屋さんのことを考えた場合、休息し辛い上に、今からバタバタし始めそうだから、と言う。
実際そうなるかはわからないが、ひさしぶりの休日を邪魔するというのはたしかにやめておきたい。
失礼なことだが、アリメロさんに甘えることにした。
「なら、明日の夕方辺りにお願いしていいですか?」
「うーん……それぐらいのほうがメイクのノリがいいかな。わかりました。伝えておきますね」
「ありがとうございます。本当は自分でやらなくちゃいけないんですけどね」
「お礼ならデートに込めてあげて下さいよ」
「はい。そうします」
「頑張って、佐智子ちゃんを幸せにしてあげてね」
「そのつもりです」
そういうと彼女はにっこり笑ってから自分の部屋に入っていった。
最初から最後まで目を閉じたままで、もはやそれに慣れてしまっているようだ。
思った以上に感覚の精度が鋭いのか、あるいは目以外の何かで見えているのか。
どちらにしろ、アリメロさんは人間の領域を逸脱し始めている気がする。
だって、彼女は目を閉じたままスマートフォンを思い通りに操作していたのだから。
どこに行けばいいだろうかと考えて、二回目のデートというより、あの日中断した続きという感覚であることに気づいた。
あの日からまともに顔も合わせられなくて、ずっと終わった感じがしなかった。
どういう場所へ行きたいか。
そんなことは仁屋さんと一緒に居るだけで溢れてくる。
フルーツのコースを食べたレストランへ行きたい。
百貨店でまた物産展をぶらつくのもいい。
その日来て歩く衣装さえショップに入って選んでしまいたい。
けれどそのデートは夕方からだ。
時間帯は本当に続きからで、それほど長くない。
だからこれはどこに行くかじゃなくて、どんな時間をいっしょに過ごしたいか。
そっちのほうが重要だ。
街をぶらつきながら、そのへんの事を考えた。
結局、決まったのはあのレストランに行くことぐらいだった。
バーへ行って軽く飲んでからレストランで食べながら何を話そう。
いままでにあったことと、これからあるだろうことと、いまの気持ちと。
考えているだけで溢れてきてしまいそうで、顔が赤くなってないか心配になる。
慌ててコーヒーショップへ飛び込んで、テイクアウトでカフェオレを買った。
飲みながら、感情が冷めてくるのを待つ。
何がしたいのか、そんなことを考えて街を歩いているだけで、日が暮れてくる。
気がつけば足が棒のようで、どれだけこのあたりを歩いていたのかもわからない。
コーヒーを飲んだくらいで昼も食べなかったせいか、胃は空っぽだったのだけれど、何も食べる気がしない。
それでも倒れては行けないから、その辺でBLTクレープをかじったけれど、味はよくわからなかった。
自分にとって、明日がどれだけ待ち望んでいたかというのが、今更になってわかった。
「帰るか」
子供の頃のクリスマス前日より、今の自分のほうが明日を待ち焦がれていた。
翌日、朝から心配と期待で胸が張り裂けそうだった。
中華風卵粥で朝食を済ませると、服を選んで洗面所の鏡を眺める。
仕事についてのスケジュールでやりとりをした後は、プランターの植物の面倒を見て気持ちを落ち着けた。
夕飯にボリュームがあるものを食べる予定だから、昼は軽くそばで済ませる。
そうこうしている内に、待ち合わせ場所まで早めに着いておくならそろそろ家を出る時間になった。
身支度は済ませてあったから、火とガスと戸締まりだけ確認して家を出る。
待ち合わせ場所は、はじめてデートした日と同じところだ。
まだ空の端が赤らんできた頃合い、人の群れはまだまだ多い。
空の青が徐々に追いやられていく様子を見ながら、じわじわと夜の幕が下りるのを待つ。
早めについたというのに、時間が流れるのが早すぎたぐらいだ。
そして待ち合わせの十五分前になって、仁屋さんがやってきた。
軽めの上着と、腰を絞ったワンピース。
激務から一昼夜しか経っていないとは思えないほどの顔艶は健康そのものだ。
長くふわりとした栗毛はゆったりと巻かれて、いつもよりも女性らしさを強く感じる。
「おまたせしちゃいました?」
「ううん、早すぎるぐらい」
「……ごめんなさい、嘘。本当は、もうちょっと前から見てたんです」
てへへ、と笑う仁屋さんは悪戯が見つかった子供のようで、アンバランスさに心を掴まれる。
「なんか、妙に照れちゃって。会いたいなあって思うんだけど、会っちゃったらどうしようって」
自分にも覚えのある、さざなみに揺れるようなこの気持ちは、なんなんだろう。
ドキドキしているというよりも、恥ずかしさと嬉しさで締め付けられるようにも思う。
いつからこんなに、この人のことを、好きになったんだろう。
「……いっしょだ。そばに痛いのに、近くに来たら、嬉しいのに困る」
「前は勇気を出せば、腕を組めたのに」
今は無理です、とはにかむように仁屋さんが笑う。
そんなことってあるんだろうか。
近づくほどに遠くなるなんてことが。
女性というよりは女の子みたいで、女の子というには艶やか過ぎる。
指の一本も触れ合うのが怖いのに、抱きしめてしまいたいような。
「……手を、繋いでみませんか」
たったそれだけの言葉で肺の中の空気を全部使った。
「…………はい」
ヤマアラシ同士が近づくように、臆病に。
そっと指先同時が触れ合って、そこから熱量が爆発していく。
導火線に火がついた。
「行きましょうか」
「……はい。乃羽さん」
さあ、あの日の続きをはじめよう。




