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第7話

 プラントの最奥に位置するプレハブ小屋の影から、俺と水無瀬は息を潜めて内部の様子を伺っていた。

 薄暗い部屋の真ん中、パイプ椅子に縛り付けられているのは、間違いなく白石だった。彼女の口には粘着テープが貼られ、その瞳には恐怖と激しい苦痛が滲んでいる。

 「ひよりちゃん・・・!」

 水無瀬が低く息を呑む。俺は素早く周囲の状況を確認した。周囲に見張りは二人。いずれも自動小銃で武装している。

 俺は水無瀬に手で合図を送り、影に紛れて一気に間合いを詰めた。背後から忍び寄り、手前の見張りの喉仏に鋭い掌打を叩き込む。崩れ落ちる男の銃を奪うと同時に、もう一人の見張りが振り向く前にその頸椎へ警棒を叩きつけた。

 二秒で制圧完了。俺はすぐに白石の元へ駆け寄り、ナイフで彼女のロープを断ち切った。

 「九条さん・・・水無瀬さん・・・。 どうして・・・? 逃げてって言ったのに。」

 「なに寝ぼけたこと言ってる。現在進行形で依頼を遂行しているだけだよ。立てる?」

 テープを剥がされた白石が涙を溢れさせながら首を振る。だが、彼女を抱き起こそうとしたその瞬間――カチャリ、と頭上から冷たい金属音が響いた。

 「そこまでだ、ネズミども」

 暗がりからすっと現れたのは、猟銃を構えた村長だった。さらにその背後から、作業服を着た重武装の男たちが十数人、ぞろぞろと湧き出すようにプレハブを取り囲む。完全な包囲網。退路は断たれていた。

 「お前のことを少し、調べさせてもらったぞ? 今は便利屋をやっているらしいが、お前、元公安らしいな。どうりで嗅ぎ回るのがうまいわけだ。さすが元、国の犬だ。」

 村長は蔑むような笑みを浮かべ、銃口を俺たちの胸元に向けた。

 「熊谷・・・! これが鎮魂奉納祭の正体か? 神隠しなどという妄言で村人を騙し、若い人間を捕らえてここで死ぬまで薬物を作らせていたのか!」

 俺の強い糾弾にも、村長は眉ひとつ動かさない。それどころか、まるで幼い子どもの他愛もない世間話でも聞くかのように、くつくつと喉を鳴らし始めた。

 「騙す? 滅相もない。神とはこの村の経済そのものだ。10年に一度、外部との繋がりが薄い若者を一人『神隠し』としてここに沈める。これだけの設備と利益を維持するための、最も効率的で確実なシステムじゃよ。」

 村長は舌先でべたりと乾いた唇を舐めると、まるで秘蔵の玩具を自慢でもするかのように、歪んだ笑みをその顔一面に広げた。

 「今日は、10年に一度のお祭りじゃ。わしは機嫌がいい。く、く、く・・・なあ、便利屋よ? なぜこの祭が10年に一度か分かるか? ふふっ、ここで神の薬の蒸気を吸いながら作業する女はな、だいたい10年で頭も身体もドロドロに溶けて壊れてしまうんじゃよ。そう、要するに使用期限が10年なんじゃ。ひひっ、ひひひっ!!!!」

 村長は浅黒く湿った顔を捻じ曲げ、黄色く黄ばんだ歯を丸出しにして、ねっとりとした濁声を漏らした。その瞳には、人間をモノとして、あるいは飼育小屋の家畜としてしか見ていない純粋でグロテスクな愉悦が爛々と宿っている。

 「前にここで神のために働いた女も、最後は自分の名前すら忘れて、涎を垂らしながらただ薬を混ぜるだけの肉塊になった。・・・いやぁ、あれは実に可憐で、素晴らしい『生贄』だったなぁ。ははは、はははははははっ!!」

 天井の蛍光灯を見上げ、喉の奥を鳴らしながら高笑いする村長。その鼻をつく脂の匂いと、生理的な嫌悪感を煽る醜悪な笑い声が、プレハブの狭い空間に粘りつくように響き渡る。

 「人間の尊厳を何だと思っている!」

 俺は白石を庇うように一歩前へ出た。腰の特殊警棒を握り直す。一瞬の隙さえあれば、この距離なら村長を盾に取れる――。

 だが、俺の放つ殺気すら、熊谷にとってはどこ吹く風のようであった。熊谷は湿った粘着質の視線を俺から外し、足元で震える白石へとゆっくり移した。まるで、競り市で売り物の家畜の品定めでもするかのように、頭の先からつま先までをねっとりと舐め回す。

 「白石ひより。お前は東京の大学へ進学し、余計な知識と知恵をつけすぎたようじゃ・・・。」

 熊谷は舌打ちを一つ打つと、心底くだらないとばかりに肩をすくめた。

 「神隠しとしてここに置く女はな、何も知らず、何も望まず、ただ与えられた薬品を機械のように作業し続ける純粋な部品でなければならん。・・・だが、どうだ? お前は村の掟を疑い、外の空気を吸い、挙句の果てにこんな余計なおせっかいを焼く便利屋まで引き入れた。」

 熊谷は嘲笑うようにくつくつと喉をならし、猟銃の銃口を白石に向けた。彼女の身体がひくっと跳ね上がるのが分かる。

 「教育のし直しには時間がかかる。その間の生産力はゼロ。・・・それどころか、お前のような余計な知識のついた不良品を置けば、他の作業員にまで変な毒が回るんじゃ。損得勘定としては最悪だ。」

 「な・・・何・・・?」

 白石の絞り出すような声に、熊谷は黄色い歯を剥き出しにして笑った。

 「つまりな、お前はもう商品としての価値すら暴落したということじゃ。メンテナンス代もかさむ上に、リスクしか生まれない廃棄物。・・・余計な知識のついた娘は、もう使えん。」

 熊谷は吐き捨てるように言うと、ふと思い出したかのように、歪んだ笑みを深めた。

 「そういえばお前、12歳の時に両親を事故で亡くしておったな? 確か交通事故だったかな?」

 「・・・え?」

 白石の身体が、氷漬けにされたように固まる。熊谷は首を傾げ、喉の奥で「くくっ」と卑屈な笑いを漏らした。

 「知らなかったろう? あれは事故などではない。あいつら夫婦はな、この村のシステムに気付き、警察に駆け込もうとしおったんじゃ。だからな・・・ブレーキホースを少し切って、崖から落ちてもらったんじゃ。」

 「な・・・何を言ってるの?」

 「歯車にもなれん出来損ないの親から、余計な知識をつけた不良品の娘。血は争えんということじゃの。あの親にしてこの子あり、じゃな。」

 「お父さん、お母さん・・・。そんな・・・嘘でしょ・・・?」

 事故だと思い込み、11年間抱え続けてきた悲しみの根底を根こそぎ覆され、白石の瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 「かわいそうに。親のもとへ逝くがいい。便利屋も後を追って逝くから安心しろ。」

 熊谷が冷酷に言い放った瞬間、俺の脳内で警報が鳴り響いた。


バァン――ッ!!


 「社長、伏せて! ――—————」


 狭いプレハブ内に、鼓膜を裂くような重厚な銃声が炸裂した。


 水無瀬の叫びと同時に、俺はひよりの身体を突き飛ばして庇おうとした。だが、それよりも早く、熊谷は迷いなく引き金を引いていた。


 「あ……」


掠れたような小さな声。

俺の腕の中で、白石の身体が大きく跳ね上がり、そのまま力の抜けた人形のように崩れ落ちた。

 彼女の白い胸元から、鮮血が溢れ出し、黒い伝統衣装をさらに黒く染めていく。


 「ひよりちゃん!!」


 水無瀬が悲鳴を上げる。俺は膝をつき、倒れた彼女の肩を抱き寄せた。

指先で心拍を確認しようとするが、ドクドクとあふれ出る赤い血が、俺の手を生温かく濡らしていくばかりだ。


 「九条……さん……」


 白石の視線が、空虚に天井の作業灯を彷徨う。その瞳から急速に光が失われていく。

 「ごめ……んな……さ……」


 それが、彼女の最期の言葉だった。

 小さく息を吐き出したのを最後に、彼女の胸の上下が完全に止まった。


 「ひよりちゃん! 目を開けて! ひよりちゃん!!」

 水無瀬が必死に彼女の胸元を押さえるが、溢れ出る血は止まらない。


 『鎮魂奉納祭』――。

 神の祟りでも、血塗られた不気味なカルトの狂言でもなかった。この村の奥深くに脈々と受け継がれてきたのは、信仰などという美しい言葉からは、程遠い、極めて合理的で、それゆえに反吐が出るほど、醜悪な産業構造だったのだ。

 俺の頭の中で、これまで蠢いていた違和感のピースが一気に噛み合っていく。都市部に流出していた高純度の合成麻薬。足代がつかない匿名の流通経路。そして、定期的にこの過疎村で繰り返される若い人間の失踪事件。村人達はそれを『神隠し』と恐れ、神の怒りを鎮めるための奉納だと信じ込まされていた。だが、その裏で糸を引いていたのは、神でも怨霊でもない。ただの強欲な老獪《ろうかい》とそれを囲む利権の亡者達だ。

 外部との繋がりが薄くなる時期を捉え、消えても探す者の少ない若者を生贄として地下に閉じ込める。光も届かない毒気の満ちた暗がりで、壊れていく精神を騙し騙し使い倒し、10年という使用期限が来れば、使い古された部品のように廃棄して次の生贄へと更新する。

 神隠しという伝統の仮面を被せることで、村人の口を塞ぎ、警察の目を逸らし、永遠に終わらない集金システムを構築していたのだ。

 伝統の重みも、宗教的な神秘性もない。そこにあったのは、生きている人間をただの消耗品として処理する、現代社会の歪みが凝縮された残虐な因習だけだった。


 「さて」

 熊谷はまだかすかに硝煙の立ち上る銃口をゆったりとした動作で下げた。その顔には、一人の人間の命を奪った動揺など微塵もなく、ただ厄介な不良品を一つ始末し終えたという安堵と、冷血な達成感だけが浮かんでいる。

 「口封じは一人済んだ。次は余計なおせっかいを焼いた、お前たち便利屋の番じゃな。」


 立ち込める薬品の臭気と、血の匂い。

 腕の中に残る白石の最後の体温を感じながら、頭の芯が、冷たく冴え渡っていく。そして俺の腹の底から、暗く猛烈な怒りの炎が静かに燃え上がり始めていた。

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