第2話
白石にソファに座るよう促し、俺もソファに腰かける。水無瀬が慣れた動作で麦茶を用意し、テーブルに置き俺の隣に座った。
「改めまして、ライフアシスト・ジャパンの九条累です。こっちは従業員の水無瀬です。」
「水無瀬 紬です。ライフアシスト・ジャパンで肉体労働以外の全ての業務に携わっています。」
俺らはそれぞれ名刺を白石の前に差し出し、テーブルに並べる。
「白石 ひよりと申します。」
白石は緊張した様子で、小さな声で自己紹介した。名刺にそっと視線を落とし、麦茶には触れず、膝の上で組んだ両手をぎゅっと固くしていた。
「・・・私、私は、長野県の山奥の村で生まれ育ちました。大学に入学するため上京してきました。」
声は小さいのに、事務所の空気を静かに変える力があった。
「出身村はいわゆる、限界集落と言われるような場所で、地図にもほとんど載らないような村です。そこでは、昔から変わった風習があるのですが、お二人は御山荒神という名を聞いたことがありますか?」
初めて聞く言葉に俺は思わず聞き直した。
「みやま・・・なんですか?」
「御山荒神です。御仏の「御」に「山」、「荒」ぶる「神」で御山荒神です。」
「なんだかずいぶんと物騒な神様ですね。」
「村では、山はなによりも大切な神様の宿る場所と教わりました。小さい頃は、大雨が降ったり雷が鳴ったりすると、御山荒神様のお怒りだなんて、大人達に言われていたことを思い出します・・・。本題はこちらです。」
白石がテーブルの上にゆっくりと差し出したのは、和紙のようにザラついた薄茶色の封筒だった。宛先には達筆な墨文字で「白石ひより様」と記されている。差出人は・・・鎮魂奉納祭実行委員会?
「手紙ですか?」
俺が尋ねると、白石は小さくうなずいた。その手先はかすかに震えている。
「今朝、アパートのポストに入っていました。差出人の『鎮魂奉納祭実行委員会』は村の伝統的なお祭りを執り行う委員会です。」
白石は一度言葉を切り、深く息を吐き出した。その表情には、恐怖と諦めが混ざり合ったような複雑な色が浮かんでいる。俺は封筒の中身を確認し、手紙を確認した。
「選ばれた・・・?」
隣で黙って話を聞いていた水無瀬が、身を乗り出すようにして尋ねた。いつもの軽薄な雰囲気は消え、険しい目つきになっている。
「ええ。村では古くから、23歳になる年に御山荒神様から『選ばれる』という言い伝えがあります。選ばれた者がどうなるのか、幼かった私には誰も教えてくれませんでした。ただ・・・選ばれた若者が村から『消える』のを、私はこの目で見てきました。」
「消える・・・って、神隠しみたいなものですか?」
俺の言葉に、白石は悲しげに首を振った。
「失踪、あるいは駆け落ち・・・大人達はそうやって処理していました。でも、御山荒神様に選ばれると、みんな理由も告げずに消えていくんです。そして今年、私は23歳になりました。」
事務所の中に沈黙が落ちる。エアコンの微かな送風音だけが、やけに大きく響いていた。白石は組んでいた膝の上の手をさらに強く握りしめ、まっすぐに俺の目を見つめた。その瞳には、すがりつくような必死な光が宿っている。
「九条さん・・・お願いです。私を不気味なこの村の言い伝えから護ってください。ホームページを見ました。『なんでも承ります』って書いてありましたよね? お金なら、今まで貯めたバイト代をすべて払います。だから・・・」
白石の切実な訴えに、俺は手元の名刺に視線を落とす。便利屋としてエアコン掃除や家具の組み立てをやっていた俺たちが引き受けるには、明らかに手に余る案件だった。
だが、恐怖に怯える彼女の瞳と、テーブルの上にぽつんと置かれた異質な封筒を前にして、「警察に行け。」の一言で追い払う気にはどうしてもなれなかった。
俺は隣の水無瀬に視線を送った。水無瀬は一瞬だけ苦笑いを浮かべたあと、肩をすくめて小さくうなずいて見せた。
「・・・わかりました、白石さん。うちの基本料金は安いですけど、神様の撃退補償まではついてません。ですが、あなたの身の安全を守る依頼なら、正式にお引き受けいたしましょう。」
今年の梅雨は長い。そして、嫌な予感だけは昔からよく当たるのだ。
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