第1話
「毎度ありがとうございます。ライフアシスト・ジャパンから来ました。九条です。本日は、ご依頼いただきましたエアコンの掃除で参りました。」
今日の依頼主は高齢の夫婦からだ。昨年の夏にエアコンを使用したきり、エアコンの掃除をしていないとのことだ。本格的な夏を迎える前に、エアコンの掃除をしようと思うのは、人類皆、共通なのか。今月に入ってから20件は受注している。おかげで仕事には困っていないが、毎日毎日エアコンの掃除をやっていると、自分がエアコン業者になったかのような気分になる。
「今日はよろしくね。九条・・・下のお名前は何と読むのかね。」
依頼者の高齢男性が俺の名刺を手に、目に近づけたり遠ざけたりしながら聞いてきた。
「九条累と言います。よろしくお願いします。」
「累さんね。社長さんがわざわざ、ありがとうございます。」
「いえいえ。うちは私と従業員1名でやっている小さな便利屋なので。便宜上、社長を名乗っていますが、ただの平社員みたいなもんです。」
軽く依頼者と雑談し、俺は早速エアコンの掃除に取り掛かる。昨年以来、エアコンを使用していないからか、汚れはひどくない。これなら1時間もかからないくらいで終わりそうだ。今日は他に依頼もないから、このまま直帰しようかな。
「お待たせしました。エアコンのフィルター、配管、本体など全て清掃させていただきました。清掃代と出張費合わせて、1万円になります。」
「ありがとうございました。そんなに安いんですね。別の業者に相談したときは、3万円はかかると言われたので、エアコンの掃除は大変な作業なのだと思っていました。」
「昨年以来、ほとんどエアコンを使ってない様子でしたから、汚れもひどくありませんでした。昨今の夏は、エアコン必須ですからね。悪徳な業者はそれに漬け込んで、無理な作業代を請求するみたいですから、十分気をつけてくださいね。その分、うちは地域密着、ご高齢者には親切、丁寧がモットーですから安心してください。またのご利用よろしくお願いします。」
左手の腕時計を見る。時刻は17時を示していた。このまま直帰するか。
俺はうちの唯一の従業員に電話をかける。
「もしも・・・『社長!? 今どこですか。』」
あまりの声の大きさに耳から耳鳴りというSOSが出されている。
「水無瀬・・・。いきなり大きい声だすなよ。」
「あー。ごめんなさい。丁度今、社長に電話しようとしていたところだったので、社長から電話が来てつい、テンションが上がってしまいました。ところで、社長今どこにいます?」
「どこって、練馬のエアコン掃除だろ。今終わったから、このまま直帰しようと、お前に電話したところ。」
「私、今事務所に居るんですけど、依頼者が来てまして・・・。ぜひ社長に話を聞いて欲しいって言っているんですよ。直帰はキャンセルできませんか?」
「水無瀬が代わりに依頼聞いといてくれよ。大至急で対応しなければいけない相談ってことでもないんだろ? そっちに戻るのに1時間位かかるし、今日はもう帰りたい!」
「どうしても社長に話を聞いて欲しいって聞かないんですよ。ほら、うちのホームページに『事件の捜査でも、要人警護でもなんでも承ります!』ってなんか大袈裟に書いてあるじゃないですか。それを見て来られたみたいですよ。ちなみに、依頼者は若くて可愛らしい女性です。」
水無瀬の顔は見えないが、声色から、にやにやした人を馬鹿にしているような顔をしているに違いない。まったく、社長をなんだと思ってるんだ。
——「分かった。1時間待つように言っといてくれ。」
俺は愛車の軽バンに工具箱、清掃道具、ブルーシートを詰め込み、運転席に乗車する。気象庁はまだ梅雨明けを発表していないが、日中の日差しによって、車内は茹だるような暑さになっていた。俺は急いでエンジンを始動させ、エアコンを20℃に設定した。車内の温度は45℃を示している。エアコンに顔を近づけ、汗が引くのを待つ。
冷気が広がるにつれ、フロントガラスにぽつりと水滴が落ちた。さっきまで晴れていたはずなのに、空はいつの間にか鉛色に変わっている。今年の梅雨は長い。そして、長い梅雨の年は決まって何かが起きる。そんな迷信を思い出しながら、俺は電子たばこを作動させ一服する。スマートフォンを確認し、いつものようにネットニュースを確認した。
『芸人Sと女優A、熱愛発覚か!?』
『今年の夏は酷暑の予報!現役気象予報士が詳しく解説。』
『都内に新たな違法薬物流出か。警視庁が流通ルートを捜査開始。』
『夏の甲子園出場校続々決定。あなたの優勝予想は?』
「今日も日本は平和だな・・・。便利屋に関係ありそうなニュースはなしっと。」
車内の温度はいつの間にか30℃を切っていた。ギアをDに入れ、ゆっくりと走り出した。
首都高を降り、川崎の雑居ビルが見えてくる頃には、空はすっかり夜の色に沈んでいた。ビルの1階にあるコーヒーショップの看板が、雨粒を弾くように淡く光っている。ここのアイスコーヒーは妙にうまくて、仕事帰りに寄るのが習慣になっていたが、今日はそんな余裕もない。
軽バンをビル横の契約駐車場に滑り込ませる。エンジンを切ると、さっきまでの湿った空気が一気に戻ってきた。工具箱を片手に、階段を上がる。2階の事務所の扉は、いつもより重苦しい雰囲気があった。
「社長。お帰りなさい。」
水無瀬の声だ。
扉を開けると、事務所の蛍光灯が白く瞬き、奥のソファに誰かが座っているのが見えた。水無瀬は受付カウンターの前で、妙にそわそわした笑顔を浮かべている。
「お待ちしてましたよ。例の依頼者さんです。」
水無瀬が視線をソファへ向ける。
そこに座っていたのは、若い女性だった。
綺麗な茶色に染められた短髪は首筋をなぞるように揺れている。蛍光灯の白い光が頬の曲線をなぞり、その輪郭を淡く浮かび上がらせていた。目元の静けさが、彼女の美しさをより際立たせている。
俺は思わず足を止める。
「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。ライフアシスト・ジャパンの社長を務めています九条と申します。」
「白石と申します。こちらこそ、突然訪問してしまい申し訳ありませんでした。」
白石はゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。その動作は丁寧なのに、どこかぎこちない。緊張していることが動作から伝わった。
「立ち話もなんですから、どうぞお掛けください。依頼の件ですが、うちは私と水無瀬の2人しか従業員がいないので、水無瀬も同席させて良いですか?」
「ええ。構いません。よろしくお願いします。」
——これから聞く相談が俺の人生を大きく変える出来事になるとは、この時微塵も思わなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
毎日更新していきますのでよろしくお願いします。




