第5話 近づくなと言われた場所へ
ダンジョンを出ると、眩しい日差しが二人を包んだ。
「やっぱり外の空気は気持ちいいですね!」
リクは大きく伸びをしながら笑顔を見せる。
「そうですね……。」
ミアは返事をしながらも、どこか浮かない顔をしていた。
「どうかしました?」
「どうかしました、じゃありません。」
ミアは立ち止まり、リクをじっと見つめる。
「本当に、あの地図を置いてきてよかったんですか?」
「ああ。」
リクはあっさりとうなずいた。
「必要になったら取りに行けばいいですし。」
「だから、その考え方がおかしいんです!」
思わず声が大きくなる。
「ああいうのは、必要になる前に持っておくものなんですよ!」
「でも、必要になるか分からないですよ?」
「分からないから持っていくんです!」
リクは少しだけ考えるような仕草を見せる。
「なるほど。」
「分かってくれましたか!」
ミアの表情が少し明るくなる。
「じゃあ、本当に必要になったら取りに行きましょう。」
「話を聞いてください!」
ミアは頭を抱えた。
この人は、本当に勇者なのだろうか。
そんなやり取りを続けながら街道を歩いていると、遠くに大きな城壁が見えてきた。
「あれが次の町でしょうか。」
「たぶんそうですね。」
門の前には多くの旅人や商人が並び、荷馬車が行き交っている。
王都とは違う活気に満ちた町だった。
「楽しそうな町ですね!」
リクは足取りを軽くし、門へ向かって歩き出す。
その時――
「おい、旅人!」
門番が二人を呼び止めた。
「町へ入るなら、一つだけ忠告しておく。」
門番の表情は、急に真剣なものへ変わる。
「この町で、一番近づいちゃいけない場所がある。」
リクとミアは顔を見合わせた。
門番は声を潜めるように言った。
「町の外れにある古い屋敷だ。」
「屋敷ですか?」
ミアが首をかしげる。
「ああ。昔から『絶対に近づくな』と言い伝えられている。」
「何かいるんですか?」
「それが分からない。」
門番は困ったように首を振った。
「誰も理由を知らないんだ。ただ、代々『近づくな』とだけ伝えられている。」
「だから町の者は誰も寄りつかない。」
リクは少し考え込む。
「……。」
ミアは嫌な予感がした。
この沈黙は、ろくなことを考えていない時の沈黙だ。
「リクさん?」
「はい。」
「まさかとは思いますけど……。」
リクはにこっと笑った。
「理由が分からないなら、見に行けば分かりますよね。」
「やっぱり!」
ミアは思わず頭を抱えた。
「だから近づいちゃダメなんです!」
「でも、何が危ないかも分からないんですよ?」
「分からないから危ないんです!」
「なるほど。」
リクは何度もうなずく。
「じゃあ、昼のうちに行きましょう。」
「そういう意味じゃありません!」
門番は思わず苦笑した。
「旅人さん、あんた変わってるな。」
「よく言われます。」
リクは悪びれる様子もなく答える。
門番はしばらく二人を見つめると、小さく息をついた。
「……止めても無駄そうだな。」
「ただ、一つだけ覚えておいてくれ。」
「屋敷の扉だけは、絶対に勝手に開けるな。」
門番の真剣な表情に、ミアは思わず息をのむ。
しかし――
「分かりました!」
リクは元気よく返事をした。
その返事を聞いたミアは、なぜかまったく安心できなかった。
門番に礼を言い、二人は町へ入った。
石畳の道には露店が並び、焼きたてのパンの香りが漂っている。
「賑やかな町ですね。」
リクはきょろきょろと辺りを見回す。
「あっ、おいしそうです。」
串焼きの屋台を見つけると、足が止まった。
「リクさん。」
「はい?」
「まさか食べてから行くつもりですか?」
「お腹が空くと力が出ませんから。」
「そこじゃありません!」
ミアは思わずため息をつく。
「危険な場所へ行こうとしてるんですよ?」
「だから先にご飯です。」
「優先順位がおかしいです!」
結局、リクは串焼きを一本食べて満足そうに歩き始めた。
町の中心を抜けるにつれ、人通りは少しずつ減っていく。
やがて民家もまばらになり、辺りは静けさに包まれた。
「……誰もいませんね。」
ミアが小さな声でつぶやく。
振り返ると、さっきまで聞こえていた町の賑わいは、もう遠くなっていた。
さらに歩くこと数分。
一本の細い道の先に、大きな鉄柵が姿を現す。
その向こうには、蔦に覆われた古い屋敷が静かに建っていた。
長い間、人の手が入っていないことは一目で分かる。
風もないのに、門がギィ……と小さく軋んだ。
「ここが……。」
ミアは思わず息をのむ。
リクは屋敷を見上げると、いつものように笑顔で言った。
「思っていたより普通ですね。」
その言葉と同時に。
屋敷の二階の窓で、カーテンがふわりと揺れた。
まるで、誰かが二人を見下ろしているかのように。
「……見ましたか?」
ミアが小さな声で尋ねる。
「はい。」
リクは屋敷の二階を見上げたまま答えた。
「カーテンが揺れましたね。」
「風……じゃないですよね。」
辺りの木々はぴくりとも動いていない。
静まり返った空気だけが、二人を包んでいた。
ミアはごくりと唾を飲み込む。
「やっぱり帰りませんか?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……。」
ミアは屋敷を指差した。
「誰も住んでいないはずなのに、二階の窓が動いたんですよ!」
「そうですね。」
「怖くないんですか?」
リクは少し考えた。
「誰か住んでるのかもしれません。」
「その発想になるんですか!?」
ミアは思わず声を上げた。
「だったら挨拶しないと失礼ですね。」
「違います!」
リクは鉄柵の前まで歩いていく。
古びた門には錆が広がっていたが、不思議と鍵は掛かっていなかった。
「開いてますね。」
ギィ……
軽く押すと、門はゆっくりと開いた。
その音だけが、不気味なほど大きく響く。
ミアは門番の言葉を思い出した。
――『屋敷の扉だけは、絶対に勝手に開けるな。』
門は門だ。
まだ屋敷の扉ではない。
そう自分に言い聞かせながら、リクの後を追う。
庭には雑草が生い茂り、中央にはひび割れた噴水があった。
長い間、人が手入れをした形跡はない。
それでも、不思議と荒れ果てた印象はなかった。
まるで、つい昨日まで誰かが住んでいたかのように。
やがて二人は、屋敷の大きな玄関扉の前に立つ。
重厚な木製の扉には、見たことのない紋章が刻まれていた。
リクはその紋章をじっと見つめる。
「変わった模様ですね。」
そして何の迷いもなく、扉へ手を伸ばした。
「リ、リクさん!」
ミアは慌ててリクの腕をつかんだ。
「待ってください!」
「どうしました?」
「門番さんの話、忘れたんですか!」
「『屋敷の扉だけは絶対に勝手に開けるな』って!」
リクは玄関扉を見つめたまま、うーん、と小さく考え込む。
「確かに言ってましたね。」
「ですよね!」
ミアは少し安心した。
「じゃあ、開けるのはやめましょう!」
「勝手に開けるのがダメなんですよね。」
「はい!」
「じゃあ。」
リクは扉を軽くノックした。
コン、コン。
静まり返った屋敷に、乾いた音だけが響く。
「すみませーん。」
返事はない。
「どなたかいませんかー?」
やはり返事はなかった。
リクは首をかしげる。
「留守でしょうか。」
「そういう問題じゃありません!」
ミアが思わず叫ぶ。
「そもそも誰も住んでない屋敷なんです!」
「でも、さっきカーテンが動きましたよ?」
「それは……。」
言われてみれば、その通りだった。
誰も住んでいないはずなのに、二階の窓は確かに揺れた。
ミアは言葉を失う。
リクはもう一度、今度は少し大きな声で呼びかけた。
「こんにちはー!」
すると――
カチャ。
屋敷の奥から、小さく鍵の外れる音が聞こえた。
二人は同時に息をのむ。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
目の前の重い扉が、ひとりでに開き始めた。
ギィィ……。
重い音を立てながら、屋敷の扉はゆっくりと開いていく。
中は薄暗く、昼間だというのに陽の光はほとんど届いていなかった。
「ひっ……。」
ミアは思わずリクの後ろへ隠れる。
「だ、誰も触ってないですよね?」
「はい。」
リクは落ち着いた様子でうなずく。
「勝手に開きました。」
「それが一番怖いんです!」
屋敷の中からは物音ひとつ聞こえない。
静かすぎるほど静かだった。
玄関ホールには赤いじゅうたんが敷かれ、左右へ大きな階段が伸びている。
壁には何枚もの肖像画が飾られていた。
どの人物も立派な服装をしているが、不思議なことに全員の顔だけが黒く塗りつぶされている。
「趣味でしょうか。」
リクがぽつりとつぶやく。
「そんな趣味ありません!」
ミアはすぐに否定した。
「どう考えてもおかしいですよ!」
リクは一枚の肖像画の前で足を止める。
「確かに顔だけ真っ黒ですね。」
そう言って、袖で軽くこすってみる。
「あっ!」
ミアが止める間もなく、黒い汚れはあっさり落ちた。
現れたのは、優しそうな老紳士の顔だった。
「汚れていただけでした。」
「えっ……。」
ミアは目を丸くする。
他の肖像画も見てみると、どれも同じように黒い汚れが付いているだけだった。
「……誰がこんなことを?」
その瞬間。
屋敷の奥から、コツ……コツ……と、誰かがゆっくり歩いてくる足音が響いた。
リクは音のする方へ顔を向ける。
「誰かいますね。」
足音は、少しずつこちらへ近づいてくる。
コツ……。
コツ……。
そして暗い廊下の奥に、一つの人影が姿を現した。
コツ……。
コツ……。
足音はゆっくりと近づいてくる。
暗い廊下の奥から現れた人影は、二人の前でぴたりと立ち止まった。
長い黒いローブを身にまとい、その表情は薄暗くてよく見えない。
ミアは思わずリクの後ろへ隠れた。
「リ、リクさん……。」
その時だった。
人影の視線が、ゆっくりとリクからミアへ移る。
「……まさか。」
驚きと戸惑いが入り混じった声が静かな屋敷に響いた。
「君は……。」
ミアの表情がわずかに強張る。
二人はしばらく無言のまま見つめ合った。
やがてミアは、誰にも気づかれないほど小さく首を横に振る。
「今は……何も言わないでください。」
その一言に、人影は静かに目を閉じた。
「……そうか。」
まるで何かを悟ったように、小さく息をつく。
一方、そのやり取りを見ていたリクは、不思議そうに首をかしげた。
「知り合いですか?」
「い、いえ!」
ミアは少し慌てたように答える。
「は、初めて会いました!」
「そうなんですね。」
リクは深く考えることもなく、人影へ向き直ると、いつもの笑顔を浮かべた。
「こんにちは。」
ぺこりと頭を下げる。
「お邪魔しています。」
人影は思わず苦笑した。
「……ずいぶんと変わった勇者だな。」
静かな屋敷に、小さな笑い声だけが響いた。
次回『屋敷の主人』




