第3話 絶対に抜くべき剣を抜かなかった
「ちょ、ちょっと待って!」
ミアは慌ててリクを呼び止めた。
「どこへ行くの?」
リクは足を止め、不思議そうに振り返る。
「どこって?」
「宿でも探そうかと。」
「違うでしょ!」
ミアは思わず声を張り上げる。
その勢いに、広場に集まっていた村人たちまで肩を震わせた。
ミアは台座へ突き立った銀色の剣を指差す。
「あれ!」
「……剣?」
「そう、その剣!」
リクは改めて剣へ視線を向けた。
陽の光を受け、静かに輝く銀色の刀身。
確かに立派な剣だ。
「きれいですね。」
「そういう話じゃないの!」
ミアは額に手を当てた。
「勇者なら、まずあの剣を抜くの!」
「なんで?」
広場から音が消えた。
村人たちが一斉に固まる。
「……なんで?」
ミアは信じられないものを見るような目でリクを見つめる。
「王様から何も聞いてないの?」
「聞きましたよ。」
「じゃあ、聖銀の剣の話は?」
「聞いた気はします。」
「じゃあ!」
「でも。」
リクは首をかしげた。
「今、必要ですか?」
「…………え?」
今度は村長まで固まった。
リクは剣を見ながら続ける。
「だって、まだ黒き竜と戦うわけじゃないですよね?」
「はい……。」
「なら、必要になった時に取りに来ればいいんじゃないですか?」
静まり返る広場。
あまりにも自然な口調だった。
だからこそ、誰も反論できない。
確かに理屈だけ聞けば間違っていない。
しかし、この剣は三百年間、勇者を待ち続けてきた伝説の剣なのだ。
「今じゃなくてもいい」という発想は、誰一人として持っていなかった。
村長は一歩前へ出る。
「勇者様。」
「はい。」
「どうか、一度だけで構いません。」
「……?」
「この剣に触れていただけませんか。」
「抜けるかどうか、お試しいただくだけで十分なのです。」
村長は深々と頭を下げた。
それにつられるように、村人たちも一斉に頭を下げる。
「お願いします。」
「勇者様。」
「どうか……。」
リクは困ったように頭をかいた。
「そんなに言うなら。」
ゆっくりと台座へ歩み寄る。
村人たちは息を呑む。
ミアは胸の前で両手を握り締めた。
――ついに。
三百年間待ち続けた伝説の剣が、勇者の手によって抜かれる。
誰もが、そう信じていた。
しかし。
リクは剣の前で立ち止まると、刀身をじっと見つめた。
「……重そう。」
その一言に、全員の表情が固まる。
「え?」
リクは視線を広場の隅へ向けた。
そこには、子どもたちが遊びに使っていた一本の木の棒が転がっていた。
リクはそれを拾い上げ、軽く振ってみる。
「うん。」
「これくらい軽い方が使いやすそうです。」
木の棒を肩に担ぎ、にこりと笑う。
「これで十分じゃないですか?」
広場には、誰一人として言葉を発する者はいなかった。
沈黙。
広場を吹き抜ける風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
村人たちは目の前の光景を理解できず、ただ立ち尽くしている。
最初に我に返ったのはミアだった。
「ち、違う!」
ミアは慌ててリクの前へ飛び出す。
「そうじゃない!」
「それじゃないの!」
リクは手に持った木の棒を見下ろした。
「え?」
「武器はそれじゃなくて、あっち!」
ミアは聖銀の剣を勢いよく指差した。
「あれを抜くの!」
リクは剣と木の棒を見比べる。
「でも、こっちの方が軽いですよ?」
ミアは思わず天を仰いだ。
「そういう問題じゃないの……。」
村長が静かに一歩前へ出る。
「勇者様。」
「はい。」
「この聖銀の剣は、三百年間、勇者を待ち続けてきた剣です。」
「雨の日も、風の日も。」
「誰にも抜かれることなく、この村と共に時を刻んできました。」
村長は優しく剣へ手を添える。
「私たち村人にとって、この剣は希望そのものなのです。」
リクは剣を見つめる。
「三百年かぁ。」
「はい。」
「すごいですね。」
村長は少しだけ笑顔になる。
「分かっていただけましたか。」
「手入れ、大変だったでしょうね。」
「…………。」
広場に再び静寂が訪れる。
ミアはゆっくりと両手で顔を覆った。
「もう……。」
その時だった。
広場の隅で遊んでいた小さな男の子が、おずおずと近づいてくる。
「あの……。」
リクはしゃがみ込み、目線を合わせた。
「どうした?」
「その木の棒……。」
「あ。」
リクは手に持った木の棒を見る。
「君の?」
男の子は小さく頷いた。
「遊んでたの。」
「ごめん。」
リクは笑顔で木の棒を返した。
「勝手に借りちゃった。」
「ありがとう!」
男の子は嬉しそうに木の棒を抱え、友達のところへ駆けていく。
その背中を見送りながら、村人たちはほっと息をついた。
リクは悪い人ではない。
ただ――。
「勇者らしくない……。」
誰かがぽつりと呟く。
ミアは深いため息をついた。
「今日はもう宿へ行こう。」
「明日、もう一回説明する。」
「分かりました。」
リクは何事もなかったかのように笑う。
広場を後にする、その瞬間。
誰にも気づかれないほど小さく。
聖銀の剣が、淡い銀色の光を一度だけ放った。
まるで。
勇者を静かに見送るように。
しかし、その光に気づいた者は誰一人いなかった。
次回『入るなと言われた洞窟へ』




