第21話 本当は会っていた剣士
黒き竜が静かに目を覚ましたその頃――。
リクたちは変わらぬ足取りで街道を進んでいた。
朝日を浴びた草原はどこまでも広がり、風が木々を優しく揺らしている。
「今日もいい天気ですね。」
リクは大きく伸びをした。
「旅日和です。」
「リクさんは、いつも楽しそうですね。」
エルナが小さく笑う。
「そうですか?」
「はい。」
「世界がおかしくなっているかもしれないのに、あまり気にしていないというか……。」
リクは少し考え込む。
「うーん。」
「考えても分からないことってありますよね。」
「だったら、目の前で困っている人を助けた方がいいかなって。」
その答えに、ミアは苦笑した。
「やっぱりリクさんらしいですね。」
アルドも静かに目を細める。
「それでこそ、おぬしじゃ。」
穏やかな空気が流れる。
その時だった。
風に乗って、金属がぶつかり合う鋭い音が聞こえてきた。
キィンッ!
「今の音……。」
エルナが表情を引き締める。
「剣です。」
ミアもすぐに周囲を見回した。
音は街道の先。
林の向こうから聞こえてくる。
「行ってみましょう!」
リクは迷うことなく駆け出した。
「またですか……。」
ミアは苦笑しながらも、その後を追う。
四人が林を抜けると、小さな広場が見えてきた。
そこでは三体の魔物に囲まれながら、一人の青年が剣を振るっていた。
銀色の鎧。
鋭い眼差し。
無駄のない剣筋。
一撃ごとに魔物を押し返している。
「すごい……。」
エルナが思わず息をのむ。
「一人であれだけ戦ってる。」
しかし、数では不利だった。
一体を退けても、すぐに別の魔物が襲いかかる。
「加勢しましょう!」
リクは聖銀の剣へ手を伸ばした。
「もちろんです!」
ミアも杖を構える。
アルドは静かにうなずき、エルナも魔力を練り始めた。
勇者一行は、迷うことなく青年のもとへ駆け出した。
その青年こそ――。
本来なら、もっと早く勇者と出会っていたはずの剣士だった。
「はあっ!」
リクは聖銀の剣を構え、一番近くにいた魔物へ駆け寄る。
魔物は大きく爪を振り下ろした。
「危ない!」
エルナが叫ぶ。
しかしリクは紙一重でそれをかわし、そのまま勢いよく剣を振る。
鋭い一閃が魔物を吹き飛ばした。
「あと二体です!」
ミアの魔法が放たれる。
風の刃が一体の足元を切り裂き、その動きを止める。
「今です!」
「ありがとうございます!」
青年は短く礼を言うと、一気に間合いを詰めた。
無駄のない踏み込み。
流れるような剣筋。
一閃。
魔物は悲鳴を上げ、その場へ崩れ落ちた。
残るは一体。
魔物は状況が不利だと悟ったのか、大きくうなり声を上げながら森の奥へ逃げ出す。
「逃がしません!」
リクが追おうとする。
その時だった。
青年が静かに右手を上げる。
「待ってください。」
リクは足を止めた。
「追わないんですか?」
青年は森の奥へ視線を向けたまま答える。
「逃げる相手を無理に追えば、待ち伏せされることがあります。」
「仲間がいるかもしれません。」
「深追いは危険です。」
リクは素直にうなずいた。
「なるほど。」
「勉強になります。」
青年は少し驚いたようにリクを見る。
普通なら、自分の判断に口を挟まれることも少なくない。
しかし目の前の勇者は、まるで年上へ教わる子どものように素直だった。
青年はゆっくり剣を鞘へ納める。
「助かりました。」
「加勢していただき、ありがとうございます。」
リクも笑顔で頭を下げた。
「こちらこそ。」
「間に合ってよかったです。」
青年は四人を順番に見渡す。
賢者。
魔法使い。
杖を持つ老人。
そして、聖銀の剣を携えた青年。
最後に、もう一度リクへ視線を戻した。
「……どこかで、お会いしたことはありませんか。」
突然の言葉だった。
リクは少し考え込み、首を横に振る。
「いいえ。」
「僕は初めてだと思います。」
青年も小さく首をかしげる。
「そうですか……。」
「失礼しました。」
そう答えながらも、その胸の奥には拭いきれない違和感だけが残っていた。
風が静かに草原を吹き抜ける。
本来なら、もっと早く出会っていたはずの二人。
しかし、その事実を知る者は、まだ誰もいなかった。
しばらくの間、静かな風だけが五人の間を吹き抜けていた。
最初に口を開いたのはリクだった。
「おけがはありませんか?」
青年は腕を軽く動かし、小さくうなずく。
「かすり傷程度です。」
「問題ありません。」
「よかった。」
リクはほっとしたように笑う。
「あと少し遅かったら危なかったかもしれません。」
青年は静かに首を横へ振った。
「いえ。」
「危険だったのは事実ですが、皆さんが来なければ逃げるつもりでした。」
「勝てない相手に無理をするほど、自信家ではありません。」
その冷静な答えに、ミアは感心したように目を細める。
「状況判断がお上手なんですね。」
「剣士は、生き残ってこそですから。」
青年は淡々と答えた。
その口調に驕りはない。
ただ経験から出た言葉だった。
リクは青年の剣へ目を向ける。
「きれいな剣ですね。」
青年は少し驚いたような表情を浮かべた。
「剣筋ではなく、剣を見るんですか。」
「はい。」
リクは笑う。
「大事に使われてるんだなって思って。」
青年は一瞬だけ言葉を失った。
今まで剣を褒められたことはあっても、「大事にしている」と言われたことはなかった。
「……ありがとうございます。」
自然と口元が緩む。
エルナはその様子を見て、小さく微笑んだ。
(この人も、悪い人じゃない。)
アルドも穏やかな表情で青年を見つめている。
「ところで。」
ミアが口を開いた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
青年は背筋を伸ばし、四人へ向き直る。
「失礼しました。」
「まだ名乗っておりませんでしたね。」
青年は右手を胸に添え、静かに頭を下げる。
「私はレオン。」
「各地を旅しながら剣の腕を磨いている者です。」
その名を聞いた瞬間。
ミアとエルナは一瞬だけ顔を見合わせた。
どこかで聞いたような名前。
けれど、思い出せない。
一方、リクはいつもの笑顔で手を差し出した。
「僕はリクです。」
「こちらはミアさん、アルドさん、エルナさん。」
「よろしくお願いします、レオンさん。」
レオンは差し出された手を見つめる。
やはり初対面のはずだ。
それなのに胸の奥では、まるで「ようやく会えた」という、不思議な感覚が静かに広がっていた。
レオンはゆっくりとリクの手を握り返した。
「よろしくお願いします。」
短い握手だった。
それだけなのに、不思議と初対面とは思えない感覚が残る。
レオンはその違和感を振り払うように、小さく息を吐いた。
「皆さんも旅を?」
「はい。」
リクはうなずく。
「行き先はまだ決めていませんけど。」
「困っている人がいたら、その町や村へ寄りながら旅をしています。」
レオンは少し驚いたように目を見開く。
「目的地を決めずに?」
「はい。」
「その方が面白そうなので。」
あまりにも自然な答えだった。
レオンは思わず苦笑する。
「変わった旅ですね。」
「よく言われます。」
リクも照れくさそうに笑った。
そのやり取りを見ていたミアが、小さく口を開く。
「レオンさんは、どちらへ向かわれるんですか?」
「北です。」
レオンは迷いなく答える。
「山脈の向こうにある城塞都市へ。」
「最近、魔物の動きが活発になっているという話を聞きました。」
「念のため様子を見に行こうと思っています。」
ミアとエルナの表情がわずかに引き締まる。
「魔物の動きが……。」
「ええ。」
レオンは静かにうなずく。
「まだ噂の段階ですが、これまで見たことのない種類の魔物も現れ始めているそうです。」
アルドは遠くの空を見上げ、小さくつぶやいた。
「……始まったか。」
「え?」
リクが振り返る。
しかしアルドは首をかしげる。
「いや……。」
「今のも、口が勝手に動いただけじゃ。」
レオンはその言葉を聞き逃さなかった。
「始まった……?」
誰に向けた言葉でもない。
それでも胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残る。
その時、一羽の伝書鳥が森の上空を横切った。
真っ白な羽を風になびかせながら、北へ向かって飛んでいく。
レオンはその姿を見つめ、静かに口を開いた。
「どうやら、急いだ方がよさそうですね。」
リクもうなずく。
「僕たちも北へ向かってみます。」
「また会えそうですね。」
レオンは少しだけ笑った。
「その時は、よろしくお願いします。」
そう言い残すと、レオンは北へ続く街道を歩き始める。
リクたちも、その背中を見送りながら歩き出した。
誰もまだ知らない。
この再会が、本来とは違う形で結ばれた、新しい運命の始まりだったことを。
レオンの姿が木々の向こうへ消えるまで、四人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「感じのいい人でしたね。」
リクが笑顔で言う。
「ええ。」
ミアはうなずきながらも、どこか考え込んでいた。
「どうかしましたか?」
リクが尋ねる。
「いえ……。」
ミアは小さく首を振る。
「何となくなんですが。」
「あの人とは、本当はもっと前に出会っていたような気がして。」
その言葉に、エルナが静かに顔を上げる。
「実は私もです。」
「初めて会ったはずなのに、不思議な感覚がありました。」
アルドも穏やかな表情のまま空を見上げる。
「……縁というものかもしれんのう。」
そう言った直後だった。
アルドは自分の口を押さえる。
「いや。」
「違う。」
「今のも……わしには分からん。」
「また勝手に口が……。」
リクは苦笑しながら肩をすくめた。
「アルドさんは、本当に不思議ですね。」
「すまんのう。」
アルドは申し訳なさそうに笑う。
その様子を見ていたエルナは、小さく目を伏せた。
(違う……。)
(これは偶然じゃない。)
レオンも。
アルドも。
そして、この旅そのものも。
何か大きな力に導かれているような気がしてならなかった。
その時だった。
遠くの空へ、一筋の黒い煙が立ち上る。
ミアが真っ先に気付く。
「あれは……。」
リクも足を止めた。
「煙?」
風に流されながらも、黒煙はゆっくりと空へ昇り続けている。
場所は北。
レオンが向かった方角だった。
四人は無言で顔を見合わせる。
「……行きましょう。」
リクが静かに言った。
その一言に、三人は力強くうなずく。
四人は北へ向かって駆け出した。
黒い煙は、なおも空へ昇り続けている。
まるで、新たな戦いの始まりを告げるかのように。
次回『黒煙の村』




