第15話 遺跡の守護者
リクの手に握られた聖銀の剣は、淡い光をまといながら静かに輝いていた。
「これが聖銀の剣……。」
エルナは息をのむ。
「文献でしか見たことがありません。」
ミアも剣を見つめ、小さくうなずく。
「間違いありません。」
「この剣です。」
リクは刀身を眺めながら軽く振ってみる。
「今までの剣より軽いですね。」
「使いやすそうです。」
そう言って腰に差していた鉄の剣を外し、聖銀の剣へ持ち替えた。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴ……。
広間全体が低く震え始める。
「またです!」
エルナが周囲を見回す。
祭壇を囲む石柱が淡く光り始め、床には細い光の線が走っていく。
まるで長い眠りから目覚めたかのように、遺跡全体が静かに動き始めていた。
「リクさん!」
「剣を抜いたのが原因かもしれません!」
ミアが叫ぶ。
リクは聖銀の剣を見つめ、不思議そうに首をかしげる。
「そうなんですか?」
「たまたまかもしれませんけど。」
「たまたまではありません!」
ミアは思わず声を張り上げる。
その時だった。
アルドが祭壇の奥をじっと見つめる。
「……来る。」
その一言に、三人はアルドを見る。
しかし本人は、自分が何を言ったのか分からないというように目を瞬かせていた。
「また口が勝手に……。」
アルドが困ったように苦笑した、その瞬間――。
広間の奥から、重く低い足音が一つ響いた。
ドン。
四人は一斉に音のした方へ振り返る。
重く低い足音は、ゆっくりと広間へ近づいてきた。
ドン。
ドン。
一定の間隔で響く足音。
やがて暗闇の奥から、巨大な影が姿を現した。
全身を黒い鎧で覆われた巨人。
人の倍以上はある体躯。
右手には大剣、左腕には巨大な盾を構えている。
顔は兜で覆われ、その奥から青白い光だけが静かに揺れていた。
「……あれが、この遺跡の守護者。」
エルナは思わず息をのむ。
その瞬間だった。
祭壇の周囲に刻まれていた古代文字が、淡い光を放ち始める。
「文字が……。」
エルナは目を見開き、浮かび上がった文字を夢中で追いかけた。
「読めますか?」
ミアが尋ねる。
エルナはゆっくりとうなずく。
「これは……名前です。」
「『グランガード』……。」
その名が広間に響いた瞬間、巨人はゆっくりと大剣を構えた。
ゴォォォ……。
重苦しい空気が遺跡全体を包み込む。
ミアは剣を構える。
「リクさん!」
「来ます!」
リクも聖銀の剣を握り直し、目の前の巨人を見上げた。
「大きいですね。」
その一言とともに、グランガードは一歩、前へ踏み出した。
広間全体が大きく揺れた。
グランガードは大剣をゆっくりと持ち上げる。
その切っ先は、まっすぐリクへ向けられていた。
「リクさん!」
ミアが叫ぶ。
「気を付けてください!」
エルナも杖を構え、魔力を練り始める。
アルドは祭壇を見つめたまま、小さく目を閉じていた。
「……試練。」
また、知らない言葉が口をついて出る。
しかし本人は、すぐに困ったように首を振った。
「すまん……。」
「またじゃ。」
グランガードは一歩、また一歩と距離を詰める。
重い足音が広間へ響くたび、床に刻まれた古代文字が淡く光を放った。
リクはその様子を眺めながら、ふと足元へ視線を落とす。
「……あ。」
「どうしました!?」
ミアが振り向く。
リクはしゃがみ込み、小さな革袋を拾い上げた。
「さっき鉄の剣を外した時に、荷物を落としてたみたいです。」
「回復薬が全部こぼれちゃってました。」
そう言って、一本一本拾い始める。
「リクさん!」
「今そんなことしてる場合じゃありません!」
ミアの叫びも、リクには届いていない。
「あと一本……。」
その時だった。
グランガードが振り上げていた大剣を、不意に止める。
動きが止まった。
青白く光っていた兜の奥の光が、小さく揺らぐ。
「……え?」
エルナが息をのむ。
グランガードは微動だにしない。
まるで何かを待ち続けているかのように。
そして次の瞬間。
ピシッ。
乾いた音が広間に響いた。
グランガードの胸当てに、一本の細い亀裂が走る。
「なっ……。」
ミアの表情が凍りつく。
グランガードは攻撃することもなく、その場で静かに立ち尽くしていた。
胸の亀裂は、ゆっくりと全身へ広がっていく。
ピシッ。
ピシッ。
乾いた音が、静まり返った広間に響く。
「何が起きてるんですか……。」
エルナは震える声でつぶやいた。
「分かりません……。」
ミアも目の前の光景から目を離せない。
グランガードはなおもリクだけを見つめていた。
いや――。
正確には、見つめ続けることしかできなかった。
まるで、何かを待っているように。
リクは最後の回復薬を拾い上げると、満足そうに革袋へしまった。
「よし。」
そう言って立ち上がる。
「お待たせしました。」
その言葉が広間へ響いた瞬間だった。
グランガードの身体が大きく震える。
ゴゴゴゴ……。
全身を包んでいた黒い鎧に、無数の亀裂が一気に走った。
「リクさん!」
ミアが思わず叫ぶ。
しかし、リクは何が起きているのか分からないまま首をかしげていた。
「どうしたんでしょう。」
グランガードは大剣を握ったまま、一歩だけ前へ踏み出そうとする。
だが、その足は床へ届くことはなかった。
ガシャァァン!!
黒い鎧は音を立てて崩れ落ちる。
床に散らばった無数の破片は、次の瞬間、淡い光へと変わっていった。
まるで最初から存在していなかったかのように。
広間には、一粒の光だけが静かに舞っている。
誰も動けなかった。
誰も、この現象を説明することができなかった。
「……終わりました?」
リクだけが、不思議そうに首をかしげていた。
ミアは崩れ落ちた鎧の破片を見つめたまま、小さく首を振る。
「違います……。」
「終わったんじゃありません。」
「何も始まってすらいません……。」
エルナも光へと変わっていく破片を見つめ、震える声でつぶやく。
「戦っていません。」
「魔法も使っていません。」
「それなのに、どうして……。」
光は床へ吸い込まれるように消えていく。
やがて、黒い鎧も、大剣も、盾も。
何一つ残らなかった。
まるで最初から存在していなかったかのように。
広間を包んでいた重苦しい空気も、静かに消えていく。
アルドは祭壇を見つめたまま、小さく目を閉じた。
「……役目を終えた。」
その言葉に、三人が振り向く。
「アルドさん。」
ミアが声をかける。
アルドはゆっくりと目を開き、困ったように笑った。
「すまん。」
「また勝手に口から出ただけじゃ。」
「わしにも、意味は分からん。」
リクは祭壇の周りを見渡しながら言った。
「意外と平和に終わりましたね。」
「……平和ではありません。」
ミアは思わずため息をつく。
「こんなこと、どの文献にも載っていません。」
エルナも静かにうなずく。
「『グランガード』という名前も、この遺跡も。」
「全部、初めて見るものばかりです。」
その時だった。
ゴゴゴゴ……。
今度は遺跡全体が、ゆっくりと震え始める。
天井から小さな砂粒が舞い落ちる。
壁に刻まれた古代文字は、一文字ずつ淡い光となって消え始めていた。
まるで、この遺跡そのものが役目を終えようとしているかのように。
「まずいです!」
エルナが天井を見上げる。
「崩れます!」
ミアも周囲を見回す。
「急いで外へ!」
四人は来た道へ向かって走り出した。
しかし、通路へ戻ると異変はさらに広がっていた。
壁に刻まれていた古代文字は、一文字ずつ光の粒となって宙へ舞い上がっている。
石柱も、床も、天井も。
崩れるのではない。
静かに輪郭が薄れていく。
「……消えてる。」
エルナは足を止めそうになる。
「こんなこと、あり得ません。」
「遺跡が消えるなんて……。」
「エルナさん!」
リクが振り返る。
「急ぎましょう!」
「は、はい!」
エルナは慌てて走り出す。
アルドは一度だけ遺跡の奥を振り返った。
「ありがとう。」
小さくつぶやく。
誰に向けた言葉なのか。
本人にも分からなかった。
やがて四人は遺跡の外へ飛び出す。
振り返ると、森の奥に建っていたはずの石造りの遺跡は、淡い光に包まれていた。
光は夜空へ溶けるように舞い上がり――。
次の瞬間。
そこには、何もなかった。
遺跡が建っていた場所には、草原が静かに広がっているだけだった。
リクは目を丸くする。
「なくなりましたね。」
「不思議な遺跡でした。」
ミアもエルナも、その言葉に返事をすることができない。
目の前で起きた出来事を、どう受け止めればいいのか分からなかったからだ。
森を吹き抜ける風だけが、静かに四人の間を通り過ぎていった。
「とりあえず、町へ向かいましょう。」
ミアが静かに口を開く。
「ここにいても、もう分かることはありません。」
「そうですね。」
エルナも名残惜しそうに、遺跡があった場所を見つめる。
「あれほど大きな遺跡が……本当に消えてしまうなんて。」
リクは聖銀の剣を軽く持ち上げた。
「剣も手に入りましたし。」
「結果的によかったですね。」
ミアは苦笑する。
「……結果だけ見れば、そうなんですけどね。」
アルドは何も言わず、静かに歩き始める。
三人もその後に続いた。
やがて四人の姿は森の奥へと消えていく。
誰もいなくなったその場所には、風だけが静かに吹いていた。
――その頃。
リクのカバンの中。
折りたたまれた一枚の地図が、誰にも気付かれないまま小さく震える。
スッ……。
遺跡へ続いていた一本の道が、ゆっくりと地図の上から消えていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
そして、新たな一本の道が静かに描き加えられた。
その先にある場所の名は、まだ記されていない。
誰も、その変化には気付かない。
ただ物語だけが、静かに次の形へと書き換えられていた。
次回『書き換わる地図』




