人買いの黄金時代
「三十二人」
男が言った。
「嘘つけ」
「本当だ」
「一月で?」
「一月で」
酒場がざわめいた。
男は得意げに革袋を机へ置いた。
重い音がした。
「いくら儲けた?」
「教えるわけねえだろ」
「その袋見りゃ分かる」
「まあな」
笑い声。
国境から少し離れた宿場町。
以前なら傭兵や密輸商が集まる程度だった酒場は、今では人買いたちで溢れていた。
理由は一つ。
東の国。
アストリア王国。
あの国が、人間を買い始めた。
「いい時代になったもんだ」
髭面の男が酒を飲む。
「昔は大変だった」
「何が?」
「全部だよ」
人を買う。
運ぶ。
売る。
それだけなら簡単に聞こえる。
実際は違う。
若い男が欲しい鉱山主。
女を欲しがる商人。
農奴を欲しがる地主。
買い手によって欲しい人間が違う。
せっかく人間を仕入れても、売れなければ食費がかかる。
逃げないよう見張る人間も必要だ。
病気になれば値段が落ちる。
死ねば丸損。
「それが今じゃ」
髭面の男が笑った。
「東まで持ってきゃ全部売れる」
「老人も?」
「働けるなら」
「女は?」
「買う」
「子供」
「買う」
「家族」
「むしろ喜ぶ」
「なんだその国」
「王様が馬鹿なんだよ」
酒場が笑いに包まれた。
◇
変化は早かった。
人買いたちは、まず馬車を変えた。
「もっと座席を増やせ」
「荷物が積めなくなるぞ」
「荷物じゃねえ。人を運ぶんだ」
「屋根も付けろ」
「金かかるぞ」
「雨で病気になったら査定が下がる」
次に宿を確保した。
「十二人泊めたい」
「雑魚寝なら」
「駄目だ」
「なんで?」
「体調崩されたら困る」
食事も変わった。
「肉を出せ」
「お前が?」
「違う。こいつらに」
人買いが連れてきた人間を指差す。
「随分優しくなったじゃないか」
「馬鹿言え」
男は吐き捨てた。
「痩せたら値段が下がる」
◇
さらに半年。
もっと奇妙な商売が始まった。
「十五歳の息子さんがいるそうですね」
人買いが農家を訪ねる。
父親が警戒する。
「なんだ」
「仕事を探していませんか?」
「……人買いか?」
「まあ」
「帰れ」
「待ってください」
男は紙を出した。
「アストリア王国。農業従事者。月給はこちら」
「読めん」
「では読みます」
「嘘だろ」
「疑うなら、去年向こうへ行った村の者に聞けばいい」
父親の顔が変わる。
「誰だ」
「粉屋の次男坊」
「あいつか」
「毎月、実家へ送金してますよ」
「……」
「息子さんが向こうへ行けば、契約金はこちら」
金額を見せる。
「一年以内に辞めても返還義務なし」
「なんだそれ」
「俺も知りません」
人買いは笑った。
「向こうの王様が馬鹿なんでしょう」
◇
「俺、建築できます」
今度は人間のほうから来た。
「経験は?」
「七年」
「石工?」
「木工」
「証明できる?」
「親方に聞いてください」
「健康?」
「見ての通り」
人買いは男の腕を見る。
「歯は?」
「歯?」
「見せて」
「なんでだよ」
「健康状態で報酬変わるんだよ」
「俺を馬みたいに見るな」
「じゃあ他所行け」
「待て待て」
男が口を開ける。
「……いいな」
「いくら?」
「銀貨四十」
「五十」
「ふざけんな」
「俺、読み書きもできる」
「四十五」
「計算も」
「四十八」
「五十」
「四十九」
「細けえな!」
周囲が笑った。
人買いは紙を出す。
「じゃあ署名しろ」
「何これ」
「お前が自分の意思で行くって証明」
「必要なの?」
「最近うるせえんだよ」
「誰が?」
「向こうの役人」
「なんて?」
「本人に聞くんだよ」
人買いは苛立ったように真似した。
「『あなたは自分の意思で来ましたか?』」
笑い声。
「面倒くせえ」
「そうなんだよ」
「嘘つかせりゃいいだろ」
「バレたら金が出ねえ」
笑いが止まった。
「マジ?」
「マジ」
「じゃあどうするんだ」
「どうするも何も」
人買いは肩をすくめた。
「行きたい奴を連れてくりゃいい」
◇
それからさらに一年。
村々に妙な言葉が広まり始めた。
「東行き」
最初は人買いたちだけが使っていた。
やがて村人も使い始めた。
「お前んとこの長男、東行きだって?」
「ああ」
「いくらだった?」
「銀貨三十五」
「安いな」
「農業しかできねえから」
「うちの娘は四十だったぞ」
「織物できるからだろ」
酒場では若者たちが人買いを待つようになった。
「次いつ来る?」
「来月」
「どこまで連れてくれる?」
「国境まで」
「仕事は選べる?」
「向こうで聞かれる」
「軍に入りたいんだけど」
「体鍛えとけ」
もはや。
誰が誰を買っているのか、よく分からなかった。
◇
儲かった。
とにかく儲かった。
人買いたちは馬車を増やした。
宿を買った。
国境沿いに事務所まで作った。
字の読める者を雇った。
各地に代理人を置いた。
村の人口。
年齢。
職業。
技能。
借金。
家族構成。
そんなものまで調べるようになった。
「次は南だ」
「なんで?」
「鉱山経験者が多い」
「北じゃ駄目なのか?」
「農民ばっかりだ」
「農民でも売れるだろ」
「売れるけど安い」
「なるほど」
人買いは地図を見る。
「最近、向こうは鉱山に金出してるからな」
「なんで?」
「知らん」
「王様が鉱石好きなんじゃね?」
「ありそうだな」
笑い。
◇
そんな中。
一人だけ、さらに儲けている男がいた。
「またお前か」
国境の役人が顔をしかめた。
「毎度どうも」
男は笑う。
馬車には七人。
若い男が四人。
女が二人。
少年が一人。
「今回は多いな」
「商売繁盛でね」
「書類」
「はいよ」
役人が確認する。
「本人確認するぞ」
「どうぞどうぞ」
一人ずつ呼ばれる。
「自分の意思で来ましたか?」
「はい」
「家族との契約は?」
「あります」
「報酬額は聞いていますか?」
「はい」
次。
次。
次。
問題はなかった。
七人目。
少年。
「君は?」
「……はい」
「何歳?」
「十四」
「両親は?」
「いません」
「誰と暮らしていた?」
「叔父です」
「叔父の同意書は?」
男が紙を出した。
「こちら」
役人が確認する。
「問題なし」
査定が終わる。
金貨が支払われた。
男は袋を持ち上げる。
「いやあ」
笑う。
「いい国だ」
「そうか?」
「あんたらのおかげで俺は大金持ちだよ」
「それは結構」
「王様に伝えてくれ」
男は笑った。
「これからも、いくらでも人間を連れてきますってな」
役人は興味なさそうに紙を整理した。
「次」
男は鼻歌を歌いながら門を出た。
腰には新しい革袋。
以前より上等な服。
新しい馬。
リナを連れてきた男だった。
◇
その夜。
男は国境近くの酒場で仲間たちに酒を奢った。
「乾杯!」
「何に?」
「愚王様に!」
笑い声が上がる。
「愚王様、万歳!」
「もっと人を買ってくれ!」
「俺たちを金持ちにしてくれ!」
杯がぶつかる。
酒がこぼれる。
男は笑っていた。
今までの人生で、一番笑っていた。
「次はどこ行く?」
仲間が聞く。
「西だな」
「西?」
「戦争終わったばっかりだ」
「人が余ってるか」
「孤児も多い」
男は酒を飲む。
「いくらでも仕入れられる」
その言葉を聞いて。
隣の卓にいた老いた人買いが、一瞬だけ男を見た。
だが。
何も言わなかった。
男も気づかなかった。
店の外では雨が降り始めていた。
アストリア王国へ続く街道を。
今日も何台もの馬車が走っていた。
人買いたちは知らなかった。
自分たちがいつから、
人を売る商人ではなく。
人を探し。
条件を説明し。
仕事と人間を結びつけ。
国境まで送り届ける者になったのか。
そんなことは、どうでもよかった。
儲かればいい。
ただ、それだけだった。




