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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第一章 人を買う愚王

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銀貨二十枚の男

「鉱山だけは嫌」


 リナは言った。


「どうして?」


 ミアが尋ねる。


「怖いから」


「何が?」


「暗いし、崩れたら死ぬ」


「確かに」


「それに穴の中でずっと石を掘るんでしょ?」


「たぶん」


「絶対嫌」


 二人は掲示板の前に立っていた。


 受入所の仕事一覧。


 農業。


 建築。


 織物。


 商業。


 鉱山。


 軍。


 それぞれの横には、給金が書かれている。


 リナはもう簡単な数字なら読めるようになっていた。


「でも鉱山、高いよ」


 ミアが指差す。


「知ってる」


「すごく高い」


「だから怖いんだよ」


「どうして?」


「危ないから高いんでしょ?」


「頭いいじゃん」


「馬鹿にしてる?」


「してない」


 ミアは笑った。


 リナも少し笑った。


「私は織物にする」


「決めたの?」


「うん」


「給金低いよ」


「好きだからいいの」


 リナは掲示板を見る。


「私は……」


 まだ分からない。


 何ができるのか。


 何をしたいのか。


 そもそも。


 この国にいたいのか。


 それすら分からなかった。


     ◇


「リナ!」


 昼過ぎ。


 受入所の職員が走ってきた。


「あなたの出身、レム村だったよね?」


「はい」


「会いたいという人が来ている」


「誰?」


「同郷の人らしい」


 胸が跳ねた。


「弟!?」


「いや、男性」


 すぐに落ちた。


「……そう」


「会う?」


 少し迷った。


「はい」


     ◇


 面会室には、一人の男がいた。


 二十代半ばくらい。


 短い黒髪。


 大きな身体。


 紺色の軍服を着ている。


 リナは入口で止まった。


 知らない。


 だが男は、リナを見るなり立ち上がった。


「お前、リナか?」


「……はい」


「ガイルさんの娘?」


 父の名前だった。


「お父さんを知ってるの?」


「ああ」


 男の顔が明るくなる。


「俺だよ。エドだ」


「エド……?」


「粉屋の息子」


 記憶を探る。


 粉屋。


 村の端。


 大きな水車。


 そして。


「あっ」


「思い出した?」


「いなくなった人!」


 男が笑った。


「言い方!」


「だって!」


 思い出した。


 三年ほど前。


 村から突然いなくなった青年。


 人買いに売られた。


 そんな噂だった。


「死んだって言ってた人もいた」


「勝手に殺すなよ」


 エドは豪快に笑った。


「生きてるよ」


「なんでここにいるの?」


「仕事」


「仕事?」


「俺、今ここの軍人だから」


 リナは軍服を見る。


「奴隷じゃないの?」


 エドが固まった。


「誰が?」


「エドさん」


「なんで?」


「売られたんでしょ?」


「ああ」


「いくら?」


「銀貨二十枚」


 即答だった。


「覚えてるの?」


「そりゃ覚えてるよ。俺の人生で初めて見た大金だったからな」


「自分の値段なのに?」


「そう」


 エドは椅子に座った。


「親父が借金作ってな。家も畑も取られそうだった」


「それで売られたの?」


「ああ」


「嫌じゃなかった?」


「死ぬほど嫌だった」


 笑顔が消えた。


「人買いの馬車に乗ったときは、人生終わったと思ったよ」


 リナは黙って聞く。


「鉱山に売られると思ってた。死ぬまで穴掘らされるんだって」


「違ったの?」


「鉱山だった」


「やっぱり!」


 エドが笑った。


「でも給金が出た」


「いくら?」


「最初は安かったよ」


「今は?」


「今?」


 エドは少し考えた。


「村にいた頃の四倍くらいかな」


「四倍!?」


「軍に移ったからな」


「鉱山辞めたの?」


「ああ」


「辞めていいの?」


「嫌だったから」


「そんな理由で?」


「他に何がいるんだよ」


 リナには、まだこの国が分からなかった。


     ◇


「どうして軍に?」


「鉱山で喧嘩して」


「え?」


「監督官を殴った」


「ええ!?」


「クビになった」


「奴隷なのにクビになるの!?」


「だから奴隷じゃねえって!」


 エドが笑った。


「仕事なくなって困ってたら、兵士にならないかって言われてな」


「強いから?」


「監督官を一発で倒したから」


「最低」


「俺もそう思う」


 リナは久しぶりに声を出して笑った。


 エドも笑う。


 しばらくして。


 エドが静かに尋ねた。


「ガイルさんは?」


 リナの笑顔が消えた。


「……死んだ」


「え?」


「お母さんも」


 エドの表情が変わる。


「病気か?」


 リナは首を振った。


「私を連れてきた人に殺された」


 エドが動かなくなった。


「……何?」


「お父さん、私を売らないって言ったから」


「待て」


「それで夜に」


「待て、リナ」


 エドの声が低くなる。


「そいつが二人を殺して、お前を連れてきたのか?」


「うん」


「国境では言ったのか?」


「言った」


「誰に」


「役人の女の人」


「ちゃんと、そいつが殺したって?」


「うん」


「顔も見た?」


「見た」


「名前は?」


「分からない。でも役人さんは知ってると思う」


 エドはしばらく黙っていた。


「どうしたの?」


「……いや」


「その人、捕まらなかった」


「そうか」


「お金ももらってた」


 エドがリナを見る。


「王国から」


「見たのか?」


「うん」


「そうか」


 エドはそれ以上聞かなかった。


 ただ、さっきまでの陽気さは消えていた。


「エドさん?」


「なんだ」


「やっぱり、この国おかしいよね」


「そうだな」


 否定しなかった。


     ◇


 帰り際。


 エドは小さな袋をリナに渡した。


「何?」


「土産」


 開ける。


 焼き菓子が入っていた。


「いいの?」


「給料日だったからな」


「ありがとう」


「それから」


 エドはもう一つ、小さな紙を出した。


「これは?」


「送金証明」


「そうきん?」


「村に金送ったんだよ」


「誰に?」


「母ちゃん」


「村にいるの?」


「ああ」


「じゃあ帰ればいいのに」


「帰ったことあるぞ」


「え?」


「去年」


「村に?」


「三週間」


「またここに戻ってきたの?」


「うん」


「なんで?」


 エドは不思議そうな顔をした。


「仕事あるから」


 あまりにも普通だった。


 リナは何も言えなくなった。


「母ちゃんもこっち来いって言ってるんだけどな」


「来ないの?」


「両親の墓があるから嫌だって」


「そうなんだ」


「頑固なんだよ」


 エドが笑う。


「でも最近は、人買いに頼んで親を呼ぶ奴も多いぞ」


「人買いに?」


「あいつら国境越えるの慣れてるからな」


「怖くない?」


「当たり外れはあるけど」


 エドは肩をすくめた。


「昔よりだいぶマシになったよ」


「どうして?」


「さあ」


 エドは考える。


「こっちに人を連れてくるだけで儲かるようになったからじゃねえか?」


「……?」


「前は買った奴を高く売らなきゃ儲からなかった」


 エドは指を一本立てた。


「今はここまで連れてくれば、王国が買う」


 二本目。


「だから売り先を探す必要がない」


 三本目。


「早く次を連れてきたほうが儲かる」


 リナは考えた。


 よく分からなかった。


「じゃあ、いい人たちになったの?」


「まさか」


 エドは笑った。


「あいつら金が好きなだけだよ」


「じゃあ悪い人?」


「知らん」


「どっちなの」


「俺は助かった」


 エドは自分の軍服を見る。


「母ちゃんの借金も消えた。俺は仕事もある。飯も食える。給料も出る」


「じゃあ恩人?」


 少し考える。


「俺を連れてきた奴には、まあ、感謝してる」


 リナは俯いた。


「私も、いつかそう思うのかな」


 エドの顔から笑みが消えた。


「何が?」


「私を連れてきた人」


「それは違う」


 即答だった。


 リナが顔を上げる。


「どうして?」


 エドはしばらく黙っていた。


 そして。


「お前を連れてきたことと」


 一度言葉を切る。


「お前の親を殺したことは、別だ」


 リナは何も言わなかった。


「一緒にするな」


 それだけ言った。


     ◇


 その夜。


 リナは焼き菓子を半分だけ食べた。


 残りは明日に取っておく。


 甘かった。


 父にも食べさせたかった。


 母にも。


 窓の外を見る。


 この国は分からない。


 人を買う。


 でも鎖につながない。


 売られた人間に仕事を選ばせる。


 金を払う。


 帰りたい者は帰る。


 そして。


 三年前に銀貨二十枚で売られた男は、自分の金で故郷の母親を養っている。


 リナは考えた。


 もし。


 あの日。


 父が金貨を受け取っていたら。


 自分は笑って、この国へ来られたのだろうか。


 父も。


 母も。


 生きていたのだろうか。


 答えは出なかった。


     ◇


 同じ頃。


 エドは軍営へ戻っていた。


「遅かったな」


 同僚が声をかける。


「同郷の子に会ってた」


「へえ」


 エドは返事をしながら、自分の机に座った。


 しばらく何もせずにいた。


 やがて紙を一枚取り出す。


 筆を持つ。


 少し迷った。


 そして書いた。


 十三歳。


 レム村。


 両親殺害。


 人買い。


 国境管理所へ証言済み。


 そこまで書いて。


 筆が止まった。


「何書いてんだ?」


「別に」


 エドは紙を折った。


「どこ行くんだ?」


「ちょっとな」


 軍営を出る。


 王都の夜道。


 役所が並ぶ一角へ向かう。


 途中で一度立ち止まった。


 考える。


 そして。


 紙を破った。


 細かく。


 何度も。


 道端の火鉢へ放り込む。


 紙が燃える。


 同僚に聞かれたことがある。


 この国で一番信用できるものは何だ、と。


 王でもない。


 軍でもない。


 金でもない。


 エドは火を見つめた。


「……もう記録されてるんだったな」


 誰に言うでもなく呟く。


 炎が紙を飲み込んだ。


 やがて文字はすべて消えた。


 エドは軍営へ戻っていった。

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