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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第一章 人を買う愚王

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奴隷たち

 朝、目を覚ますと、知らない天井があった。


 リナはしばらく動かなかった。


 白い天井。


 窓から差し込む光。


 柔らかい布団。


 自分がどこにいるのか思い出すまで、少し時間がかかった。


 そして思い出した。


 父。


 母。


 馬車。


 男。


 金貨。


 胸が痛くなった。


 リナは毛布を頭まで被った。


 もう一度眠れば。


 目を覚ましたとき、全部夢になっているかもしれない。


「起きてる?」


 声がした。


 毛布から顔を出す。


 隣の寝台から少女がこちらを見ていた。


 自分より少し年上だろうか。


「昨日来た子でしょ?」


 リナは頷いた。


「名前は?」


「……リナ」


「私はミア」


 少女は笑った。


「よろしく」


 リナは返事をしなかった。


 部屋には寝台が六つあった。


 すでに空になっているものもある。


「ここ……どこ?」


「受入所」


「受入所?」


「そう呼んでる」


「奴隷を入れるところ?」


 ミアがきょとんとした。


「奴隷?」


「私、売られたから」


「ああ」


 ミアは納得したように頷いた。


「私も」


「え?」


「銀貨二十五枚」


 あまりにも普通に言ったので、リナは聞き間違えたと思った。


「……何が?」


「私の値段」


 ミアは指を二本立て、それから五本。


「二十五枚」


「なんで知ってるの?」


「お母さんが数えてたから」


 リナは黙った。


「お母さんが……売ったの?」


「うん」


 ミアは服を着替え始めた。


「弟が三人いるからね」


「嫌じゃなかった?」


「嫌だったよ」


 あっさりした答えだった。


「でも、ずっと嫌だったわけじゃない」


「どういうこと?」


「分かんない」


 ミアは笑った。


「来たら分かるよ」


     ◇


 朝食は温かかった。


 パン。


 豆と野菜のスープ。


 卵。


 果物まであった。


 リナは食卓の前で固まった。


「食べないの?」


 ミアが聞く。


「これ……誰の?」


「私たちの」


「全部?」


「全部」


「お金は?」


「いらない」


「なんで?」


「知らない」


 ミアはパンをちぎった。


「王様が馬鹿だからじゃない?」


 周囲で笑いが起きた。


「またそれか」


 向かいに座っていた少年が言った。


「何?」


「何でも王様が馬鹿だからで済ませるなよ」


「だって本当に馬鹿なんでしょ?」


「らしいな」


「人間買って、飯食わせて、金まで払うんだよ?」


「馬鹿だな」


「でしょ?」


 また笑い。


 リナだけ笑えなかった。


 父と母を殺した男にも、その馬鹿な王は金を払った。


     ◇


 朝食後。


 大きな部屋に三十人ほどが集められた。


 昨日来た者たちらしい。


 前に役人が立つ。


「今日から三日間、皆さんの適性を確認します」


 紙が配られる。


「文字が読める者?」


 半分ほどが手を上げる。


「計算ができる者?」


 さらに減る。


「職人経験のある者?」


 何人か。


「農業経験」


 今度は大勢。


「兵役経験」


 三人。


 役人が記録していく。


「何もできない者?」


 リナは迷ってから手を上げた。


 他にも何人かいた。


「分かりました」


 怒られなかった。


「では基礎教育から始めます」


 リナは手を下ろした。


「……教育?」


「文字と計算です」


「なんで?」


 役人がリナを見る。


「必要だからです」


「奴隷なのに?」


 部屋が少し静かになった。


 役人は首を傾げた。


「誰が?」


「私たち」


「違います」


 即答だった。


「でも、買われた」


「そうですね」


「じゃあ奴隷でしょ?」


「なぜです?」


 リナのほうが分からなくなった。


「だって……人を買ったら、その人のものになるんじゃないの?」


「ああ」


 役人はようやく意味を理解したらしい。


「王国が買ったのは、あなたではありません」


「……?」


「説明が難しいですね」


 役人は少し考えた。


「まあ、そのうち分かります」


「何それ」


「私も説明が面倒なのです」


 周囲から笑いが起きた。


 リナは笑えなかった。


     ◇


 午前中は文字。


 午後は計算。


 翌日は健康診断。


 その翌日は仕事の説明だった。


「農業」


 役人が札を置く。


「建築」


 次。


「織物」


 次。


「商業」


 次。


「軍」


 次。


「鉱山」


 次。


「行政補助」


 リナは目を丸くした。


「好きなものを選んでください」


 誰も動かなかった。


「……何です?」


 役人が尋ねる。


 男の一人が手を上げた。


「選ぶのか?」


「はい」


「国が決めるんじゃないのか?」


「希望は聞きます」


「希望?」


「向いていなければ別の提案をしますが」


 別の男が聞いた。


「給金は?」


「仕事によります」


「全部同じじゃないのか?」


「違います」


「一番高いのは?」


「今なら鉱山でしょうか」


 数人の男がすぐ鉱山の札へ移動した。


「おい!」


「早い者勝ちじゃないですよ」


 役人が止める。


 笑いが起きた。


 リナはその光景を見ていた。


 何かがおかしい。


 奴隷なのに。


 仕事を選べる。


 金がもらえる。


 文字まで教える。


 食事も出る。


「ねえ」


 リナは役人を呼んだ。


「はい?」


「私は、誰のものなの?」


 役人が止まった。


「またその話ですか」


「だって分からない」


「昨日も説明したでしょう」


「説明してない」


「そうでしたか?」


「そのうち分かるって言った」


「ああ」


 役人は思い出した。


「では、今説明しましょう」


 リナは待った。


「あなたは、あなたのものです」


「……?」


「以上です」


「意味分かんない!」


 また笑いが起きた。


     ◇


 一週間が経った。


 リナは文字を習っていた。


 自分の名前を書けるようになった。


 リ。


 ナ。


 まだ少し歪んでいる。


「上手じゃん」


 ミアが言った。


「そう?」


「私なんて最初、ミとアが逆だったよ」


「どうやったら逆になるの」


「知らない」


 二人で少し笑った。


 笑ってから。


 リナは急に黙った。


 笑った。


 自分が。


 父と母が死んだのに。


「リナ?」


「……なんでもない」


 夜。


 寝台に入る。


 目を閉じる。


 父の顔が浮かぶ。


 母の声。


 あの家。


 帰りたい。


 でも。


 帰る家はない。


 涙が出た。


 毛布の中で声を殺して泣いた。


     ◇


 翌朝。


「仕事の希望、決まった?」


 ミアが聞いた。


「まだ」


「私は織物」


「なんで?」


「手先が器用だから」


「自分で?」


「うん」


「決めていいの?」


「いいって言ってたじゃん」


 リナは考える。


「ミア」


「なに?」


「ここから逃げたらどうなるの?」


「逃げる?」


「うん」


 ミアは少し考えた。


「門から出れば?」


「捕まらない?」


「なんで?」


「だって買われたから」


「またそれ?」


 ミアが笑う。


「じゃあ試してみる?」


「え?」


     ◇


 二人は受入所の門まで歩いた。


 兵士が立っている。


 リナは足を止めた。


「ほら」


 ミアが背中を押す。


「嫌だよ」


「なんで」


「捕まる」


「大丈夫だって」


 ミアは平然と門を通った。


 兵士は何も言わない。


「ほら」


 門の外から手を振る。


 リナも恐る恐る歩く。


 兵士の前。


 止められない。


 一歩。


 外へ出た。


 何も起こらなかった。


 道がある。


 街がある。


 人が歩いている。


 空がある。


 リナは振り返った。


「……いいの?」


 兵士がリナを見る。


「何が?」


「出ても」


「いいけど」


「逃げるよ?」


「どこへ?」


「分かんないけど」


「そうか」


 兵士は欠伸をした。


「気をつけてな」


 それだけだった。


 リナは呆然とした。


「ね?」


 ミアが笑う。


 リナは門を見る。


 高い壁。


 兵士。


 受入所。


 自分たちを買った国。


 なのに。


 門は開いている。


「……本当に、馬鹿なのかな」


 リナが呟いた。


「王様?」


「うん」


 ミアが笑った。


「だから言ったじゃん」


 二人は街へ歩き出した。


     ◇


 その頃。


 王宮では財務卿が頭を抱えていた。


「陛下」


「なんじゃ」


「受入費用が、想定の倍になっております」


「そうか」


「食費、住居費、教育費、医療費。それに給金です」


「うむ」


「このまま人を買い続ければ、さらに膨らみます」


 王は葡萄を一粒食べた。


「では、働いて返してもらえばよい」


「税で、という意味でしょうか」


「他に何がある」


「ですが、途中で国外へ出る者もおります」


「そうか」


「止めないのですか?」


「なぜ?」


「国費で買った人間ですぞ!」


「それが?」


 財務卿のこめかみが震えた。


「逃げられたら、丸損ではありませんか!」


 王は葡萄をもう一粒つまんだ。


「逃げたい奴を捕まえて、見張りを付けて、嫌々働かせるのであろう?」


「必要ならば」


「金がかかるではないか」


「……はい?」


「兵を置く。牢を作る。逃亡者を探す。働かぬ者を監視する」


 王は指を折って数えた。


「面倒じゃ」


「しかし!」


「それなら、出ていきたい者は出ていけばよい」


 財務卿は絶句した。


「陛下」


「なんじゃ」


「何のために人を買っているのです?」


 王は葡萄を口へ放り込んだ。


「人が足りぬからじゃ」


「その人が出ていったら意味がないでしょう!」


「そうじゃな」


「では!」


「次を買えばよい」


 財務卿は天井を見上げた。


 王は葡萄の房を持ち上げた。


「まだいっぱいおるぞ」


「葡萄と人間を一緒にしないでいただきたい!」


 王宮に財務卿の声が響いた。

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