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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第四章 捨てられた愚王

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暗闇の向こう

暗かった。


どれほど目を凝らしても、向かいの壁すら見えない。


時折、どこかで水の滴る音がした。


それ以外は、何も聞こえなかった。


シルバーは目を閉じた。


ルシアンは、無事だろうか。


食事は取っているだろうか。


あの子は、何も知らない。


何も知らぬまま、巻き込まれているのではないか。


「……」


いや。


今さら、息子の心配など。


自分は、もはや反逆者なのだ。


王国に仕えてきたシルバー家の名は、自分の代で地に落ちた。


父も、祖父も、そのまた父も。


代々守り続けてきたものを、失った。


ルシアンに残してやれるものなど、もう何もない。


シルバーは額を押さえようとした。


しかし、その仕草は途中で止まった。


「……くっ」


体の奥で、鈍い痛みが脈打った。


何度経験しても慣れるものではない。


仕方なく、目を閉じる。


闇の中では、目を閉じても何も変わらなかった。


「シルバー」


闇の向こうから声がした。


聞き慣れた声だった。


「……」


「起きておるのだろう」


シルバーは答えなかった。


「悔やんでおるか」


しばらく、沈黙があった。


やがてシルバーは、低く答えた。


「……貴様」


「うむ」


「どの口が、それを言う」


「確かにな」


ゴルドーは笑った。


いつものように。


何がおかしいのか、シルバーには分からなかった。


「貴様……」


「何だ」


「……いや」


言葉が続かなかった。


ゴルドーも、それ以上は尋ねなかった。


◇


「王都は、どうなっているだろうな」


しばらくして、ゴルドーが言った。


「知らん」


「そうか」


「知るわけがなかろう」


「そうだな」


また沈黙が落ちた。


「陛下は、さぞお怒りだろう」


「……当然だ」


「我ら二人が、揃って背いたのだからな」


シルバーは唇を噛んだ。


「……その名で呼ぶな」


「何をだ」


「陛下だ」


ゴルドーは答えなかった。


「我らに、もはやその資格はない」


暗闇の中で、衣擦れの音がした。


「そうかもしれんな」


「……」


「だが、ほかに何と呼べばよい」


シルバーは答えられなかった。


◇


「ルシアンは」


不意に、ゴルドーが言った。


シルバーの呼吸が止まった。


「……何だ」


「あの子は、どうしているだろうな」


「知らん」


「そうか」


「貴様には関係ない」


「そうだな」


ゴルドーは、あっさり認めた。


その声が、かえって腹立たしかった。


「……貴様は」


「うむ」


「いつも、そうだ」


「何がだ」


「何もかも、分かったような顔をする」


「顔など見えんだろう」


また、笑った。


シルバーは奥歯を噛みしめた。


「……笑うな」


「すまん」


謝罪の声にも、わずかに笑みが残っていた。


「貴様は……!」


声を荒らげかけて、シルバーは口を閉じた。


闇の向こうで、ゴルドーも黙った。


やがて、低い声が聞こえた。


「……生きておればよいな」


シルバーは何も答えなかった。


誰が、とは尋ねなかった。


◇


どれほどの時間が過ぎたのか。


外から、重い足音が聞こえた。


一つではない。


何人かが近づいてくる。


金属の触れ合う音がした。


シルバーは顔を上げた。


ゴルドーが、小さく息を吐く。


「……さて」


足音が止まった。


闇の向こうで、何かが開く音がした。


細い光が差し込んだ。


「シルバー卿。ゴルドー卿」


知らない男の声だった。


「お二人に、お話がございます」


ゴルドーが答えた。


「聞こう」


シルバーは黙っていた。


男は続けた。


「王都より、知らせが届きました」


その瞬間。


シルバーは、思わず身を乗り出していた。


男が何を告げるのか。


まだ、一言も聞いていないというのに。


◇


王宮の地下。


ルシアンは、石壁にもたれて座っていた。


ここへ連れてこられてから、どれほど経っただろう。


食事は運ばれてきた。


水もある。


寝具も用意されている。


ただ、本がなかった。


「……」


ルシアンは、向かいの壁を見つめた。


何も書かれていない。


当然だった。


それでも、しばらく眺めていた。


そのとき。


「おい、聞いたか!」


どこかから声がした。


男の声だった。


「王様が裏切られたんだとよ!」


別の男が笑った。


「はっ! そいつは傑作だ!」


「しかも宰相と軍務卿だってよ!」


「ざまあみろってんだ!」


笑い声が響いた。


鉄格子を叩く音がした。


「偉そうに改革だ何だと言いやがって!」


「自分の家来にも見捨てられたんじゃねえか!」


「今度は誰が王様になるんだ?」


「誰でもいいさ! どうせ俺たちにゃ関係ねえ!」


また、笑い声がした。


ルシアンは黙って聞いていた。


◇


誰でもいい。


本当に、そうなのだろうか。


王が替われば、法律が変わる。


税が変わる。


土地の持ち主が変わることもある。


戦争が起きれば、住む場所さえ失う。


それでも、王が誰であるかなど関係ないと言えるのだろうか。


いや。


あの男たちにとっては、本当に関係がないのかもしれない。


誰が王になっても、牢の中にいることは変わらない。


少なくとも、彼らはそう思っている。


「……」


ルシアンは膝の上で指を組んだ。


父は、王の改革を認めていた。


成果を上げた者が評価される。


家柄ではなく、能力によって役職が決まる。


それは、正しいことなのだと思う。


けれど。


正しいことが、すべての人に喜ばれるとは限らない。


父は、そのことも知っていた。


◇


「しかしよ!」


再び、声が響いた。


「宰相ってのは、代々同じ家がやるもんなんだろ?」


「そうらしいな!」


「だったら、そいつも王様に捨てられそうになったんじゃねえのか?」


「違えねえ!」


「先に裏切ったのは王様の方だったりしてな!」


男たちは笑った。


ルシアンは顔を上げた。


先に裏切ったのは、王。


その言葉が、妙に耳に残った。


父は、王を裏切ったのだろうか。


「……」


ルシアンは、父の書斎を思い出した。


机の上に積まれた書類。


夜更けまで消えない灯り。


王の改革について語るとき、父は決まって難しい顔をしていた。


それでも、仕事を投げ出したことは一度もなかった。


「……」


ルシアンは視線を落とした。


◇


「おい! 静かにしろ!」


看守の怒鳴り声が響いた。


「うるせえ! 王様が困ってるんだろ? 祝わせろよ!」


「黙れ!」


鉄格子を叩く音がした。


「けっ、どうせ偉い奴らは、自分のことしか考えちゃいねえ!」


「違えねえ! 困ったら真っ先に逃げるのも、偉い奴らだ!」


また、笑い声が起きた。


ルシアンは、ゆっくりと顔を上げた。


逃げる。


父の言葉が蘇った。


あのときの声。


いつになく厳しかった表情。


ルシアンは、しばらく動かなかった。


やがて、膝の上で組んでいた指をほどいた。


「……なるほど」


小さな声だった。


看守が再び怒鳴り、囚人たちの笑い声が遠ざかっていく。


ルシアンは、もう一度向かいの壁を見つめた。


何も書かれていない。


当然だった。


けれど、先ほどまでとは違っていた。


今はもう、本がなくても退屈しそうになかった。

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